健太郎

すべて表示

健太郎が眠りました その2

けんが逝った当日、旦那さんは

『けんが死んだのは自分のせいだ』と、自分を責めていました。

21日月曜、ベランダのトイレに出た健太郎がなかなか帰ってこないと思っていたら

ブルブル震えて帰って来たけど、その時「なんや〜、長いこと外におるからや〜」と、

笑ってひざに乗せて暖め、震えがおさまってからベッドに寝かしたその時に、

異変に気付いて病院に連れていけばよかったというのです。
しかし健太郎の熱が40度を超えるのは翌日です。ぴよんだってその夜、

旦那さんを送り出した後に健太郎と背中合わせで一緒に寝ましたが、

異様な体温を感じてはいませんでした。

金曜、土曜に起こした発作の疲れが出てしんどいんだろうと思っていました。

旦那さんはまた、けんが亡くなった1月28日早朝、その瞬間までけんが死ぬなんて

夢にも思わなかったことを悔いていました。
でも、26日土曜日までは健太郎には治る兆しがありました。

火曜日病院に連れて行って点滴を打ってもらって水曜は様子を診せに病院へ行きましたが

既に熱は下がっていて、スポイトでしか飲めなかった水を普段のボウルで飲むようになり、

木曜金曜土曜は固形ごはんだってバリバリ食べれるようになっていました。

日曜すら、少し食欲がないように思いましたが午前中にお豆腐を半丁食べ、夕方には

おしっこうんちだって自分で行きたいと意思表示したのでぴよんが連れて行って、

ペランダでちゃんとできたのです。

夜寝る頃、ぴよんは「けん、もしかしてだめなんかな・・・」と泣きましたが、

それはその夜買い物に出た時に大阪では珍しく大粒の雪が車の視界をさえぎるほどに降り、

それが降り始めた時に旦那さんが「雪は空からの便りらしいよ」って言ったのが

妙に気になったからです。


かたやぴよんはけんが逝った当日、旦那さんとは対照的に、悔いるところを探していました。

28日月曜の朝亡くなって、会社から戻ってきた時に、今朝は温かかった健太郎が

冷たくなっていたのがあまりに悲しくて信じられなくて声をあげて泣きましたが、

その後はホロホロ涙が流れても、悲しさに疲れてため息が出ても顔を伏せても、

あんまり静かな自分が信じられないような気持ちでいました。

健太郎が死んでしまった、そのこと以外に『どうしても嫌だ』『どうしてもダメだ』

と、思うところがない。でもそのことすら「もうけんはてんかんを起こさないんだよ」

って、けんに与えてあげられる最大級の安堵かと思うと、くつがえしてはいけない気がする。


・・・でも。


もしも自分の命と引き換えにけんの病気が治って、けんが健康に帰ってこれたら、それがいい。もしけんが寂しいなら、自分達のことは全部忘れて、そして自分達と同じくけんを心から愛してくれる人と暮らせるなら、それがいい。



そう思いました。


でもそれは、健太郎の人生を否定するものです。けんが望むところでもないでしょう。

そしてぴよんが望んだこのことは、自分が命と引き換えにするような事ではなく、


健太郎が。

不自由な身体から解き放たれた健太郎が、これからまた体験していくであろう事でした。

『わかったよ、けんたまん。ねえちゃん、けんが大好きなにいたんにも、けんのこと、

ちゃんとわかってもらうからね』

.


みんなの更新記事