原爆の日・・・
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今日は64回目の『原爆の日』です。 世界中が今日広島という地名を『ヒロシマ』と認識する日。 ですが、年々関心が薄れて広島に住む人たちでも黙祷する時間があったら仕事をしろという風潮が見られるようになっているようです。 かく言う私も、仕事に向かう途中で、黙祷も侭成りませんでした。 夕方のラジオで流れるニュースのトップは『裁判員制度』についてで、恐らくTVニュースでも同じなのでしょうね。去年も同じ事を書いた気がしますが・・・。 今年は慰霊碑に祈りを捧げる事も出来ませんでした。 その代わりと言っては何ですが、今は亡き祖父母に思いを馳せました。 私の祖父二人はそれぞれ戦争に関わっています。 父方の祖父は大久野島という瀬戸内に浮かぶ島で毒ガスの製造に携わっていたようです。 母方の祖父はシナで戦争に行ったそうで、体に5発の玉を入れ、運ばれた東京で終戦を迎えたと聞きました。 祖母二人の中で、母方の祖母は原爆投下から1週間過ぎに知り合いを探して広島に赴いたと聞いています。父方の祖母はおそらく唯一関わりが無かったのではないかと思いますが・・・。 核兵器が世界にその姿を見せて60年以上が経過していますが、唯一落とされた国家としての位置付けを持つ日本と言う国の、核に関する反応はアレルギー反応に近い拒絶を見せます。 しかし、実際戦後の広島でどんな事が行われていたか、知らない人が殆どではないでしょうか? 『ABCC』という単語を見て、ピンと来る人が居ますか? ABCCというのは Atomic Bomb Casualty Commission の、頭文字を取った略語で、和訳すると『原爆傷害調査委員会』となります。 戦後に進駐軍としてアメリカ軍が乗り込んできました。 そして、広島にこの施設は作られました。地名で言うならば比治山という小山の上に建っている施設で、現在は広島現代美術館やABCCが再編されて作られた放射線影響研究所があります。 私が子供の頃にこの存在を知った時、得体の知れない存在としてどこか怖さを思わせる存在でした。 そして、この記事を書くに当たって、改めて自分なりに調べて見ましたが、ウィキペディアでもハッキリした事が分からないという状態でした。 私の知っている知識では、あくまでも『研究・調査』が主目的であり、医療行為を行わないという、謂わば『実験場』としての存在であると言うこと。 詳しくはこちらにまとめてありますので、是非ご一読を・・・。 戦後60年以上経った今でも、その設置目的や実態が見えないと言うのは異常です。 今日の平和宣言で、『あの』秋葉市長が嬉々として朗読をしていましたねぇ・・・。 『オバマジョリティー』 なんていう馬鹿げたフレーズでしょう。 確かに今、オバマ大統領はプラハでの演説を踏まえた上での核廃絶を目指しています。 しかし、その大統領本人はおろか、アメリカの関係者は今回の式典に参加していません。 これは核廃絶と『ヒロシマ』で起きた事の認識はイコールではないという事に他なりません。 それなのに『広島市長』殿は一生懸命その大統領に媚を売って尻尾を振るのです。 そもそも、核兵器を実戦で使った唯一の国であるアメリカが核を云々言うというのは滑稽の極みです。 アメリカは既に終わっている戦争を意図的に引き伸ばし、日本人を使って『実験』したのです。 どんなにそれを美化しようとしても、やった事と、その後にやって来た『ABCC』の存在とがアメリカのヒロシマに対する見方を如実に示しています。 原爆はドイツにも使われる可能性がありました。 しかし、使われる事はありませんでした。 同じ白人に対して使う事を躊躇したのでしょう。 もし、日本人が同じ白人であったならば核の炎が日本に渦巻く事はなかったとする説もあります。 つまりは人種差別の意識があればこそ、日本に落とせたのです。 そんな国の言葉を使って最後にスピーチしたこの屑市長は万死に値します。 凡そ恥を知らない人間、そして被爆者の心情に何一つ沿わない最悪なスタンドプレーです。 この人は何を見て、何を目指しているのでしょう? 同日、被爆者に対する全面的な補償についての先鞭が付けられました。 民主党に言わせればきっと『人気取り』となってしまうのでしょうが。 日本人ほど平和と核不拡散を叫ぶ民族も珍しいですが、その実態を殆ど知らないままに叫んでいると言うとても不思議な国でもあります。 ニュースの扱いも年々ぞんざいになる中で、いずれヒロシマでさえも原爆について知らない人が出てくるかも知れません。 マスコミも目新しくも無い『原爆の日』など如何でもいいのでしょう。 その内取り上げさえもしなくなるのではないでしょうか。 日本人の叫ぶ平和と内実の無い空虚な論拠。 何となくダメという曖昧さ。 知る努力を怠る人に平和と戦争を語る資格はありません。
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市長の平和宣言、生で聞きました。
時代と世代が変わり行き、形になり始めた今、
日本人には他国の大罪を世界に公言する
権利も能力も、なくなりつつあるのかもしれません。
数年前までは、TV全局が生中継してたのに
今はNHKでさえ半分まで。
時代の宛にて悦を詠もうとも
観るは足許 我は木偶なり
2009/8/6(木) 午後 11:58 [ ぬの ]
nakide5150さん、初めまして。
平和式典に参加されたのですね。お疲れ様でした。
一昔前では会社もその日だけは半ドンで終って、今日という日を考える時間を作ろうという風潮がありました。
広島のローカル局であっても、平和式典を最後まで放送していたという記憶はありません。
歴代の広島市長にとって、一世一代の花舞台・・・単なる自己アピールの場に成ってしまっている事を、広島の市民や県民の多くは苦々しく思っているのです。
権利と能力の欠如は、正に知らないという事実から立脚するのです。
今の政治と同じように。
生き証人という位置付けの人が減っていく事と、関心が風化してしまうことには歯止めは掛かりません。
ですが、こうして表現する中で、一人でも記憶して覚え、そして知る事でその人達の思いは生きるのです。
資料館の悲惨さだけを思うのではなく、どうしてこんな事が起きたかと言う事を少しでも知って頂けたら嬉しいです。
コメントありがとうございました。
2009/8/7(金) 午前 0:26
Quattroさま、
現実に大戦にかかわった世代の人々が 次第に幽明境を異にして行くなか、その世代の人々でも 全員が正対したわけではなかったかも知れない、この原爆の事実戸その理由を確認せずに、
いま 時間だけが流れ去って行く気が致しますね!☆
私の父は徴兵を免れたギリギリの世代だったのですが、父の兄は戦死しました☆ 原爆でではありませんでしたが、大戦末期、
終戦の本当に直前で亡くなったのでした☆
生き証人もいなくなり それを語れる人も少なくなった今
その世代の人々の死が無意味なものとされるような考えや 行動が幅をきかせてきており そののちに来るものを怖れます☆
これは 戦争を経験した、しないに関わらずですが、
ものごとから目をそらさず 正対する、見るべきものを見る
ということが意識されなければなりませんね!
市長さんのアピールはたまたま テレビをつけていなかったので見ませんでしたが、儀式と その中途半端な放映の中で何かが かき消されてしまうことは恐ろしいことです☆
ポチポチポチポチポチポチポチポチッッッッッッッッ☆
ねこみみ ☆
2009/8/7(金) 午前 0:58
おはようございます。
日本で戦後が終わったといわれてどれほどの時が過ぎたのでしょうか。アメリカ初めいわゆる戦勝国は東京裁判で日本を一方的に裁きました。しかし、国際条約を無視し、無辜の市民を無差別に虐殺した米国をいつ裁くのでしょうか。大統領が誰であろうと、アメリカが考える核廃絶はアメリカ以外の国の核廃絶です。
日本の回りには核が一杯です。しかも、彼等は国内にあっては反日感情を国民の植えつけるために歴史すら捏造しています。核は不拡散ではなく、拡散の方向に向っています。それは中国が米ソ英仏だけに核の独占を許さないとして国民の生活を犠牲にしてまでも強引に核開発し、今核大国にまでなりましたが、米国初め誰も制裁することは出来ません。インド、パキスタン然りです。そして、やがて北朝鮮、イランが核武装するでしょう。
核は使うことが目的ではなく、使うかもしれないぞ、使う意思があるぞ、という外交手段なのです。勿論最悪の場合にはボタンを押す決意をしていなければなりません。
日本の似非平和主義者は現実を知らない夢売る欺瞞者です。
2009/8/7(金) 午前 10:33 [ mana ]
猫耳さま、コメントのお返しが1ヶ月も滞ってしまいました。
申し訳ありませんでした;;
戦争を語る時、悲惨さと犠牲しか教えてこなかった事が今の歴史・・・特に大東亜戦争を語る時に画一的なものにしてしまっています。勿論そうした面もあるのは間違いありませんし、私自身が今戦争と直接的には無縁で居られる事に感謝しています。
しかし、そうした面だけではなく、あの戦争で起こった事は本当に悪だけだったのかという事をキチンと総括する義務が後世の私達にはあると思います。
そして、この原爆については最早『戦争』ではなく、一方的な虐殺であるという事実を認識する必要があります。
この後、この市長は『オバマジョリティ音頭』なるものを作ると息巻いていました・・・片一方ではサッカー専用スタジアムの建設をムダ金だと反対する一方で、『折り鶴保管庫』とこうした訳の分からないアピール活動には血税を使うのです。
流石は社会党の残党だけはあります・・・。
2009/9/6(日) 午前 10:14
manaさん、コメントのお返しが一ヶ月以上も放置してしまいました。
本当に申し訳ありませんでした;;
所謂『東京裁判』と呼ばれる極東裁判。これは公開リンチ以外の何物でもありません。戦争犯罪とは加害者とされる側だけにあるのではありません。ましてや事後法で事を裁くなどあってはならないことです。
元々アメリカはあらゆる方法を駆使して日本との戦争を望んでいたのです。大多数の中立主義を尻目に・・です。
今の国際情勢をキチンと見つめれば、今の平和が如何に薄氷の上にあるかという事が分かる筈です。地続きではない日本という地政学上の特性もあるのでしょうが、国境を接すると言う概念やいつ他民族が攻めてくるかと言う緊張から殆ど無縁であり続けられるのも日本海があってこそです。
しかしそのアドバンテージもミサイル一発で今の時代ではあっさり破られてしまうのです。
原爆の日を、単に『自虐史観』で彩るのではなく、本当の意味での平和実現の為の努力を誓う日にしたいものですね・・・。
2009/9/6(日) 午前 10:20
私の子どもの頃より 原爆の日や終戦の日について テレビで見かける事は 少なくなったと思います。
私は <敗戦> ではなく <終戦> 派です。
2009/9/6(日) 午後 6:58 [ 文通 ]
文通さん、コメントが遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
毎年毎年お盆の頃になると、必ずと言って良いほど『火垂るの墓』がTVの電波に乗ります。
しかし、それは単に惰性で流しているだけで、問題提起をする訳でもなく、ただただ『可哀想だ』という感情だけを刷り込んでいます。
でも、中身の無いものを垂れ流しても何も伝わらないのです。
8月15日を『終戦記念日』とTVは伝えます。
何がおめでたいのでしょうか?
あの戦争が何だったのか、そしてその中で一体どれだけの人達が血を流し、犠牲を払ったのか。それを『記念』するとはどういうことか。
『祈念の日』であるべき日を故意に貶めていると私は思います。
2009/9/21(月) 午前 11:41