数百億の取引から230円のドーナツ販売へ
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収入減でも「豊かさ時価」を20倍高める法 「一から十まで、自分でできるユニークなことがやりたかった。ドーナツならゆくゆくは世界展開も考えられるし」 2年前にオープンして新名所となった東京ミッドタウンの地下1階に、一風変わったドーナツ専門店がある。白ベースに木肌を生かした造りの店内には、長テーブルの上に2つのアクリル製ドームが置かれ、なかに彩りも鮮やかなドーナツが10種類ほど並べられている。 ここは、ドーナツ専門店「ネイン」の2号店だ。1号店は2008年9月に赤坂サカス近くにオープンしている。 「ネイン」を設立したのは、山田善久(45歳)だ。前職は楽天トラベル社長。楽天グループで仕事をする前は、ゴールドマン・サックス証券、その前は日本興業銀行に勤めていた。東大法学部を卒業して、ハーバード大学大学院のMBAも取得している。しかも奥さんは、「興銀中興の祖」と称された中山素平の孫娘である。 歩もうと思えば、どこまでも歩めそうなエリート街道を自ら外れて、なぜ山田はドーナツ店を営もうと思ったのか。 まず興銀からゴールドマン・サックスに移ったのが1999年のことだ。 「興銀は大好きでしたし、本当に悩みました。でも、当時ロンドン支店にいて、日本のバンカーが世界では格下に見られているのが悔しかった。そこで、思い切ってアメリカの金融のど真ん中に飛び込もうと考えました」 ゴールドマン・サックスで、創業間もない楽天の担当になる。創業者の三木谷浩史は、興銀での1年後輩に当たる。三木谷に請われて、山田が楽天に入るまで、多くの時間はかからなかった。楽天では、検索サイトのインフォシークや、ホテル予約サイト「旅の窓口」のM&Aにかかわり、全日本空輸(ANA)との提携もまとめた。 「なぜ楽天を辞めたかって、うーん。ある種の達成感は得てしまったということでしょうか。自分のやったことを新聞で見ても、こんなものかと感じました。僕自身は、マスコミに取り上げられるのも、証券会社にチヤホヤされるのも好きじゃなかった」 それまでの転職と違って、山田は楽天を辞めてから1年ほど、ボーッとして過ごしている。スカウトの口はいくつもかかってきた。なかには、一緒にファンドを立ち上げようという話もあった。 しかし、山田は応じなかった。そして、2008年に、「ヨーロッパ風手作りドーナツの店」ネインを立ち上げたのだ。 「一から十まで、自分でできるユニークなことがやりたかった。アメリカンタイプじゃない、しかもパティシエがきちんと作り込んだドーナツは面白いんじゃないかと思ったわけです。ドーナツならゆくゆくは世界展開も考えられるし」 山田の決断を、家族はどう思ったのだろう。今回ばかりは先行きが見えない。以前の転職とはわけが違う。 「でも、家内は反対しませんでした。やりたかったら、やってみれば、という感じですかね」 楽天のストックオプションによる蓄えがあったことも大きかっただろう。現在、妻と高校生の長男、小学生の次男はフランスで暮らしている。次男がサッカーの名門プロクラブのジュニアチームに入団が認められたため、3人で渡仏したのだ。 それにしても、数百億円というディールから、1個200円台のドーナツ販売に変わって、山田はどう感じているのか。 「とにかく楽しい。モノがまずくても僕のせい。モノが売れなくても僕のせい。サッカーで言うと、オーナーや監督やコーチでなく、プレーヤーなわけです。考えてみれば、自分の足でボールを蹴るプレーヤーとしての仕事は初めてでした」 山田は、お金よりもプレーヤーの楽しさを選んだのだ。(文中敬称略) ジャーナリスト 樺島弘文=文
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