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ロシア海軍救助船「コムーナ」
Спасательное Судно"Комунна"
今年(2008年)で艦齢93年の超々オールドタイマーです。
本艦は、カタマランcatamaranと呼ばれる双胴船です。
1911年に計画され、ドイツの双胴救助船「ヴルカン」をタイプシップとして設計されました。
1912年11月12日、サンクト・ペテルブルク市の「プチロフスキー・ザヴォート」
(Путиловском заводе、現セーヴェルナヤ・ヴェルフィ)で起工
1913年11月17日、進水
1915年3月1日、洋上テスト開始
1915年7月1日、海軍へ引渡し
1915年7月14日、軍艦旗掲揚、バルト艦隊配属
当初の船名はヴォルホフ(Волхов)でした。
当然、この時は、ロシア帝国海軍所属艦です。
第一次大戦時は、バルト海でサルベージ船として活躍し、潜水艦АГ-15などを引き揚げました。
ロシア革命後、ソ連海軍赤旗バルト艦隊に編入。
1922年12月31日、「コムーナ」と改名
1928年5月15日〜9月13日まで(1919年6月4日に)フィンランド湾で沈没したイギリス潜水艦L-55の引き揚げ作業に従事。
潜水艦は、1928年7月21日に深さ62メートルから海面へ上がりました。
1941年から始まった大祖国戦争でも、サルベージ船として活躍しました。
レニングラード防衛戦では、コムーナの乗組員23名が地上戦闘へ参加しました。
ドイツ空軍の空爆で幾度も損傷を受けたコムーナでしたが、乗組員は船の修理に努めました。
1942年には、コムーナの乗組員は、ほとんど入れ替わっていました。
食糧は欠乏し、乗組員は、1日あたり300グラムのパンしか配給されないという有様でしたが、
船を修理し、潜水艦Щ-411、曳船「アウストラ」、帆船「トルード」「ヴォドレイ2」、工船「プラウダ」などをサルベージしました。
1943年には、襲撃機Il-2、曳船「イワノヴォ」を引き揚げました。
1944年、コムーナは、14回に渡り、総計11,767トンの沈没物を引き揚げ、34隻の船を救助しました。
同年、コムーナは、「レニングラード防衛功労賞」を授与されました。
1954年、「コムーナ」はオーバーホールを実施。
オランダ製ディーゼルエンジンを国産の物に換装しました。
1956年11月、潜水艦M-200を深さ45メートルから引き揚げ。
1959年8月、潜水艦M-256(1957年9月沈没)を深さ73メートルから引き揚げ。
1967年、「コムーナ」は黒海沿岸セヴァストーポリに回航され、近代化改装を実施。
この改装工事で、「コムーナ」は深海救助艇を搭載・運用出来るようになりました。
改装は、1973年4月27日に終了しました。
「コムーナ」には、プロジェクト1832(ポイスク-2型)深海救助艇AS-6が搭載されました。
1977年、「コムーナ」は、コーカサス地方沿岸で墜落したSu-24爆撃機を、1700メートルの深さから引き揚げました。
1979年11月、「コムーナ」は、再び近代化改装工事に入りました。
ソ連海軍は、1984年、「コムーナ」をソ連邦科学アカデミーへ譲渡する為、乗組員を解散させました。
しかし結局、科学アカデミーへの譲渡は取りやめとなり、
1985年4月、「コムーナ」は、海軍へ復帰しました。
1991年12月、ソ連邦は解体され、本艦はロシア海軍艦艇となりました。
「黒海艦隊帰属問題」解決後の1997年、本艦はロシア海軍旗(聖アンドレイ旗)を掲げました。
ここまでは、他の黒海艦隊所属艦艇と同様ですが、本艦の場合は、ロシア革命以来、
実に60年振りの聖アンドレイ旗掲揚でした。
ロシア帝国海軍、ソヴィエト連邦海軍、ロシア連邦海軍に所属した唯一の艦「コムーナ」は、
今も、黒海艦隊所属艦として稼働状態に維持されています。
上掲写真は、1〜7枚目が2007年撮影、
8枚目は、2008年1月3日に撮影されたものです。
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こんばんは。オールドキングな特集ありがとうございます。大ベテランな艦の容姿がどんなものと思いきやこれまた存在感発散しまくりな姿で吹いてしまいました。それに戦績?も凄いし…是非このまま現役で活躍していてほしいものです。
2008/6/13(金) 午後 9:09 [ トンバ ]
12〜3年毎にオーバーホールや近代化改装をおこなっているようですが、それにしても艦齢が93年を超える艦だとは思えないくらい綺麗な状態ですね。しかも記念に保存されているというのではなく、稼動状態(現役)というのだからびっくりです。
100年近く前に双胴船というのは斬新で珍しい設計だったような気がしますが、当時の最新の技術を取り入れて造られた艦という事になるのですか。それともそんなに珍しい設計思想ではなく、結構、双胴船は建造されていたのですか。造船の歴史のような知識がまるで無いので御教授お願いします。
2008/6/14(土) 午後 1:11 [ ビクター ]
早速の画像アップ、ありがとうございます。
上構がほとんどジャングルジム状態……。なんか、本当に魂が宿ってそうな、古強者の面構えですねぇ。
一方で、カタマラン船型というのには驚かされます。アメリカのピジョン級救難艦なんかも双胴型ですが、90年以上前(というか、ほとんど1世紀前)の艦としては珍しいじゃないでしょうか?
物持ちがいいということもあるんでしょうが、やっぱり使い勝手もいいでしょうね。地味ながらも、重要な任務をいくつもこなしているし。
こういう「お助けメカ」的な艦って大好きです。
それにしても、生涯で二度も国の興亡(革命)を見つめてきたというのはすごい。
まさに「国破れて、コムーナあり」?
2008/6/14(土) 午後 1:14 [ bygzam_ma08s ]
>トンバ様、どうも。
第一次、第二次の両世界大戦に参加し、なおかつ、
今も現役の艦艇は、このコムーナくらいでしょう。
2008/6/14(土) 午後 10:44 [ 高町紫亜 ]
>ビクター様、どうも。
確かに、海軍艦艇で双胴船というのは、
当時としては斬新かつ珍しい設計でしたね。
双胴船は、安定性が高いというメリットが有りますが、
一方で復原性が低いとか水中抵抗が高いとか
運動性能が低いなどといったデメリットもあり、
戦闘用艦艇には不向きです。
戦闘用途では無い救助船とは言え
双胴船形態を採用する事は、当時としては、
かなりの「技術的冒険」だったでしょう。
まあロシアも、戦闘用途では無い船だったからこそ、
試験的に造らせてみたのでしょう。
2008/6/14(土) 午後 10:48 [ 高町紫亜 ]
>bygzam_ma08s様、どうも。
アメリカのASR21ピジョンは、1973年就役・1992年除籍ですから、
コムーナの4分の1以下の期間しか活動していませんね。
2008/6/14(土) 午後 10:48 [ 高町紫亜 ]
早速の御教授有難うございます。
救助船の場合、運動性性能より安定性が高い方が有利そうですね。当初よりかなり活発に救難活動に従事していたようなので、使い勝手や性能的にも問題は無かったようですね。
あと私の勝手なイメージなのですが、ソ連時代では失敗した時の責任問題を恐れ、前の設計に少しずつ手を加えていく手堅いやり方で設計を発展させていったイメージがあるのですが、ロシア帝国の時代ではかなり柔軟な考え方が出来たようですね(もちろんソ連時代でも一から設計する時は冒険をしたのでしょうが・・・)。
2008/6/15(日) 午前 11:56 [ ビクター ]
>ビクター様、どうも。
ロシア帝国時代には、新規に艦艇の建造計画を立てる際、
複数の設計案を募って「競作」させるという方法が採られていましたが
ソ連邦時代になると、そういう「競作」は無くなりましたからねぇ。
ただ、ロシア帝国時代は、まだ造艦技術が試行錯誤の段階だったという事も有りましたが。
2008/6/15(日) 午後 11:10 [ 高町紫亜 ]