俳句の里だより2

俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

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我が生い立ちの記(45)

人生を振り返って


この回顧録も前回で私の近況を述べたので、今回をもって一旦筆を置くことにしたい。そして、これまでに生きてきた62年余りの人生を振り返って終えることにする。

私は昭和24年1月4日に四国愛媛県の松山市、日本最古と言われている道後温泉の近くで産声を上げた。5人兄弟の末っ子でしかも長男の後に姉3人が続いたため、祖父には特別に可愛がられて育った。物心がつくかつかない3歳くらいから、国語や算数などの勉強はもちろん、将棋や百人一首などの遊びまで意味もわからないままに熱心に教わった。このため、近所では「天才少年」などともてはやされたという。

そのようなうわさ話を聞くと祖父もまたやる気を出していろいろと教えてくれ、一方で私もその期待に何とか応えようと頑張るので、物覚えもびっくりするくらい進んでいったようだ。祖父は、将来は私をプロの将棋指しにでもと考えたこともあったと聞くが、そこは上には上が居るもので、結局は将棋指しを諦め普通のサラリーマンになった。ともかくも、親孝行と言うより、「祖父孝行」は十分に果たしたと思っている。

ただ、祖父があまりに私のみを可愛がるので、祖父は両親や兄姉には評判が悪かったようであり、亡くなる数年前からはボケによる狂暴性も加わったので、皆に嫌がられてしまうなど淋しく可哀そうな最期になったのは私もつらかった。親父も実の親のそのような状況をどうにもできず辛かったようだが、当時はお店も忙しく手が回らずに仕方なかったと思う。母は母で、5人の子供の育児もあり大変だった。

このような状況は別に私の家族特有の事ではないが、いずれにしても昔の親は自分たちと比較するとよく働いたと思う。仕事や育児に追われ、今のように遊ぶ暇など全くなかったのではと気の毒に思ってしまう。うちの子供など、まずは自分の都合を考え、それから子供の事を考えるという。全く本末転倒も甚だしいが、それが現代の若者かもしれない。日本から「良き伝統」が失われていくようで淋しい限りだ。

祖父は私が高校生の時に85歳と長生きして亡くなったので、最期の数年間を除けば幸せな人生を送ったのではと思うが、親父は私が就職してほどなくしてわずか60歳になる前に亡くなってしまった。もともと身体は丈夫でなかったそうだが、それにしても私の結婚を見届けずに亡くなったのは、本人も私も非常に残念でならない。ともかくも親父の一生は、働くことのみの人生だったように思う。遊びはほとんどしなかったが、それでもパチンコと将棋、そして母との数少ない旅行は楽しんだようで、それが救いかもしれない。

母もまた子育てとお店の手伝いに明け暮れていたが、親父が亡くなってからは、自分でも少しは人生を楽しもうとの考えから、俳句を趣味として友達仲間との吟行や旅行に大いに楽しんでいた。87歳で大往生を遂げる数年前からは、足腰が弱って旅行や買い物など外出も困難になったが、それでも頭の方は冴えており、亡くなる直前まで人生を楽しんでいたのは、ほんとうに素晴らしいと思う。今頃は、あの世で父と母は楽しく暮らしているのでは。

私の兄姉はいずれも健在である。兄は今年で71歳になり、最近は目が多少不自由と聞くが、それでも絵を描いて息子と個展を開くなど、悠々自適の生活を過ごしている。これも義姉が未だに看護師として生活費を稼いでいるなど苦労しているのでやっていけるので、そういう意味で兄は本当に幸せ者と言わざるを得ない。どれだけ、義姉に感謝しているかは知らないが。以前に、得意のペーパークラフトで生計をと勧めそれを頑固に断った兄だが、それもまた一つの人生かもしれない。

長姉は兄の近くで義兄と仲睦まじく暮らしているが、それでもときどきは心に不安を覚えて自殺を考えることもあるという。これは、かなり前からたまに出る症状らしいが、そのたびに義兄の助けもあり何とか
過ごしているそうだ。性格はおっとりしていて、私から見るとそのようなことになるとは考えにくいが、やはり何か不安な気持ちがたまに顔を出すのであろう。ともかく、性格もいいし私も小さいころから入学式に付き添ってくれるなど大変お世話になったので、長生きを祈っている。

次姉と三姉は二人とも大坂に暮らしているが、義兄や子供の事でいろいろと苦労しているようだ。毎年一度は大坂に行くたびに会っているが、そんな心家庭内の配ごとをよそに二人とも元気で若い。ひょっとしたら私よりも長く生きるのではと思う。これは間違いないかもしれない。それでも60代の半ばであり、世間ではもう高齢者の仲間入りである。

そんな訳で、私の生い立ちの回顧というよりも、私の親兄弟の回顧になってしまったが、私自身は小中高校と勉強に明け暮れ、それを楽しんできた人生だった。それぞれの学年には好きな女性もいたが、初恋といっていいのか、すべてがあこがれに終わった。大学に入り、高校時代のあこがれの女性との文通や交際、また、大学時代の実習生との交際、いずれも私が就職してもしばらくは続いたが、すべて最後は失恋に終わった。

就職してから間もなくの父の死、そしてお見合いと結婚、そして三人の子供(三姉妹)の誕生。子育てにはいろいろと苦労したが、何とかみんな高校までは卒業し、就職してくれた。長女と二女には子供が生まれ、それぞれ子育てをしているが、なかなか大変そうだ。長女の孫(男)は、現在もう小学4年生の10歳になるが、長女は孫中心でなく自分中心に生活をやっているのが非常に気がかりだ。事情があって、母子家庭であるせいか、何度言っても孫中心の生活にできなくて今の我々の最大の心配の種になっている。

二女は昨年結婚し、今長野県に旦那と半年を過ぎたばかりの一人娘と暮らしている。子供が生まれる前は看護師として日赤病院に働いていたが、今は育児休暇中である。旦那は5歳ほど年下であり、長男だそうで甘えられて育ったせいか、子供の育児で夫婦喧嘩をよくするという。つい少し前も、そのために大喧嘩をして離婚の危機に陥ったが、何とかお互いを説得して一時的には危機を免れた。しかし、これもいつ再び危機が来て別れる羽目にならないとも限らない。こちらも、長女のことと同様に心配である。

三女はというと、短大を卒業して専攻としていたプログラマーの職に一度は就いたが、仕事がきつく会社を辞めてしまった。その後は、得意のパソコンを活かして事務系に何度か就職したが、人間関係などからこれも辞めてしまい、今は無職の身である。ちょうど、この不況に相まってもう1年近く就職活動をやっているが、適当な就職先が見つからないそうだ。結婚も考えているそうだが、こちらも簡単ではない。

以上、私の子供の話に及んでしまったが、いずれも大変であり我々夫婦の頭痛の種である。こんなわけで、私もNAIGへ就職して東芝に吸収合併、そしてNUPECとJNESへ出向、そして東芝と子会社を退職してJNESへ再就職し現在にいたっている。仕事はその間一貫して変わらず、原子力発電所事故時の安全評価(放射性物質の挙動評価)がライフワークとなった。

その間、数多くの海外出張や成果を発表し、一部論文にもまとめた。年齢も年齢であり、そろそろ退職し年金生活者として悠々自適の生活に入りたいと願っている。こんなことを言うと親父やお袋に叱られそうであるが、元気なうちに自分のやりたいことをもっとやりたいと思っている。ゴルフかもしれない、旅行かもしれない、音楽や将棋、俳句・・・、本を出版するかもしれない??

ともあれ、私に残された人生はそう長くは無いと思って生きている。まずは、子供の事が心配であるが、それが何とかなれば、夫婦で大いに遊びたいとも思っている。家内はどう思っているか知らないが。最後は回顧録と言うより願望となってしまったが、また「回顧録」を書く機会があることを願いつつひとまずこの「回顧録」を62歳(平成23年10月吉日)をもって終えたい。

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