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ソヴィエト連邦解体直前の1991年1月に就役し、1991年12月末に北方艦隊ヘ配備された重航空巡洋艦「アドミラル・フロータ・ソヴィエツカヴァ・ソユーザ・クズネツォフ」だったが、極度の財政難により、その後の活動は極めて低調であり、ムルマンスク近郊のウラ・グバ(ヴィジャエヴォ)に停泊している事が多かった。

就役から4年後の1994年、アドミラル・クズネツォフにようやく航空部隊が配属された。

1995年12月8日、アドミラル・クズネツォフは、ウラ・グバを出港した。
目的地は、5年前に通過した地中海であった。

クズネツォフには、北方艦隊の駆逐艦「ベッストラーシヌイ」(ソヴレメンヌイ級)、給油船「ドニエプル」、救助曳船SB-406、そして原子力潜水艦「ヴォルク」(アクラ型)、バルト艦隊所属の警備艦「プイルキー」(改クリヴァクI型)、給油船「オレクマ」、黒海艦隊の給油船「イワン・ブブノフ」、救助曳船「シャフテル」が随伴した。

この時、「クズネツォフ機動部隊」の指揮を執ったのは、ロシア海軍総司令官第一代理(副総司令官)イーゴリ・カサトノフ大将。
奇しくも彼は、かつて1991年12月、黒海を「脱出」するアドミラル・クズネツォフを見送った黒海艦隊司令官であった。


地中海へ向かうアドミラル・クズネツォフには、Su-33艦上戦闘機×15機、Su-25UTG艦上練習機×1機、Ka-27対潜ヘリコプター×10機、Ka-31早期警戒ヘリコプター×1機が搭載されていた。

1995年12月23日、クズネツォフ機動部隊はジブラルタル海峡を抜け、地中海入りした。

地中海西部で新年を迎えたクズネツォフ機動部隊は、1996年1月7日、チュニジアのチュニス沖に投錨、17日まで滞在していた。

チュニジアを出て地中海を航行するアドミラル・クズネツォフは、アメリカ海軍第6艦隊司令官の訪問を受けた。

地中海を東へ進むクズネツォフ機動部隊は、1月29日、シリアのタルトゥースに入港。
2月2日に出港した。

2月4日にはクレタ島へ寄港した。

2月17日、マルタのヴァレッタへ寄港。18日まで滞在。

その後、クズネツォフ機動部隊は帰路につき、3月4日、ジブラルタル海峡を抜け、大西洋入りした。

クズネツォフ機動部隊がバレンツ海に入ると、北方艦隊は、本艦を「標的」にして「対空母迎撃」演習を行った。

1996年3月22日、アドミラル・クズネツォフは、ウラ・グバに帰投した。

この時、アドミラル・クズネツォフは6,245海里(11,565km)を航行し、艦載機の飛行回数は600回に及んだ。


その後、ロシア海軍は、2000年秋以降に、再びアドミラル・クズネツォフの地中海進出を計画したが、極度の財政難により取り消された。


[写真の解説]
・1〜5枚目:地中海のクズネツォフ
・6枚目:クズネツォフ艦上のSu-33(87号機)
(87号機の前に居る将兵で、唯一、服の色が違う人物は、おそらくチムール・アパキージェ大佐)
http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/22320648.html
・7枚目:クズネツォフに随伴した駆逐艦ベッストラーシヌイ
・8枚目:クズネツォフに随伴した警備艦プイルキー
・9枚目:機動部隊を指揮したイーゴリ・カサトノフ大将

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