春日井市

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アケオメ コトヨロ

新年あけましておめでとうございます。
年末から新年にかけ、何と晴天が続いています。
いっときの夜間降雨などあったものの、かれこれすでに2週間以上にわたり晴天続きは私の記憶にございません。
さらにさらに、11月末の底冷えや北日本の降雪により、スワッ!今年の冬将軍来週は早いぞ!と心していたのが、なんとも肩透かしのぽかぽか陽気の連続が重なっている。
その時に車のタイヤをスタッドレスに交換してしまったことから不平不満を述べているのでなく、過ごしやすいことはいいことなんですが・・・・。
日本は春夏秋冬がまぎれもなく訪れる国。やはり夏は夏らしく、冬は冬らしくあるほうが安心できます。
 さて、昨年末に中部大学との共同研究がスタートした。なぜ大学と?何を研究?と、❓印が頭の周りをグルグルしているでしょう。
実は早めのスタート。学生時代いつもやっていた直前一夜漬け勉強ならぬ手遅れになる前の事前準備なのです。
研究課題は、「廃棄自転車による愛岐トンネル内 エコ通行システムの研究」。
さらに研究参加団体は、中部大学・県立春日井工業高校・名古屋市立工芸高校に我々トンネル委員会の4者による研究会です。当然、高校生が参加、春からは大学教官のほか大学生も参加の予定です。
愛岐トンネルにはたくさんのトンネルが存在しており、現在通行できるトンネルだけでなく、今後通れるようになる(かもしれない)トンネルもあります。
現状では、6号トンネルをテーマに、徒歩ではなく、簡易式ガイドレールを設置して自転車による通行方法の研究を目指しています。2〜3年後には設置する工程を考えていますが、まずは、今年もしくは来年に、中部大学キャンバス内にリニア実験線ならぬ「自転車通行システムの実験線」の設置を目指します。
一難去って、また一難!毎年何か動きがあるのが愛岐トンネルです。決して飽きさせてくれません。
 

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NHKの記者さんからお礼の電話があった。「お世話になりました。その後の反応はいかがでした?」・・・・・「いやいや、お陰様で昨日見たよ!と沢山の方々が来てくれました。ありがとうございました。」その後は、恒例の新聞社系にお礼の挨拶参上。
秋の特別公開が終了し、これで今年の対外行事がすべて終了。ホッとひと段落・・・・。
おっと、10日には亀山方面への研修会が残っていた。

さてさて、今年の夏ごろに気が付いたのだが、来年はNPO法人化前の有志によるトンネル組織を設立以来、驚いたことに10年目を迎えることになる。法人化はその2年後。
もう10年もたっちまった。歳を重ねるたびに月日が過ぎ去るのが早くなる!というが、ある説では、歳とともに”物忘れ”が進行するから、よけいに加速するそうな。

設立当初は3年で活動の目途をつけよう!とスタートしたが、いつの間にかはや10年がすぐそこに。有言実行を標ぼうする私としては、進展状況が道半ばの現在は、何とも面歯がゆいばかりの惨状であることは間違いない。せっかくの区切りのいい10周年!人間でいえば、半成人式!何とかひと花も、ふた花も咲かせたいものでございます。

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逆転のホームランは!

今秋の特別公開も今日で4日目、中日(なかび)を過ぎた。老齢化激しいスタッフの仲間も寒い中、何とか頑張ってくれている。

今回もたくさんの旅行エージェントのツアーバスなどが来訪、予約は10台を超えた。大阪からは近鉄電車貸切で名古屋駅まで、そこからJRで現地来場のケース。はたまた長野からは多治見までバス、そこからJRに乗り換えての来場など、駐車場のないとPRする現地に対応するべくバス以外のツアーも増えてきた。
しかしながら、毎日の問い合わせ電話はそのほとんどが「車で行きたいが、どこに停められるの?」「駐車場はどこにある?」と、事前告知にもかかわらずの内容に正直ウンザリ。

さすが車中心社会の名古屋だと呆れるとともに、ふと、この駐車場問題を頭から無下に袖にせず、真摯に取り組めばJRだけにご利益があるこの現状を案外変えることができるのかも、と考え直す。
「パーク&ライド」という言葉がある。とある場所まで車を使い、その後は公共交通機関を利用しようという提言である。
隣駅の「JR高蔵寺駅」周辺には、駐車場もあり、電車も現地までは一駅だけで便利だ。ならばどのような方法で実質的な「パーク&ライド」を実現させるのか。
色々と悩んだ末に、ある方へ電話した。

「・・・・・村上です。・・・あなたの商店街の活性化をしませんか・・・・特別公開に合わせて、外部の方々を呼び込み、駐車料収入というおまけをつけて町の活性化をやりませんか・・・・・」

詳細は書けないが、もしかするとワレワレと来場者、そして地域の一挙両得(いや三徳)のホームランになるかもしれない。
来年に向けてじっくり検討・模索してゆきたい。

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ありがたき仲間

今日土曜日は、月1回の委員会例会。
一般公開前の例会は、屋内の会議室例会を離れ、現地例会と銘打って「公開直前作業日」になっている。
過去17回の直前準備例会の内、何の因果か今回は、なんとも悲しい3度目の雨模様。
集まったスタッフはベテランばかりなので、作業はスムーズにやっていただいたが、メンバーの平均年齢は69歳? こんなオジサンオバサン(イが抜けているとは思うが)が大雨の真っ只中、テントやテーブルのみならず、重い大型ベンチを廃線全線への配置を担ってくれる・・・・・。
どんな対価も求めず、もくもくと老骨に鞭打っていてくれる後姿に頭(こうべ)を垂れる。

机上で論理ばかり振りかざす諸兄より、率先行動をする人こそ尊敬されるべきものなり。


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早朝に集合。軍艦島への渡船をめざし、長崎港と市内から40分ほど離れた小さな漁港への2班に分かれる。漁港に到着したのは、読売新聞の記者とカメラマンを含む10人あまり。快晴の中さっそく乗船し、端島を目指す。30分余り穏やかな海を進むと、遠くに軍艦が接近してきた。聞きしに勝る!まさに軍艦。
 
その後船から島へと上陸、島を取り囲む5mはあろうかと思われる防波堤の切れ目にある畳5畳分はある強硬な鋼鉄扉をギシギシと開けてと・・・・・。(扉は開くんトちゃうのかい!)いやいや、その横にあるウオークキャットのような細い鉄梯子をよじ登って島の内部へ。そうか、この地は今、立ち入り禁止地域なのだ。
 
上陸後、長崎港発の他のメンバーと合流し、長崎市役所の職員からヘルメットと注意事項を聞く。(当時は、まれに観光客を、私たちが上陸したのと異なる安全な場所から上陸させており、その観光客の安全見学ルートとは全く違う裏舞台の危険ルートを見学する。よって、途中、一般見学者の目に触れないよう最大限の隠密行動(要するに隠れろ!)を取るようにとの厳命を受けた)
 
まずS氏の案内で、地上5階建の島唯一の小学校に入る。階段や壁面が剥がれ落ち、躯体は朽ち果ててはいるものの通行には何とかなりそう。教室・講堂などをのぞいた後、職員室へ・・・。
机・椅子・書棚・湯沸かし室・・・・、窓からは遠く本土も。ふと窓際の書庫をのぞくと沢山の書類に混ざって出勤簿が立てかけてある。経年劣化はしているものの、通常のどこにでもある職員室の景色・風情がそこにある。しかしそこにいるはずの人々が突然神隠しにあい、忽然と姿を隠したような。すでに1974年の離島後40年を経ても今すぐに”授業再開!”と叫ぶことができそう、なんとも不思議な情景がそこにある。
S氏にこの疑問を問うと、「廃坑になったことで、会社(三菱)から退去指令が出て、とりあえずの手持ちのモノ以外持ち出すすべもなく、大急ぎで全員船に乗った」「持ち出しは最低限に限られ、生徒の通知簿すら残された」と、当時の社命で否応なく対処した緊迫した情景が浮かび上がった。
その後、沢山の居住棟も見学したが、当時は貴重品であったはずのテレビや家具、鍋・釜の他、ランドセルまでもそこに佇んでいた。もう一度書くが、そこに人間さえいれば、すぐにでも生活できるのでは・・・と感じるほどの生活感が残っている情景に、うすら寒いような、今どこにいるのかも忘れてしまいそうな錯覚の非現実的感覚に。
 イメージ 1
島のほとんどの建物はコンクリート製。コンクリートの40年という耐用年数、また潮風や、時には防波堤を乗り越え高層階にも襲い掛かったという幾多の台風などの打ち寄せる荒波や風雨にさらされ、耐用基準をはるかに超えた高層住宅を回った。一息ついた広場で建物の壁面に身体を預けていると、「危ない!上の壁面がはがれて落ちてくるから壁面から離れてください」の声が。そういえば、どこの建物も通路も、はがれ落ちたコンクリート塊がゴロゴロ。倒壊の恐れのある高層建物まである。まさにコンクリートで創造された現代社会の数十年後の未来の姿。島に残された全ての構築物が、摂理に従い、自然界に破壊されてしまった現代文明のはかなさ・脆弱(ぜいじゃく)さをかいま観た。アルマゲドンが地球に落ちれば、世界中すべての人類が消滅し、この端島のような景色に一変するのだろうか・・・・・・そんな残影が心の中を通りすぎた。
コンクリート万能に異を唱えるため、多くの土木関係者や建築家がこの島で研究を重ねているそうである。嬉しい絶好の好機なのか、はたまた悲しむべき悔しい事例なのか・・・・・。
 
最後に、端島で一番高い場所、端島神社へ登った。もうご神体は本土へ移設されてお社の外装だけがその場所に鎮座していた。このお社へ、いったい何千、いや万という住民の人々が集い、願をかけ、心のよりどころにしていたのだろうかと想いをめぐらせた。
 
3時間以上だろうか、端島の端から端まで隠密部隊のように探索。他の訪問者は建物など目線を上ばかりに見上げる中、あちらこちらで「あった、あった。見つけた、見つけた!」と下ばかり見て叫ぶ私。
「さすがにレンガトンネルの関係者ですね、レンガの刻印ばかり探している」と。そうなのです。レンガを見つけるとどうしてもそこにあるべき刻印ばかりに目が行ってしまうのです。三菱マークの刻印を見つけました。
 
 
 
 
 

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