grunerwaldのブログ

ドイツと音楽、歴史や旅行を楽しむ憩いの森へ
最近新しい演奏会場が出来て、普段は音楽とは縁のない一般紙でも取り上げられたりで話題になっている、ハンブルクのNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(旧称ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)の来日公演最終日、3月15日(水)大阪フェスティバルホールの公演を鑑賞してきた。指揮はポーランド出身のクシシュトフ・ウルバンスキ、ソリストはアリス=紗良・オット(ピアノ)。演目は、


     ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」第3番 ハ長調 Op.72b 
     Beethoven:"Leonore" Overture No.3 in C major Op.72b

     ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 Op.37<ピアノ:アリス=紗良・オット>
     Beethoven:Piano Concerto No.3 in C minor Op.37 (Alice Sara Ott, Piano)

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     R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 Op.30       
     R.Strauss:"Also sprach Zarathustra" Op.30


旧称の北ドイツ放送交響楽団と言えば、御多分に漏れずギュンター・ヴァント時代のブラームスやブルックナーのCDで耳にしていた。いつ頃から現在のNDRエルプフィルと言う名称に変わっていたのか気がつかなかったが、二年前にヘンゲルブロックとの来日公演で大阪のザ・シンフォニーホールでマーラーの交響曲1番とヴァイオリンがアラベラ・美歩・シュタインバッハーというのでチケットを購入していたのだが、仕事の都合であいにく行けなかった。今回はじめてこのオケを聴きに行き、毎度のことながら本当にドイツというのは各地域の都市ごとにこの様なレベルの高いオーケストラが数多くあるのが、すごいことだと実感する。

主催はフジテレビで東芝の提供。東芝にはもうこのような大盤振舞いを続けて行く余力はないかと思われるが… フジは最近ベルリンフィルの来日公演を主催したりして、クラシックにも注力している様子が窺える。今回のNDRエルプフィル、S席は1万3千円なので、ウィーンフィルやベルリンフィルなどのスーパーオーケストラに比べればべらぼうに安いし、残席も結構余裕がある。毎回思うが、この違いは何だろうか。確かにウィーンフィルやベルリンフィルは素晴らしいオケだし演奏がすごいのは言うまでもないけれど、コンサートのチケットで4万円近いというのはべらぼうだし、そこまでの差がNDRエルプフィルのクラスのオケが出す音とに本当にあるのかどうなのか。実際、価格としては二倍の差はあると言われればそれは納得の範囲内だが、三倍までの差があるほどNDRがヘタレなオケとは思えないというのが実感である。

さて、一曲目「レオノーレ3番序曲」、暗い牢獄の絶望を思わせる、陰鬱で暗く繊細な音で奏でられる冒頭部分の演奏の繊細なこと。素晴らしい集中力で引きこまれるようだ。ところが、冒頭部分が終わりかけたあたりで、近くのご婦人がいかにも退屈そうに、ペラペラと音を立ててパンフレットをめくりはじめた。あのなぁ!客電も落ちてるのに、パンフレットめくったところで、なんか文字読めるか?いかにも退屈でじっとしていられないようで、ごそごそと動いては足元のかばんから何かを取り出したり、おまけに演奏中ずっとチラシの入った薄いビニールの袋を手の平でいじり続けてぺちゃぺちゃと不快な雑音を出し続けている。クラシックの演奏など大した興味ないけど、ただで招待券もらったんでとりあえず来てみたけどやっぱり退屈だなぁ、って感じがありありで。すぐ隣りならすぐにでも注意したいところだが、中途半端に何席か離れているのでそれもできずもどかしいまま。おかげで「レオノーレ序曲」の途中あたりから二演目目のピアノ協奏曲まで、まったく音楽に集中できなかった。いい迷惑な話しである。なのでアリス=紗良・オットの演奏もあんまり耳に入って来ず、強烈なルックスの印象だけしか残らなかった。いい迷惑な話しである。ルックスは凄く印象に残った。細いウェストのスレンダーなプロポーションで、黒のスパンコールのロングドレス。背中と両脇腹に大きなスリットが入ってシースルーになっている。ボディから膝あたりまではぴったりと絞りこんで、膝あたりから足もとにかけて裾が広がったエレガントなシルエットのスパンコールドレス。見せます感オーラがハンパない(笑) 人生楽しいだろうな、きっと。アンコール2曲、グリーグとショパン。

ちょっとこれでは話しにならないので、休憩時に係員さんにオバサンにご注意してもらうようにお願いしておく。まあ、こういう苦情はよくあるのだろう。「はい、わかりました」みたいな感じで、うまく対応して頂いたようで、後半の「ツァラトゥストラかく語りき」では、客席に通常の静謐が取り戻され、音楽に集中することができた。素晴らしい演奏であった。迫力ある演奏だった。何より、R・シュトラウスのこの面白い曲が堪能できた。各楽章にはそれぞれ一見難解そうで意味ありげな標題が付けられているが、別にそれは何かと頭で理解しようとしなくても、音楽そのものは難解ではなく、他のR・シュトラウスの交響詩となにか特段変わったところがあるような曲でもないだろう。壮大なスケールの冒頭、おどろおどろしいところ、可憐でかわいげのある個所、優雅なワルツなど、「ティル・オイレンシュピーゲル」や後の「サロメ」や「ばらの騎士」を想起させるような曲風も感じ取られる。この曲はトランペットは要だと思うが、トランペットをはじめ金管はすこぶるうまく重厚で、大変な迫力があった。ワルツのヴァイオリン・ソロは全然ウィーン風ではなかったが、安心して聴いていられた。チューブ・ベルはどこにあるか見えないようだったが、上部のスピーカーから聞えたような気がした。アンコールはローエングリン3幕前奏曲で、文句なしの快演。どのコンサートも、この価格でこの席(中央付近)で聴けたら、言うことがないのだが。

この曲は、以前2014年5月にライプツイヒを訪ねた時に、ゲヴァントハウス管の演奏(指揮アンドリュー・デイヴィス)でも聴いているが、二階の席だったためかちょっと音が遠く感じてもったいないことをしたのが心残りだった。実はこの時、前半のプログラムは一階の席で聴いていたのだが、ホールの全体像がよく見える二階の席も同時に購入しており、後半はそちらに移動したのだ。やはり音は一階のほうがダイレクト感があった。席を変えずに一階のままで聴いていたほうがよかったのかも知れない。今回のNDRエルプフィルという、よいオケのよい演奏で挽回できたのは、よかった。





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びわ湖ホールプロデュースオペラ「ラインの黄金」(会場・大津市びわ湖ホール・14時開演)3月4日(土)と5日(日)の両公演を鑑賞してきた。沼尻竜典指揮、京都市交響楽団演奏。ソリストは下記。演出ミヒャエル・ハンペ、美術・衣装ヘニング・フォン・ギールケによるオリジナル・ニュープロダクション。このチームによる公演は、昨年3月の「さまよえるオランダ人」を観て非常に面白かったので、期待も高まる。この「ラインの黄金」を皮切りに、2020年まで4年をかけて毎年一作づつ「ニーベルングの指環」が制作・上演される「びわ湖リング」プロジェクトの第一作目。

普段はひとつの公演を一回観るだけのことがほとんどだが、今回は珍しく両日ともほぼ同じ席から鑑賞することができた。休憩なし一幕2時間半の演奏。


客電が落ち、暗闇と無音のなか静かに幕が開いて行くと、まずはCG(プロジェクションマッピング、以下CGとする)で大きいスクリーン一面に星々に散りばめられた宇宙の模様が映写される。そこから低弦のペダルで序奏が静かに開始されていく。序奏の盛り上がりに合わせて、中央のスパークのような模様が徐々に大きくなって行く。宇宙空間はいつしか水面の下のラインの川床の様子に変化して行く。舞台奥の大スクリーンと、舞台手前側にも紗幕によるスクリーンがありそこにも水面の揺れる様子がCGで映写されるので、非常に立体感に富んだ映像感覚で、あたかも本当に深い水中に漂っているような感覚である。ちょうどすぐ隣りはびわ湖なので、びわ湖の水面の下、という印象も受ける。細かい水の泡の感じまでリアルに感じる。

最初に登場するラインの乙女は、人魚のような姿で描かれたCGの動画で現れる。水のなかを行ったり来たりはCGのアニメーション。歌声は深いエコーがかかってスピーカーから聞こえる。アルベリヒが登場して彼をからかう段になって、ようやく岩陰から彼女らがひょいという感じで出てくると、そこからは生の歌声に切り替わり、また岩陰にひょいと隠れたかと思うとスクリーンのなかのアニメに切り替わり、スピーカーの音に変わる。これがとてもタイミングよくうまく切り替わるように演出されている。

ところで舞台上に設えられたセットらしいセットと言えるものは、舞台左右のこの土手のような岩場のようなものだけで、あとは舞台奥と正面の二つの大きなスクリーンに映写されるCGの画像のみ。言わば「電子書割り」である。神々の城やニーベルングたちの地下の洞窟のような作業場などはト書きに忠実に描かれていて、奇をてらったようなものでは全くない。衣装も割とオーソドックスな感じで奇抜さはないが、例えばローゲなんかは遊園地かなにかのこども向けのアトラクションに出て来るアニメのキャラクターのような感じでちょっと面白い感じだったのと、ラインの乙女が結構身体のラインピッタリで金髪の鬘でなんだか人魚版セーラームーンみたいな感じだった。ファフナーとファゾルトは、上下二段で下段に足の役の人が隠れた「ジャンボマックスくん」みたいなやつ(古〜っ!つか世代限られる!)。アルベリヒがドラゴンに化けるところももちろんCGなのだが、うまく尻尾の部分だけを巨大なつくりものにして、これが舞台上でのたうちまわる仕掛けにしているので、かなり立体的で3D感と迫力のある映像である。とは言え、CGはどこまで行ってもCG。CGの制作費は相当掛かっているだろうことはわかるが、舞台上に設えられた造作物は上で述べた土手と岩場のセットくらいのものだけ。舞台演出としてはCG90%と言ったところではないだろうか。ここまで徹底してプロジェクションマッピングだけの「指環」の上演というのは、はじめてではないだろうか。CG製作費を除外すれば、舞台制作のコストは最小限にまで抑えられた経済的なやりかただろう。豪華でリアルなセットにコストと労力がつぎこまれた舞台こそがオペラの醍醐味と思い続けていると、今の時代の新しいオペラ演出の変化が見えてこないかもしれない。とは言え、ちょっと寂しい感もなきにしもあらず。最後の虹の橋を渡る神々の城への入場のCGはしょぼすぎて失笑。あんなものならないほうがまし。明らかに最後の壮大な音楽とは不釣合いだった。

歌手の皆さんは両日とも、どの役も大変聴きごたえ十分ですばらしかった。これだけ実力のある歌手による「リング」がびわ湖ホールで聴けるのは実に有意義なプロジェクトだと実感。期待通りのハイレベルな演奏にまったく文句なしだった。京響の演奏は、二日両日とも聴いて、初日と二日目で大きく印象が異なるということはなかった。実に丁寧な演奏で、美しいところは美しく、迫力のあるところは十分に迫力のある演奏で高水準だった。ただ、濃厚なコクで音楽の渦に巻き込まれるほど重厚で強烈な印象があったかと言われると、そこまでの重厚感まではなかった。ドイツ車で時速160キロくらいでアウトバーンを疾走するような感じではなく、名神高速を時速90キロくらいで安全運転している感じだった。なお両日とも完売御礼の案内が出ていて、実際満席のようだった。関西での本格的な「リング」プロジェクトへの期待値は低くはないと思われる。

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ラインの黄金 
Das Rheingold
3月4日3月5日
ヴォータン
WOTAN

ロッド・ギルフリー
ROD GILFRY

青山 貴
TAKASHI AOYAMA

ドンナー
DONNER

ヴィタリ・ユシュマノフ
VITALY YUSHMANOV
           
黒田 博
HIROSHI KURODA

フロー
FROH

村上敏明
TOSHIAKI MURAKAMI
 
       
福井 敬
KEI FUKUI
ローゲ
LOGE

西村 悟
SATOSHI NISHIMURA

清水徹太郎*
TETSUTARO SHIMIZU

ファゾルト
FASOLT

デニス・ビシュニャ
DENYS VYSHNIA
 
        
片桐直樹
NAOKI KATAGIRI

ファフナー
FAFNER
斉木健詞
KENJI SAIKI
               
ジョン・ハオ
ZHONG HAO
                 
アルベリヒ
ALBERICH
カルステン・メーヴェス
KARSTEN MEWES
      
志村文彦
FUMIHIKO SHIMURA
           
ミーメ
MIME
与儀 巧
TAKUMI YOGI
              
高橋 淳
JUN TAKAHASHI
            
フリッカ
FRICKA
小山由美
YUMI KOYAMA
              
谷口睦美
MUTSUMI TANIGUCHI
     
フライア
FREIA
砂川涼子
RYOKO SUNAKAWA
    
森谷真理
MARI MORIYA
              
エルダ
ERDA
竹本節子
SETSUKO TAKEMOTO
     
池田香織
KAORI IKEDA
            
ヴォークリンデ
WOGLINDE
小川里美
SATOMI OGAWA
        
小川里美
SATOMI OGAWA
    
ヴェルグンデ
WELLGUNDE
小野和歌子
WAKAKO ONO
               
森 季子*
TOKIKO MORI
        
フロスヒルデ
FLOßHILDE
梅津貴子
TAKAKO UMEZU
             
中島郁子
IKUKO NAKAJIMA 
  
*…びわ湖ホール声楽アンサンブル・ソロ登録メンバー

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毎週月曜の夜にNHK教育TVでドイツ語講座の番組が放送されている。現在放送されている最新のシリーズは「旅するドイツ語」と題して、従来のスタジオ収録型ではなく、ウィーンでのロケ収録映像をメインにした、半分はミニ旅番組のようなスタイルになっていて、ウィーン好きにはなかなかの好企画番組だ。

なぜドイツ語講座なのにドイツの都市でなく、訛りのあるウィーンでと言うのが不思議なところだが、確かにウィーンには絵になる名所が多いし、やはり人気のある観光都市でファンも多いのだろう。ドイツ語への関心がメインでない視聴者も取り込めるということなのだろう。

番組は30分ほどの枠で、音楽に関心のある俳優の別所哲也さんが、明治大学教授で現地在住のスザンネ・シェアマンさんとのコンビで毎回ウィーンの様々なスポットを訪れて、簡単なドイツ語会話のフレーズを学習していく、というもの。開始当初は気づいていなくて、途中の何回目かの放送から見るようになった。ウィーンなので、音楽好きにはおすすめの場所が毎回選ばれているようだ。先日は楽友協会の正面裏手側のベーゼンドルファーのショールームを訪れて別所氏がショパンだったかベートーヴェンだったかを披露していたが、役者さんにしてはなかなかの腕前のようだった。スタジオでなく、美しいウィーンの街並みのなかで、一見旅番組のようなスタイルでの語学講座というのも、飽きがこなくて興味深い。

もうひとつおもしろいのは、その回のフレーズを確認するミニ・コーナーで、小澤一雄さんのかわいいアニメーションによるアマデウスくんとベートーヴェンさんが日本語でミニ・コントのようなやりとりをする。ちょっとすっとぼけた感じの今どきの若者のようなアマデウスくんと、頑固で要領の悪そうなベートーヴェンさん。声の主はともにドイツ人のようで、かわいいアニメキャラのベートーヴェンがちょっとクセのある日本語でボソボソと「ヌヌ、オヌシ、○○デハゴザラヌカ」などと古風な言葉遣いでやりとりするのが面白い。

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画像を探していたら、ディスクユニオンの通販サイトで上のようなかわいいピンバッジが販売されていたので、さっそく購入した。他にもバッハやブラームスなどもあって、一個700円くらい。

で、もう週末になってしまったけど、今週月曜日の放送ではウィーン郊外のアイゼンシュタットへの小旅行がメインだった。バスで1時間10分。バスを降りて小さな旧市街を歩いてすぐという感じで、エステルハージー宮殿が紹介されていた。ウィーンは25年来何度も訪れているが、いままでハイドンはあまり聴いてこなかったので、アイゼンシュタットは訪れたことはなかった。有名なハイドンザールも美しい映像で紹介され、別所氏とスザンネさんが舞台上からレポートしていた。美しいフレスコ画が印象的なシューボックス型のホールで、席数は800前後だろうか。室内楽規模の演奏には適度な大きさだろう。年季の入った木製の床板も映像でよくわかった。壁全体が漆喰とガラス窓のような印象なので、音は結構大きく響くのではないかと想像される。アイゼンシュタットはワインどころとしても有名なようで、地下のワインケラーなども紹介されていた。

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マレーシア・クアラルンプール空港での金正男氏暗殺事件は近隣で影響の大きい日本や韓国では連日大きく報道されていて当然だが、アジア圏以外の国ではどのように報道されているのだろう。ウェブ版のみで確認すると、NYタイムズや Frankfurter Allgemeine,  Salzburger Nachrichten などでも外国政治欄で詳細に報道されていて重要視されているのがわかる。なかでも Frankfurter Allgemeine ではクアラルンプール空港の防犯カメラ映像に記録された暗殺の瞬間の映像が、日本のフジテレビをソースとしてロイターの配信で取り上げられている。確かに、他社をだし抜いてフジテレビが日曜夜のニュースバラエティ番組の枠のなかでこの映像を放送した時は衝撃的だった。普段は野次馬根性丸出しで早口で小うるさい関西弁の司会者が気ぜわしくて見る気にもならないのでうっかり見逃すところだったが、たまたまリモコンのチャンネルを8にしたタイミングがこの映像が流れているところだった。NHKなど他局は完全に後追いだったので、これはフジのスクープなんだろうが、どういう経緯でフジだけがあのような決定的な映像を入手できたのか気になるところだ。韓国での報道は詳しくは知らないが、一番当事者に近いはずの韓国の報道は、この様子だと完全に日本の報道に質量ともに負けているのではないかと思えてくる。いざと言う時の対応能力は大丈夫なのだろうか。なにしろ北のミサイル開発が着々と進行しているのもお構いなしに、国権の最高位が不在で、国民と国家がバラバラの状態にしか見えない。そんなただなかで、今回の暗殺事件は起きた。

国のトップが真相が判然としない問題で辞任に追い込まれて大統領という最高権力ポストが不在。経済もガタガタという状況のなか、慰安婦少女像というわかりやすい反日アイコンのみが人々の関心をひきつけている間に、北側ではミサイルの実験が着々と進行し、金正男氏が外国で謀殺された。報道が事実であるとすれば、その手口は、自国以外の他の国の主権など無視した、国際法上非常に礼を失した野蛮で粗っぽいやり方である。こうした外国の主権を無視した手荒なやりかたは、70年代に韓国のKCIAが日本で起こした金大中氏拉致事件や北朝鮮が83年に起こしたラングーン爆破事件、大韓航空機爆破事件など様々な事件を鮮明に思い出させる。古くはオランダ・ハーグ密使事件という事例もある。なので、南北に関わらずかの民族は外交上の儀礼や礼節を軽視する自己中心的な体質を共通して持っていると見られても仕方がないだろう。儒教は礼節を説く学問だが、同時に極めて排他的で自己中心的要素もあるので、難儀な代物である。

思えば朝鮮の悲劇は厳しい見方をすれば、19世紀末の激動のアジア史のなかにあって旧宗主国の中国と、日本やロシアなどとのパワーバランスのなかで右顧左眄したあげくに、ついに自らの力で近代化を達成できなかったという「恨」の歴史とその優柔不断な国民性にあったと言えるだろう。もっと言うと、当事者能力と外交センスに欠けた。これは李朝末期の混迷を少しでもひも解けばすぐにわかることである。長い歴史において中国の属国であり続けることのみで王朝を維持してきた事大主義と、支配者一族と被支配者という二極単純化の封建政治、変革を嫌う儒教的体質が染みついてしまっていた結果である。現在の北朝鮮の政情を見ていると、かの姿こそ李氏朝鮮時代以来の生来のものであることがわかる。日本も徳川時代は儒教を政権維持にうまく利用してきた結果、長年の安泰があったのは同じだったが、日本が利口だったのは儒教を都合よく活用はしたけれども、どこかで適当に「さぼる」やり方が、うまかったのではないかと思う。武士階級と非武士階級という公然たる身分制度はあり、社会的制約は大きいものがあったが、それでも市民生活、町人の暮らしにはある程度うるおいがあった。限度はあったものの、商業もある程度は発達し、町人文化もある程度寛大に通り扱われていた結果、現在までもその恩恵に預かっている部分は大きい。明治維新後にかなり早いペースで近代化に成功したのには、それまでにそうした素地があったからだ。それとは対照的に、李氏朝鮮はきわめてまじめに儒教に取り組んでしまった結果、それに自らがんじがらめになってしまい、経済感覚や国家の発展といったものへの関心が伝統的に疎かにされてきてしまった結果が、上にあげた高宗と純宗時代の極めて悲劇的な王朝の末路につながったのではないかと言うことである。かように儒教というのは当事者能力を消滅させるのである。

こうした右顧左眄はいまもって韓国の政情を見ていると感じられないか。日米との連携を重視するのか、中国の属国に戻るのか、はたまたあろうことか民族としては同胞である、一方の狂信的な独裁国家に朝鮮時代からの親和性を感じて「統一」という理想にそれでも感涙するのか。隣国ながら、なんだか本当に大丈夫なのか心配になってくる。

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指揮者アダム・フィッシャーのファンクラブを主宰されている Haydnphil さんが、個人ブログと並行して管理されているファンサイトをリニューアルされたので訪問してみた。アダム・フィッシャー氏の25年来の熱心なファンで、当時からのフィッシャー氏の指揮活動の詳細をデータベース化して、このサイトで公開されている。音大の研究者でも、ここまで掘り下げた研究をされている人はいるだろうか。わたし自身はファンクラブとは縁もゆかりもない人間だし、昨年秋のウィーン国立歌劇場来日公演でアダム・フィッシャー指揮「ワルキューレ」を実際に東京で観るまでは、名前と紹介記事で書かれていること以外はほとんど何も知らなかった。その公演を機に氏の活動に興味を持ち始めてあれこれと調べているうちに、気が付いたら何度もHaydnphil さんのブログにお邪魔していたという、かなり遅咲きのほうである。興味深い記事が多いので度々コメントなども書かせて頂いているが、もちろん個人的に面識があるわけでも、お会いしたことがあるわけでも何でもない。ここ最近になって当方のブログでも度々引用や参照をさせて頂いたりして取り上げさせて頂いているが、頼まれもしない宣伝をしているつもりでも何でもなく、もとより来訪者もごく知れた数の当方のブログにそのような影響力は皆無なので大した意味はない。

私はある程度本格的にクラシックを聴きはじめたのは大体25年ほどと言うところで、それくらい経って初めてアダム・フィッシャーと言う非常にユニークな指揮者に巡りあった思いがする。カラヤンやバーンスタインら過去の巨匠の時代はすれ違いで間に合わなかったし、クライバーはチケットに巡りあえなかった。なので、マゼールやアバド、ムーティ、バレンボイム、メータらが現役の巨匠として落ち着いたあたりから鑑賞して来ていることになる。もちろん次世代のラトルからティーレマンやメスト、ルイージ、ネルソンス、パッパーノ、ジョルダンらとなるとコンテンポラリーな巨匠ということになってくる。私がクラシックに関心を持ち始めた頃は、ちょうど古楽器派の演奏が話題になっていた時期でもあった。なので、ベートーヴェンやモーツァルトのシンフォニーで何枚かはそう言う種類の演奏のものを買って聴いたが、さして好んで聴くというほどのファンになったわけでもなかった。途中何年かは、だれにもよくあるようにどうしても仕事の都合で音楽には時間が取れない時期もあり、再び演奏会に足を向けはじめてこのブログをやりはじめてまる4年ほどになる。

そんなことなので、大体の有名どころの指揮者の演奏は予想がつく程度に耳が復活して来ていたところに、自分にとってはまるでダークホースのように突然颯爽と目と耳の前に現れたのがアダム・フィッシャー氏の演奏だった。東京でのウィーンフィルの「ワルキューレ」自体は実に精妙で美しく、かつ劇的で推進力に富んだ迫力ある演奏で、その演奏自体はコンヴェンショナルな範疇を大きく踏み超えたり、予想を覆すような突拍子もないようなものでは全くなかった。強烈で新鮮な体験だったのは、それを機に購入したデンマーク(国立)室内管弦楽団のモーツァルト交響曲CD全集を買って聴いてからである。こんな新鮮な再発見は本当に久しぶりの体験だった。そしてその音楽がかつての一部古楽派で感じたような学究肌の検証実験のようなアカデミック・スタイルではなくて、実に熱い血潮が通っていて音楽本来が持つエネルギー感と躍動感と何よりも娯楽性に溢れるものだった。これには確かにエスタブリッシュされた既存の巨大オーケストラには真似ができない絶対的なオリジナリティがある。アダム・フィッシャーが面白いのは、デンマーク管とのタッグによるこのような極めて挑戦的な音楽づくりと、ハイドン・フィルとの音楽愛溢れるハイドン演奏、それにウィーンフィルとのような伝統的な演奏スタイルが、まったく違和感なく同時進行で併存しているところである(もっともハイドンフィルとの活動は年季の入ったものだが)。

知名度だけは抜群に高いけれども、音楽的なスタイルはさして他と際立っているというほどではない指揮者はたくさんいる。アダム・フィッシャー氏のようなキャリアのある指揮者で、このようなユニークな音楽づくりをする人は、珍しい存在ではないだろうか。例えば、ベートーヴェンの交響曲第三番「英雄」の演奏がYoutubeにアップされている↓。Haydnphil さんによると、この時フィッシャー氏は網膜剥離を患っていて左目が見るからに痛々しそうで気の毒だが、それを忘れさせるくらい、鮮烈で強烈な印象の演奏と指揮ぶりが脳裏に焼き付けられる。第二楽章から最終楽章までは一気呵成という感じだが、第四楽章の前半のブリッジの部分では通常は弦楽合奏のところをほぼカルテットで演奏している。ベートーヴェンのオケの演奏でこんなやりかたはおそらく初めて目にすると思うが、たしかにそうやって聴くと、とてもベートーヴェンらしいところが強調されていると感じる。こんなベートーヴェンの演奏を聴いたことがない人は多いのではないだろうか。また、映像も欧州のTV局が好んで使いそうなアグレッシブな撮影・編集スタイルで、見慣れたクラシック演奏の映像感覚とはひと味もふた味も異なる。

比較にティーレマン指揮ウィーンフィル演奏の楽友協会での美しい映像もその下に貼っておく。同じ曲でもまったく異なる印象というのが際立つ演奏だ。極端に遅いテンポで、第四楽章など途中で止まってしまいそうな感じだ。

ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのエキスパートでワーグナーはバイロイト、ウィーン、ブダペストで振っている。そしてデュッセルドルフではマーラーのサイクルが進行中。実に興味深い存在のマエストロである。





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