裏方さんは・・・。
|
地域活性化の講座で長与町の 「健康ふれあい大会」の運営を学びます。 参加者は各地区から合わせて300人 町長さんも来賓する一大イベントです。 前日から会場の準備にかかり、開会式を迎えます。 日頃鍛えたグランドゴルフやゲートボールを 取り入れた競技が続きます。 大道具、小道具の準備と進行が大変です。 昼食後は玉入れ競争で終了。 これからの後片付けがまた大仕事です。 地域活性化の裏方さんの仕事は大変でした。 皆さんの笑顔と、この後の「打ち上げ」が継続の秘訣だそうです。 |
|
地域活性化の講座で長与町の 「健康ふれあい大会」の運営を学びます。 参加者は各地区から合わせて300人 町長さんも来賓する一大イベントです。 前日から会場の準備にかかり、開会式を迎えます。 日頃鍛えたグランドゴルフやゲートボールを 取り入れた競技が続きます。 大道具、小道具の準備と進行が大変です。 昼食後は玉入れ競争で終了。 これからの後片付けがまた大仕事です。 地域活性化の裏方さんの仕事は大変でした。 皆さんの笑顔と、この後の「打ち上げ」が継続の秘訣だそうです。 |
|
昨日発芽した、にがうりの前の朝顔 今朝はもう双葉が開いて、並んでいます。 今日も快晴、夏日の天気予報です。 すぐに大きくなりそうです。 「緑のカーテン」用のネットを買いに行かなくては・・・。 |
|
なす、きゅうり、ピーマンといろいろ植えた夏の野菜 成長が早いのはきゅうりです。 うっかりしてると、誘引が間に合わない位伸びています。 小さいけど実も付いています。 先日植えたにがうりの脇に、朝顔も発芽しました。 裏庭はだんだん夏になって来ました。 |
|
今年も節電の夏がやってきます。 にがうりの苗を植えました。 そして朝顔の種もいっしょに蒔きました。 最近はいろんな種類が売られていますが 今年もにがうりと朝顔で「緑のカーテン」を作ります。 ささやかな節電の準備ができました。 |
|
昨日の講座は「長崎散策」でしたが、あいにくの雨・・・。 十人町のみさき道スタート地点まで。 散策は急遽、座学へ変更、市民会館でみさき道を学びました。 会場までの移動中に通った、眼鏡橋周辺は 「紫陽花まつり」の準備が出来ていました。 今日から「紫陽花まつり」が始まりますが きれいに咲きそろうのは、もう少しかかりそうです。 |
|
講座「古写真で歩く長崎学」は抽選もれで受講できなかったのですが 辞退者が出たのか、電話があり受講できるようになりました。 当時の様子を南蛮屏風で見ることができます。 絵の右上は教会です、屋根の上に十字架が見えます。 現在の県庁の場所にあった岬の教会です。 ポルトガルとの貿易が平戸から多くの変遷をへて 長崎で始まった頃の情景です。 当時は秀吉が朝鮮出兵を決め、唐津に名護屋城を築きます。 城の屏風等に絵を描く、絵師も京都から呼ばれていました。 絵師は仕事を終え、佐賀から長崎へ、珍しい南蛮人を描きます。 これら教会の絵が廃棄されることなく無事に明治を迎えました。 さらに現代では、多くの美術品が傷ついた阪神大震災・・・。 たまたま、神戸博物館から重要文化財指定のため東京に出していて無事でした。 さまざまな偶然が重なり、500年前の長崎の南蛮文化を今に伝えます。 このような南蛮屏風は十数点現存してるそうです。 オランダ、ライデン博物館所蔵 シーボルトの絵師、川原慶賀の絵です。 絵には題の「農村」としか書かれてないけど 山の形状などから中島川周辺とわかるそうです。 次回はこの辺りを巡り、当時を偲びます。 |
|
「ドリームジャンボ宝くじ」が発売されています。 前回のグリーンジャンボは1等・前後賞合わせて 5億円で話題になりましたが、今回は1等1億円。 前後賞合わせても2億円です。 5億円のジャンボは当選金額が高額になると 当選の確率が悪くなり敬遠されたのでしょうか。 まあ1億円でも同じようなもんで 抽選日までの夢でしょうが・・・。 今回は「ドリーム10」というのも発売されています。 こちらは1等賞金が10万円、当選確率は高いでしょうが あまりにも、夢がないのでこちらはやめておきました。 |
|
裏庭のジャガイモが枯れてきました。 葉が枯れてきたら収穫です。 少し抜いてみましょう。 出来ていますね。 今夜は肉じゃがで一杯いきますか。 |
|
平戸旅行ですが「歌で巡る長崎の会」なので 長崎の歌にちなんだ場所を巡ります。 平戸に向かう途中、九十九島を一望できる スポット展海峰に、田中穂積の銅像があります。 田中穂積は、明治32年佐世保鎮守府に軍楽長として赴任。 その後、佐世保女学校で音楽を教えます。 そして音楽教材として代表作「美しき天然」を作曲しました。 49才の若さで亡くなりますが、今でも「美しき天然」は 佐世保市民の愛唱歌として親しまれています。 平戸出身の藤浦 洸さんの歌碑です。 美空ひばりの「悲しき口笛」「東京キッド」をはじめ 戦前戦後を通じて多数のヒット曲を世に送り出した 藤浦 洸さんは今、郷里平戸市の雄香寺に眠っています。 じゃがたら娘像です。 大陸との交流の要地で、南蛮貿易が盛んだった平戸には 南蛮人を親に持つ子供もたくさんいました。 しかし島原の乱の翌年、徳川幕府はキリスト教の取り締まりを強化し ポルトガル船の来航を禁止すると共に、 その混血児やその母親までも 国外追放を命じました。 望郷の念を抱きながら異国の土となった多くの混血児たち を偲んで建てられました。 ジャガタラ(現在のインドネシアの首都ジャカルタ)に追放された 婦女子から送られてきた、日本こいしやと綴られた手紙 ジャガタラ文は貴重な資料で現存しています。 どこにでもあるような漁港、田助漁港です。 ここで歌われていた民謡「田助ハイヤー節」が海路で全国に流布。 各地の港で歌われる「ハイヤー節」の原型と云われています。 ハイヤーは南風(はえ)の意です。 長崎の西の果て、平戸には多くの歴史が詰まっていました。 |
|
「歌で巡る長崎の会」今年の旅行は平戸です。 昔から平戸は、中国大陸や朝鮮との交流の要地で 天文19年ポルトガル船が平戸に入港し、西洋との貿易が始まります。 鎖国で貿易が長崎だけに限られるまで約100年間、平戸は貿易港として栄えます。 その後は平戸藩6万石の城下町として、この地方の中心地としての役割を担います。 平戸大橋を渡ると平戸島です。 当時の貿易の象徴する建物、オランダ商館が昨年復元されました。 貿易はキリスト教文化も、もたらします。 天文19年に平戸を訪れたフランシスコ・ザビエルを 記念して、昭和6年に建てられた聖堂です。 昭和6年、当時はリヤカーもなく、信者達は船で着いた資材を 港からこの丘まで背負って、何度も往復したそうです。 資金的にも苦労し、当初3本で左右対称に設計されていましたが 資金難のため、右の塔は作られていません。 教会ができて、寺院と教会が同居するこんな風景を作り出します。 「寺院と教会の見える道」と名付けられていました。 こちらは国の重要文化財に指定されている田平天主堂。 レンガ造りで落ち着いた雰囲気の教会です。 次の日は「歌で巡る長崎の会」なので
平戸の歌にちなんだ場所を巡ります。 |
[ すべて表示 ]
| 今日 | 全体 | |
|---|---|---|
| 訪問者 | 12 | 19795 |
| ブログリンク | 0 | 3 |
| コメント | 0 | 546 |
| トラックバック | 0 | 2 |
登録されていません
開設日: 2010/5/3(月)