法事の習わし
|
きのうは、朝10時から法事があり、9時半前に家を出る。すでに大方の人が席についていて、こんなときは決まってそうするように、「御一同様に…」と挨拶する。 住職が到着すると、程なく読経が始まる。45分程のこの間、列席者はただ黙ってこれを聞いているだけだが、10分程して焼香用のお盆が廻ってくると、順次お盆に100円硬貨を置いて焼香するのが、この地域の習わしだ。 以前は焼香の間はずっと正座を通すのが不文律になっていたが、最近では7、8割方の人が最初から、あるいは途中から膝を崩すようになっており、私もその一人だ。 読経が終わると、住職が2、3分の仏教に関した話をするのが慣例になっている。この日は「袈裟」の語源やその着用の決まりごとなどに触れるのみでその時間を終える。その後は、お墓へいって墓標にお米や線香のお供えを… ここまでのことがすべて型通りに流れていき、後は約1時間程の会食でお開きとなる。毎度のことだが、法事とは何だろうとつい考えてしまう。 |
トラックバック(1)
※トラックバックはブログ開設者の承認後に公開されます。
トラックバックされた記事
法事は嫌いでした(;一_一)
嘉門達夫の歌に 『法事ブギ』 ってあるんだけど youtubeで探してみたけど無くて残念>< この曲の歌詞、 私が小さい頃みた法事の光景と同じ〜! と思いながら、聞いてたんだけど 家の母の妹の旦那さん (つまり、おじさん) 結婚披露宴だろうが、法事であろうが 酒を飲んだら、悪酔いオヤジと化し 同じ話をリピートするわ (『壊れた蓄音器』というあだ名あり ) 周囲の親戚に絡むわで大迷惑な存
2011/9/26(月) 午前 11:11 [ みんなが創るブログ ]
トラックバック先の記事
- トラックバック先の記事がありません。


もう大分前になりますが、戦死した伯父、戦後伯太港の連絡船沈没で亡くなった祖父、後を追うようにガンで亡くなった祖母の60回忌を実家で行いました。一番遠方から参加したのは私の家族四人でした。
私の一族は、祖父も祖母も子供連れで再婚したものだから、大変複雑な構成になっています。そこで、再婚後最初に生まれた伯母に、死者への手紙を書いてくれるよう私が秘かに依頼しました。
同日、三豊の形式主義の中でも生きてきた主宰者の父は嫌な顔をしましたが、強行しました。伯母は小学校の教員の経験もあり、旧制中学出身の戦死者を特集した文集にも伯父のことを書いていますから、一晩で書き上げてきました。
おとうさんと、祖父への呼び掛けから始まる手紙で、一族の歴史を語りましたから、満場に適度な緊張感を与え涙ぐむ人々もいました。
法事は、故人のことを語り合い、後に続く子孫に知らしめることではないかと私は思うのです。
2011/9/24(土) 午後 3:23 [ 金曜の寒梅 ]
>金曜の寒梅さん
まさに、法要とはそのようであるべきだと思います。故人への、各自それぞれの思いを語り合い、聴き合うことこそ、法要の本旨ではないでしょうか。当日はすばらしい60回忌になったことと思います。
そしてそこに出席された僧侶によってその宗派の教義が説かれれば、故人への各自の思いもそれに照らされて一層深いものになるかもしれませんね。
寒梅さんの故郷で、そのような60回忌が営まれたということは、故人の徳を偲ぶ思いが子や孫たちに深く共有されていたからだと思いますが、今では50回忌の催しを聞くことも稀になっています。
2011/9/24(土) 午後 9:00 [ リタイアマン ]
この伯母は森川義信の生家の側に嫁ぎ、彼の詩に登場する後に医者になった妹と親しく、二人で多分彼のことを何度も話し合ったことでしょう。今は娘夫婦と京都に住んでいますが、地震の時などは私のことを気遣って葉書をくれたこともあります。数年前、実家に帰省していた時に電話があったので、少し話しこみました。森川義信の詩が教科書に載っていることを、孫から教えられたと言っていましたから、京都の孫にも彼のことを教えていたのでしょう。祖母から続く文学好きの系譜はその葉脈を着々と伸ばしていることを実感しました。
2011/9/25(日) 午前 8:03 [ 金曜の寒梅 ]
>金曜の寒梅さん
そうだったんですか。私も2年程か前に、森川義信の妹さんにお会いし、後日さらに詳しくこの詩人のことを電話でお訊ねしたら、数日後に詩集を贈っていただきました。
寒梅さんの御一族は、こちらの地を源にして、稀有な文化意識の葉脈を継承されていると思います。
2011/9/25(日) 午前 8:39 [ リタイアマン ]
トラバします。
2011/9/26(月) 午前 11:12