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健康についてさんざん話をしたので、ここではそこでわかった医療の話について言及したいと思う。
筆者は、原因が良く分かっていない病気について、2年あまりの月日を費やした。
回った医療機関も当然多く、最初にだるくて検査してもらった町医者以外は、すべて大学病院などの特定医療機関である。
歯科/耳鼻科/内科/整形外科/リウマチ科/脳外科/脳神経外科/膠原病科/口腔外科/精神科/精神内科と、科だけでも多岐に渡る。
その内、内科や脳外科などは複数だ。
早く治したい一心で、とにかく手当り次第にかかってみたのだが、結果的に自力で原因を内定し、治したことになる。
結果的には、そういった経緯があったからこそ、原因ではないか、と思うものを突き止められたので結果オーライとも言える。
しかし、一般的には、この過程でへこたれてしまう、金銭的に辛くなると言うこともあるだろう。
このたらい回しとも言える状況に陥るパターンは、わかりやすい。
例えば内科にいく。
症状は、「だるい/体中が痛い」などを訴える。
まず、血液検査をする。
お医者さんはこの段階で、内科にまつわるこの症状を呈する病気を、患者には言わずに内定している。
そのいくつかの内定している候補について検査をおこなって、それにヒットしないとネタ切れになってしまう。
すると、異なる科を受けることを勧めるか、受診しているところではわからないと言うか、ストレスですね、で終わる。全部を言う場合もあるし二つだけと言う時もある。
当然、異なる科を受診した方がいいだろうと思うから、紹介状を書いてもらい、また振り出しに戻る。
こうして、たらい回しの構図から逃れられなくなるのだ。
東京慈恵医大の創設者であり、明治時代、近代医学の発展に尽力した宮崎出身の高木兼寛氏と言う偉人は、次の言葉を残している
『病気を診ずして、病人を診よ』
http://www.miyazaki-c.ed.jp/himukagaku/unit/hito_04/page2.html
http://cyberkidsclinic.blog51.fc2.com/blog-entry-258.html
お医者さんは、現場で患者を診たり、医療の発展の為に研究していたりする。
お昼ご飯も食べる時間が無いほど、絶え間なくやってくる患者の為に、大変な労苦を強いられていると聞く。
そうして、病気だけを機械的に見るようになってしまうのだろう。
お医者さんの心構えの向上を説くだけでなく、医療の現場のシステムを見直さないと、誰も幸せになれないような気がする。
知っている範囲で当て込んだ病気にヒットしなければ機械的な流れを乱すから、そういう患者はお帰り願う。環境に余裕が無いから、そうなるのだろう。
多くのお医者さんは患者を治したいと思っているであろうが、山ほどの患者を間断なく受け持つことで一人ひとりの患者の存在は小さくなってしまう。
お医者さんには歯科以外、受け持つ科を限定する免許になっていない。
お医者さんが自由な意志で、好きな科を専門にすることができる。
当初、これが不思議であった。
よくよく聞いてみると、病人を診る為には広く全人的医療を心がける必要があり、それ故、あえて、専門の科の免許を設けてない、と言うことなのであった。
つまり、得意分野以外に総合的に見る目が無いと、医療と言うものはわからないから、あえて専門の科免許を設けない、と言うことであり、専門しか見ない免許にしてしまうと、自ずと専門外の診察を法的に禁じてしまうことになるからだ。
しかしながら現場は全くそういう風にはなっていないのを肌身で感じてしまった。
どこかの医療機関と言うわけでなく、あちこちで常態的に異なる方向に走ってしまっているわけだ。
これでは、検査等でわかりやすい病気(ヒットしやすい病気)に罹患している患者はベルトコンベアに載せやすいけれど、わかりにくい病気になったら即、捨て置かれる、と言うことになってしまう。
そうして誤診や不適当な治療で、対症療法のみを施されている患者は、少なくないと思う。
対症療法とは、頭が痛いから頭痛薬、と言うような投薬治療で、原因を取り除いていないから根治しない→また投薬→薬に耐性をもつ→薬が効かなくなる→より強い薬を投薬→副作用等で苦しむ、といった流れになってしまいがちだ。
患者の中には、思い込みで病いになっているような方もおられる可能性はある。
少なくとも医療情報の多い現代、恋の病い以外に何らかの病気を思い込み、検査しても何もでないと言うケースもあるだろう。
検査になにもでないと、そういうケースと混同されてしまうのだ。
知り合いのケースを紹介しよう。
友達の写真家は、利き目の若年性白内障を患い手術した。
簡単なはずの手術は不幸にも失敗し、彼は視力のほとんどを失ったばかりか、鈍痛が激しく、痛みに長年苦しんだ。
およそ6年に渡り、苦しんだ結果、仕事もままならない状態になり、筆者と同じような境遇に陥った。
痛みがひかない為、常に痛み止めを飲んでいた。常態化した結果、痛み止めは効かなくなり、モルヒネパッチを腕に貼っているような状況であるから、仕事なんて手につかないわけだ。
6年の間、彼は藁をもすがる思いで、あちこちを回った。
しかし、最初の手術をしたところはもとより、どこでも全く治せなかったのだ。
たまたま筆者が白内障の手術で有名な某先生の写真を撮ることになったのは、昨年の夏のことだ。
撮影後にお食事会があったので、その先生のお弟子さんの先生にそれとなく相談してみると、是非見せて欲しいと言うことになり、紹介した。
そうして、昨年末、筆者の手術の2週間ほど前に手術を受けた。
驚くべきことに、わずか数時間の手術で、彼は完治してしまった。
後発性白内障と診断された彼の病名は、それほど難しくないものであると、先生は言う。
しかし、その難しくないはずのものを世界中のあちこちで診察し、6年も患ったのはまぎれも無い事実なのである。
今現在彼は、バリバリ仕事をしながら、モルヒネに蝕まれた体を養生している。
長年の投与で強い副作用に見舞われているのだ。
名医だから治ったのか?
それは否定できないが、しかし、筆者に起きたのと同じ状況、症状から当て込んで調べて、わからないから放置する、放置していると思われたくないから痛み止めを処方するというパターンであったのではないかと思う。
ほぼ同じ時期に運命的な神の祝福を受けた我々は、健康を取り戻せたことを本当に感謝している。
病気にならないで済むならそれに越したことは無い。
同時に、病気にならないでいられることは奇跡とも言えることなのだ。
健康一番♪ 続きは次号。 <六>
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この前はどうもありがとうございました。
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2008/5/1(木) 午後 4:04 [ みさき ]