復活祭の翌日に
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新約聖書
【良い麦と悪い麦】
「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
蒔いている間に、ある種は道端に落ち、
人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。
ほかの種は石地に落ち、
芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。
ほかの種は茨の中に落ち、
茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。
また、ほかの種は良い土地に落ち、
生え出て、百倍の実を結んだ。
イエスはこのように話して、
「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。
(中略)
イエスは言われた。
「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。」
人々が眠っている間に敵がきて、 麦の中に毒麦をまいて、立ち去った。
芽がはえ出て実を結ぶと、
同時に毒麦もあらわれてきた。
僕たちがきて、家の主人に言った、
『ご主人様、畑におまきになったのは、
良い種ではありませんでしたか。
どうして毒麦が、はえてきたのですか』
『いや、毒麦を集めようとして、
麦も一緒に抜くかも知れない。
収穫まで、両方とも育つままにしておけ。
収穫の時になったら、
刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、
麦の方は集めて倉に入れてくれ、
と言いつけよう』」
それからイエスは、
群衆をあとに残して家にはいられた。
すると弟子たちは、みもとにきて言った、
「畑の毒麦のたとえを説明してください」
イエスはお答えになった。
「良い種を蒔くものは、人の子(キリスト)
畑は世界である。
良い種と言うのは御国の子たちで、
毒麦は悪い者の子たちである。
毒麦を蒔いた敵は悪魔、
刈り入れは世の終わりのことで、
刈り入れる者は天使たちである。
だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、 世の終りにもそのとおりになるであろう。
(新約聖書 ルカによる福音書8章5-11節)
宗教の名を語った悪が世界に蔓延っている。
神の名を利用するのは易しい けれど、神の名を語る者が
神の心を行うとは限らない。
この世界の終わりまで
善と悪との対立は続く。
光と闇の交錯は無くならない。
神は愛だという。
神の愛を知った者は
祈り、信じることを覚える。
それだけで、充分である。
そして、救いは 必ずやって来る。
しばらく 自宅を留守にしています。
パソコンが開けなくなると思いますので、
数日、ブログの更新をお休みさせて頂きます。
プロ猫
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