闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム

病気から学んだこと、教えられたこと、そして星を見ることをたいせつに

日食・人・暮らし

[ リスト | 詳細 ]

日食を見るだけでなく、日食を見て語った人の言葉、伝えた伝承、そして、人間とともに暮らした生き物、鳥、魚、動物、昆虫にとっての日食を考えていきたい。
日食のときの、風、音、あたたかさ、さむさ、すべてを感じたい。万一、曇天・雨天でも、昼間のなかに夜がやってくるものすごさを感じたい。
記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

自宅から金環日食を見た。家族と見た。
 
これから、皆既日食、金環日食起こっても、自宅から見ることができない。
 
日食を見に行かなくても、日食から私たちの生活の場にやってきてくれる、今回の金環日食、ほんとうに、生きててよかった。
 
2035年9月2日まで生きるのは、不可能だから・・・
 
金環のときは、感動のあまり写真を撮影できなかった。
 
(写真は、日食投影器で撮影(上)、木漏れ日(中)、おたまで投影(下))
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
 
イメージ 3

この記事に

開く コメント(3)

イースター島日食2010年

  
  イメージ 1
↑2010年7月11日、イースター島で、はじめて晴天の皆既日食の感動を体験できた。昨年の雨の日食の体験に続いて、感激の体験だった。(三脚なしでデジカメで撮影しました)
 
イメージ 2
↑昨年、トカラ日食のときに製作した投影器で、皆既日食前の太陽を投影する。
 
 

この記事に

開く コメント(0)

日食の前日

イメージ 1

イメージ 2

日食の前日、中之島で講演を引き受けた。

実は、講演をしているところ、プラネタリウムの解説をしているところ、の写真を持っていない。プラネタリウムは、真っ暗で撮影できないが、講演の写真がないのは、少し寂しかった。

よくよく考えると、私には写真アルバムというものがなかった。子どもが小さい頃、アルバムに写真をはるのが楽しみだったが、私が写っている写真はほとんどなかった。と言っても、いまさらアルバムを作ろうとは思わない。実は、父のアルバムがたくさんあって、あまりにも几帳面につくってあって、父の死後もそのまま置いている。私のアルバムも同じようにずっと置いてほしいと思わないし、また、残された家族も捨てるに捨てられず困るばかりだろう。ということもあって、アルバムはつくらない。(というより、アルバムを作る時間があれば、調査記録をまとめたい)

それだけに、日食の前日の講演の写真を、日食で同じ民宿だったMさんから送っていただいたときは嬉しかった。アルバムがないので、ブログに掲載して、長く会っていないけれでもブログを見ていただいている方に、「元気にやっているぞ!」というお便りの代わりにすることにした。

そうそう、講演のレジュメも、紹介させていただこう。(写真、図、表は省略させていただきました)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


日食の伝承
2009年7月22日トカラ皆既日食記念         星の伝承研究室 北尾浩一
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1.東京都奥多摩の日食の伝承

「日食は村に疫病のはやるのを、お天道さまが代わりに病んでくださったものだ」

東京都奥多摩に伝わる日食の伝承です。奥多摩では、村人の代わりに病気になった太陽を供養して日食供養塔が作られました。


日食供養塔(1979年撮影)

日食供養塔は、もともとは東京都奥多摩字大原の恵日山(えにちさん)門覚寺の前にありました。

 ダム建設のために水没するところでしたが、出野(いでの)バス停付近に移動させ、さらに保存のために、奥多摩郷土資料館の前に移転させられました。
 
日食に対する思いを伝えた人びとがいたのです。

2.アイヌの日食についての伝承

太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。

日食のことを次のように言いました。

チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)

日食の際の儀式を紹介します。

 男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。

 女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。

 チュプカムイ      太陽のカムイよ
  エ・ライ ナー   あなたは重態だ
 ヤイヌー パー    よみがえれよー
  ホーイ オーイ    ホーイ オーイ

 日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果があったのです。

 太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。

(アイヌの日食の伝承については、末岡外美夫氏著『人間達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』より引用しました)

3.天岩戸(あまのいわと)、天岩屋(あまのいわや)伝説

須佐之男命(スサノオノミコト)が乱暴を働いたため、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸にてきこもってしまいました。高天原(タカマガハラ)は闇になりました(即ち日食です)。

4.暮らしと太陽・沖縄県久米島の太陽石



写真 太陽石(ウテイダ石、沖縄県久米島)

(ブログでは、写真と表を省略させていただきました)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スバルの南限・トカラ列島
2009年7月22日トカラ皆既日食記念         星の伝承研究室 北尾浩一
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 スバルという星名は、約千年前に枕草子で、「星はすばる……」と登場し、今ではハワイの「すばる望遠鏡」の名前にもなっています。また、兵庫県より西ではスバルよりもスマルのほうが広く分布しています。スマルという星名は、古事記に登場する古代の玉飾り「美須麻流之珠(ミスマルノタマ)」に通じますが、そのような見方とは別に、タコツボ等をひっかける漁具「スマル」をイメージしたケースも伝えられています。航海とプレアデス星団のかかわりは深く、海での暮らしが星名に結びついていったのです。
 スバル・スマルのグループの星名の南限は、トカラ列島です。喜界島・奄美大島より南では、スバル・スマルではなく群れ星のグループの星名が分布しています。
 津軽半島と能登半島では、 「スバリ」「シバリ」「ヒバリ」というような星名の多様な転訛が見られます。

図 スバル、スマルのグループの星名

図 スバル、スマルのグループの星名の南限はトカラ列島

(ブログでは図を省略させていただきました)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本の星伝説
2009年7月22日トカラ皆既日食記念          星の伝承研究室 北尾浩一
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

北極星伝説

北極星が動くことを発見した伝説が兵庫県、大阪、愛媛等に伝えられています。(地名は調査当時)

・兵庫県相生市(明治42年生まれ、1987年1月調査)
「それも、うそかほんまか知らんで。昔、天竺徳兵衛いう高田屋嘉兵衛みたいな偉い船乗りがおったんじゃ。船乗りは、たいがい夜走りした。そうしたところが、またその嫁はんが偉かったんじゃ。婿はんが夜さり夜走りしよるから、自分も夜さり機織る。それで、おやじさんと問答する。動かん星がネノホシさんだいうし、そしたら嫁はんの方が偉かったんや。ネノホシさんを障子の桟とあわしたんや。そして、三寸動くいうことを…」
・兵庫県飾磨郡家島町坊勢島(明治35年生まれ、1984年7月調査)
「クワノトオクロウいうて船乗りで偉い人がいた。クワノトオクロウは、ネノホシを見て、北、南、東、西…と船を操った。クワノトオクロウの嫁さんが偉かった。クワノトオクロウは、ネノホシは動かん言うてた。ところが、クワノトオクロウの嫁さんが、夜に機織りよって、ネノホシが動くのを発見した。おとうさん、ネノホシが基準と言いますけど、ネノホシは障子の軸一本動きます。嫁さんは、トオクロウにこう教えた」
・兵庫県津名郡北淡町富島(明治30年生まれ、1984年4月調査)
「ネノホシは、ひと晩に屋根の瓦一枚だけ動くんだ。瓦一枚だけ。まあ動かんにしとんのや。トクゾウの嫁はんが、トクゾウが船乗りよんのにな、暗いときは、方角がわからないと思った。嫁はんは、機織り織り、じっとキタノネノホシをねらっとった。そしたら瓦一枚分動いた」
              
発見者について、「天竺徳兵衛の妻」、「クワノトオクロウの妻」、「トクゾウの妻」というように多様な伝説が伝えられています。
 北極星即ち「こぐま座α星」は、現在、天の北極から1度弱離れています。故に、北極星は静止しているのではなく、半径1度弱の円を描いて動いているのですが、これは肉眼でわからないほど小さいものです。したがって、人びとの観察や体験から伝説が形成されたと仮定すると、動かない星として語られなければなりません。「北極星が動く」という伝説は、観察や体験にもとづかないフィクションでしょうか。 仮に、ある年代より前は、北極星の動きが肉眼でわかるほどの大きさになるのであれば、「北極星の動き」は、その時代の観察や体験の記憶を語り伝えた可能性がでてきて、フィクションと断定できなくなります。
表によると、こぐま座α星と天の北極との距離は、時代をさかのぼるとともに増大していき、それにともない北極星の動きが大きくなっていくことがわかります。では、どれぐらいの大きさになれば、肉眼で動きを発見することができるのでしょうか。


 例えば、1600年頃の場合を考えると、2.9度、即ち、現在の約3倍、月が約6個並ぶくらい天の北極から離れます。揺れている船からではなく、機織りをしながらなら、北極星が動くことを肉眼で発見可能かもしれません。 
 伝説は、フィクションとは断定できなくなり、北極星の動きを肉眼で観察できる時代に、北極星の動きの観察にもとづいて伝説が形成された可能性がでてきました。


(ブログでは写真と表を省略させていただきました)

この記事に

開く コメント(0)

日食を感じる

日食のとき、人間が感じたこと、それが、日食の伝承として形成され、伝えられた。

人間が感じることのできないものを、人間と暮らす生き物が感じた。

鳥は、皆既日食のどれくらい前から、感じるのだろうか。
 
動物は、どうだろうか? 
 
魚は、どうだろうか?

昆虫は?
 
気温は?
 
2時間前、1時間前、30分前、第2接触のとき・・・

日食が終わってから、聞いてみたい

    漁師さん、畑仕事をしていた人びとに・・・

万一、曇天、雨天のときも、あきらめずに、「鳥」「動物」「魚」「昆虫」「気温」・・・と、さまざまな変化を観察したい。

この記事に

開く コメント(0)

日食伝説

太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖であった。

日食に関する伝説から…

(1)アイヌの伝説

‘食のことを次のように言った。

チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)

チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)

チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)

トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)

チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)

トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  

チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)

日食の際の儀式

 男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放った。
 女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫んだ。

 チュプカムイ      太陽のカムイよ
  エ・ライ ナー   あなたは重態だ
 ヤイヌー パー    よみがえれよー
  ホーイ オーイ    ホーイ オーイ

 日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こった。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果があった。
 太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられている。

(2)天岩戸(あまのいわと)、天岩屋(あまのいわや)伝説

 須佐之男命(スサノオノミコト)が乱暴を働いたため、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸に引きこもってしまった。高天原(タカマガハラ)は闇になった(即ち日食)。

日食への人びとの記憶を、日食伝説からたどりたい。

参考文献・引用文献 末岡外美夫氏著『アイヌの星』
 
 

この記事に

開く コメント(0)

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.


みんなの更新記事