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明日の参院選のために。

ルソー「社会契約論」(=「政治の諸原理」*)第3編15章「代議士について」抜粋。

フランス革命前の絶対王政期1762年の文章だが、案外今日的だ。

中公「世界の名著」版、1966年、平岡昇責任編集・井上幸治訳より。(rac補足)
*「Du Contrat social, ou principes du droit politique」;第2編12章では主権者と国家の関係を規定するものが、droit politiqueとも基本法ともいうから今日的には「憲法の諸原理」との訳でもいい。
公共の責務(政治と読み替えていい)が市民たちの主要な仕事でなくなり、彼らが自ら身をもって公共(政治)に奉仕するより、なるべく財布で奉仕したいものだと考えるようになるとき、国家はすでに滅亡に瀕しているのである。

戦場に赴かねばならないときに、彼らは軍隊に金を払って、自分は家に残っている。会議に出なければならないときに、代議士を任命して、自分は家に残っている。怠惰と金のおもむくところ、ついに彼らは兵隊を雇って祖国をその奴隷と化し、代議士を選んで国を売るに至るのである。
立派に運営されている都市国家では、各人が集会へ飛んでいくものだが、悪い政府の下にあっては、誰もそんなところへは一歩も足を向けたがらない。なぜなら、そこで行われていることに、誰一人関心を持つ者はいないし、またそこでは一般意思(人々の理想的合理的意思、と読んでいい)が重きをなさないことが初めから分かっており、結局煩雑な家事(優先)のために、すべて(政治)は捨てて顧みられなくなるからである。

良法はいよいよ良法を生み、悪法はさらに悪法をもたらす。ひとたび誰かが国事(政治)について「おれの知ったことか」と言い出したら、国家の命運はもはや尽きたものと観念すべきである。
主権は代表されえない。その理由は主権は譲渡されえないのと同じである。主権は本質的に一般意思(人々の理想的合理的意思)の中にあって、しかも一般意思は決して代表されえないものである。一般意思はそれ自体であるか、さもなければ別物であって、その中間はありえない。

だから、代議士は人民の代表者ではないしまた代表者足りえない。彼らは人民の委託人に過ぎず何事も最終的に決めることはできないのである。人民が親しく承認しなかったような法律は、すべて無効であり、決して法律とは言えない。

イギリス人民は自由だと自分では考えているが、それはとんでもない誤解である。彼らが自由なのは、議会の構成員を選挙する期間中だけのことで、選挙が終わってしまえばたちまち奴隷の身となり、なきに等しい存在となるのである。イギリス人民が自由を許されたこの短い期間中でも、その自由を行使する仕方をみると、これでは自由を失うのももっともだと思われる。
上記抜粋最終段落、↓繰り返す。

イギリス人民は自由だと自分では考えているが、それはとんでもない誤解である。彼らが自由なのは、議会の構成員を選挙する期間中だけのことで、選挙が終わってしまえば、たちまち奴隷の身となり、なきに等しい存在となるのである。イギリス人民が自由を許されたこの短い期間中でも、その自由を行使する仕方をみると、これでは自由を失うのももっともだと思われる。

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それでも英国人の主権者意識は日本人のそれとは桁違いに高い。
いや、日本人の主権者意識が桁違いに低いのか・・・

2016/7/9(土) 午後 10:14 [ MM21s ] 返信する

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この抜粋を紹介してくださったお陰でとても助かりました。
ありがとうございます。 削除

2016/11/23(水) 午後 7:58 [ SW ] 返信する

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