東京リビングストーン教会"English Bible Cafe"

高田馬場にある東京リビングストーン教会を紹介するページです。楽しく交流しながらBibleを学んでみよう!
共同体における関わり方について
東京リビングストーン教会

11章には具体的な状況を説明して物の売り買いについて説明している。
箴言 11:24散らしてなお、加えられる人もあり/締めすぎて欠乏する者もある。
ケチになりすぎても得られる物がないという意味にも取れる。
箴言11:25気前のよい人は自分も太り/他を潤す人は自分も潤う。11:26穀物を売り惜しむ者は民の呪いを買い/供する人の頭上には祝福が与えられる。
共同体のメンバーが苦しんでいる時に、分け与えるならば豊かになることができる。
箴言14:31弱者を虐げる者は造り主を嘲る。造り主を尊ぶ人は乏しい人を憐れむ。
救済に対する神学的な解釈を入れている。弱者、お金がない者を虐げることは、造り主である神をあざけることになる。乏しい人を憐れむことは、造り主である神を尊ぶことである。
イエス様は箴言の中から教えを語っている部分がある。
箴言17:5貧しい人を嘲る者は造り主をみくびる者。災いのときに喜ぶ者は赦されない。
22:22弱い人を搾取するな、弱いのをよいことにして。貧しい人を城門で踏みにじってはならない。
22:23主は彼らに代わって争い/彼らの命を奪う者の命を、奪われるであろう。

救済に対する神学的な説明
隣人と争う事について。悪人と義人の家の比較をしている。主に逆らう者は呪われ、主に従う者は祝福される。
箴言12:26神に従う人は友よりも好運である。神に逆らう者の道は人を迷わす。神に従う人は友の故に正しい道に進み、神に逆らう者は友の故に罪の道に入ってしまう。なぜ、義人と共に歩み、悪人に従ってはならないのか。友達の価値をどのようにして作っていくべきか。共同体での関係を築いていくべきか?

6章は法律的な関係を語っている。
箴言 6:1わが子よ、もし友人の保証人となって/他国の者に手を打って誓い6:2あなたの口の言葉によって罠に陥り/あなたの口の言葉によって罠にかかったなら6:3わが子よ、そのときにはこうして自分を救え。命は友人の手中にあるのだから/行って足を踏みならし、友人を責め立てよ。6:4あなたの目に眠りを与えず/まぶたにまどろむことを許すな。6:5狩人の罠を逃れるかもしかのように/鳥のように、自分を救い出せ。

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3.異性との関係について
1章18節に知恵のない女性が現れる。異性の女性とどのようにつきあうべきか。最初には友人に気を付ける。その後には女性に気を付ける。3章では再び知恵について語る。5章、6章で性的な堕落について警告している。大人になるときに、必ず性的な問題に注意しなければならない。特に結婚に対してそうである。一人の女性を井戸に例えながら、一人の女性から十分に愛を受けることを語っている。7章になると、他人の妻との関係について警告している。不倫に対する警告。8章では知恵が女性の形として現れる。二つの人生の道がある。知恵の女性に行くか、淫乱な女性に行くか。私達の選択の問題である。そのようにして9章が終わる。
1章から9章は開かれたエンディングで終わっている。
10章から31章では様々な形で知恵の格言が現れている。31章の最後では再び知恵の女性が現れる。子供は知恵ある女性を選ぶ。ヘブライ人たちは、核心的なメッセージをその中心から周りで取り囲む。3章から6章が1章から9章の間の核心的なメッセージである。

4.箴言の内容をどのように主題別にまとめることができるか?
10章から31章は義人と悪人に関する教えであり、反語的並行法が使われている。反語的並行法はヘブライ詩の一番の特徴である。前に話したことを違う形で変化させて話す事。ヘブライ詩を理解する一番大切なことは、並行法を理解することである。パラレリズムという。不正による富は頼りにならない。慈善は死から救う。は典型的な反語的並行法である。前者で不正について語り、後者で慈善について語る。10章から15章までは反義的な並行法が大半を占める。16章から22章までは、王の格言が多い。美しいとも訳せるし、30とも訳せる単語がある。22章から24章まではエジプトの知恵の書を借用したのではないかと言う人々もいる。しかし、実際に比べると似てはいるけれども同じではない。25章から27章までは自然と農業に対する箴言。28章からは王と後継者に対する箴言。30章はアグルの箴言。31章はレムエルの箴言へと続く。大きな主題ごとにまとめられている。箴言の中にも文学的な統一性がある。それらをどのように解釈するかが問題である。

5.聖書をどのように解釈するべきか?
聖書を解釈する時に、文脈の理解が大切である。文学的な背景、社会的な背景を知る必要がある。その人がどんな状況と背景で文章を書いたかで、内容が全然変わってくる。文脈を理解しつつ、解釈する必要が教職者にはある。なぜ、夫婦関係を話す時に井戸の水を例えに使っているのか?
解釈とは神様を知る知識である。神様がどうしてこの本文を私達に与えて下さったのか?主が私達にどのように生きる事を願っているのか?それが大切である。解釈のための神学がないと、箴言を正しく解釈できない。
神様が、この本文を通して私に何を言おうとしているのか?それをどのように私達の生活に適応するべきであるか。行動の決心まで取りだすのが、正しい解釈である。
私達は聖書を英雄伝のように考えがちである。エステル記を例にあげてみれば、エステルもモルデカイも英雄とは言えない。彼らはバビロン捕囚から解放されてイスラエルに帰ることができたのに、利己的な理由からペルシャに残った人々である。彼らは神様に対して真実に従順だとは言えないが、そのような人々でさえも、主なる神様は憐れんで下さり、守って下さると言う主の真実さの証明がエステル記の物語と言える。アブラハムの話においても、アブラハムの従順のゆえに祝福されたというよりも、主なる神様の真実さのゆえに、アブラハムが祝福されたと考えるべきである。人間の英雄的な物語は聖書の主題になってはいけない。むしろ神様の真実さと約束に対する誠実さこそを我々は主題にするべきである。

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東京リビングストーン教会〜箴言について〜

1.創造主なる神様の主権を認める。
人間は消極的な救済論ではなく、神様の似姿として造られたことを信じる。神様の義を代理する。主の民だけがこの地を持つ事ができる。箴言は幼い時から知恵をえるために書かれた。知恵書を通して、生きて行くための知恵を得る事ができる。箴言は1980年代以降になって神学者の間で認められるようになった。旧約聖書では箴言の解釈が一番難しい。歴史書はストーリーがある。人物や時代を通して背景をみる事ができる。預言書は少し難しいし、更に難しいのは詩篇である。詩篇には歴史背景があるわけではないので、良く分析しなければならない。
詩篇を分析する方法がある。そのように分析すると、メッセージが出てくる。多くの学者が箴言の分析は今まで諦めていた。5w1hの分析方法を使う。who著者、what内容及び文学ジャンル、why著作目的、where文化的・社会的背景、when時代的背景、how分析方法がある。
箴言proverbsというのは、ラテン語の言葉から持ってきた。ユダヤ人の旧約聖書は24冊なのはなぜか?
15章文の違いは何か?ユダヤ人は小預言書を一冊の本にしている。上下の巻きが一つになっている。
ユダヤ人たちは、聖書のことをタナクという。箴言の著者は5名いると言われている。代表的なのはソロモンである。ヒゼキヤの家臣やアグルやレムエルもいる。一番多くを書いたのがソロモンである。
箴言の1章〜9章、10章〜31章の二つに分かれる。前者は父親が子供を諭すような内容である。
10章以降は誰が話しているのか分からない。格言集のようにも思える。談話と格言に分かれる。どうやってこれを一つの本として見る事ができるのか?
2500年の前の人間と今の人間とどちらが優れていると考えることができるか。技術的には勿論現代人であるが、思想的には古代人の方が聡明であると言える。箴言31章の賢い妻の詩はアルファベットの詩である。
古代人たちの文学能力は現代よりも優れている。箴言の内容は「教訓」である。
父が息子に伝える家庭教育のようなものである。10個の父からの諭しがある。
数字を使った箴言は、メッセージを強調している。AはBよりましという比較的な方法もある。

2.箴言が書かれた目的は何であるか?
主を畏れることは知恵の初め。(1章7節)箴言全体のテーマである。1章8節〜9章までは父が息子に伝える談話式の教え。古代文学と箴言との関係はどうであるか?箴言は非イスラエル的であると言われてきた。
ある特定のイスラエルの民族を対象にしているのではなく、今の私達も適応できる内容が多い。中国や韓国の格言集は箴言と似ていることが多い。理由は何であるか?全ての人類が人生や生活について悩んだ結果である。だからこそ、あらゆる民族で同じような内容になる。箴言と古代エジプトの文章が非常に似ている。(アメンエムオペトの教訓)あらゆる世界にみられる創造神話と洪水伝説がある。古代中近東には、似ている話が多い。
どちらが先であるかという議論がある。鶏が先か、卵が先であるか。古代中近東の文章と比べて見ると、聖書の文章ははるかに昔の文章に似ている。

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3.知人、友人関係
知人、友人との関係はどうあるべきか?親友がいない人生は失敗した人生である。今、心をオープンにできる同労者を見つけるべきである。韓国教会での性的なスキャンダルがあったとき、その人には友人がいなかった。

同労者がいる牧会者は幸せな牧会者である。箴言3:27。
貧しい人を憐れむ人は幸いな人である。自分が苦難に陥った時に助ける人は幸いである。お互いがお互いを立てる。鉄は鉄をもって研磨される。お互いがお互いを立てて、成長させる関係。箴言16:20

何事にも目覚めている人は幸いである。友達は助けるべきだが、保証人になってはならない。生活の基盤を崩すほどのお金を貸してはならない。もしどうしても貸さなければならないなら、あげるつもりで渡すべきである。ビジネスにおける誠実の原則。売る人が正しく売るならば、買う人も正しく買わなければならない。

現代の法廷では過去を洗いざらい探し出して勝とうとする。しかし主の前では事件そのものだけ議論するべきである。昔の話をし始めると、関係が切れる恐れがある。夫婦はお互いに意見を出して合わせていく必要がある。

知恵ある生き方とは、創造秩序が何であるかを知り、それに従う事である。リーダーシップの問題ではなく、秩序の問題である。教会での役割とは、秩序を保つためである。

4.創造秩序の中で生きて行く方法。
クリスチャンは社会的な権威に対してどう行動するべきか?堕落した権威に対しては服従する必要はない。
生きて行くためには、秩序と戦争しなければならない状態。この世界は、罪によって創造秩序が崩れている状態である。エヴァはアダムの足りない所を補うために作られた。アダムだけは、エヴァが作られた後に完成した。

結婚はお互いを補うためのものである。自分と性格が全く一緒に人と結婚すると疲れる。再臨は創造秩序の回復である。原理的には国家や社会には従うべきである。しかし、間違った権威意識をもって干渉したり迫害したりするならば、それに従う必要はない。革命を起こすべきだろうか?判断は聖書がするものである。その点では、聖書的かどうかを判断して行動するべき。箴言もコヘレトもどちらも同様なのは、神を畏れ敬う事である。

箴言は一見すると、旧約聖書で語られているイスラエル民族の救いの歴史とは無関係に見えるが、その中でも神様が特別に与えたメッセージがある。箴言の中に我々が悟るべきメッセージがある。

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