取りとめもないことですが。
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この一カ月、アトリエは休業していましたが、他の仕事をしていました。
最近は「霊的仕事」に力を入れています。
でも、あんまりそういう言葉は使いたくない。
霊的、と言ったからって、特別なことではないのです。
例えば、花が散って「ありがとうね」と言いたくなる気持ち。
ものを捨てるときに「ごめんね」と思う気持ち。
全然科学的じゃない。
でも自然と湧いてくる。
それを、地球に、宇宙に、神様に対して、する。
そういうこと。
いろんな気持ちが忘れられている。
それを取り戻す、というか、
語られぬままになっている言葉を語る、というか、
止まっている時計の針を再び動かす、というか。
もちろんある程度から先は超能力的な領域に入るから、僕にしか出来ない。
そのような流れで、蔵王や江の島や、東京諸所の神社や富士山などに行っては
神たち、霊たちと話して来ました。
やっぱりみんな人間のことを怒ってる。
こんな世の中になってしまったことを悲しんでいる。
彼らの力に、助けになりたいのです。
こういうことは別に詩情やファンタジーに訴えることではないと思う。
と言うか、「それは非科学的だ」と言わなければいいんだよね。
もし「私はそのへんのことは分からない」と思う人がいても、
「そういうこともあるんだ」くらいに思ってくれると嬉しいな。
否定しないことが大事。
自分の中にいくつかの側面があり、
生まれついて小器用なものだから、
あっちではこの顔、こっちではこの顔、としてしまって、結局全体像を理解されない。
そりゃそうだ。
これを統一していかないとね。
治良、と言っても「体を治す」ことが目的じゃない。
もっと大切なことがあるんです。
たとえば体はぼろぼろでも幸せを感じること、感謝すること、愛することは出来る。
それが一番大切。
体が健康であるのは二番目以降に大切なこと。
大切なことをいつも堂々と前にかざしておかないといけない。
でも、あの人は宗教的なんじゃない? と言われるのが怖くて、面倒で、つい黙り、
骨格や臓器の話をしてしまう自分がいるのです。
「いたのです」ということにしたいです。こないだまで。
これからは、そうではなくなるといいなと思う最近。
治良会を再び始めたいと思っていますが、
すでに2つほど決まりそうです。
7月に東京で、9月に山形で。
ヒーリングイベント、のような位置づけではなく、
出張格安クリニック、でもなく、
大切なことをお伝えしたいのです。
光をお分けする、というか。
いくつもある自分を一つにする人生の時期なんだ、と思っています。
無理やりまとめ上げるんじゃなくて、
どうやら奥の奥に、ちゃんと自分というのがいる。
生まれたときから、ずっと変わっていない性格。
それは驚くほどチャーミングで、純朴で、希望ということを知っている。
別に自惚れじゃなくてね。
そこに帰っていけばいいの。
そこに帰っていくほど、その輝きに見合うような素敵な人たちに出会う。
最近、アトリエは人に恵まれている。
つい1年ほど前にはなかったことなので、本当に嬉しい。
自分の人生がちゃんと進んでいるのを感じる。本来あるべき方へ。
いい風が吹いてる。
でも何だか寂しい。
なぜだろう。と考え、
今日は過ぎてしまいそうです。
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