青梅 師岡神社&勝沼城址
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随分昔の話だが、去年梅を見に青梅に行ったことを回想する。 コースは東青梅;勝沼城&師岡神社のシイ→宮の平;明白院しだれ梅&福禄寿像→石神前;枡形山城、海禅寺クスノキ、石神神社イチョウと青梅一帯をぐるりと回った。 まずは東青梅から徒歩15分のこの神社と城跡を訪ねた。 山の斜面にへばりつくように神社がある。その1段でっぱったところにシイの木がある。 スダジイ科シイは、シイタケの原木にもなるそうな。あ、だからシイタケなんだ! 幹の太さは5.3メートル。僕のお腹より断然太い(笑) 幹がうねるようにねじれている。力強さを感じるなあ。 師岡神社の解説 東京都青梅市東青梅6-68 拝殿脇に市の天然記念物のシイの大木がそびえる。 御祭神 伊邪那美命、速玉之男命、事解之男命 由緒 創建は嘉元年間(1303−1305)。法蔵院光明寺草創の際、寺門の守護として勧請。 江戸時代には熊野三社権現と称した。明治二年に改称。 その背後にある勝沼城址を散策。 たけB7FPさんが嬉しそうに先を行く。 山を切り開いて作った城。かなり広く、青梅が一望出来る。三田氏の勢力が伺える。 この三田氏は北条に攻め立てられ、辛垣城へと落ち延び、最後は滅びる。 辛垣城は青梅丘陵の山深いところ。さぞや苦労しただろう。 勝沼城址の解説はこちら。 室町から戦国期に青梅周辺の領主であった三田氏の居城、勝沼城跡である。 天寧寺や塩船観音の由緒にも名の見える三田氏は、平将門の後裔を称し、多摩川上流域に版図を広げ五十数ヶ村を領した有力な在地土豪であった。戦国期には管領・山内上杉家に属し武州南一揆の盟主的存在として活躍した。その後、小田原北條氏の勢力が伸びてくると他の土豪と共にその傘下に入ったようであるが、永禄四年(一五六一)上杉謙信の関東侵攻に呼応し北條氏に反旗を翻したことで命運が決まった。関東管領職に忠義を尽くす意図があったのか、上杉謙信の勢いが北條氏を滅ぼすほどのものとその目に映ったのか、北條麾下にあってジリ貧となるより上杉方に付き一発逆転を狙ったのか、理由は分からないが、北條氏の勢力下にほど近い西多郡での反抗はいくらなんでも無謀であった。上杉謙信が越後に戻ってからは滝山城の北條氏照らによって徐々に追いつめられ、最後は辛垣城(青梅線軍畑駅北方の山城)に籠もるも部下の裏切りにあい、岩槻の太田資正を頼るが結局は滅亡したようである。 その後、北條氏照配下の師岡将景が当地に入り、地名を師岡と改めた。この神社は元々光明寺の守護神として勧請され、江戸期には熊野三社権現と称した。明治に入り地名を取って現社名に改めたもので、どうやら城跡との関係はないようである。 |
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勝沼城(東京)〜多摩の頑固者、三田綱秀
東青梅駅を出て辺りを見渡すと、いかにも築城に適した小高い丘陵がいくつもありました。
2009/2/15(日) 午後 3:59 [ 名城紀行ブログ〜つはものどもが夢の跡〜 ]
★ 城郭探訪 勝沼城2 ★
勝沼城、続きです… [[attached(1,center)]] 再度、縄張図。いつものように、'''『東京都の中世城館』(東京都教育委員会編、2006年)より引用・加筆'''。今回は、赤くペイントしたルートをご紹介しましょう。ペイントがすこしキレイになりました。 [[attached(2,center)]] 「3」から「1」へ戻ります。「1」北側の横堀を通って、「1」東北隅(右上)土塁。 [[attached(3...
2010/8/27(金) 午前 0:14 [ 〜未知なる城を求めて〜城郭研究ノート ]
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幹の太さ5.3メートルですか、凄いですね。幹に直ぐ触って見たくりなりますよね。
2009/2/15(日) 午後 2:33 [ 九馬 ]
確かに随分昔の話のような…
勝沼城址の解説、勉強になりました(笑)
さらにマニアックなブログの方でTBしましたので、よろしくです。
2009/2/15(日) 午後 4:04 [ たけB777 ]
おぉ〜・・・トトロの住んでいそうなシイの木ですね。
苔蒸しねじれた姿が迫力です。
2009/2/15(日) 午後 4:11
コメント有難うございます。
>九馬さん、太かったです。ははは、神木なのですが触ってしまいました。
>たけB777さん、お、マニアックブログ登場。お気に入りに登録しておきます。
>おかあちゃま、僕でトトロの代用になるかな?(笑)
2009/2/16(月) 午後 8:56