バギオの虹
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今日の天気は晴れたり曇ったり 日中の気温28度、湿度はたぶん56% 午前中は自宅に持ち帰ったパガサのパソコンを整備 午後からは季節風に吹かれながら時々居眠りこいて ベランダでノンビリ読書 写真の右下の虫眼鏡をクリックすると読みやすいサイズに拡大されます。 夕食は冷凍保存してあったキハダマグロの 刺身とステーキ、空芯菜(カンコン)の炒め物。。 キンキンに冷えた缶ビール2本とジンのロックを飲んで 幸せ〜〜(^_^)_U |
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今日の天気は晴れたり曇ったり 日中の気温28度、湿度はたぶん56% 午前中は自宅に持ち帰ったパガサのパソコンを整備 午後からは季節風に吹かれながら時々居眠りこいて ベランダでノンビリ読書 写真の右下の虫眼鏡をクリックすると読みやすいサイズに拡大されます。 夕食は冷凍保存してあったキハダマグロの 刺身とステーキ、空芯菜(カンコン)の炒め物。。 キンキンに冷えた缶ビール2本とジンのロックを飲んで 幸せ〜〜(^_^)_U |
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今日の天気晴れたり曇ったり bunbunの心は曇り・・・ 日中の気温28度、湿度不明 一昨日、インターネットで日本のテレビが見られるというJIPTVの 無料3日間お試しコースを申し込んであったので、朝から視聴開始。 http://www.j-iptv.net/bkk01/ 有料だけあって画質は無料のkeyholeTVとは比べようがないほど鮮明。 大震災関連の番組にくぎ付けになっていました。 3時頃までテレビを見て、その後はマッタリ読書。 ------フィリピン共和国は、「盗まれたパラダイス」と言われる。かつてこの楽園を盗んだのは スペインであり、米国、そして日本であった。これら諸国による四百年に近い抑圧と搾取の植民 地支配は、何世代にもわたりフィリピンの人々の精神を破壊し歪めた。とりわけスペイン植民地 政府とカトリック教会がフィリピン人の民族意識と魂を徹底して奴隷化した。結果として近代市 民たるべきモラルを支える健全な精神を継承育成すべき心の遺伝子、すなわち「ミーム」が、癒 し難いまでに損傷を受けたと言える。国民の九割が敬虔なカトリック教徒であり、信仰心の厚い 人々のホスピタリティに象徴される優しい心にあふれているというのは、観光用ガイドブックの 中でのことであって、人懐っこく陽気で、底抜けの楽天主義を思わせる微笑の陰に、利害が絡め ば掌を返すような冷酷と残忍さが潜んでいることを忘れてはならない。善意の日本人が酷い目に あった例が少なくないのはそのためだ。享楽と刹那主義、狡猾、面従腹背、猜疑心、陰険、無恥、 怠惰、不誠実、嘘つき、居直りとしての傲慢、そして無責任が、貧しいフィリピン大衆の深層心 理に、負の「ミーム」として広く染み着いている。抑圧と貧困の結果である。 フィリピンでは人口の三十パーセントが一日一ドルの収入しかない極貧状態にある。何とか食べ ていける貧困層を合わせれば、実に全人口の七、八割が貧困に苦しんでいる。目の前の百ペソが 明日の千ペソより大事なのである。フィリピンはいまだに植民地主義の下にあると言って過言で はない。支配し搾取するのはごく一握りの富裕階級とフィリピーノ・チャイニーズ、つまり華僑 である。ダバオ屈指のショッピングセンターなどめぼしいものはことごとく華僑が経営する。 そこで働く店員、キャッシャー、ウエイトレスはパートタイマーとして雇用され、正規採用され ることはまずない。常勤雇用となれば、社会保険、健康保険など雇用者負担分が発生する。退職 金も払わなくてはならない。これを払いたくないために、六ヶ月ごとに解雇する。そして再雇用 する。その繰り返しだ。労働法もあるにはあり、労働組合も組織可能である。労働者の権利も保 障されている。しかし実態は有名無実だ。労働者が不当労働行為を訴えても、当局に摘発される ケースはごくまれである。資本家が役人を買収するからだ。華僑経営者はとことん貧しい労働者 を搾取する。労働者・従業員が意欲どころかモラルを失うのは不思議ではない。 稲作農家は米一キロにつき受け取る代金は、たった五ペソにしかならない。市場価格はキロ当た り二十ペソ前後である。実に十五ペソが収奪されるのである。奪うのは「ミドルマン」と呼ばれ る華僑のブローカー、すなわち中間業者である。二毛作はおろか三毛作も可能であるにもかかわ らず、フィリピンは米をタイやインドネシアから輸入しなければならない。搾取に疲弊する農民 にまともな生産力があるはずがない。貧しいフィリピン人が絶対的困窮から脱出するには、海外 に出稼ぎするしかない。五百万人ものフィリピン人が海外で働く理由はここにある。フィリピン は貧困を海外に輸出することによって成り立つ国家といって過言ではない。彼らが祖国の家族に 送金する金額は年間、五十、六十億ドル前後にも達し、国家の外貨収入のほぼ八、九パーセント を占める。悲劇的なのは、貧困を撲滅し経済的不公平を排除、克服しようとする確固とした意識 と行動がフィリピン人大衆にはないということである。フィリピンの庶民は、貧困と抑圧を生き 抜く知恵として人倫や既成モラルを無視する。他人の誠実さとか愛情を利己的打算で利用する。 裏切った相手がどれほど傷つくかをほとんど理解しようとしない。理解しても打算が先行し、 騙されるほうが悪いと思っている。そもそもフィリピン大衆は、嘘をつき人を騙すことにあまり 罪悪感がない。彼ら大衆の多くは大人ですら道徳的精神年齢において成熟していない。当然に社 会そのものも成熟せず機能不全の状態にある。 中略 ベンツは渋滞のままのろのろ走り、左手にハイアットホテルを見やりながら陸橋の下を過ぎ、空 港へ左折するエアポート通りにさしかかり信号が赤になった。数珠繋ぎに止まった乗用車をめが け、貧しいみなり、裸足の子供たちが走りよる。頼まれもしないのに、汚い雑巾で車の窓を磨こ うとする。なにがしかの小銭を求めるストリートチルドレンだ。炎天下、汗ばみ汚れる顔がもの 悲しい。赤ん坊を抱き、サンバギータの白い花を糸でつないだ首飾りを手にする少女が近づいて くる。 「ねえエミリアーノ、窓を開けて!」ショルダーバッグを開けながら、アリシアはボディーガー ドに叫んだ。「だめです!お嬢さま、開けてはいけません」にべもない返事である。 「いいから、開けてよ!」「アリシア!よしなさい!」紳士がたしなめる。「どうしてなの?あ の子たちおなかをすかしてお金をほしがってるんだわ」車内の気配を察したのか、少女がコツコ ツと車窓をたたき、あわれを込めた表情で手を出す。腕に抱くのは薄汚れたタオルに包む赤ん坊 である。「開けて!」アリシアは必死で窓を開けようとする。開かない。ボディーガードがメイ ンスイッチをロックしたままに違いなかった。 ドアも開かない。ひったくりや突然の襲撃を避けるため、ボディーガードとしては職務上当然の ことである。信号が青になった。動き出した車窓から、汗にまみれ恨めしげな少女の汚れた顔が 遠ざかる。「ひどいわ・・・」「アリシア!フィリピンの現実だ。よく見ておきなさい!5ペソ や10ペソやっても無意味なことだ。偽善はしないほうがいい。貧民救済は政府がやるべき仕事 なのだ」たしなめる紳士の声にやり場の無い怒りがこもっているようだ。 「われわれ企業家が一生懸命稼ぎ税金を納めても、どこにどう使われるのか、納税者には判然と しない。しかも脱税する連中はきりがない。政府高官と結託して税金をごまかす奴もごまんとい る。こんなフィリピンをどうするのかいいのか、将来ある君たちの課題だ。アリシア!ひどいと 思うのだったら問題の本質を見誤ってはならない」「偽善だなんて・・・。でもかわいそう」 「アリシア、君は優しい娘だ。しかもモンテアレグレ・ファミリーのプリンセスという幸せな育 ちだ。ストリートチルドレンにショックを受けるのも無理はない。誇りある賢いフィリピーナと して、哀しみと怒りを行動に変えなさい。偽善はいけない」 「大叔父さま、あの子たちには何の責任もないのよ」「だからこそ問題なのだ。ほかの誰でもな いフィリピン人が、よってたかってフィリピン人を貶めているのだ・・・」 不完全燃焼する鬱屈を飲み込むように紳士の言葉がとぎれる。 ストリートチルドレンは、物乞いで暮らしをたてる親や家族たちの道具になっている。赤ん坊を 抱くのは哀れみを誘う演出である。幹線道路上の乗用車を目当てにする。物乞いやストリートチ ルドレンはマニラ市内だけでなくフィリピンの都市のいたるところで見られる日常の光景だ。 子供たちが集める小銭は、物陰で見守る親たちやシンジケートのボスが取上げる。稼ぎの悪い子 供たちは折檻されたり食べ物がもらえなかったりする。取上げられた小銭は、親や兄弟姉妹の生 活費ならまだしも、子供たちを取り仕切るボスたちの麻薬やアルコールに消える。子供たちの分 け前はわずかである。 |
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今日の天気は晴れたり曇ったり 日中の気温28度、湿度?? 午前中はベランダで雲を眺めたり 庭で蟻の行列を見たりしてぼけ〜〜 午後はマッタリ読書 アフリカの問題をなんとかしようと思った人物はいなかったの? トーマス・サンカラという男が、まさにその人だと思う。友人たちと力を 合わせて不可能なことを可能にしようとした人物だ。ブルキナファソとい う国を知っているかい? 西アフリカにあってサハラ砂漠の南端にあたる ところに位置する世界の最貧国のひとつだ。彼はその国の出身者だ。 父さんはブルキナファソという国にいったことあるの? もちろん。1983年から87年にかけてブルキナファソで政治改革の運動が盛 り上がったころ、何度も出かけた。なかなか信じられないかもしれないが たった4年間でブルキナファソは驚くほどの変化を遂げた。サンカラはその 時期に大統領を務めたのだが、彼の人生を知れば、だれでも「抵抗」を通 じて人間の尊厳を示すことができるし、ほんとうになんとかしようと思う なら、貧しさのただなかにいてさえ、あそこまでがんばることができると いうことが分かると思う。 中略 首都ワガドゥグについた時のことがいまでも目にうかぶ。サヘルの強い風 が赤い砂ぼこりを巻き上げるなかで、若い4人の将校が小さな家で父さん を待っていた。かれらは83年のクーデター以来、国の政治で大事な役目 をしている人たちだった。食事に招いてくれたのだが、案内された部屋は ひどく暑く、出された食事は、緑色をした豆、トマト、サツマイモ、それ から肉の缶詰が少しだけだった。飲みものは水。 4人のリーダーといった感じのひとが、電話の主、トーマス・サンカラ だった。モシ民族とフルベ民族の混血で、たいへん聡明で快活な人だった。 サンカラの向かいに座っていたのが背が高くてやせ型、眼光が鋭いサンカラ のいちばんの友人ブレイズ・コンパオレ、そのとなりに、中背で人をひきつ ける魅力を持ったアンリ・ツォンゴ、いちばん端の席にいたのが年長で・・ といっても38歳といった若さだったのだが・・軍隊の責任者ジャン・パブ ティステ・リンガイだった。 実はこの4人のうち3人はもうこの世にいない。4人組の1人、コンパオレ によってみんな暗殺されてしまったんだ・・・・・。 中略 ブルキナファソという国はどんな状態だったの? ブルキナファソはかつての宗主国フランスになにからなにまで管理されてい て、政府はまったく無力だったし、政治腐敗がはびこっていて、国内はあっ ちもこっちも傷だらけという状態だった。経済的にも社会的にも混乱続きで 世界銀行の統計では調査した170カ国のうち国民総生産が第124位、1 人あたりの国民所得が第164位と、ビリから数えて6番目だった。 南部の一部の地域をのぞき、国土の大半が乾燥していて、耕作可能な土地は 全体のわずか25パーセントしかない。しかも穀物の収穫量は1ヘクタール あたり540キログラム、フランスの平均が4883キロだから、比べてみ るといかに少ないかが分かるだろう。 学校にかよっている子供は全体の20パーセント。7000の村落に1300 しか学校がなくて、先生が1万8千人も足りなかった。 貿易収支は毎年赤字続き、たとえばブルキナファソ第二の都市ボボデュラッソ の東側にサトウキビ畑があるが、輸入砂糖に比べると18倍もの生産費がかか っていた。ご他聞にもれずこの国も、寄生虫のような役人たちに牛耳られてい た。3万8千人の役人が国家予算の70パーセントを自分たちの給与にあてて いる始末だった。毎年のお決まりで、10月になるとすっかり予算を使い果た し、10月、11月、12月の3ヶ月はどうにもならなくなって外国の援助に たよっていた。 中略 サンカラが掲げた政治改革はどんなものだったの? 社会的公正が貫かれいる国でなくては、国民を養うのに必要な食料を生産する だけの国力はつけられないと考えていたサンカラは、大統領に就任するとすぐ 抜本的な改革に着手した。さっきもいったとおり、当時国内にはおよそ3万8 千人の役人がいたが、人数が過剰な上に、たいした働きもしていなかった。 彼らは、旧来の地縁、血縁、盟友関係でかたく結ばれていて、居住区ごとにま るで幾重にも重なり合った山のようにさえ見えた。 若きサンカラにも、さすがにこの問題は解決不可能なように思えたのかもしれ ない。働きに見合わず支払われている1人の役人の給料には、彼の家族や親族 が15人、20人と芋づる式にぶら下がって生活していたからね。しかも公的 機関以外の働き口はとても限られていて、私企業と半官半民の働き口を合わせ ても、3万人程しかなかった。 そこでサンカラは抜本的な解決策として「自主管理政策」の導入を決断し、国 内30の行政区を自治制にし、住民自身がその地域を治めていく方式に切りか えていった。役人も住民自身が雇い、道路建設、建物建設、水道事業、保険・ 医療事業など自分たちの実際の生活に必要な公共サービスを実施していくとい うものだった。さらに行政区域はそれぞれそこに住む住民たちの持つ文化や歴 史に配慮して決められた。 住民を単位にしたこういう自主管理政策は、人びとにとっていままでにない魅 力があった。かれらのなかにまどろんでいたすばらしい建設的な能力を引き出 すことに成功したからだ。しかし自主管理政策は同時にたいへんな危険と隣り 合わせていた面も見逃せない。 中略 へえー、すごいね! 改革の成果はどうだったの すばらしいの一言だ!改革がはじまって4年も経たないというのに、農業生産 は急激に増加、国家支出は大幅に改善され、そうやって生み出された資金は、 道路建設や小規模水道建設、農業教育の普及、地域ごとの手工業促進の事業な ど、住民に密着したプログラムにまず投資された。 たった4年間で自給自足の農業に切りかえられ、多民族の複雑な社会構成が民 主・公正を是とする方向でまとまりを見せてきたと評価していいだろう。 じゃあ、サンカラはアフリカ大陸のよき手本として英雄になったんじゃないの? そのとおり、「不幸」にも英雄になった。 不幸にも・・・? ブルキナファソ全土に住む人びとの数は1000万人弱、そのほとんどがその日 の食べものに困るような貧しい人びとだったのに、サンカラの改革によって不公 平がなくなり、彼らは人間らしい生きる誇りを回復して、雄大な希望に燃えて立 ち上がった。ブルキナファソの名は西アフリカはもとより、中部アフリカ地域に 至るまで広がり輝きはじめた。ブルキナファソが経験した改革への希望は、政治 腐敗で苦しんでいた近隣諸国にも影響を与えることになり、象牙共和国のウフエ ・ボワニ大統領、ガボンのボンゴ大統領、トーゴのエヤデマ大統領などの各政権 は大いに揺さぶりをかけられることになった。 これらの政権はすべてフランスの傀儡で、手綱をひかれていたことは前にも話し たとおりだ。だからフランス本国政府の一部の勢力にとって、サンカラの改革手 法を放置しておくことはとてもできない相談だった。 サンカラ暗殺の指令が出たのは想像にかたくない。そしてついに、かれはかつて の親友コンパオレの手によって暗殺されてしまう。 中略 サンカラの死とともに、人びとの大きな希望も打ち砕かれた。現在のブルキナフ ァソは現在もコンパオレの統治下にある。そして「普通のアフリカ」に戻ってし まった。政治腐敗、政治腐敗と表裏一体の外国支配、北部地方でつづく慢性的飢 餓、新植民地主義下での人間としての尊厳の軽視、浪費的国家財政、寄生的官僚 主義、そして農民たちの嘆き。 |
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今日のアンヘレスは一日中雨 日中の気温27度 雨の日は自宅でまったり読書 フィリピンで発行されている歴史書や公教育で使われている教科書は、スペインとの 出会いを、「持前の柔軟さ」で包み込んでように見える。フィリピンはアジア唯一の カトリック教国であり、彼らが大切にしている宗教をもたらしたのがスペイン人であ ったとすれば、たとえ”インディオ”と呼ばれて侮蔑の対象とされ、スペイン王、教 会、修道士、軍人、役人、徴税人など公私のスペイン人に、精神も肉体も完全に支配 されていたとしても、遠い昔の彼らの蛮行の数々をいま暴きたてるのは、よくないこ とだと思っているのかもしれない。しかし、これには例外があって、フィリピンの英 雄ホセ・リサールや歴史家のデオドロ・アゴンシリョなどは、スペイン支配がフィリ ピンにとっても、やはり絶え難い後遺症を残していることを明らかにしている。 中略 フィリピン史料を読む上で大切なことは、総督やその他の官庁、教会が発表した公的 資料の行間から真実を発見することである。多くの公文書は失政を意図的に隠すこと に重点をおき、同国人を非難するときでも、極めて慎重で、および腰である。たとえ ば初代総督ミゲル・ロペス・デ・レガスピが導入したエンコミリエンダ制度は、貢税 徴収とキリスト教布教のため、フィリピン征服に功績のあった軍人、民間人、修道会 に広大な地域を委託するものだと説明された。しかし、それは建前に過ぎず、実態は 実態はサラサール司教のいうように、その時点ですでに「忌まわしい奴隷制度」を形 成していたのである。 大半のスペイン文書は、フィリピン人の奴隷化をいかにキリスト教的な理想論で覆い 隠すかに全力を注いでいる。しかし、ラス・カサスの「陳述」を一つの尺度にしたと き、スペイン人がフィリピンでしたことは、インディアスのスペイン人と本質的に変 わらず、彼らがフィリピンでもやはり、力ずくで人民を奴隷化し、フィリピン諸島を 丸ごと「盗んでしまった」ことが分かってくる。その間には当然、経済的奴隷化のほ かに、「精神の奴隷化」現象も起きた。アメリカ合衆国のフィリピン植民地化は、そ れを基盤にしたもので、「精神の奴隷化」を助長し、利用することはあっても、フィ リピン人をそれから解放することはなかった。 中略 モスリムたちの平和な楽園は失われた。1570年代といえば、日本では織田信長が 室町幕府を倒し、やがて全国統一をなし遂げた時代に相当する。 「フィリピン」の原住民たちは、まだ統一した国土も国家意識も持っていなかった。 全土の人口はわずか50万人から70万人と推定され、しかも無数の島に散在したい た。中国、ベトナム、ボルネオやシャムとの交易が盛んだったことから考えれば、経 済活動だけでも、それ相応の地域的ネットワークの存在が推定できる。結婚して家庭 を持つ40人の中国人と、20人の日本人の存在も報告されている。しかし、それで もまだ「国家」の基盤の上に立つものではなかった。甲冑をつけ、土地の神よりは 「力の強い神を持つ」という触れ込みの西欧人との遭遇は、不幸にもこうした不安定 な時代に起こったのである。 中略 フィリピンの植民地化に着手したころ、スペインの財政は、決して豊かではなかった。 グラナダ陥落によってイスラムとの対決は終わったが、時代の潮流を先取りして世界 制覇に乗りだす用意は、財政的にはもちろん、軍事的にも到底十分とはいえなかった。 レガスピの東方諸島探検は、自己資金によるものであった。その理由は「富に対する 欲望が、スペイン国王から船団の最下級の水兵に至るまで、遠征に駆り立てていた」 からである。”手弁当”の探検隊は、占領地での自活自営を求められる。こうして植 民地における原住民からの収奪は総督から最末端の官史まで当然の権利となった。 もしこの「自活自営」が国王の派遣した修道会にまで適用されていなかったとすれば 原住民の運命はかなり異なっていたはずでだ。だが、国王の財政難は宗教関係者をも 直撃していた。フェルデナンデスによると、17世紀の宣教団に対する国王の支援は 、一宣教団に対して年間100ペソ、米100カバン(1カバンは約75リットル) であった。成人一人の年間貢税が1ペソであったから、1修道会に対する100ペソ の財政支援は、名目的なものに過ぎなかった可能性がある。修道会が「オブラス・ピ アス」を組織しガレオン貿易支える金融機関となって、教会の自活自営をはからざる を得なかった理由は、確かに存在したのである。 教会の抱えていた財政上の困難はさらに新しい経済活動への道を模索させた。修道士 の生活を助けるため、教会に土地所有の道を開くことである。もともと黙想と神への 奉仕を目的として修道会は、世俗的な財産づくりとは無縁であった。しかし、メキシ コでは、修道会が原住民村落の中に若干の土地を所有することが許可されていた。 スペイン国王が修道士の土地所有を認めたことで、修道会に広大な教会領を与えるこ とになった。たとえばアウグスティノ、フランシスコ、ドミニコの各修道会は、宣教 開始の50年間で、ルソン島とビサヤ諸島で、50万エーカーずつの極めて肥沃な土 地をしたといわれる。こうした状況の変化についてコンスタンティーノは、「それま で聖職者はエンコメンデロの残酷な誅求を告発してきたが、彼らがそのエンコメンデ ロにとって代わることになった」と述べている。 教会領の形成は、その気になればそれほど難しいことではなかった。土地は各種の経 路で教会に集まった。国王から所有者のいなくなったエンコミリエンダの贈与があり 臨終を迎えた信者は天国への切符と交換に所有地を教会に寄贈した。ガレオン貿易に よる収益で農民から直接購入した土地もあった。スペイン占領の末期までに、修道会 は18万5千ヘクタール以上の土地を所有し、これは全耕作地面積の15分の1に当 っていたといわれる。 中略 修道会が行った農地改良は、直接的な宣教というより、修道会の利益を目的としたもの であり、整備された広大な農地の占有は、その経過のいかんにかかわらず、原住民の側 からすればやはり問題であった。第二は、修道士たちの恣意的な修道会領経営がつくり だしたさまざまな問題である。修道会は農地を2段階で農民に貸した。第1段階は第1 小作ともいうべき、インキリノでである。彼らはフィリピン原住民もしくはメスティー ソで、土地の有力者かその子孫であった。修道会は何人かのインキリノに修道会領を貸 し、インキリノはさらにカサマと呼ばれる第2小作に耕作をまかせた。インキリノの教 会に対する地代は収穫の10パーセント、カサマとは収穫を折半した。インキリノはカ サマの金納または物納によって富を築き、フィリピン社会の地方有力者層を形成した。 修道会はインキリノを含め、農地を耕作させる耕作させる農民を選ぶ最終的な権利を持 っており、原住民は修道会の持つ「霊的主権」と地主としての「世俗的主権」によって 完全の束縛されることになった。 中略 修道士たちは冠婚葬祭で不当な手数料を課した。貧しい農民たちはミサに神父を呼ぶこ とも、死者を丁重に葬ることもできなかった。さらに「教皇は修道士が教区に在住でき るように一時的に修道士から修道宣言(貧困、童貞、従順)の義務を免除した」ため、 司祭館でメスティーソの子供が生まれる事態に拍車をかけた。植民地は聖職者を緊急に 必要としていた。十分な訓練を受けていない聖職者が任地に送られてきた。 「聖職者の中には手品師や、道化師もいた。頽廃が始まり、多くの宗教人が放蕩生活を 送った」 今日の夕食はフィリピン料理のニラガ 骨付きの豚肉と野菜がタップリ入ったシンプルな味付で(塩味) 日本人の口にもピッタリです。 |
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今日はどこにも出かけないで自宅でマッタリ読書したり、車修理の見学。。 午前中は晴れていたけど、三時過ぎから曇って一時雨 夕方の気温27度で涼しい1日でした。 板金屋のお兄ちゃん、日曜日でも家族のために仕事、仕事 ボディーの板金塗装、バンパー傷をパテで埋めて再塗装、ボディーの傷のレタッチと 磨き、フロントグラスにこびり付いて取れなかったウォータースポットの除去で 約5千ペソ(9千円)でした(^^) 二十年ほど前に買った本を読み返してみて、ドイツ人と日本人は似ているのかななんて 思ったBUNBUN。今のODAは当時と比べて改善されているようですが、まだまだ問題が多い ODAです。 日本のODAの問題点は「鷲見一夫著 ODA 援助の現実」に詳しく書かれていますので そのうちに紹介しようかと思います。 1983年10月、西ドイツ政府の経済協力省担当官として3週間にわたり、バングラデシュ現 地視察旅行に出かけた私は、帰国後ただちに辞表を提出した。自分が手がけた開発援助 プロジェクトがその目的・・最貧困層の救済と自助・・にはまったく役立っていないど ころではなく、援助プロジェクトがあったばかりに逆に貧民の生活は莫大な被害を被っ ているという結果を目撃してしまった以上、もはや一刻もこの職にとどまっていること はできなくなったのである。 中略 開発援助から手をひくという私の決意は、経済協力省内外で数多くの討議、および長年 にわたる援助政策について経験の結論として生じたものである。直接の契機となったの は最後の出張となったバングラデシュへの視察旅行におけるさまざまの体験である。 この地に至って、たったひとつのこっていた「少なくとも”私”のプロジェクトだけは 飢えと窮乏をとりのぞくために役立っているだろう」との幻想も打ち砕かれてしまった。 それどころか、私の責任において実施された各プロジェクトのひとつひとつの要素がい かに富めるものをますます豊かにし、貧しいものをさらに貧しくしてきたかが明らかに なった。貧しいものをさらに貧しくするとは、バングラデシュでは多くの場合、食えな くなって死んでしまうことを意味する。もはや「開発援助は、国家であれ個人であれ、 それが役立つはずの人々すべてを破滅させてしまう」 中略 他の援助団体の対応の仕方もまったく同様だ。たとえば世界銀行は第二農民開発プログ ラムを遂行しているが、すでに述べたように貧富の差拡大という結果には固く眼をつぶ るだけというまことにかしこい態度をとることにしている。世銀は現地政府が深井戸ポ ンプを公然と村の富裕層の庭に据えつけているのを黙認している。共同組合とは名ばか りの存在である。 中略 世銀はそもそも「小出しではなく大量に」という主義だから 大地主に深井戸ポンプを供給するほうが貧農に手動ポンプを配るよりみばえがするとい うものである。それにバングラデシュ政府は”絶えずより多く”金を出してもらうため に、援助金をできるだけ早く消化してしまうという能力を証明しなければならない。 「援助資金消化能力」というのは開発援助必要度を査定するための重要な基準のひとつ なのである。 ユニセフは私たちも融資したあるプロジェクトの遂行にあたり、さらに非良心的なふる まいに出た。自分たちの慈善事業の受益者はどういう人々になるかなどについては、い ささかの考慮もはらっていない。貧農たちは飲料水用ポンプのために自己負担分さえ払え ないという理屈にかなった論理展開にもとづき、ある全国的プロジェクトでポンプを金 持ち層に委ねてしまったのある。はじめの目的はバングラデシュの農村に清浄な飲料水 を供給するこどだった。この計画からいかなる結果が生じたのか。偶然これを別のプロ ジェクトの視察におとずれた村で目撃することができた。 金持ちの家の子供たちがポンプの下で勢いよくほとばしり出る透明な水を気持ち良さそ うに浴びながら水遊びにはしゃぎまわっていた。しかし、この金持ちは貧農に自分の井 戸をつかわせないので、彼らは数キロも歩いて水を運んで来なければならない。 貧農たちが絶望的身振りで指し示した井戸は壊れていた。ユニセフのプロジェクトを検 討し、分厚い報告書を作成した専門家は、ではいったいこの水はだれの役に立っている かとの私の説明には答えることができなかった。専門家たちの念頭にあるのは、ただ、 ポンプが技術的に機能しているか否かのみであったのだ。 ユニセフはこのプロジェクトはきわめて成功率が高いとして売りつけたのである。そし て、このおかげでまたしても数千人の子供たちが救われたと宣伝もした。ある国連高官 の情報によると、「一度ユニセフ委員自身にたずねてごらんなさいよ。自分たちのこと をなんだと思っているのか」といわれたが・・・ユニセフ資金のうち、どのみち開発途 上国にまわされるのは20パーセントにすぎないとのことである。気の滅入る話である 中略 国家的次元でみると、開発援助は途上国の工業化という側面があり、先進国への依存は さらにすすむ。国民の力を動員し国内需要を満たすための生産を推進させるかわりに、 負債と輸出がいちじるしく増加する。これに開発援助も加担し、マージナルではあるが 重要な役割を果たしている。途上国全体として、とりわけ途上国の貧しき民にとっては 先進国からの「援助」などないほうがしあわせであろう。 しかしながら、援助国企業と受益国上層部との間には完全な利害の一致が存在する。 中略 世銀と国連開発計画は、汚職の廃絶、納税倫理高揚のため、各途上国の改革を企てた。 しかし、この際値のはらぬ外国資金の流入という真の原因に手をつける意思はなかった そのかわり、まっさきに各大臣と最高級公務員給与を引き上げることにした。そうすれ ば副収入を必要としなくなるだろうというのである。しかし、バングラデシュ統治者に して軍の最高司令官であるエルシャド将軍などはすでに現役軍人時代、不透明な手段に より60エーカーという土地を所有するに至り、かつダッカの高級市街区域に数箇所も 屋敷を賃貸している。 その一軒からだけでも月額2万5千タカの収入があり、しかもバルト海にはヨットを一 隻停泊させている。なぜこのような得点まで加算されることになったのか理解に苦しむ 開発援助が途上国の元首から最末端の公務員に至る汚職機構の機能を維持させ、富裕層 の納税義務を免除してやっているかぎり、どのような宣言を出そうともそれはカモフラ ージュにすぎない。 途上国の上層部とわが国(ドイツ)の企業の仲介を引き受けているのが経済協力省とそ の実施機関の官僚ならびにこれらの機関に属する専門家とコンサルティング会社である 彼らは高額給与・・専門家の年間所得は20万マルクから30万マルク(1600〜2700万円)・・ 社会的信望があり、しかもきわめて興趣に富む職業という利点を共有する独自の利益集団 を形成してきた。開発政治家もこのなかまに属するのはいわずものがなだ。 貧しき人々の救済にかた入れするものは、善人にちがいないと民衆は考えるので、公に開 発援助推進に尽力する政治家は、つねに高い道徳的評価で報いられる。 政府と交渉できるのは政府のみである。したがってドイツ官僚は望むと望まぬにかかわら ず途上国の支配層の利益に奉仕していることになる。国内の飢餓解消にはより公平な分配 をめざさねばならないのだが、この支配層はめったなことではそのようなことには興味を 示さない。 中略 ドイツ人は全体に、真のコミュニケーションづくりの能力に欠けている。これも短絡思考 や判断のまちがいをもたらす要因の一つになっているとおもう。私の知るかぎり、おおか たの政治家は自己顕示欲と自分の見方のおしつけというはげしい衝動に駆り立てられてお り、問題がなになのか、まずそれを受けとめる姿勢がない。政府高官も同じようなものだ この態度は途上国に出かけるといちじるしく増強される。第一に開発政策という概念の根 本には、自分たちのほうが途上国の人間より知識も能力もなんでもまさっているとの想定 がある。つぎにわれわれが出資した援助金にさまざまの条件をつける必要性もあるからだ 。 自分自身のコミュニケーション不足というのは自分ではめったに気づかないものなので、 私の眼にとまった他人の事例をふたつばかり引用する。 ある夕食会で、国連高官のとなりに席を取ったことがある。私たちの向かい側にはバング ラデシュの名士がいた。 国連高官「バングラデシュ人にはわれわれが必要なんだ。だれかここの人に聞いてみなさ い。その通りだというに決まってますよ」 「ではご自分の向かい側にすわっている人におたずねになったら?」 国連高官「そうだというに決まっているさ」 当のバングラデシュ人はこのやりとりを聞きながら何もいわなかった。 ダッカ駐在の国連開発計画代表者はドイツ人である。彼は私より少し前にバングラデシュ をおとずれた上司のひとりに、その専門分野ならびにこの地域に関する深い知識のため非 常につよい印象をあたえたということで、ぜひともこの男の意見を拝聴するよう、上司は 私にすすめたのである。この上司自身はバングラデシュへの資金協力は金のむだづかいで ある。ドイツは技術協力の方になおいっそうの努力をはらうべきであるとの認識を強めて 帰国した。しかし高い評価を受けた国連高官のほうはといえば、バングラデシュに専門家 はことかかない、現地人エンジニアなどは大量に失業中でぶらぶらしているくらいだ、技 術協力など国連開発計画を含めいっさい無意味なことだとの断固たる見解を示し、私はあ ぜんとしてしまった。 資金協力ならまだしも考慮の余地はあるという。上司も高官も何時間と話し合い、たがい によく理解しあった。しかし両人とも根本問題についてまったく対立する意見を出してい たという事実には一瞬も気づかなかったのである。 われわれが外国に来ても、機械的にドイツの尺度をあてはめて事物を判断していることも 現実の認識をはばむ別の要因である。 |
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