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勉強の意味も兼ねて、新しい書庫『秀句探訪』を作った。好きな句を改めて自分の言葉で鑑賞してみようという試みだ。とは言っても俳句六年目の若輩にまともな鑑賞など出来ようも無い。あちこちの入門書、あるいはネットに散在する先達の方々の鑑賞を大いに参考とさせていただくので、大目に見て下さい。
梅雨ふかし猪口にうきたる泡一つ 久保田万太郎
記念すべき書庫第1号に登場していただくのは久保田万太郎。私自身の好みだが、古今に俳句の上手は沢山あれど、酒を市井の哀歓の小道具に使ってこの人の右に出る人はいないだろう。俳句詠み、酒飲みの末座に連なる者としてはまことに名誉なことだ(笑)。
さて掲句。梅雨に入って長い。四十日を超す梅雨の間には晴れ間もあるが、二、三日降り込められている。猪口をじっと見るというのは二人、三人の酒ではないだろう、独酌だ。あるいは小料理屋、居酒屋のカウンターか。
猪口だからもちろん夏の冷酒ではない。まさか熱燗ではないから温め酒というところかも知れない。今と違って酒を飲むといえばイコール日本酒の時代だ(当時焼酎は下賎の酒とみなされていた)。
雨のそぼふる梅雨寒の夜、一人で呑んでいたら猪口に泡が一つ浮いてきた。俳句の中身はただそれだけ。しかし言いようも無い寂寥感が滲む。孤独感を引き出すのは下五の「泡一つ」かもしれない。泡は「泡沫(うたかた)」儚いものの最たるものだ。
もちろん俳句を少しかじっていれば万太郎の生涯について若干の知識はある。小説家、劇作家として功なり名もとげて文化勲章までもらいながら、私生活は恵まれなかった(有体に言えば万太郎は女にだらしなかった)。最初の妻は自分の浮気が原因で自殺せしめたし、二番目の若い妻とはそりが合わず、その間にも女の影は常につきまとった。ようやく三隅一子という芸者上がりの尽くす女性を得たが、十四歳年下の彼女にも先立たれる。彼の晩年はいわゆる孤独地獄に近かったのではないか。文壇での交友関係も芥川との交流など有名だが、どちらかと言えば付き合い下手、あちこちでトラブルを起こし、必ずしも付き合いやすい尊敬すべき人とは言いがたい。
俳句はあくまで余技と言い続けてきたようだが、彼の小説や戯曲には絶版になったものも多い。一方余技の俳句を愛する人は圧倒的に多い。もちろん私もその一人。小澤實著の『万太郎の一句』(ふらんす堂)は常に枕辺にある。
なんでも流行のあるのは俳句に限らないし、「客観写生」や「花鳥諷詠」「人間探求」、俳句の流儀はさまざまだけれど、この一見無内容でしかもじわっと内面が滲んでくる万太郎俳句も所謂「俳句らしい俳句」と言えるのではないだろうか。
「傘雨」という彼の俳号の由来は知らないが、何を詠んでもどこか寂しい、雨の似合う作家であることは確かだ。折りしも私の部屋の窓からは雨しか見えず雨しか聞こえない。まさに「梅雨ふかし」だ。
*ご参考
20080506 「久保田万太郎 傘雨忌」
http://blogs.yahoo.co.jp/rehabilist/MYBLOG/yblog.html?fid=0&m=lc&sk=0&sv=%B5%D7%CA%DD%C5%C4%CB%FC%C2%C0%CF%BA
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