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2006年1月15日

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ふりかけ

                  ふりかけ



 きみが食べる最後の食事

 それがもしも炊きたての白いごはんにのせた白菜のつけものであったなら、ぼくは、のり玉かたらこのふりかけで対抗しよう

 味噌汁の具は大根

 この地上をもう二度と太陽が照らすことがなくても

 ぼくはおかわりをしよう

 まだこの世にふりかけがあるならば

 
                           (ないときゃっぷす)

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書斎から街頭へ

 「書斎から街頭へ」


 漱石全集十六巻を読んでいたら、田中王堂なる人物が「書斎から街頭へ」なる書をものしていたことが知れた。

 明治四十四年の文章らしい。

 漱石全集を読むのは初めてではないが、一度ならず読み飛ばしていて、ふと意識にのぼったということであろうか。

 自身のことでありながら、推測にまとめるのは諧謔ではなく、本心から自信がないからである。
 
 さて、今、この句は寺山修司のものと誤解されるにしくはない。

 庄司薫の作品では「小林」なる友人が所謂「街頭派」として当時流行のヌーボ・ロマン等を地で演じていたらしいが、「薫くん」はもっぱら書斎派であり、街頭派を羨ましくも思いつつ、なかなか軽々しく行動できないでいた。

 「書斎から街頭へ」とは若者にとってはいかにも刺激的なキャッチコピーである。

 だが街頭とは一体どこであろうか?

 それは恐らく東京のどこかではなかったか。

 例えば薫くんは『青』で風月堂や紀伊国屋あたりをうろうろするが、その対面の中村屋だって昔はかなりホットな場所であった。

 「新宿中村屋がかくまったもう一人のボース」http://www.yorozubp.com/9808/980826.htm

 しかし勿論ただふらふらと新宿で一晩過ごしても何かを得られる訳ではない。

 ボウリング、サウナ、カラオケ、ファーストキッチン、そして始発電車…。

 そういうお決まりのルートを外れてあちこちを歩けばそこそこ危ない目には遭えるが、どうも効率は良くないような気がする。

 若い頃、よく気がつくと歌舞伎町のゴミ箱のそばで寝ていたという女の子と飲んだことがある。

 それで大丈夫だったのかと当たり前のことを質問したりもした。

「まあ、そんなに珍しいものを持っているわけじゃないから、たいしたことにはならないよ」なんて陽気に答えてもらっていた。

 それでも若い頃というのは礼儀を履き違えていて、少しは話題が下に流れると自分がいっちょまえの関心を示さねばならないと思い、つい突っ込んだ質問を続けると、

「あのね、だからそんな素晴らしいものなんてどこにもないんだって。じっくり見たら、きっと気分悪くするわよ」

 …なんてたしなめられていた。

 街頭が一箇所に収斂してしまうのがどうも文学的ではないな。

 女の子が何か特別なものを持っているわけではないのと同じで、街頭にも特別なものはない。

 しかしこの「書斎から街頭へ」というスローガンは何度でも繰り返されるだろう。

 携帯パソコンを持って夜遊びをする若者は、世界の果てで女の子以上の素晴らしいものを見つけるに違いない。



                                   未

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一個体

               現代文学総論27


27/夏目漱石『人生』


 百年前には携帯電話もなく、女性の服装やものの考え方は現在とは全く変わってしまった。

 勿論変わったのは現在の方だが、今や明治の風俗は奇異なる未知の世界である。

 (※ここには明治があります。おすすめ【古書の森】http://blog.livedoor.jp/hisako9618/)

 
 

 そんな明治と平成の間に、はたまた未来の新しき元号の時代にまで普遍のルールがあるとすれば、それはこんな原則ではないか。


『小説は此錯雑なる人生の一側面を写すものなり、一側面猶且単純ならず、去れども写して神に入るときは、事物の紛糾乱雑なるものを綜合して一の哲理を数ふるに足る、』(夏目漱石『人生』/『漱石全集第十六巻』/岩波書店/p.11)


 雑誌のような段組で二つ以上の文章を一ページに重ねる小説は幾つか現れ、たしか現代作家の第一の書き手、平野啓一郎氏にも『氷解』という上下二段組の小説があったように記憶している。

 『続明暗』が漱石作品とそっくり同じ装丁で文庫に収められた水村美苗さんには英語と日本語が左右のページに書いてあるバイリンガルらしい作品がある。

 そうは言っても読者は二つの文を同時に読むことはできないので、『氷解』も結局村上春樹さんの『世界の終わりと ハードボイルド/ワンダーランド』のように二つの交錯する(しない)物語として、一章ずつ読むしかない。

 そういう意味では八つも十億も同じであって、新聞の紙面のように「好きなところからお読みください。これが現在です!」などと威張ってみてもどうにもなるものではない。

 百科事典、検索エンジンはまだ、「いさぎの悪い努力」を続けるつもりかもしれないが、百年後も小説は「人生の一側面を写すもの」であろう。

 この論がいくら章を重ねても、総論という無謀な野心にも関わらず、現代文学の一側面を語るに過ぎないというのと同じ理屈である。



『犬に吠え付かれて、果てな己は泥棒かしらん、と結論するものは余程の馬鹿者か、非常な狼狽者(あわてもの)と勘定するを得べし、去れども世間には賢者を以て自ら居り、智者を以て人より目せらるゝもの、亦此病にかかることあり、大丈夫と威張るものの最後の場に臆したる、卑怯の名を博したるものが、急に猛烈の勢を示せる、皆是れ自ら解釈せんと欲して能はざるの現象なり、況や他人をや、』(夏目漱石『人生』/『漱石全集第十六巻』/岩波書店/p.14)


 また百年後も人間は不可解なものであることであろう。

 丁度1910年頃から生気論と機械論の融合という時代の要求に推されてフロイトやライヒらが人間心理の精神分析学において画期的な研究をしたが、未だに「精神」を実体的に捉える設計図のようなものは完成されていない。

 心理学はアリストテレス、または考え方を変えれば古代中国以来長い研究があるが、まだまだ人間の心を解明する実力はない。

 解剖学者の養老猛司さんは、「心よりも脳の仕組みが複雑だ」とおっしゃる。

 心でも脳でも精神でもいいが、大体そんなものが人間を動かしていて、その辺りが不可解であることに関しては百年後も変わりなかろう。

 またこれからはさらに不可解になるだろう。

 泥棒がほっ被りして唐草模様の風呂敷を担いでいるとは限らない。

 犬に吠えられて自分を泥棒かと疑うことはないにしても、他人はみな泥棒と疑うべしという教訓が「極論」でなくなる日は近い。
 
 梅のつぼみを見ようと男が一人ふらふら公園に入ってくと、子供を遊ばせていたお母さんが慌てて逃げていく…。悲しいことだが既にそんな時代なのである。


『若し人間が人間の主宰たるを得るならば、若し詩人文人小説家が記載せる人生の外に人生なくんば、人生は余程便利にして、人間は余程えらきものなり、不測の変外界に起り、思ひがけぬ心は心の底より出で来る、容赦なく且乱暴に出で来る、海嘯と震災は、啻に三陸と濃尾に起るのみにあらず、亦自家三寸の丹田中にあり、険呑なる哉』(夏目漱石『人生』/『漱石全集第十六巻』/岩波書店/p.15)

 漱石は『文学者の哲学的基礎』の中で、モーパッサン、ゾラ、そしてシェイクスピアの『オセロ』までを批判する。

 人間の真を描くがそれによって不愉快になるので良くないとの批判である。

 それでは深澤七郎の『楢山節考』や沼正三の『家畜人ヤプー』はどうなるであろうか。

 漱石の言う「不愉快」をこれらの作品ほど喚起させる作品はそうはあるまい。

 海外においては『時計仕掛けのオレンジ』や所謂ピカレスクロマン、ハンザイ小説が現在でも大流行であり、それがハリウッド映画のような勧善懲悪の結論を見ない場合もあろう。

 またサドやマゾッホはどうであろうか。

 また性欲の強い和田君(仮称)の推薦するようなものはどうであろうか。

 漱石先生は「変態である」と払い除けてしまうのではないか。

 泥棒や暴漢のわがままさが人間心理の一面であることは間違いない。

 野間宏は戦争という極限状態において平時と全く異なる人間を見て、考えを変えた。


『戦争こそは私の体験の中心にあるものであった。

 私はこの戦争の体験にもとづいてすべてのものごとを見直そうと考えた。

 私自身戦争の異常なできごとのなかで、かつて想像もしていないような人間になったし、私のまわりのひとたちも、私が推測できなかったような行動をし、人間とはこんなものだろうかという、大きな疑問を私の中にうえつけた。

 このような人間の姿はこれまでの文学作品のとらえた人間の姿とは全くちがったものであり、私はこれまでの文学に対する不信をいだかねばならなかった。

 私はこれまでの文学と断絶している自分を感じ、この断絶をたいせつにして、この断絶から出発して、戦争の意義を問いつめていこうと考えたのである。』
(『小説の書き方』/野間宏他/明治書院/昭和四十四年)


 これが多くの戦後派作家の書く理由を象徴する主張であろうか。

 断絶というのは「思い上がり」ではないかとも感じるが、そう書く気概なり、書かざるを得ない心境というものがあったのだと考えよう。

 だが恐らく、空前絶後、奇想天外は第二次世界大戦のみに内包される秘密などではない。

 漱石は宇宙の真理を悟った者ではなかったであろう。

 単なる明治(大正)の文学者である。

 人間の一個体であった。

 丹田に恐るべきものを隠す、百年後の未来人と同じ一個体である。

 だから現代文学は漱石にのみ内包される秘密ではないが、この一個体はたまたま妙に手応えがある。


                                   
                                         (続く)

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