【夕のメッセージ】スコットランドも第五の権力からは程遠い

スコットランド独立を目指した人々は小さな民族集団である。人口は500万余り。大英帝国の巨大権力の中枢には全くいなかっただろう。スコットランドは独立国家になった事がなく、独立国家の権力というものを知らないという事になる。三権、四権まではどこにでもある権力であるが、権力の本性は第五の権力である。スコットランド人は未だこの第五の権力を知らないという事になる。どこの国民も知らないとも言えるが。米人だって知らない。日本人も知らない。ブラックマスコミが世界を支配して来たという事は、世界の人々は第5列というもの、第五の権力というものを知らないという事である。

今回のスコットランド独立投票でやはり不正が出て来た。BBCも報じている。日本では全く無し。そりゃあそうだろうな。英で大騒ぎにならない限り日本のブラックマスコミは絶対に報じない。果たして英ではこの不正問題が爆発するだろうか。英のマスコミには期待できない。果たしてスコットランド人が爆発するかどうかである。恐らくスコットランド独立派も自前の世論調査はやっていただろう。その結果自信を持っていたのではないか。そうであれば、噴出した不正疑惑に飛びつき大爆発となると思うが、如何せん第五の権力を知らなさ過ぎる。一カ所の発火が大爆発にまで行くかとなると、私はあまり自信はない。権力というものの本性、あくどさは中々一般国民には分からない。そこまでひどいのかという部分の実感が持てないのだ。

スコットランド人は果たして不正選挙に対して問題意識を持っていたであろうか。持っていたとしてもどこまで強烈に持っていただろうか。甚だ頼りない。国民と第五の権力には天地の距離がある。国民には見えないし感じる事もない。第5列ブラックマスコミが米欧日で圧倒的支配力を有している事が、その事を証明していると言っていい。国民は無垢な存在である。権力は悪魔である。国民には権力の素顔が見えない。開票結果を見守るスコットランド国民を見たが、どちら側も素直な反応だった。独立派の首相も簡単に負けを認め、独立派国民に結果を受けれるように言っていた。果たしてこの時不正の事はまだ知らなかったのだろう。本来であれば、不正にギラギラした目で注意を払っていなくてはならない。まだ不正が無かったという確証が持てるまでは、負けを認める訳には行かないと言うべきだ。そういう事なしに、実に素直に結果を受け入れていた。馬鹿である。

第五の権力は選挙を利用して決着をつけるのである。第五の権力にとって選挙は国民的問題の決着をつける為の儀式だ。実に好都合な儀式である。この儀式を経ればどんな強硬派だろうと跪く。オリンピックと同じである。参加者は皆勝ちたい。しかし実際の試合で決着すれば、もう誰も文句を言わない。オリンピックは公正な試合が保証されている。例外もあるが、基本は公正である。試合の結果は全ての参加者、全ての観戦者を納得させる。これを選挙にも応用したのが第五の権力である。公正と思わせた選挙で決着をつければ、全ての参加者、国民が納得する。これ程お手軽な決着もあるまいよ。第五の権力にとって選挙は絶対に支配しておくべきものである。

巨大なシステムである選挙は、国民の目には見えない。その気になればどうにでも人為を介入させる事ができる。国民は選挙のお客さんであり、第五の権力は選挙の製造販売のプロである。プロが本気になればお客さんの知らない所でどうにでもできる。盲目の国民とプロの目の第五の権力である。国民は選挙で初めから第五の権力に負けている。

オリンピックの試合は厳重なルールがある。参加者も観戦者もこのルールを目の前で見る。不正のしようがない。審判は皆から監視されている。選挙も全く同じである。完全に透明で完全な監視があり、絶対の公正が保証されていなければならない。現実は全く違う。第五の権力の思いのままである。騙されている国民が馬鹿なのである。

選挙はオリンピックと同じ厳格ルールで行えばいいのである。それで第五の権力も排除できる。

スコットランドは1707年までは独立王国だった。上の方で間違えたが、大筋に変化はない。

開く トラックバック

【夕のメッセージ】第五の権力は選挙を支配している

スコットランドの独立賛成反対投票の結果が出た。予想通り反対の勝ちであった。もし独立賛成なら偽ユダヤ本山の英の足元がぐらつく。キャメロンもスコットランドの国民に独立に賛成しない様に哀願する感じだった。嘗ての大英帝国ではないというものの、偽ユダヤ本山の地位は健在であり、そこに打撃を食らう事は偽ユダヤ全体の由々しき問題である。偽ユダヤ体制を自らぐらつかせるような事をする訳がない。という事で、全然波乱を期待していなかった。少し前の世論調査では賛成が結構上回っていた。それで急に世界の関心が高まった。すると今度は反対が上回るようになった。もうこの時、結果は決まっていたのだ。日本で毎度おなじみのブラックマスコミ世論調査による世論誘導が始まったのだ。決して大接戦とはならない。一定の余裕を持って反対が優位という調査結果を出す。実際に結果もその通りだった。第五の権力はいざという時は選挙など思いのままだ。選挙などに一々左右されていたら権力など維持できない。マスコミも選挙も支配するのが第五の権力である。

もしかしたら本当に反対が勝っていたかも知れない。しかし、第五の権力が支配する世界に公正選挙など求めようもなく、選挙結果は決して証明されない。選挙もマスコミも第五の権力に支配されている状況からは、如何なるポジティブな波乱も起きはしない。もしかしたら本当に反対が勝っていたかもなんて考える事も全くの無駄という事である。今回の選挙(投票)の全体のシステムはどういうものだったか、公正が完全に証明し得るものだったか、まずこの点が明確にならなければならない。第五の権力が支配する世界では、性悪説が全ての出発点になる。選挙なら不正選挙が考える時の出発点である。

第五の権力は国民主権の対極にある。そこでは国民主権は踏み潰されている。国民は断固として第五の権力を許してはならない。今回の投票に関して、果たして公正の保証はあったのだろうか。マスコミからはそういう情報は皆無だった。ただ投票できるようになったというだけの事だったのではないか。投票を求めた側も甘い考えだったのではないか。投票を決めるだけでなく、公正を完全に保証しなければならなかった。果たしてコンピューターは導入されていたのか。全ては完全手作業で行うべきだった。やったのか。投票箱の管理体制は完全に保証されていたのか。投票は巨大なシステムであり、人為が割り込む余地は沢山ある。こういう部分の徹底検証の事前情報が皆無だった。勝負はこの時ついていた。

第五の権力が支配する世界で選挙による大波乱は無い。まずこういう事を知る事から権力との戦いは始まる。選挙は公正が徹底的に追求されなくてはならない。公正の完全保証が得られてから選挙を行うべきものだ。公正選挙を戦い取らなくてはならない。そこで選挙の結果はほとんど決まる。

開く トラックバック

【深夜のメッセージ】第五の権力こそ権力の本性

第5列ブラックマスコミの親分が第五の権力である。第5列という事はその主は国外にいる。第一から第四までの権力は常識が規定する権力である。しかし、権力とは国民の常識など及びもつかない所にある。国民主権などと持ち上げられていい気になっていた国民を権力はあざ笑う。国民は相も変わらず奴隷状態である。嘗てのように露骨ではないが巧妙に奴隷状態に留め置かれている。国民の武器である筈の選挙は国民の目の届かぬ所で弄られ、同じく国民のツールである筈のマスコミは権力者のツールになっている。国民主権など全くの絵空事である。国民が仮に公正な選挙で議員を選べたとしても、その議員がどこかに連れて行かれてしまう。国民にはどうにもならない。マスコミはそういう事を全く報じない。マスコミではなくブラックマスコミである。おかしくなっているのは立法、司法、行政、マスコミの全てである。つまり国内の四権は全部第5列である。こんな事、国民が想像できるだろうか。マスコミ鵜呑み度世界一国民にはどこか別の国の世界の話である。しかし、これこそが権力なのである。

国民主権と権力。おかしな組み合わせだ。権力は国民を支配するものだ。それは権力の本能である。そんな権力を前にして国民が主権者なんてどこから出て来るのだ。国民主権を言うからには権力の本能を知り尽くしておかねばならない。権力は力を持っている。権力とは辞書に「他を支配する力」とある。国民全てを支配するからこそ権力なのである。それなのに主権者に祭り上げられた国民は権力に無頓着である。マスコミ鵜呑み度世界一=権力従属度世界一である。日本人はおめでた過ぎる。国民主権は権力性悪説で権力を徹底的に縛り上げておかねば絵空事になる。日本人には権力=お上である。国民主権など日本国民には初めから無理という事だったのである。

権力の本性は三権即ち立法、司法、行政などという表づらの区分からは全く見えて来ない。何がチェック&バランスだ。権力は1つしかない。三権は癒着する。マスコミが第四の権力とはお笑い種である。マスコミは権力の国民支配ツールである。そしてこの国内四権は一まとめに第5列とされる。第5列の主こそ第五の権力である。国外におわす。権力の食物連鎖が見えて来る。小さな権力は大きな権力に飲み込まれ、大きな権力ももっと大きな権力に飲み込まれる。権力は獰猛無慈悲である。日本に国民主権など影も形も無い。

国民の唯一の武器は言論力である。インターネット時代は国民の時代である。まだまだ黎明期の走りである。真っ暗な世相だが中露主導体制が外を明るくしている。言論力を磨いて第五の権力を血祭りに上げねばならない。権力の本性を知り尽くす日本国民としなければならない。国民主権とはそういう事である。権力の本能を制御しなければ民主主義は絵空事になる。ネット言論の使命は途轍もない。

開く トラックバック

【夜のメッセージ】第5列から第五の権力の概念が出る

ウクライナも第5列ブラックマスコミで大変のようである。ロシア軍が国境を超えて来たというような情報をテレビの中で毎日地図上で国民に説明している。これじゃあ無垢な国民はロシア憎しがエスカレートする。それで軍関係に加入する者が引きも切らずという事のようである。嘘情報で国民の危機感を煽り、軍への支持支援を膨らませる。ブラックマスコミの影響は実に恐ろしい。ウクライナクーデター政権が国内で堂々と政治をできるのも、このまともでないマスコミが存在するからだ。もしこれが社会の木鐸のマスコミであったならば、真実が国民に知らされてクーデター政権など存在し得ない。立法司法行政の三権は互いにチェック&バランスの関係にあるように見せかけているが、実際はズブズブの関係である。だから第四の権力マスコミも他の三権とズブズブでなくてはならない。そんなマスコミなどあってはならないから、これをブラックマスコミと言うのである。

そして今、新たに第5列という概念が登場した。これらのズブズブの四権は国内限定の枠で捉えるのではなく、国外即ち米のコントロール下にある点を最大に注目しなければならない。権力は国境を超えて規模を拡大し、新たな権力関係が出来上がる。国外の権力が国内権力を従える。この歪な権力関係が第四の権力までは認識されていなかった。飽くまでも国内権力限定の枠があった。しかし最早ネット言論では日米の傀儡関係は完全な常識である。三権は言うに及ばず四権でも権力の実態を言い表してはいない。三権であろうと四権であろうと、その権力の出所は国民主権にある。国民が主権を行使する事で三権も四権も権力を与えられている。三権も四権も国民の支配者ではない。しかし現実は、三権四権が国民を支配している。国民は主権者ではなく実質奴隷の立場にある。そもそも権力者がいて国民主権など無理な設定である。国民主権が成立する為には民主主義が厳格に成立しなければならない。そこに決定的な役割を果たすのがマスコミという訳である。マスコミが国民のツールとなって初めて三権の上に国民主権があり得る。だからマスコミが第四の権力なんて事は許されないのである。国民のツールはツールでしかない。

第四の権力マスコミの存在は既に国民主権を否定している。そういう権力は三権でも四権でも歪であり、歪は行き着く所まで行き着く。それが第五権の新概念を生む。歪な権力の究極形としての第五の権力である。最早四と五では本質が違う。第五の権力は第5列である。外国の権力が潜り込ませている第5列の第五権である。もう国民主権もへったくれもない。四権全てが第5列であった。外国権力の傀儡であった。そもそも権力とはそういうものである。如何わしいという事である。権力は利権で、人間の欲望そのものである。国民主権など全くの絵空事である。

国民は権力の姿をまず知る事である。三権も四権も権力の真の姿を表してはいなかった。米の権力すら実際は傀儡である。ほんまもんの権力者は表からは姿が見えない。そういう裏の真の権力者は民主主義の破壊者であり、我々は第五の権力という新概念を得る事で、破壊者を囲い込む事ができる。つまりもう破壊者ではあり得なくする。

第5列が第五の権力の新概念を生む。ネットで調べると、既に第五の権力という言葉はあった。マスコミが第四の権力だから、第五はネットの王様Googleという事のようである。言論的価値はない。

開く トラックバック

【夜のメッセージ】第四権力マスコミから第5列ブラックマスコミへ

マスコミは第四権力と言われる。三権と同格の権力として報道が第四権力と言われるようになった切っ掛けは田中角栄であると言う。なるほど権力者の地位にあった田中がマスコミから攻撃された事を思うと、田中のマスコミに対する胸の内が第四権力という言葉となって出たのだろう。西洋ではマスコミを第四階級と呼んだのが歴史の経緯のようだ。権力ではなく階級である。この辺については今ここでは掘り下げない。マスコミは初めから権力と認識されていた訳ではなく、次第に実態的に権力として認識されて来たという流れがある。田中がこの流れを第四権力として完全に定着させた訳である。

しかし考えてみれば、マスコミとは本来権力の監視者であり、権力側には決して立たないものの筈だ。社会の木鐸という神話の基本にこれがある。田中がマスコミを第四権力と言った事は、最早マスコミはブラックマスコミだった事を表している事になる。ロッキード事件は小沢事件と同じ構図である。偽ユダヤ米がブラックマスコミの力を背景に検察司法を使って政治家田中角栄を失脚に追い込んだ事件だった。既に田中はマスコミの本質に気づいていたのだ。首相に成りたての頃は今太閤と持て囃したが、田中金脈問題のでっち上げから態度が激変した。この辺は小保方事件と相似形である。

第四権力マスコミとはブラックマスコミの事である。マスコミの強大な力を権力と同一と見做し第四権力の名が与えられた訳だが、そんなマスコミはマスコミではない。強大な力を政治利用しているマスコミはブラックマスコミ以外の何物でもない。あの頃のノー天気日本人はマスコミを正義の味方と見ていた。しかし実際は検察もマスコミも第5列だったのである。知らぬは国民ばかりなり。田中の第四権力とは第5列ブラックマスコミだったのである。田中は金脈問題で首相を辞任し、その後の闇将軍支配はロッキード事件でっち上げで潰された。日本は米の第5列支配を受けていた。小沢事件でこの支配の形は更に露骨さを際立たせた。そして今日本は第5列政権によって国家破壊が進行中という事である。

マスコミとは情報発信の巨大な武器を持つ集団である。使い方を誤れば民主主義は一遍に破壊される。最も脅威となるのはマスコミが第5列となる事である。外国の権力が国内マスコミを支配する事ほど民主主義にとって恐ろしい事はない。国民が購読料や視聴料で生計を成り立たせているマスコミが外国権力の為の第5列となったんじゃ、もう話にも何もなりゃしない。国民はそんな事があり得るなどとは夢にも思わない。

田中は第5列ブラックマスコミの認識はあっただろうか。第四権力の実態は第5列ブラックマスコミなのだが、そこまでは見えていなかったのではないだろうか。あの頃の検察は正義の味方と誰もが思っていた時代だ。マスコミも同様だ。NHKなどは国民の皆様のNHKだった。そういう時代背景であるから、幾ら権力者田中でも第四権力とまでしか言えなかっただろう。第5列ブラックマスコミというのは一般国民の常識の完全な枠外である。想像すらできないだろう。言葉の問題は重要である。第四権力から第5列ブラックマスコミへ切り替えて行かないといけない。第四から第5へである。第4から第5へでも勿論いい。時代は第5である。第5から全てが見える。

開く トラックバック

【夕のメッセージ】民主主義を破壊する第5列マスコミ

第5列じゃなく第五列が正しいようだが、私は寧ろ第5列を使いたい。何故ならそこに数字があるからである。数こそ客観的概念の象徴である。第5列という新語の特徴は数が含まれる事である。数を含む言葉は純粋な客観性を持つ。1列目、2列目、3列目の意味の単純な5列目の意味の第5列もあるが、第が来ている意味は中々重い。第5列には最高の客観性がある。この部分が素晴らしいのである。恐らくこういう発想でこの言葉を捉える者はいまいと思う。私がブラックマスコミという言葉に特別なものを感じたのと通じるものがある。数が齎す客観性は最高という事をここでしっかり強調しておきたい。

第5列は偽ユダヤの人類支配を内包できる。最高の客観性故である。偽ユダヤは人口は極々僅かである。それが何故に人類を支配できたのか。巨大な人口で支配する体力勝負ではなく、権力の上手な使い方で人類を支配したのが偽ユダヤであった。偽ユダヤは第5列をフルに使って世界権力を掌握したのだ。第5列の言葉自体はスペイン内乱の1930年代に生じたものだが、偽ユダヤは遥か以前から行動としてやっていた。やはり、西洋の合理主義が生み出した考え方だと思う。日本人にはそこまでの合理性、客観性が持てない。ある意味連中は大したものである。

第5列は西洋由来の言葉であり概念である。現在の日本は偽ユダヤ支配が行き着く所まで行き着いた姿をしている。だから、日本本来の概念では捉え切れない。西洋由来の概念でないとピッタリの表現ができない。目の前にとんでもない現実がある。しかし、それが適切に表現されていなかった。どんな表現を持って来てもこのひどさをバッチリと表現できない。安倍政権はひどい政権である。野田もひどかった。菅はまだマシだったかも知れない。松下政経、橋下維新、ひどいものである。検察、最高裁、ひどいものである。そして、マスコミ。極めつけのひどさである。こういう目の前のとんでもないひどさを一体どう表現したら良かったのだ。いろんな表現でこのひどさを表そうとしたのだが、あまりのひどさにどんな表現も追いつかなかった。日本人はそこまで悪党になれない。日本人の脳ではそこまでの客観性を持てない。

野田も安倍も第5列政権であった。松下政経は第5列養成塾だった。検察最高裁は第5列機関だった。自民も公明も維新もみんなも第5列政党だった。偽ユダヤは敗戦日本を完璧な第5列支配国家にした。日本の民主主義は完全に第5列に支配された。日本の姿は第5列概念の中にすっぽり収まる。

一体この絶望的な日本をどうやって蘇らせるのか。まず何よりも重要な事は、現状を簡潔に表現できる言葉を持つ事である。自己認識が正確にできていないと話にならない。国民全体でそれができなくてはならない。正確な表現無しにそれは不可能である。ネット言論は現実を正確に適切に表現する事で力を得る。動画が力を持つのも同じ理屈である。動画は現実を丸ごとそのまま表現する。ネット言論は現実を客観的に表現する。どこまでも客観性を追求してこそネット言論は最大の力を得る。

ブラックマスコミは第5列マスコミと言い直せる。これほど国家にとって有害な存在はない。

開く トラックバック

【夕のメッセージ】第5列政権の安倍政権

第5列という言葉は新鮮だ。スパイや売国奴などとは違う切り口を与えてくれる。ブラックマスコミという言葉が持つ切り口と共通する部分がある。つまり言葉が客観的概念を有しているのである。プーチンはスパイ上がりだが、第5列ではない。決してスパイ=第5列ではない。野田は第5列であり、事実上のスパイである。自分の国の為にスパイをやる者(プーチン)と、他国の為に自国でスパイをやる者(野田)は全く真逆の存在である。

裏切り者という言葉があるが、裏切りは戦略的要素として考えるべきで感情的に非難してもしょうがない。戦争や戦いに勝つ為には、あらゆる行動を戦略的に評価する必要がある。米は世界支配の為に軍事力を使う一方で、第5列作戦も使う。第5列作戦の主戦場は平時である。軍事力を用いる事なく相手国を支配する事が第5列作戦の主目的である。

戦争は敵味方が明確のように思うが、第5列という概念があると単純な過ちを防ぐ事ができる。組織の中には常に第5列が存在する可能性がある。政治的にはトロイの木馬という言い方もあるが、第5列の方が遥かに客観的である。この言葉を頭に入れておく事で自らの組織監視が常にできる。民主党における松下政経グループなどは典型的な第5列である事が分かる。この言葉が頭にある事で、相手の第5列作戦を早期に発見できる。ジャパンハンドラーズは第5列作戦をやっているのである。スパイなどの単純な言葉ではこういう発想は起きない。軍事的或いは戦略的発想としての第5列作戦は、自分側と相手側の双方に向けて考えておくべきである。

人間は戦いに於いて自分勝手である。最後は自分が一番という事である。自分が属する組織の為に全てを捧げるとは限らない。第5列作戦は人間の本性に根差す作戦と考える事ができる。鳩山小沢民主党はジャパンハンドラーズの第5列作戦で粉砕された。検察も最高裁も第5列作戦の駒だった訳である。小沢事件とはジャパンハンドラーズの第5列作戦だったのだ。ブラックマスコミとはマスコミを第5列作戦用に作り変えたものである。悪徳ペンタゴンも第5列作戦の産物である。スパイというミクロの見方からは見えてこない壮大な大作戦が、第5列の見方からは見えてくる。この言葉は日本のマスコミでは一切使われなかっただろう。第5列作戦の駒となった組織では禁句となる言葉である。

安倍政権は第5列政権である。第5列作戦の主である米の戦争屋ネオナチの為に奉仕する政権である。この正体がばれないようにブラックマスコミ即ち第5列マスコミが機能している。私は「第5列」をロシアの国営マスコミVORの記事で知ったのであるが、この記事は東南アジア諸国について使っていた。東アジアに使っても何の問題もない。日本も韓国も第5列政権の国だ。恐らく日本こそが世界最悪の第5列政権国家である。何しろ大戦争に負けているから。自民党一党独裁=第5列政党独裁 という事である。

第5列は壮大な視野の広がりを与えてくれる。日本国民の常識語とすべきである。第5列支配を脱しなければならない日本国民である。

開く トラックバック

【夕のメッセージ】第5列による国家乗っ取り マスコミこそ第5列

第5列という言葉は初耳だった。ネット界で沢山の言説に触れて来たが、この言葉は初めてだった。VORに出た記事にあったから、ネット界の言説という訳じゃないがネット言論活動の中で発見したという事である。第5列とはスパイの事である。辞書にちゃんとあった。

だいごれつ【第五列】
〔スペイン内乱中,四個部隊を率いてマドリードに進攻するフランコに呼応した共和政府内のグループを,フランコ側が第五列と称したことに始まる〕
内部にあって,外部の敵勢力に呼応して,その方針のもとに活動しているグループ。

スパイという概念より遥かに大きな概念である。スパイと言うと個人を指す感じが強いが、第5列と言うと大きな組織を意味している。日本海軍にはスパイが沢山いたという話はネット上にあるが、正に第5列が日本海軍の中にあったという事ではないか。米の日系人が強制収容所に隔離されたが、これも米が米国内の日系人を第5列と見たと考えられる。

何故日本の言論空間には第5列という言葉が存在しなかったのか。第5列という言葉は戦略論的には常識であろう。ロシアの国営マスコミのVORにこの言葉がぽろっと出て来たのは、記事を書い人物の頭の中では常識化していたのだろう。その部分を抜き出してみる。

「かつては西側諸国は植民地主義競争を公然と行っていた。しかし今は政治工学も精緻化し、名ばかりの平和的体制転換を起こし、「第五列」すなわちスパイを暗躍させ、政権を内側から揺さぶって大国に依存的な新政権を樹立させ、その大国の言うがままに従わせる、といった手管が使われている。東南アジアはこうした攻撃にさらされている。」( http://japanese.ruvr.ru/2014_09_12/277216162/ )

この記事は東南アジアについての記事だが、この部分は今の日本に完全に当て嵌まる。この記事から言える事は、ロシアは日本の現状を完全に認識しているという事である。日本は第5列によって国家が大国即ち米に乗っ取られているのである。第5列による支配が行われている国では、第5列という言葉は消えるだろう。今のロシアは完全に独立国であるし、ずっと戦略的思考をして来た国家であるから第5列が常識語となったのだろう。私はロシアの常識に触れて初めてこの言葉を知ったという訳である。

米欧では第5列による支配は戦略論として常識なのだろう。この言葉は日本のマスコミでも使われなかったものと思われる。何故なら、ブラックマスコミこそ第5列であるから。VORの記事にあるように、今は政治工学も精緻化し、ブラックマスコミこそが第5列の中心にあるのだ。マスコミの第5列化なしに日本のような巨大国家の乗っ取りなどできる訳がない。第5列という言葉をネット界でどんどん常識化したい。

第5列が初登場したスペイン内乱は1936~1939である。米欧ではもう長いこと使われていたのだろう。日本は第5列による支配を受けていたのである。民主党の中にも第5列がうじゃうじゃいた。自民党は第5列そのもの。公明も維新も第5列。衆参不正選挙で国会は第5列化した。

第5列。こういう言葉があったんだね~。スパイや売国奴とは異なる戦略論的概念である。

開く トラックバック

【夕のメッセージ】ブラックマスコミ世界の朝日問題の笑止

朝日の社長が辞任する問題が発生した。私はこの問題に関心がなかった。今でもない。理由は巨大悪ブラックマスコミの問題ではないからである。高々ブラック朝日の原発報道に関わる局所的問題に過ぎない。問題自体の認識不足は初めから承知で言っているが、認識を深める動機が湧かない。私が問題にし続けているのは巨大悪ブラックマスコミである。今回の朝日問題などは小悪に過ぎない。巨大悪集団ブラックマスコミの中の一部の小悪をあげつらう事が何を意味するか。関心が持てないのも当たり前である。ブラックマスコミは全て解体消滅させなくてはならない。現実問題としては、新聞社名、テレビ局名の廃止改名、全役職の追放、刑事的追及の徹底、クロスオーナーシップ廃止という事である。民主主義の破壊者ブラックマスコミには一切容赦はない。大日本帝国の軍隊が解体消滅させられたように、ブラックマスコミも解体消滅なのである。大日本帝国の軍隊と当時のマスコミは一体でありながら、マスコミはそのまま生き延びた。ここに今日のブラックマスコミ問題の根っこがある。何故生き延びたのか。偽ユダヤ米がブラックマスコミの国だったからだろう。本物の武器は取り上げたが、情報の武器はそのままにして再利用という事だ。

ブラックマスコミのごく一部の朝日の社長辞任など、何の意味もない。アホくさい。小沢事件の報道犯罪で日本のマスコミは民主主義の殺人者となった。その全戦力が解体消滅処分となる。現実はゼロ処分である。それが衆参不正選挙へと繋がり、原発再稼働、TPP、消費税、秘密保護法そして小保方事件を派生させる事となった。小沢事件の首謀者ブラックマスコミは解体消滅処分以外にない。ここは断固として確認しておかねばならない。朝日の社長辞任など鼻先で笑う程度のものである。ブラックマスコミ体制に影響度ゼロである。体制の引き締め効果こそあれ、緩む事はない。

考えてみるとブラックマスコミ問題が今回のような扱われ方をする事はない。何故なら報じる者がいない。報道犯罪を報道する事は自己矛盾、自己解体である。結局、ネット言論しかない。そこから国民的認識へと拡張する以外にない。ネット言論の確実な拡大こそが日本の民主主義の未来を開く。ブラックマスコミは巨大だが、言論の世界は規模じゃない。切り口の鋭さである。ぶった切る力である。ネット言論の担い手達は何れも個性があり強力である。私自身はその中心にいたいと思う。私はブラックマスコミから論点を外さない。全ての重要問題はブラックマスコミと直接間接に関わる。あらゆる重要問題はブラックマスコミと共にある。安倍などブラックマスコミ劇場の役者に過ぎない。我々は劇場を解体消滅するのである。

民主主義にとってブラックマスコミほど脅威となる存在はない。マスコミとは脅威と誰でもが常識として思う社会にしなければならない。まずネット言論である。ネット言論が国民をリードしなくてはならない。言論には神の力が宿ると信じる。

開く トラックバック

【夕のメッセージ】恐竜ブラックマスコミの絶滅間近

マスコミという巨大強大な武器を持った人間達は日常的な武器の乱用で感覚が正常から逸脱して行く。誰だってそうなる。人間は分不相応な武器を持つと乱用の誘惑に抗し切れない。それが利権と絡んでくれば最早どうしようもない。権力と利権とマスコミはぐちゃぐちゃに癒着する。NHKなどは皆様のNHKの仮面を被っているから、偽善組織が宿命づけられている。小保方事件、笹井博士自殺事件でNHKの正体は完全に露呈した。NHKの世論調査は最も信頼性が高いと国民は思っているが、それこそ連中の思う壺というものである。マスコミというものは雁字搦めに規制されて当たり前の存在である。情報の武器は民主主義を破壊する。表現の自由を規制するのではなく、情報の武器を規制するのである。

世界一のマスコミ鵜呑み度国民はどうやって作られたか。日本の新聞発行部数は世界上位を独占している。日本じゃ小ぶりな産経ですら、世界レベルじゃ大新聞だ。1000万部読売などは正にモンスターである。おまけに日本の大手新聞はテレビ局も傘下に置く。新聞テレビ一体となって国民を洗脳する。世界一の鵜呑み度国民もそりゃあできるというものである。日本の新聞テレビは社会の木鐸という神話が成り立つ風土にあった。これほどぼろい商売もないだろう。日本のマスコミは世界最悪の偽善集団と言って構わない。小沢事件、衆参不正選挙、小保方事件、笹井博士自殺事件、その他にも沢山ある。日本のマスコミは正に巨悪である。記者クラブは正に巨悪の巣だ。日本の風土がマスコミの天国だったのである。日本のマスコミは正に巨大な恐竜に成長した。どんな敵が現れようと簡単に蹴散らした。恐竜に敵なしである。

しかし、恐竜の前に現れたのがインターネットだった。恐竜の前では正に小ネズミに過ぎない全国のブロガー達が次第に連携を深め、ネット上に恐竜の監視網を作った。単に監視するに止まらず攻撃もする。恐竜は恐ろしい力を持つが、頭は悪い。見え透いた行動はブロガー達から格好の標的となった。恐竜に正面から立ち向かう力はないが、日々絶え間なく監視と攻撃が繰り返される。ブロガー達は日々進化する。一方恐竜は日々劣化する。人間は恐竜じゃない。それが恐竜になるのだからおかしくなる。恐竜となったマスコミは日々劣化する。進化する者と劣化する者は例え最初は大きな差があっても、どこかで接近交差する時が来る。どうも最近の様子はそういう感じがかなり出てきている。嘗てはマスコミは途轍もない巨大な存在に思えたが、今はそうではないのである。我々の視野も世界に広がり、国内マスコミを相対化できている。国際的にはあちらのマスコミは苦戦している。あちらの子分がこちらであるから、我々が連中を小さく見るのも自然の成り行きである。絶え間ない前進は遥かな距離を齎す。絶え間ない進化は遥かな高さを齎す。いつの間にかネット言論も巨大な存在になったのかも知れない。巨大さだけならマスコミには敵いようがないが、ネット言論の武器は賢さである。恐竜の後に出て来たのが哺乳類だったように、頭の悪い劣化したマスコミを賢いネット言論が追い詰めるのは自然の成り行きである。

恐竜の絶滅は一気に来る。その巨大さが絶滅を早める。所詮は人間の作った恐竜である。劣化恐竜じゃ時代の大波に生き残れないのは当たり前だ。原発の闇を追及していたマスコミ内部の人間を自殺に見せかけて殺すとはもうどうしようもない。劣化もここに極まれりである。海外も劣化、国内も劣化。もう恐竜マスコミの時代じゃないのだ。日本の恐竜が真っ先に絶滅する。そうなりゃもう世界の恐竜も連鎖絶滅だ。我々の役割は大きい。

開く トラックバック

[ すべて表示 ]


.

Yahoo! Choctle
楽しい話題がいっぱい(Y! Suica)

プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2014 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事