今月末に1年半ぶりにワシントンDCを再訪する。
去年の4月に帰国し、2~3カ月はまだ体の皮膚の上にワシントンDCの空気が薄く薄くまとわりついていた。
肌がまだ日本に順応していなかったのだ。
僕にとっては、それが唯一のプライドであった。
順応しないことが安らぎでもあった。
そのまとわりついた空気のようなものが、愛しくて愛しくて涙が出た。
恥ずかしいな。
大の大人が泣くなんて・・
子供に偉そうなことなんて言えやしない。
微かにまとわりついている匂いのようなもの
その空気を必死で嗅ごうとした。そしてその空気がはがれないように
腕に顔を押し付けて目をつむると、まざまざとワシントンDC、ベセスダ、ロックビルの風景が蘇った。
蘇った風景は、しかし特別な風景ではなかった。
通勤途中にいつも飛び越えた、あのCogressional PlazaのRockville Pike沿いの溝だとか
アパートから道に出るところの芝生だとか
ツインブルックの駅の近くのモールの、ボコボコの道路のヒビだとか
そしてDogwood(ハナミズキ)の花の木漏れ日・・
そんな夢想から我にかえって
目の前の現実が眼前に現れて、そしてそのまとわりついた空気が希薄になっていることに愕然とした。
途方もない大きなエネルギーがはぎ取られたような気になった。
帰りたいな・・
そして僕は途方に暮れた。
ワシントンDCと言っても
決してキャピトルを思い浮かべるわけではない。
ホワイトハウスでもない。
ワシントンモニュメントでもない。
思い出すのは
その透き通るような広い青空と、その下の何気ない日常である。
東京の空は狭い
そんな事は実際どうでも良いことなのかもしれない。
しかし、僕はまとわりついた空気が希薄になるのと同時に、肺の中の空気まで薄くなってしまったような気がして、苦し紛れに空気を吸い込む。
空気を吸っても置き去りにされた。
そして立ち止まっては空を見上げた。
『東京では写真が撮れない・・』
ビルを写そうと思っても全景を入れるために後ろ向きに歩くこともできないような気がした。
コンビニの整然と並んだ商品。
痒いところに手が届くような、細かくて精巧な商品
そんな事にさえも無性に腹がたってしまう自分にへきへきした。
『もうダメや・・』
独り言こそ空しいものである。
ひと月
ひと月
なんとか息苦しさを堪えながら、やり過ごした。
人間は弱いのだけど、また強くもできている。
纏わりついたワシントンの空気は、段々と見えなくなってきた。
身を切られるように痛んだその事実も
段々と慣れてくるものなのか。
帰国時ずいぶんみすぼらしく見えた大学も、日本人が一般的に持っている認識、この大学に抱く大学像・幻想に少しずつ近づいてきた。必死にもがく事がなくなった代償なのだろうか。
もうどうでもいいかな・・
諦めの境地の様なものの中で、僕はどんどん東京の日常の一部に同化して
それと同時にエネルギーが枯渇していった。
ひと月
ひと月
もはや、ワシントンの空気のかけらの様なものさえも
僕の肌の上には痕跡をとどめていない。見つけることができないのだ。
むしろ、それにホッとして、日常に埋没していけばよい。
日常への埋没は、少しずつ偽りの心地よさのようなものさえ与えてくれるのだから。
埋没することだ・・そう言い聞かせる。
ひと月
ひと月
家族の中でワシントンの話題が持ち上がっても、それはもう身を切られるような痛みではなくなっていた。
あの高くて広い空も、時に思い出せなくなった。
とても懐かしい空なのだが、それは切実な臨場感を伴ってはいないのだ。
この調子だ。
忘れることは、時として前進を生むかもしれないのだから。
ひと月
ひと月
僕には、少しずつ医者らしさが戻ってきたのだが、それと同時に
研究者として見た青空の色は、少しずついやどんどんセピア色が混じってくるような気がした。
ひと月
ひと月
しかし
『こんなものだ・・』
と思いながらも、そこには少しずつ少しずつ違った希望も芽生えてくるかもしれない。
青空ではないのだが、セピア色の空も空には違いないのだから。
今や、月日も数えなくなっている。
そして、そんな時にワシントン再訪の時が訪れた。
僕は、やっと過去から解放されてワシントンの地を踏むことができるような気がしている。
ワシントンの空に、僕のこの1年半の苦闘・苦悩を見てもらおう。
そして、何とかまたもう一度
もう一度歩みだそうと思っているのだ。
以上はフィクションである。
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