楽塾

「あそびを学び 、まなびを遊ぶ」新しい学校の冒険です。

11年度本授業

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2011年4月からの楽塾の冒険日記
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11年度楽塾授業参観39

第39回目の授業が終わりました(通算151回)


さようなら11年度の授業
 2011年度楽塾授業の最後である「さよなら2011年謝恩会」が修了しました。この日、年に一度の塾生と応援団の交流で幕を閉じることになります。そして、来年度の楽塾は4月7日から始まります。
 2011年度は、東北大震災が私たちにも大きな動揺を与えました。塾生たちから義援金を頂き青森県八戸市に送ったこともありました。岩手県出身の塾生家族の生存確認のために、官公庁や民間などの救援ネットを使って必死に探したことも。そんな時期、豊中と萩という環境や文化の違う地域での楽塾が生まれました。3校それぞれの違いや個性を見つめながら、1年があっという間もなく過ぎ去り、忙しくなったぶん作業に追われる状況になっていきました。楽塾は実験の場としてどんな問題にも答を保留し、新鮮さを持ち続ける努力をしてきました。そして、これからも仕事を追う体勢を作っていくようにしなければと自戒しています。
 2012年度授業は3月の春休みを待ち4月から始まります。地域で生きる楽しさを語るゲスト、自分たちの命を見つめ学びを語るユニークなゲストたちが、楽塾に登場します。新しいカリキュラムをご参考にしていただき、興味があれば塾生たちとご一緒していただけると嬉しいです。
                         2012年2月27日 塾長
<2012年2月25(土)>
●テーマ:さようなら2011年度楽塾謝恩会
●日 時:2月11(土)18:30〜21:30
●場 所:ベッラ・ファーべ(元ビアン) 
●参加者:26名(塾生・応援団)
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<さようなら2011年度楽塾謝恩会>
謝恩会の開会
 開会時間を10分遅れてスタートしました。塾生のT君が、1年間にお世話になったゲスト応援団へのお礼を述べながら「開会宣言」(ちょっと支離滅裂でしたが)をし、11年度の謝恩会が始まりました。進行役の田岡君が仕事で遅れていたので、私が先ずは開会の挨拶をします。昨年開校した豊中校、はぎ校と一挙に増えた楽塾のこと、今回の謝恩会で通算151回となること、本年7月には楽塾が5歳を迎えることなどを話し、たくさんの応援団の激励のおかげさまを感謝しました。
 塾生のY君が乾杯の音頭を取り(かなり嫌がっていましたが)、19時に祝宴が始まりました。この頃には田岡君が復帰し進行をお任せしました。
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ゲストの紹介1
 11年度西成校における授業は39回でした。ゲスト数は32名で、そのうち塾生やスタッフが複数の授業を受け持つこともありました。今回の出席ゲストは16名で、塾生、スタッフ(田岡・佐々木)の総数が10名でした。
 今回は、初めてバイキング形式での立食パーティーだったので、中央に設定された机の上には献立が並んでいきます。参加者たちが食事をしはじめ、歓談のなか田岡君がゲストの紹介を告げました。
 ゲスト紹介の前半は、前山さん(僧侶)、平川さん(大阪市立大都市研究プラザ)、寒川さん(大阪市立大院生)、園田さん(A´ワーク創造館)、松井さん(映画宣伝プロデューサー)、仲間さん(リバティー大阪学芸員)、藤原さん(空手サークル長橋育勇会)の8名の方が、それぞれの自己紹介や、ゲスト当時の楽塾への印象を話していただきました。
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修了証書・卒業証書・感謝状
 このあとゲストとして参加いただいた(株)ナイス社長から、楽塾への印象や、これからの夢、現在ナイスが進める事業への紹介を話していただきました。そのあとは塾生や卒業生への証書授与式が行われます。
 先ずは2011年度塾生の「修了証書授与」でした。今年度は皆勤賞がなく(T2さんが38回目に惜しくもダウンして欠席)残念でした。また、M君が直前で体調不良を起こし欠席し修了証書を渡せなくなりました。M2君は「年に1回の謝恩会のみに出席し、本年もその意志を貫いた」ことに修了証書が授与され、会場が大笑いとなりました。本人いわく「勉強は面白くないが飲み会ならOK」だそうです。
 ついで卒業証書の授与です。生活保護から脱し正式就労したN君は、しばらく休塾していたのでしたが、私はそれを卒業と理解し、N君には卒業証書を渡したいので、今回の謝恩会には出席してほしいとお願いしていました。N君は「仕事が大分慣れて落ち着いてきたので、これからはまた楽塾に行きたい」といってくれました。やはり常勤に着いたもうひとりの卒業生K君は、突然の用事で来れなくなり、近日中に渡すことにしました。二人とも「くらし応援室」から巣立った就労者であり卒業者なので、楽塾の誇りを感じています。
 そして最後の授与は特別感謝状です。長年楽塾に貢献していただいた人たち、或いはグループに感謝の心を伝えるためのものです。今回は昨年にひき続き前山僧侶(11年度楽塾への数回のゲスト出演、および寄付寄進などの感謝から)と、空手サークル長橋育勇会の藤原さん(4年間の長きにわたる塾生へのスポーツ振興に感謝)に送られました。
 授与式の後は塾生諸君の自己紹介です。参加者たちはゆっくり食事に、お酒に歓談を楽しみましたが、T君などはもうかなりの出来上がり加減で、大声を張り上げながら大騒ぎをしています。
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ゲストの紹介2
 18時頃から後半のゲスト紹介が始まりました。(株)ナイス各部門からさまざまな仕事を紹介してくれた川上さん(リフォーム部門)、錦さん(介護用品チャレンジド部門)、竹中さん(地域開発部門)、藤村さん(ナイス薬局部門)、沖田さんIT事業部門)の皆さんたちに、坂田さん(A’ワーク創造館)、川口加奈さん(NPO homedoor代表=大阪市立大学学生)ら8名が、自己紹介や楽塾とのコラボレーションについて話していただきました。
 そして、塾生たちがこれからのビジョンや夢を語ってくれましたが、T2さんの言葉が胸に残りました。以下はT2さんのお話です。
 「残りが少ない人生なので、身辺整理をしているところです。いつ何時どうなるかもわからないので、後悔の無い人生を生きたい」。T2さんは私たちにとって大先輩であり、塾生ともども敬愛されている人なので、そういわずに人生を楽しんでほしいと思いますが、先日T2さんの消息が一時不明になる事態には本当にびっくりしました。探し当てて無事だった時は、私も田岡君も真からほっとしたものでした。そんなこともあり、これからもT2さんの健康を皆で祈りあいたいと思っています。
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ゲストからの意見
 寒川さんから質疑がありました。「現在楽塾が3つある中で、さまざまな課題があると思うが、どんな対応をしているのか」と言う趣旨だったように思います。これに対し、私は「3つの楽塾は、それぞれに違った場所、文化性の違いがあり、共通性のある部分と無い部分がある。緊急で必要な問題は対応していかなければならないが、時間をかけて3つの楽塾それぞれにこたえていきたい」と話しました。
 そして、最後は田岡君が「来年度は事務局長を降りて、塾生として参加するようにしたい。楽塾が佐々木個人に大きく依存している部分があるので、若い人で、楽塾を引き受けてくれる人たちが現れてくれればありがたいです」と、励ましてくれているのか、楽塾から遁走しかけているのかわからないようなコメントをくれました。

 T君や平川さんが修了旅行で仕入れた五條市のテーマソングを歌って盛り上げてくれたり、前山さんが生前葬の宣伝をしてくれたりと、2時間あまりの謝恩会は瞬時に終わりを告げてしまいました。ゲストの方たちには、ひきつづき今後の楽塾への応援をお願いしながら、お別れの時間を惜しみました。時計は21時の半ば近くを指していました。
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<2012年4月7日(土)の予定>
 四井さんは、関西を中心とした大学や研究機関等の研究補助(ヒアリング・調査資料作成・翻訳・学会や研究会の運営サポート等々)を行う会社のボスです。また都市問題などにもかかわり、地域の街づくりやイベントのサポートなども積極的に応援しています。私たちが2007年まで発行していた野宿者新聞「なにわ路情」などの編集にも関わっていただきました。人々の周辺にはさまざまな情報が飛び交っていますが、四井さんをゲストとして情報とは何かを考えてみます。
●テーマ:情報のいろいろ
●ゲスト:四井恵介((有)地域研究アシスト事務所)
●日 時:4月7日(土) 
●場 所:三星温泉地階交流室

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11年度楽塾授業参観38

第38回目の授業が終わりました(通算150回)


通算150回目の楽塾
 この日は楽塾が開校して、通算150回目の授業日でした。一度の休みもなく、よく続けてこられました。楽塾にかかわる応援団や塾生諸君に感謝いたします。ありがとうございました。
 とはいいながら、今夜の授業を休みにするべきだったのかもしれないと思いました。旅の疲れとか、インフルエンザで倒れた人もいました。この日の楽塾参加者は塾生が三人と研修生の二人に私の六人でした。その上、今夜はゲストが突然の急用で残念な日だったのですが、来期に順延して来塾していただきます。楽しみに待ちましょう。
 そこで今夜のひと時を、映画の上映にあててみようと考えました。上映フィルムは昨年封切りされた邦画作品「大鹿村騒動記」で、私は上映当時見逃していたので、昨年暮れに発売されたDVDを購入していました。ところが買ったまま忙しさでなかなか見る機会がなく、この機会に、それを塾生と一緒に見てみようと考えたわけでした。
                         2012年2月13日 塾長
<2012年2月11日(土)>
●テーマ:映画上映会
●日 時:2月11(土)18:30〜21:30
●場 所:三星温泉地階交流質 
●参加者:6名
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上映会
 この映画は、実際に存在する信州大鹿村で、300年の伝統を守り、村歌舞伎を演じる男が主人公。妻を寝取られ「ディア・イーター」(「ディア・ハンター」ではない)という飯屋を経営する独身者です。その妻が18年ぶりに帰郷してくる。ただし脳の病気を患って。主人公たちのてんやわんやが村に波紋を広げ、そうこうするうち伝統の歌舞伎公演の存続が危ぶまれる事態となっていきます。しかし公演日はもうそこまで来ている。主人公を中心に、街からやってくる性同一障害の若者、村の商店主、バスの運転手、村役場の職員らが入り乱れての、いわゆる群像劇となっています。また正統歌舞伎には見られない、荒々しい歌舞伎の原型ともいうべき芝居を演じる俳優たちや、また昨年亡くなった俳優で主人公を演じる原田芳雄さんの味のある芝居に拍手を送りました。私自身は、この作品を撮った坂本順治監督や原田さんが大好きでしたが、塾生のT君も原田さんが好きで、しかもこの映画を封切り時に見ていたと聞いていました。
 この映画で、「仇も恨みもこれまでこれまで」という、大鹿村に残る歌舞伎の一場面に使われるセリフを、歌舞伎の劇中に原田は見栄を切って語りますが、この言葉は芝居と現実をつなぐ重要なモチーフとなっています。人と人との回復をめざす映画ともとることができました。
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給食
 今夜は研修生の青年たちも来ていて、上映の前後では多忙な作業をしてくれました。休日でもあり、給食がお休みでしたので、彼らと一緒にスーパーへ弁当を買いにも行きました。和久さんから送られてきたスイートで少しスッぱい八朔(はっさく)を皆に配って、美味しく頂いたのです。
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<2012年2月25日(土)の予定>
 2月18日(土)の第39回楽塾授業は、インフルエンザ予防のため緊急休校することになりました。ご了解ください。それに伴い第39回目楽塾授業は2011年度最後の「謝恩会」となります。既にご連絡をお伝えしていて、まだ参加の可否を頂いていないゲストの方のお返事をお待ちしています。
●テーマ:さよなら2011年度楽塾謝恩会
●参加者:塾生・応援団
●日 時:2月25日(土)
●場 所:ベッラ・ファーべ(旧美庵)

ベッラ・ファーベはこちら↓
http://bellafave.com/

*謝恩会について
 11年度の謝恩会は「楽塾本校」の授業担当ゲストの方々および塾生諸君を対象とさせていただきました。「楽塾とよなか」および「楽塾はぎ」を含めた三つの合同謝恩会となりますと、塾生やゲストの参加数が大幅に増え、キャパシティーにも限界が生じます。やむなく従来通り「楽塾本校」のみを謝恩会代表とさせていただきます。今後は個別に考慮していく問題であると考えていますので、本校以外のゲストおよび塾生の皆様には、なにとぞご理解のうえご承知をお願い申し上げます。

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11年度楽塾授業参観37-後編

第37回目の授業が終わりました(通算149回)【後編】

中編はこちら

<2012年2月4日(土)〜5日(日)>
●テーマ:第4回修了記念旅行
●日 時:2月4日(土)〜5日(日)
●場 所:奈良県橿原市今井町→吉野山・金峯山寺蔵王堂→吉野朝皇居跡→五條市新町通り→和歌山県高野町高野山恵光院→奥の院→金剛峰寺→岩出市根来寺
●参加者:19名

奥の院を散策
 バスのドライバーには、11時ごろ「中の橋」のターミナルで待機してもらうようにお願いし、私たちは恵光院から直接徒歩で奥の院を巡ることにしました。一の橋の御手洗では清めの水が凍っていて氷柱になり、みなが歓声をあげていました。ここ深山幽谷には二十万基という墓石が納められているそうですが、雪に包まれた墓石や慰霊塔、供養碑などの居並ぶ単色の景色が素晴らしく、うっそうとした老樹齢の杉林の緑がわずかな色彩を強調しています。何処から見ても遠近のある冬の高野は美しいと感嘆しました。
 子どもたちが雪の墓参道をすべり、ひっくり返り、笑い、嬌声をあげながら、後方から私たちを追いかけてきます。墓石の陰に隠れて彼らをびっくりさせるのも大人の役割です。そんなことをしていたので大事なカメラを雪の中に落とし、レンズに湿気を含んで雲ってしまい、帰阪寸前までモニタ−の被写体にくもりがついていて困りました。
 ここに眠るお墓は有名な宗教家、武将、商人、企業家、芸能人と多士済々なのですが、私たちに近い無名人たちの墓石はほとんど見ることができません。ここは権力と経済力だけが支配するいわば虚構ともいえる聖地だと考えます。それは累々と屍を費やし無名の人たちを犠牲にしてきた聖地でもありましょう。明治新政府の廃仏毀釈を高野山では実施されなかった、という川浪さんの話も理解できました。
 私はそれを否定ではなく、千数百年の歴史が支えてきた連綿とした文化への受容こそが、後世の人たちの美しい霊場体験につながることだと思いました。
 奥の院では皆がバラバラで行動をしていたため、集合時間を多少過ぎてからバスは発車しました。商店筋でみやげ物を買いながら、高野山真言宗の総本山「金剛峰寺」に参拝し、バスは11時30分に次の目的地に進みました。高野山を離れる最後の場は「大門」でした。最初の日は多くの参加者が眠りこけていたため「大門」を見ることができず、帰りにはバスを止めここで記念写真を撮りました。朱色の大門はくもり空を背景に堂々と起立していました。そうそう、バスがここから下山するとともに雪景色はゆっくりと視界から消えていきました。
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船岡山
 バスは国道480号をかつらぎ町方面に下り、笠田あたりで国道24号と合流します。ここから再び紀ノ川の流れを左に見て昼食処である「いろは」まで直行です。昨年、和歌山県を直撃した大雨は、紀ノ川にも被害をもたらしましたが、紀ノ川流域を走る私たちの目にも、沿岸部の荒れ具合や水流の濁りがその影響にあるのではと想像しました。
 予定通りバスは「いろは」に到着し、紀ノ川の中州に浮く船岡山が正面に見える部屋で、食事をとることができました。船岡山を中心に、紀ノ川の南側には妹山(いもやま)、JR和歌山線が走る川の北側には背山(せやま)がそびえます。万葉の伝説である「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」は、ここからの命名だと思います。「いろは」には一月前に予約をしていたことと、旅の途中から個別メニューを伝えていたので、比較的早く注文品が配膳されました。食事後のんびりお茶などを飲みながら、無駄話に余念がありません。この食事処には水槽があり、スッポンやヒラメなど珍しい亀や魚が泳いでいるのを見て、子どもたちがジッと観察しています。いや大人たちも同様でしたが。

根来寺
 バスは「華岡青洲(はなおかせいしゅう)」生誕地の那賀町を通過します。世界初の全身麻酔の外科手術をした青洲は、麻酔の実験台として自分の母親や妻に施しました。和歌山市出身の有吉佐和子の小説で有名です。このあたりで誰かがもう一度「五條のゴーカスター」を聞こうということになり、平川氏がCDを用意します。ところが今度は皆でこの歌を歌ってみようということになり、和久さんが「歌詞がわかりにくいので私がリードする」といって彼女が音頭をとり始めました。バスの中はゴーカスターの合唱になりました。が、やはり歌詞と音律に難しさがあって完璧に歌うことができませんでした。ブレイクというよりブサイクな結果でしたが、しかしなぜかわからないけれど、車中はちょっとしたシアワセ感が漂っていたのも確かでした。
 こんなことをしているうちに最終地岩出市「根来寺」に到着。ここで平川氏は急用でお別れです。真義真言宗という高野山の覚ばん上人が高野山を追放され、ここに開山した寺院ですが、鉄砲隊根来衆の拠点として有名です。高野山とは比べ物にならないぐらいに暖かく、上着を脱いで境内を散策しました。広大な敷地の西端に、これも勇壮な「大門」があり、二対の仁王さんが門前の”悪鬼たち”を睥睨(へいげい)していました。私たちは、岩出市「民俗資料館」前の駐車場に停めたバスを「大門前」に移動してもらい、ここから帰阪することにしました。森田さん、織田さんらはここでさよならします。
 予定よりも早く岩出市をスタートしたバスは、いつものラッシュにも会わず、無事大阪に帰ってくることができました。16時過ぎ、ひと時お別れしていた大阪と再開しました。
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<2012年2月11日(土)の予定>
 今週および来週の授業は、予定したゲストが都合で来られなくなりました。そこで2週連続でフリータイムとし、先ずは映画の上映を計画してみようかなと考えています。
●テーマ:無題 
●ゲスト:佐々木敏明(楽塾)  
●日 時:2月11日(土) 
●場 所:三星温泉地階交流室

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11年度楽塾授業参観37-中編

第37回目の授業が終わりました(通算149回)【中編】

前編はこちら

<2012年2月4日(土)〜5日(日)>
●テーマ:第4回修了記念旅行
●日 時:2月4日(土)〜5日(日)
●場 所:奈良県橿原市今井町→吉野山・金峯山寺蔵王堂→吉野朝皇居跡→五條市新町通り→和歌山県高野町高野山恵光院→奥の院→金剛峰寺→岩出市根来寺
●参加者:19名

五条市新町通り
 吉野を後にしたバスは予定より早く14時前には五條市内に入りました。五條市の新町通りは、江戸時代の17世紀初め、城下町の振興策として吉野川沿い出来た1キロほどの街道筋です。「新町通り」は先ほどの「今井町」同様古い町並みを見ることができますが、新町はどちらかといえば古さが残されていて、落ち着いた風情をもつ街道筋という印象です。何よりも懐かしさを感じさせるところです。それでも十数年前に来た時と比べると、やはり整備されつつあると感じました。あちこちで家屋の建て直しが進行中だったり、更地になっていたりする場所が目につきました。
 有名な「一ツ橋」の餅屋さんのお店のたたずまい、ユニークなロゴタイプを玄関に表示した眼科医、牛乳店のモダンな軒下看板、そして戦前に五条から新宮までの鉄道新線が計画されたにもかかわらず結局は断念され、一度も鉄道が走らなかったといわれている「五新線高架橋」跡など、見るべき歴史が多い場所です。
 私たちは、五條市が経営する「まちなみ伝承館」に入場しました.ここは新町の歴史や現在の話題を提供するインフォメーション拠点なのですが、五條市のPRソングであるCDを販売していました。しかもこの販売は本年の1月半ばということで、「この前やな」と塾生たち。「これまで誰も購入してくれず、まだ1枚も売れていない」と言うガイドさん。ところが、わが楽塾応援団の平川氏がなぜか買っているのです。何かサービス品をつけてもらって。「初めてのお客さんです」とガイドさんは嬉しそうでした。さあ、これがそのあと車中で大騒ぎになる火元になろうとは誰も知りません。
 私たちはバスが待つ「五條市立民俗資料館」まで、新町の家並みをゆっくりと眺めながら歩きました。この資料館は五條代官所でしたが、幕末に尊攘派である天誅組が焼き払った場所に建てられているのです。だからここに残されているのは天誅組の資料が大半です。資料館の前は公園になっていて蒸気機関車が置かれています。子どもたちはここが気に入り資料館に入らずにこの前で走り回っていました。15時過ぎバスは高野山に向かって走り出しました。和歌山県橋本市内を走る車中で、平川氏が「購入した五條CDをかけてみる」と言い、パソコンから音源を流し出しました。
 五條市には3つのマスコット・キャラクター(ゴーちゃん、カッキ−、星(スター)博士)がいます。2006年五條市・西吉野村・大塔村の1市2村が合併し、それぞれ自治体の特色をキャラクター化したものです・2011年には記念事業としてこれらのイメージソングを公募し、応募された歌詞をもとにして「GO!GO!五條のゴーカスター」が作られたのだそうです。
 ♪GO GO 五條のゴーカスター〜♪で始まるこの歌は、旧合併市町村の土地柄をカワイく歌ってバスの中では笑いが生まれていましたが、覚えるには少し時間がかかりそうです。まずはお披露目編として話題になりましたが、翌日は応用編になりブレークするのです。
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「Go!Go!五條のゴーカスター」http://youtu.be/gVgjqE_oOv0

紀ノ川流域を経由、いよいよ高野へ
 バスは和歌山県内にはいりました。和歌山県では吉野川が紀ノ川と呼ばれます。橋本市内を流れる紀ノ川に架かる橋本橋を渡り、高野街道に寄り添いながら、私たちの車は国道370号を学文路(かむろ)方面に走ります。塩市と船運で栄えた橋本市の三軒茶屋には渡船場があって、その名残の照明灯である大常夜灯篭が必見です。また高野街道には弘法大師ゆかりの井戸や高野の辻、西行法師ゆかりの六地蔵などが旅人をなごませ、楽しませてくれますが、これらもバス旅行の都合でカットしなければなりませんでした。
 学文路を過ぎた頃から、車中が静かになりだし、いつしか私も眠ってしまったようで、高野山の総門である「大門」も見ず、今夜の宿坊「恵光院」に着きました。ちょうど16時で、予定より30分早く到着です。目を開けると雪景色で本当に目が覚めてしまったのです。坊さんたちが廊下をかいがいしく行ったりきたりし、私たちのスケジュールや部屋割り、布団の配置などを一緒に確認し始めました。
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高野山恵光院
 16時30分から「阿字観」(座禅)の体験があり、楽塾は全員参加します。私たちは部屋に荷物を降ろし、広い宿坊の板間の廊下を踏み鳴らして阿字観道場に向かいました。他の宿泊者たちも次々道場に入場してきました。道場は20坪ほどもあるでしょうか。正面に吊り下げられている掛物には、まん丸い円の中に蓮の花が描かれ、その蓮の上にサンスクリット語で「阿」という字が書かれています。「阿」字は天地の誠だそうで、阿字観とは阿の一字を念ずることをいうそうです。そして静座(足の組み方が三通りある)し息を整え(調息)瞑想します。寒い部屋での30分間の行でしたが苦になりません。残照が寺院境内の雪をますます白く見せていました。
 17時30分からは食事の時間。精進料理が運ばれてきました。私たち専用の暖かい大広間で皆は大いにリラックスをし、空腹を補います。繰り返しご飯のお代わりを楽しんでいる人たちもいます。今日の幸福感を話す人もいました。子どもたちは旅を面白いといってくれました。食事が終れば自分たちの部屋に戻りますが、男どもは三室開放の部屋で、既に布団が敷かれています。女性軍は3グループがそれぞれ別部屋に設定。
 希望者に写経を体験してもらいましたが、総勢四人(男女二人づつ)と少なく、伊藤君は一人で完成していたのに、田岡君と平川君は一枚を二人で分担し、なおかつまだ3分の1が残されていたので私も参加しやっと完成しました。つまり一枚を三人で合作したわけで、これはあまりありがたみというか功徳など望めません。
 めいめいがグループごとに入浴に行ったり、子どもたちが突然乱入してきたり、津川さんが皆にマッサージをサービスしたり、女性たちがミーティングに入ってきたりしながら、高野山の夜は深々と更けていきました。明日の朝は本堂で6時30分から勤行があります。氷点下の世界です。冷たいうえに水を使うと切れるような痛さを感じます。
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<二日目―高野山から根来寺へ>
勤行、護摩祈祷
 6時過ぎには目が覚めました。静寂のなかで、寺院内のかすかな動きが伝わってきました。坊さんたちがたちはたらく音でしょうか。その音に宿泊者たちの起床のざわめきが合奏され、宿坊内が夜明けの知らせを伝えてくれました。
 6時30分。私たちは灯明と、雪の反射が明り障子を通してさしこむ光だけを頼りの、ほの暗い本堂に集まりました。朝の勤行にはおよそ60人が集まったでしょう。私たちと同じ宿坊体験者がこれだけいたのでした。いや、楽塾のメンバーのうち勤行には参加しない人もいましたから、宿泊者総数はこれ以上いたかも。ただ外部からの勤行のみの参加者がいるのかもしれません。
 住職の読経がはじまり、傍らで若い僧侶が繞(にょう=青銅製の打楽器の総称)を鳴らしはじめます。繞は、銅製の鍋蓋二枚を対にしたシンバルのような楽器で、それを重ねてジャーン、ジャーンと打ち鳴らすのです。すると別の僧侶が太鼓を連打しはじめ、本堂のすべてを覚醒させていきます。読経と繞と太鼓の追走が徐々に白熱していき、それはロックといってもいいぐらいに緊張と興奮を高めていくのでした。さて最後の住職講話は、天上の言葉であっても、私たち地上人にとり心が触れる現実感がなく、僧侶たちはこの天上世界で、閉じられた教学生活で生きているのだと思いました。阿弥陀如来、弘法大師、不動明王が居並ぶ堂内を一巡し見学したのですが、驚いたことは、本堂いっぱいに安置されている位牌群でした。いかにも豪華で立派で高価そう。しかも大小とりどりの位牌を見ていると、ここも経済原理が明瞭で、この地は、到底私たち凡俗が棲める場所ではないことがわかりました。つまり、涅槃、浄土の地に行くにしても階級的呪縛が厳然と立ちはだかっているのです。
 7時30分。場所を毘沙門堂に移し「護摩祈祷」を体験します。高野山の宿坊が多い中で、恵光院さんは毎朝護摩祈祷を行っているのが珍しく、私たちもこの行事に参加しました。護摩木に香油をふりかけながら、ゆっくり火に勢いをそそぐ住職の読経は般若心経です。随伴する僧侶が太鼓をたたき、ますます護摩木の火勢が大きくなり、それは堂内の冷気を退散させるための行とも見えました。護摩祈祷が終り、毘沙門天を本尊とする毘沙門堂内を拝観したあとは本院に戻り、いよいよ朝食を頂きます。時間はちょうど8時をさしていました。行とはつまりは仕事で、仕事をするから食事も美味しく頂けるのです。人間にはやはり仕事が大切だと改めて思いました。
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後編につづく・・・

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11年度楽塾授業参観37-前編

第37回目の授業が終わりました(通算149回)【前編】


高野の一夜
 11年度の楽塾授業もいよいよ大詰めとなり、その最大行事のひとつである修了記念旅行に行ってきました。一年に一度、塾生や応援団の人たちとより細やかなひと時を過ごす二日間です。残念ながら、旅行直前に突然の病気や怪我などで不参加もあり、これまでの旅では最も少ない人員となりました。しかし、昨年以上に子どもたちの参加者が増え、華やかで賑やかな珍道中を経験でき、満足度は最高という人もいました。例年のごとく、楽塾旅行にはすべての仕事を断っても参加するという市大の水内教授がマイクを握り、沿線のガイド役で旅に知を添える“道教え”(注)となって協力頂きました。
 旅行は、江戸時代の風情を残す奈良県橿原市内にある今井町、および五條市新町通りの町屋や家並みをめぐって散策したり、吉野山・金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂の剛健な寺院建築、それに南北朝時代に築かれた吉野朝皇居跡なども拝しました。吉野川に沿いながら九度山から高野山に入山し宿坊で一泊。阿字観(あじかん=座禅の意)、勤行(ごんぎょう)、写経、護摩祈祷などを経験し、翌日は雪の奥の院を歩きました。すべてが凍り冷たい朝でしたが、墓石に降り積もった雪が本当に美しかった。
 銀世界の高野山をあとに、悠久の紀ノ川沿いを、最終目的地である根来寺までひた走りして、楽塾の修了記念となる旅行を終えたのでした。
 (注)道教え:ハンミョウのこと。夏季の山道などで、人が歩く前をまさに案内するように飛び交う甲虫目の昆虫。体長2センチほどの多色彩のあるきれいな虫です。
                         2012年2月10日 塾長
<2012年2月4日(土)〜5日(日)>
●テーマ:第4回修了記念旅行
●日 時:2月4日(土)〜5日(日)
●場 所:奈良県橿原市今井町→吉野山・金峯山寺蔵王堂→吉野朝皇居跡→五條市新町通り→和歌山県高野町高野山恵光院→奥の院→金剛峰寺→岩出市根来寺
●参加者:19名
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<一日目―今井町、吉野から五條新町通り、そして高野へ>
大和三山をのぞむ今井町
 7時20頃、第一集合場所であるビアン前に到着すると、5人の塾生たちが既にバスに乗り込んでいて、第二集合場所の新今宮へは予定より早めのスタートとなりました。ここでも参加予定者全員がバスに搭乗し、19名の旅人を乗せて7時50分に発車。阪神高速から南阪奈道路を経て最初の目的地である橿原市今井町をめざしました。今井町はJR畝傍(うねび)駅、近鉄線八木西口駅から近く、町の南には畝傍山や橿原神宮、北側には耳成(みみなし)山や藤原京、そして東には天香具山など大和三山がのぞめる位置にあります。
 9時前に今井町に到着。「今井まちなみ交流センター」にバスを駐車して、いざ町並みを散策します。早朝の時間帯に到着したため、民家やお店がまだ開店していなくて、私たちは町並みの風景を眺めながらそぞろ歩き出しました。雪もちらほら降り出してきます。
 江戸時代初期の寺内町(じないちょう)今井のスケールは、東西に600m、南北に310mあり、環濠集落を築いて戸数1100軒(現在900軒。そのうち現在500軒の民家が伝統的様式を保っているという)、人口4千数百人(現在2304人)の富裕な町であったといわれています。自動車1台程度の車幅の路地が多く、各民家はよく整備されていて、江戸時代をまさに復元した印象です。今井町そのものが博物的建造物なので、必然的に観光景観にならざるを得ないと思うのですが、この種の町並保存地区を見ていると美観すぎて、少しばかり鼻白む気持ちにもなるのです。
 それでも、一向宗の拠点となる苔むした「称念寺」や、間口のだだっ広い玄関が全て格子の扉で統一された商店。或いは、味のある看板を持つ醤油醸造店の2階の虫籠窓(むしこまどー注1)はレトロモダンな雰囲気が漂い、軒下に杉玉(すぎたまー注2)をぶら下げた酒造店などにも遠くの時代を想像させてくれます。
 開店準備をしていたおじさんが、町行く私たちに説明をしてくれたり、家で漬けた奈良漬を大変安く売ってくれたりして、旅人たちを幸せな気分にさせました。また、早朝から来た私たちに「今井まちづくりセンター」のスタッフが、「今井まちや館」を案内してくれ、今井町の歴史や旧家の間取り、家族の生活などを説明してくれたのです。とくにこの町家の土間は、私が幼かった頃に、親戚の家で見た天井の高い土間やかまどとそっくり同じで、その頃の親戚の人たちをちょっと思い出しました。
 徐々に私たち旅団はばらばらになりだし、しかし最後は「今井まちなみ交流センター」前で止めたバスに合流し、今井町をあとに次の目的地である吉野山に向かいました。
 (注1)中二階などの格子窓の意匠を工夫したもの。様々なデザインを凝らす。
 (注2)杉の葉を束ねドッチボール大の球形にして、造り酒屋の軒下などに飾る。
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修験道発祥の地へ
 予定より30分ほど早く吉野山に到着。しかし「千本口駅」からロープウエイに乗る予定が出発した後だったので、そのまま中千本までバスで上り、私たちはここから「金峯山寺蔵王堂」まで歩くことにしました。途中に昼食予約を入れている「静亭」があり、ここで料理の準備を再度お願いし、金峯山寺への参道をゆっくりと歩きました。旅行客がほとんどなく、土産物店も戸閉じているか、開店していても消灯して内部が暗く、やはり吉野は桜を中心とした観光場所だと思ったことでした。
 蔵王堂はいつ見ても豪快な建物です。聖武天皇が建てた東大寺は、我国の木造建築として最大のものなのですが、この蔵王堂は東大寺に次ぐ二番目の大きさを誇るといわれています。7世紀ごろ役行者が金峯山を開山し修験道の総本山になったといわれますが、重要文化財としての仁王門は見ることができるのです。
 しかし、残念なことは平安時代に安置された蔵王権現像三体(怖い顔を持つ日本最大の仏像)が秘仏として非公開で、見ることができません。僧侶に尋ねてみると、本年3月後半から6月初旬までを開帳期とし公開するとのことでした。ここでは皆が神妙にお賽銭を投げ入れ、合掌しているのが可愛かったです。現在蔵王堂は「平成の大修理」を行っていて、建物の普請が始まっている最中でした。
 蔵王堂の西側は15mほどの谷状になって落ち込み、そこに降りる急峻な階段が設けられています。ここは南北朝時代に南朝である吉野朝廷皇居として、北朝に対峙する拠点でした。現在は「吉野朝宮跡」と称され後醍醐天皇の御座所でもあったのです。
 一瞬雪が吹雪き、全山に桜が散ったように見えました。あちこち桜の木がたくさんあり、ここは特別に春を待つところなのだと思いました。「吉野朝宮跡」は公園として整備されていて、建造物などは比較的最近再建された近代的建築のため、年輪を感じることは出来ませんでした。
 子どもたちが段々フレンドリーになっていく様子が面白いです。初めはなんとなく距離をおき、互いにつかず離れずしていたのが少しずつ寄り添っていく情景出、かく言う私たち大人も同じような行動をとっているのでしょう。子どもたちのそれを見ていると、私たちの縮小形を感じてしまいます。とくに親しくなった友との行動は大胆です。
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山上の昼食
 役行者が開設し、義経と静御前の伝説を生んだ「吉水神社」を参拝予定にしていたのですが、寒さのためか或いは空腹のためか、全員がその前を素通りしてしまいました。そして食事処の「静亭」に急いでいます。最後尾を歩く私もあきらめました。楽塾は、いつも予定を平気で変更するフリースタイルが信条なのです。
 「静亭」では、あらかじめ連絡しておいた定食類が次々に運び込まれ、中千本を見わたす見晴らしのよい部屋で昼食を楽しみました。食事後、お店から「葛もち」がデザートとしてサービスされたのですが、これが大変美味しく、みんなの評判も絶大でした。帰り際、私も含め多くの参加者が葛餅をお土産に購入していましたが、デザートのサービスが販売効果を生むというまさにお店の戦略を垣間見た思いです。しかし予約時や、その後のサービスも気持ちよく、おいしい食事ができるお店でした。
 13時に「静亭」を出発し、「千本口駅」駐車場で待つバスに乗るために、ロープウエイ終点の「吉野駅」までの15分ほどを歩きましたが、やはり旅行客はまばらでした。下山するロープウエイは満員でしたが、乗客すべては楽塾塾生と応援団で貸切のようなもの。この車両はすごい旧式で、走行中、時おりケーブルの結節点で大きな音がしたりして、その刺激で車内は興奮したり面白がったり、果ては幼児など泣き出す始末で、5分にも満たない乗車時間を大いに楽しみました。中でも一番楽しんでいたのは水内先生だったのですが。
 「千本くち」からバスに乗り込んだ楽塾全員は、ここからいったん西に折り返し、吉野川と併走する国道370号を五條市へと急ぎます。
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中編につづく・・・

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