マラヤ通信

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1961年

この文章の主語は1961年である。私はこの年の85日に生まれた。ちなみに私よりも一日早く生まれたのがオバマ米大統領であり、私の誕生日の翌日は広島に原爆が落とされた記念日である。
 
私が産まれる16年前まで日本は戦争をしていた。たった15年前!確かにテレビでは戦争映画が多かったし、軍歌を聴く機会も多かった。大阪や神戸の繁華街で傷痍軍人がアコーディオンを弾きながら乞食をしていたのを見た記憶もある。なによりも父親自身が実際に戦争に参加した世代であった。にもかかわらず、私にとって戦争ははるか昔に自分と関係のないところで起きた出来事としてしか感じられない。迂闊なやっちゃ。
 
1961年に何があったか。アメリカではアイゼンハワー大統領が退任して、ジョン・F・ケネディ大統領が就任した。アイゼンハワーは退任演説の中で、軍産複合体が国家に及ぼす影響について警告をした。ソ連のガガーリンが有人衛星に乗って地球一周に成功した。私はかもめ。朝の連ドラとみんなのうたの放送が開始された。朴正煕がクーデターを起こした。東西ベルリンの壁が封鎖された。大鵬・柏戸時代が始まった。第一次西成暴動が終わる日に私は生まれた。とても暑い日だったらしい。もちろん、なんにも覚えちゃいないが。ちなみに、日本国の総理大臣は池田勇人である。所得倍増論!
 
1961年に流行した音楽は、「上を向いて歩こう」(坂本九)、「王将」(村田英雄)、「コーヒールンバ」(西田佐知子)、「スーダラ節」(植木等)、「東京ドドンパ娘」(渡辺マリ)である。ええ曲ばっかりじゃないか。
 
1961年に生まれた人は、ナターシャ・キンスキー、ダイアナ妃、ナディア・コマネチである。あれ、松田聖子はいずこへ? 確か同じ学年だったはずなのであるが。1962年の222日。この四人が揃うと、女性のタイプの完璧な縦軸と横軸のグラフが出来上がっただけに残念。男は田原俊彦、エディ・マーフィー、ベン・ジョンソンなどなど。
 
8月5日生まれという線から攻めてみよう。モーパッサン(1850)、アームストロング船長(1930)、フン・セン(1952)、マイケル富岡(1961)、どんと(1962)、大後寿々花(1993)などなど。彼らの共通点は……ない。
共通点はないが、どんとと大後寿々花は大好きなので、少しうれしい。
 
私が今教えている生徒は、1990年代〜2000年代生まれだ。彼らの全ては私がマレーシアにきた1994年以降に生まれた。彼らにとって1961年は、昔話の世界だろう。1945年が私にとってはるか昔にどこかで起こった出来事であったように。だから、私はときどき生徒たちに昔話を語るようにしている。「僕が生まれた1961年の日本には、高速道路も新幹線もなかった。シャワーもエアコンもカラーテレビも。もちろん携帯電話やパソコンもなかったんだ。信じられますか。」もっとも私だって1961年を記憶しているわけではないのだけど。私の記憶は1965年あたりからぼんやりとスタートする。
 
生徒の中には21世紀生まれが含まれている。1990年代生まれの生徒も記憶のほとんどは21世紀に形成されている。私たちの世代にとって21世紀は輝ける未来のイメージだった。高層ビル群を縫うように走る高速道路、ロケット、ロボット。あの時の子どもたちが描いた絵で実現していないのは空飛ぶ自動車だけ。21世紀の子どもたちは、未来をどのように描くのだろう。

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『だけど、くじけない〜子どもたちからの元気便』(長倉洋海 NHK出版)

大好きなカメラマンの長倉洋海氏の写真展&出版記念会です。僕の友人が書籍の企画をしています。13日には、スライドトーク&サイン会もあります。関西在住の方は、ぜひご参加を!
 
 
『だけど、くじけない〜子どもたちからの元気便』(長倉洋海 NHK出版)
 
東日本大震災で被災した東北地方の子供たちを、2011年9月から4か月にわたり撮影を続けてきました。
笑顔の奥に見える子どもたちの悲しみや切なさに触れながら、それを乗り越えるような明るさやたくましさを捉えたいという思いでした。
今でも私の心に残っているのは子どもたちの弾けるような笑顔と伸びやかな笑い声です。それを消さないようにしなければならない---。笑顔に何より励まされ、生きる力をもらっているのは私たちなのですから。
子どもたちの姿を通して、被災地の「今」を見ていただければと願っております。(長倉洋海さんのお言葉)
 

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在馬日本人が一時帰国すると

1、うどんを食べるときに七味を大量に入れてしまう。
 何にでもチリを付けて食べる習慣になれてしまうとこうなる。
 
2、寿司や刺身を食べるときにワサビをたっぷりつけて、周囲にどん引きされる。
  マレーシアでは大さじ山盛りのわさびに醤油を溶かしてべっとりと塗って食べるのが標準です。
 
3、タクシーを乗降するとき、思わずドアを手で開閉しようとして運転手をあわてさせる。
    日本以外のタクシーは手動が標準。
 
4、食事の後、「すみません、お勘定!」と言うと、「レジでお願いします」と言われ、そそくさとレジに向かう。
  
5、くしゃみをして、すかさず「エクスキューズミー」と言ってしまう。
 
6、電車の中やレストランなどで周囲の会話が全て耳に入ってしまう。
   マレーシアでは英語、マレー語、広東語、福建語、タミル語などが入り交じっていて、意味のある語として入ってこない。会話をするときは、相手の言うことを聞き漏らさないように集中して音量を一杯にして聞く癖がついてしまっている。だから、日本に帰ると、意味のわかる言葉が大音量で脳内に鳴り響くことになる。
 
7、会う人ごとに「やっぱり日本が一番でしょう」と言われて辟易する。
 
8、看板や本屋の背表紙など書いてある文字の全ての意味が理解できて目眩がする。
マレーシアの標識や看板はマレー語、英語、中国語、タミル語。
 
9、「マレーシアは暑いでしょう」と言われるが、日本の方がはるかに暑い。
一時期国は毎年7月末。マレーシアは常夏だけど気温は33度〜35度くらい。スコールが降ると夜は肌寒いくらいだ。
 
10、コンビニが文字通りコンビニエンスなのでつい長居していらないものまで買ってしまう。
 
11、平日の昼に散歩して児童公園で読書をしていると、周囲から人が消える。
 ひそひそ話が聞こえるから顔をあげると、お母さんたちが子どもの手をひいて小走りで去っていきます。
 
12、駅でハンカチを落とした初老の女性に拾って渡すと、ひいっと小さく叫んで逃げられる。
そんなに怖いか!
13、分別ゴミの分別の仕方がわからず、日本にはもう住めないなと絶望する。
 
14、日本酒のあまりの安さに飲み過ぎる。
 

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お見舞い

先週の土曜日、癌の手術をして療養中のガン(フィシャーマンのマスター)の家に行きました。鼻から、鼻腔の骨を侵食して脳に至ったという、世界でも数百例しかない癌だったようです。
 
幸いなことに、執刀経験のある医者がシンガポールに滞在しており、最新の設備も整っていたので、いまは安定しています。
 
流動食から固形食に移行する段階で、最初に食べたのが、日本米で作ったかゆ、次は茶そば、そして、うどん。のどの通りがよく、柔らかく、油や塩分が少ない料理となると、日本食に行くようです。「私はいったいどこの国の人と結婚したんだ?」と、奥さんは笑いながら嘆いていました。
 
ちなみに手術前の食べたのは、日本料理のビュッフェ。そして、土曜日は初めて外食したのだけど、それも日本料理でした。

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マレーシアでタクシーに乗る時の11の心得

今では、KL国際空港からKL市内まではKLエクスプレスが走り、市内でもモノレールで移動できるようになるなど、公共交通が充実してきたクアラルンプール。バスも待ち時間さえ気にならなければ、十分利用できます。
たとえば、1994年ですと、1時間に2本ぐらい運行されているだろうと地元の住民の間で噂されていたバスがあります。「ということは大体30分に1本だな」などと計算するのは、いかにも日本人の初心者が思いつきそうな形式論理的発想です。運転手にも事情があり、道路にも事情があり、そもそもダイヤグラムって何?おいしいの?というバス運営会社の事情もあります。実際には50分待って、2台のバスが仲良く手をつないでやってきました。そうか、その手があったか!
そうした交通事情の中で、庶民の足として頼りになるのが、タクシーです。密閉空間の中で、見知らぬ者が一定の時間を過ごすのですから、どこの国であってもタクシーは物語の宝庫です。今でこそ、KL市内のタクシーの初乗り料金は2kmで3リンギット(約80円)に値上がりし、新車の導入と悪質なドライバーの追放などによって、どのタクシーに乗っても、比較的均等なサービスを受けられるようになりました(旅行者は除く)。これから紹介する心得は、一昔前の初乗り2リンギットの時代のものです。
1、    乗車拒否には、運転手の抱える様々な事情と嗜好が表現される。雨が降りそうだから、そっちは渋滞しているから、息子を迎えに行く時間だから、お腹がすいたのでご飯を食べに行く、家に帰る途中だ、など。走行中のタクシーがわざわざ止まって丁寧に説明してくれることもある。
2、    追加料金の要求には、運転手の抱える様々な事情と嗜好が表現される。理由は上に同じ。深く共感しつつも、同意する必要はない。とりあえず言ってみるという場合が多い。
3、    運転手の抱える事情により、迂回するころがある。助手席に運転手の子どもが座っていたら、学校へ送るのは当然のこと。ガソリンの残量が少なくなると、ガソリンスタンドに寄る。LPガスを扱うスタンドを選択した場合、タクシーが並んでいるので、15分は待たなくてはならない。その間動いたメーターは客持ちであることはもちろんである。
4、    観光スポットや繁華街で客待ちしているタクシーはメーターの2・3倍の料金を吹っかけてくる。そこにいる運転手の間で闇カルテル協定が締結されているので、その場を離れてタクシーを拾うとよい。
5、    後から乗って来て、行き先を告げたまま石のように黙って動かない中国系のおばさんとの交渉は不可能である。運転手は必死になって先客がいると理の正しさを説くが、理の正しさでは世の中は動かないことをやがて知る。この学習にかかった費用は、当然、客であるあなたが支払うことになる。
6、    降りる直前にメーターの表示を消してしまう運転手がいるので、気を許してはならない。運転手よりも早くメーターの表示料金を読み上げながら、財布をから現金を取り出すのが正しい客の姿勢である。
7、    タクシーに限らず、レジのない場所での支払いは小銭をいつも用意しておくのが、客としてのエチケットだ。50リンギット札などは論外。10リンギット札でも心もとない。5リンギット札1枚、1リンギット札5枚、そして、5・10・20・50セント硬貨を常に携行すること。「気にするな」は常にお釣りを払わない運転手の側の言葉であって、客の言葉ではない。
8、    プライベートなことを根掘り葉掘り聞いてくるのは、親愛の表現である。「どこから来た」「仕事は何だ」「結婚しているのか」「子供は何人いる」「何で結婚しない」「給料はいくらだ」「彼女はいるのか」「マレーシアに来て何年になる」「なんで車を買わない」などなど。もちろん、真面目に答える必要はない。会話を楽しんでいるだけなのだから。ということに気づくのに何年かかったか。
9、    日本についての知識を披露するのは、親愛の表現である。「ソニー、ヤマハ、カワサキ、ホンダ、味の素」「ハイドモ、バカヤロ、アリガト」から、サッカーの奥寺選手がいかに優れていたか、知り合いの山田さん(もちろん私は知らない)がいかにいい人で、親しく付き合っているかなどを話し、伸びきったいつの時代のものかわからない日本の演歌をかけてくれるのは、異国の地で寂しい思いをしている日本人へのおもてなしである。
10、いきなり体に霧吹きを吹きかけるのは眠気覚ましのためである。同様に歌を歌ったり、飴をくれたり、タバコをくれて一緒に吸ったりと、一日の始まりが遠足気分になることもある。
11、空港に行くときに乗ったタクシーに本を置き忘れたことがある。半年後、偶然乗ったタクシーの運転手が、私の顔を見るなり車を降りてトランクから何かを取り出した。それは半年前に置き忘れた本だった。これだから、マレーシア生活はやめられない。
 

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