ほざきごと

こころのままに、ほざく。

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2008年11月19日

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どう生まれるかではなく、どう生きるかだけど

私が通っている(でも最近ごぶさた)カトリック教会に居る
仲良しのおばあちゃんシスター(推定年齢80歳)はイタリアのナポリ出身。
時々ニホンゴに交じる母語が何を言っているのか分からない、かわいいおばあちゃまです。
(イタリア語ワカラナイ)

で、時々彼女がニホンゴで何を言っていいか分からない時に通訳の手助けをしてくれるのが、
イタリアで聖典翻訳に携わっていた経験のある日本人シスター。
おばあちゃんシスターが一生懸命に何かを伝えたくて日伊の言葉を連発するのに、
「いや何言ってるかわかんねぇから」みたいな口調でバッサリ切り落とす、
私はこの二人のまるで漫才みたいな会話を聞くのが非常に楽しかったりします。
(本人達はこれが日常らしい)

この日本人シスターは非常に現実的で、
あまり幻想的な宗教を言わないところが、やや日本人的な仏教感を覚えるのですが、
この方がふと口にした言葉が印象的で、彼女の心の奥深い所にある情操に触れた気がしました。


   シスター : 「彼女には血肉に主が息づいている。それが日本人の私と違うところね」


もしか日本人信者の方は誰でもそう感じることがあるのではないかと思います。
シスターであれば、なおのこと。

国全体が世界遺産みたいな、まさにキリストの歴史と文化に育ってきたイタリア人のシスターは、
既に素材が出来ているというか、その遺伝子に2000年の歴史が流れている。
東洋圏の私達が心の奥底から馴染めない、理解に苦しむ解釈なども、
何の抵抗もなく吸収して共鳴することができる。そんな感覚があるかもしれません。
(逆に東洋思想も然り)
時を同じくして地上に生まれた存在であるのに、神の子兄弟達に「生まれ」の違いは、やはりある。

決して嫉妬するわけではないけれど、そういった羨望は誰にだってあるものだと思いました。

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それでも人間は歩かねばならぬ

私が『刑事博物図録』を求めて明治大学刑事博物館に行ったのは、もう随分と昔の事になったようです。
( ↑ 明治大学刑事博物館資料第16集『刑事博物図録』上巻研究篇)
閉館時間直前だったのに、学芸員の方は図録を求めてやってきた私を快く迎えてくださり、
私は少し時間をオマケして貰って、長いこと展示物を独り見ることが出来たのは良い思い出で、
(ギロチンや鉄の処女と二人きりというのは中々くるものがあります。笑。)
いつの間にかこの博物館は、名称も「明治大学博物館」となり、
刑事だけでなく考古資料や商業(伝統工芸品)資料も展示するようになりました。


     ■明治大学博物館 刑事部門
      ttp://www.meiji.ac.jp/museum/criminal/keiji.html(紹介なのでグロくないです)


中国法制史については京大が鉄壁の学者陣を揃えていると思うのですが、
拷問、特に江戸期の資料としては明大のインパクトに敵う所はそうないと思います。
なんと言っても、ギロチンニュルンベルクの鉄の処女が展示されているのは此処しかありません。
どちらもレプリカですが、日本で唯一の展示資料です。
(鉄の処女に関しては最近だとDQ8のククールを思い出します。あいつ(兄)の拷問はキツいぜwww)

久しぶりにこの博物館に行きましたが、
この刑事資料が問いかける「拷問は今もなお存在し続ける」というメッセージには、
一見は平和な社会を享受して生きる人間として、心に重いしこりを科せられます。
(これが「罪」の意識なのか、それとも)

この博物館には、普通に見るには非常にグロテスクで衝撃を受ける展示品が多くあります。
磔や生首のパネル写真などは、子供でなくともトラウマになります。
(ダメな方は見ないほうが賢明)
それは人間の誰しもが持つ「こわいものみたさ」を満たすに十分なもので、
寒気がするのにどうしても興味がそそられてしまうのは、
自分の中に潜んでいる非日常、残虐的嗜好性が擽られるのかもしれません。

しかしこの博物館内にある展示物を、ただコワイとかイヤだと思って見るのは浅はかで、
この思わず目を背けたくなる歴史の事実(展示品)には、
現代にも隠れている非人道的なもの、闇の部分の存続こそ感じなくてはいけないと思います。
法律として過酷な刑罰、陰惨な拷問がなくなったのは事実ですが、
現実として根絶されたかどうかは非常に怪しく、
そしてこの館では「未だ解決していない」とハッキリ断言しているところが見るものに衝撃を走らせます。

死刑は犯罪の抑止効果があるか、厳刑は社会に治安をもたらすか、
刑罰や拷問の苛烈の程度は人間の罪の意識に影響があるのかどうか。
遥かバビロニアの時代から法は人間を戒めるのに、
(ハンムラビ法典が紀元前1770年頃)
3000年以上を経た今も答えを見出せていない人類とは、いったいどうした生物なのでしょう。

人間は一方で理知的に自らを社会的に制御しつつ、
その一方で「どこを傷めると大きな苦痛が得られるか」という事に非常に長けており、
海老責や石抱き等はよく考えられていると思います。
それは文化ではなく人間的なものであって、
釣責(江戸)と階段責(ヨーロッパ)の責める関節が同じであることには感嘆すら覚えます。

何故人間はこのような道具を生み出してきたのか、
それはどうして廃れ、また新しい道具(や仕組み)が必要になったのか、
展示物自体は数多くないのに、一点一点が生々しい言葉で迫ってくるので息が詰まります。
卒論時にこの館内で展示物を見ることができた私は、とても恵まれていたと思いました。
明大の学生や刑事に興味を持っている人は、是非是非一度は行くべきですっ(鼻息)!

ただ、この博物館にある刑事関連で惜しむらくは、
江戸時代の刑罰や拷問の他にも国内外を問わず様々な展示品があって、逆にテーマが絞られてない。
(近代の絞首台、中国・清の時代の刑具やテレジア刑法など。単品で唐突に感じます)
常設展なので仕方が無いことかもしれませんが、
寧ろ私は新設された考古資料や商業資料のスペースを、全て刑事資料に使って欲しかったです。
こうなったらとことん刑具と拷問具、律書を集める(笑)。ぎっしりと!!

明治大学博物館は未だ私の中でナンバーワンに存在し続けるサ・ベスト・オブ・刑罰資料館。
今やすっかり刑罰や拷問とは縁遠くなってしまった私ですが
(語弊のある言い方、というか誤解を招きやすい表現だな)
人間を見つめたくなった時にはまた足を運んでしまうのかなぁと思います。

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