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1億2000万分の一の視点。 60年間の日本社会を見てきた人間の思いの一端と「温故知新」の意味と「今」を知ることが出来るブログ。

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先日、東京新聞の広告に「明治維新という過ち」という本が載っていた。

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明治維新が過ち??

過ちであろうが無かろうが、明治は薩長土肥が江戸幕府を倒し、樹立させた国家体制だ。

だが、安倍晋三という政治家が出てきて、やりたい放題を見ていると、明治維新は薩長の思惑が結びついて、その後の富国強兵からあの太平洋戦争の悲惨な敗戦を実行してきた長州の傲慢極まる所業かという気が湧いてくる。

今やっている「花燃ゆ!」というNHKの大河ドラマなどは、針小棒大に創り上げたいい加減なドラマだと感じ、端から観ていない。

そこでこの本を買ってきた。

先ず、原田伊織という著者を全く知らない。
表3の原田伊織の自己紹介を読むと昭和21年京都に生まれ、大阪外語大の卒業ということから司馬遼太郎の後輩ということになる。

政治信条はどうなのか不明ですが、「廃仏毀釈と日本人」のところを読むと次の画像で読めるところが僅かに原田伊織氏が若いときに感じていた政治への心情なのかと思われますが、これは一種の流行ものに対する抵抗のようなものではないかと思います。
 
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私も明治維新というものは一体何なのかということが良く分かりません。

日本の近代化の夜明けということで教科書にも載っているのですが、その教科書はどこで作ったものか。

日本書記や古事記などは、朝廷側が後年作ったものですが、政(まつりごと)に関して述べているもので、軍隊を持ってどうしたこうしたという話ではないのですね。

延喜式などの祭事を執り行う儀式の順番やしきたりを述べているに過ぎないわけです。

しかし、近代の明治、特に「廃仏毀釈」は日本人が古来から持っている仏心をいとも簡単に「壊す」とは何が目的だったのか。

また、坂本竜馬を有名にした先輩の司馬遼太郎のことなど糞みそになるのですが、私も20代の人間が土佐を脱藩して薩長連合を成し遂げる大役など出来る訳がない。
グラバーって何だ。

勝海舟が幕臣の身でありながら、倒幕に加担している。

徳川慶喜が意とも簡単に大政奉還をしたのか。

孝明天皇を誘拐し、御所を焼き討ちにしようと企てた久坂玄瑞などはテロリストではないか。
その妻を主人公にして「花燃ゆ!」とかいうドラマを創った!、ハアーっ!?

昨年からの安倍政権が「集団的自衛権行使容認」とそれを補足する「安保法制」は違憲と多くの学者や最高裁判所判事や長官や国民の大多数が反対!と言っている法案を成立させようというのは、幕末の世の長州藩のやったことと同じであり、国会を舞台にしたテロ行為ではないか。

318pのうちのまだ66pのところまでしか読んでいません。
読後感については別に述べますが、取り敢えずこの本を紹介している方の文を載せます。

 
一つのものを表と裏から見ると、こうも見方とらえ方が違うのかということはママある。
しかし、既にその位置づけが世の中に定着してしまっている歴史上の大きな出来事について、180度も違う見方というのはそうざらには存在しない。

近代日本が形成される契機となった「明治維新」は、これまで日本の歴史を学ぶ上で肯定的にとらえられてきた。

ところが、その逆の見方の決定版とでもいうべきものに出くわした。
「明治維新」を徹底的にこきおろした本である。
その名もずばり『明治維新という過ち』。
著者は原田伊織という作家だ。
副題には「日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」とある。

二年前に出された本だが、今年になって「改訂増補版」として装い新たに登場した。

NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の放映を十分に意識した再出版であることは間違いない。

原田さんにとって薩長史観を基に作り上げられた明治以後の歴史はおおむねウソで固められており、それを世の中に広める行為は許せない悪行と目に映るのである

▼この本の骨格は二つと私は見る。
一つは吉田松陰というウソと司馬遼太郎氏による歴史観の罪である。
最大のウソは、松下村塾というのは松陰が主宰した私塾であるというが、それは事実と違い、陽明学者である玉木文之進の私塾だ、という点にあろう。

松下村塾は師が講義し、弟子が教育を受ける場ではなく、むしろ談論風発の議論がなされ「尊王攘夷」論で盛り上がった中での松陰が兄貴分であり、リーダー格だった、という。

それは今や常識的だ。
しかし、強い信念のもとに倒幕に立ち上がった松陰が、狂気のテロリストであって、決して立派な「師」ではないというところまでは、誰しもあまり認めたがらない。

そのうえ、「長州閥の元凶にして、日本軍閥の祖、山県有朋」が、その後の日本軍国主義の神の座に松陰を祀り上げていっただけ、と決めつけられては鼻白む向きも多いだろう

▼ところで、司馬さんは現代日本の国民的作家として評判が高い。
その彼が日露戦争から後の大東亜戦争までの40年間を日本史における「連続性を持たない時代」だと捉えたことはよく知られている。

「モノ」「異胎」「魔法の森」と呼ぶ。

つまり”わけのわからん40年”というわけだ。

そのことを原田さんは罪深いと指弾し、これらこそ「いわゆる明治維新の産物」だと断定する。

「(魔法の森が明治維新の産物だと理解するために)長い時間軸を引いて、それに沿って善いことも悪いことも全部並べてみて、白日にさらせと主張している」のは、なかなか意味深く、やってみる価値はあると思う

▼実は「明治維新」を否定的に捉えるひとは今まで少ないながらもいる。

私の親しいひとの中では、環境考古学者の安田喜憲(東北大名誉教授)さんだ。
この人は維新以降、基本的には日本文明が西洋文明に駆逐され続けてきたとして、以後の歴史を厳しいまなざし(特に環境保護の面で)で見ている。

また、薩長史観に異論を唱え続ける存在としては作家の半藤一利さんがいる。

このひとも明治維新を能天気に推奨したりはしていない。
だが、そういはいっても大筋は近代化の大きな機縁を作ったのは「明治維新」に違いなく、あの時に「徳川幕府が曲がりなりにも続いていたら」などと考える人はそうはいないだろう。

ところが、原田さんは明らかにもっといい社会ができていたはずと推測してやまない

▼この本のもう一つの骨格は、会津にみる士道の潔さに対する思いいれの強さだ。

薩長、とりわけ長州武士の悪逆非道ぶりをこの本ほど克明に描いたものを私は寡聞にして知らない。

そして会津や二本松における少年たちの見事な生き方について、かくほどまでに感情を乗せ、迸る情熱で描きあげたものも読んだことはなかった。
涙を誘うという表現は生ぬるい。
涙なくして読めないなどという描き方も歯がゆい。
ひたすらに胸を打ち心揺さぶられるばかりだ。
昨今、子どもたちに、偉人伝や英雄譚を勧め、読ませることが少なくなった。

子どもたちの間でこういう物語が読まれるようになったら、さぞいいのではないか、と思った。

この本を読んでいらい、会う人ごとに面白いよと勧めている。
先日上京した際、政治家の先輩や後輩、さらには官僚たちとの会話のおりに話題にした。
それは反薩長史観を見直すべきだとか、明治維新が過ちであったかどうかということを議論しようというのではない。
勝てば官軍の名のもとに強者の歴史の陰で、消えていった弱者のあつい心ざしに、深いまなざしを向けようということを言いたいのである。(2015・4・28)



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    一部のマスコミや、ニセ文化人により、随分マイナーなキャンペンがされていたことはを、風潮を悪評に導いたことは否定できない(渡瀬裕哉氏の様な論談が大手の新聞記事にでたりしていた・・)。
    私は、このドラマは大変よかったと思う。だた、キヤーキャーと音量とマンゲ的映像で騒ぎ立てるドラマよりも、内容があったと思った。当時の西洋列強の植民地支配に日本が飲み込まれないために(世界で日本だけが免れた。もしもこれに失敗していたら、永遠に英、米、仏に地球上の全ての国が奴隷になっていた。それを彼等は守ってくれた)、若者が試行錯誤しながら尊い命を捧げてまでも近代日本を築いて来た日本の当時の歴史がよく表現されていた。視聴率など気にせずに、國民のためにな、良いドラマを今後も作製してください。

    [ blo***** ]

    2015/12/17(木) 午後 11:28

    返信する
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    > blo*****さん
    温故知新。
    ですね・・・

    [ ]

    2015/12/17(木) 午後 11:33

    返信する

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