トランプがオバマの広島訪問を謝罪しないのなら問題視しないと言ったが、真珠湾の事も話したのかと批判した。トランプは米国民特に退役軍人達の思いを代弁した。何千人もの米国人の命が失われたと言った。この米国人というのは軍人がほとんどだろう。公式的には日本軍は真珠湾に奇襲攻撃をかけた事になっている。この事が原爆投下正当化論の最大の根拠となっている。戦争を始めたのは誰だ。奇襲攻撃の悪事をやったから原爆を落とされたという論法である。悪事の罰としての原爆である。その上に更に本土決戦での100万人の米兵の命が救われたというものがある。トルーマン悪魔政権はこの論法を国民に刷り込んだ。これが70年を超えて今でも米国民の半数を捉えて離さない。

トランプが広島長崎原爆をどう思っているかと強い関心があったが、トランプのオバマ批判の中に答えが出て来た。今のトランプは大統領選の中にあるから、米国民の多数派の考えに沿う発言をする事は当然である。そもそも共和党のトランプは民主党の大統領オバマに批判的だ。オバマの広島訪問にも批判的だろうと思う。しかし、謝罪しないのなら Who cares? と言った。Who cares? というのは好きにしたらいいというニュアンスで、謝罪なしの広島訪問を批判するつもりはない事を示している。もっと言えば、訪問の意味を理解しているという事だ。共和党は基本的にオバマの広島訪問に批判的だ。謝罪の言葉が無くても訪問自体が謝罪の意味を含むと考える。実際被爆者とのハグには謝罪の意味があると言われても仕方ない。共和党主流派はこの光景に強い批判の眼差しを向けただろう。そこから言うと、トランプの反応は大したものではない。共和党主流派と徹底的に対立してきたトランプがオバマの広島訪問に同じ思いで向き合っているとは思えない。謝罪についてのトランプの本心がどこにあるのか、表に出て来た情報だけでは分からない。共和党大統領候補を確定したトランプが本心では謝罪すべきと思っていてもそう言える訳が無い。共和党の中には訪問自体を恥晒しと見ている者もいる。トランプはそれとは全く違う。真珠湾発言も共和党大統領候補としては言って損は無い。

真珠湾攻撃と広島長崎原爆は全く別種の問題である。軍事的に問題行動があったとしても、それに対して一般都市への原爆投下で報いる事など絶対に許されない。トランプも馬鹿な比較をやるものではない。もしオバマが広島で謝罪したなら、その時は日本側も真珠湾での謝罪があり得る。オバマに謝罪を求めて当然の日本が謝罪を求めないでオバマの訪問を歓迎するだけで十分である。日本が広島で示した態度によって米は真珠湾の事を声高に言える状況ではなくなった。日本は原爆投下について激しく声を上げて当然である。あまりに無慈悲な大量虐殺と言って当然なのだ。真珠湾の犠牲とは全く水準が違う。日本が独立国なら声を上げていただろう。傀儡国にされたから声が上がらなかった。被爆者まで声を上げなかった。オバマの訪問を成就させただけで日本は十分の事をやった。米が真珠湾の事に声を上げれば、オバマの広島訪問の価値を大きく減殺する。米の狭量さが浮き立つ。

広島長崎原爆投下は100年後にも米の重荷である。100年後なら謝罪も可能かも知れない。それ程の途轍もない巨大な罪だ。原爆に真珠湾を引っ張って来るような事をやると、米は自分の首を絞める。

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オバマの謝罪未遂ショーは見事な出来栄えであった。オバマの功績は世界中の目を広島に向けさせた事である。特に米国民の目である。米国民の半数は原爆投下を正当化しているらしいが、老年世代と若年世代では大きな違いがある。若年世代の多くは原爆投下を誤りだったと判断している。つまり米国民は将来原爆投下を正当化しないようになる。当たり前の事である。100年後の米国民はあの原爆投下は誤りだったと確定している。今回のオバマの広島訪問はこの流れを加速する働きをしたと評価される。大きな歴史の流れの中では、現在の国民は特殊な存在という事になる。ごまかしは時間の壁を越える事はできない。米現職大統領が71年ぶりに広島を訪問できたのも、時間の追い風があったからである。世界の目が広島に注がれれば、答は自ずと出て来る。現在の米国民の半数が原爆投下を正当化している状況は、米の独りよがりという事である。世界中の目に晒されれば、独りよがりは続けられるものではない。オバマは広島に世界の目を集める事が必要だと考えたのだろう。オバマの核廃絶の思いは個人的には恐らく本物だろう。半分偽ユダヤの黒人のオバマは純粋の偽ユダヤとはやはり違うという事だろう。どこかで自分らしさを出したいという欲求が今回の訪問を実現させたのだろう。世界中を広島に注目させた事はオバマの功績である。注目が大きくなればなるほど正しい答に近づく。

一般の都市への原爆投下が何故正当化されないか。答は、人間が人間を殺すにも最低限のルール、許される範囲があるという事である。一挙に10万人を殺す殺し方があっていいのか。それは如何なる理由を以てしても許されないという事である。唯一の例外は報復としての核攻撃である。こちらの一般の都市に向けて核攻撃があった時、報復が許される。世界で唯一の原爆保有国だった米が一般都市に原爆を投下した事は如何なる正当化の理由も持ち得ない。

生命を奪う行為は自然界では当たり前にある。人間も他の動物の生命を奪って生きて来た。全ての生命は食物連鎖の中に位置づけられている。殺し合いは自然界では当然の行為である。仲間同士の殺し合いも自然界ではよくある。

人間同士の殺し合いも自然の範囲の中で行われて来た。動物が牙で殺す代わりに、人間は刃物で殺した。文明を持った人間は刃物の次に銃を手にした。爆弾も作った。ここまでは殺しの常識の範囲内にあった。人間が相手を殺す場合の範囲は限定されていた。人間が他の人間を殺す場合、一遍に千人を殺すなどという事は無かった。殺し方にも自然の範囲があった。空から爆弾が降って来ても地上の人間は防空壕に逃げ込む事ができた。化学反応を利用した爆弾までなら人間は何とか逃げる道を捜す事もできた。爆弾の影響する範囲がごく限定されていたからだ。

生命は地球上に溢れている。殺しの範囲が限定されていれば、地球上の生命に変化は無い。生命と殺しはバランスが取れていた。第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも国家全体、民族全体が回復不能になるような殺し方にはならなかった。殺しの行為一回の影響の及ぶ範囲がごく限定されていた事が決定的だった。化学反応を利用した爆弾までは全体のバランスを不可逆的に壊す事はなかった。

それを根底からひっくり返したのが原爆である。原爆一発で一都市が一瞬にして消滅する。10万人が一瞬にして消滅する。今水爆を使えば東京は一発で消滅である。最早永遠に廃墟となる。核兵器による殺しは自然界の範囲には無い。都市の全ての生命が一瞬にして消滅する。生命と殺しの自然のバランスが完全に壊れる。原爆は正に悪魔の兵器である。人間は悪魔の兵器を一般の都市に使ってはならない。米は悪魔の兵器を広島長崎に落した。もっと沢山落す計画すら持っていた。トルーマン政権は悪魔の政権である。

人間が人間を殺すにも許される範囲がある。トルーマン偽ユダヤ政権は悪魔の実験をやった。それは最早謝罪などで贖われるものではない。天罰の対象である。オバマの感動的演説も100年後からは馬鹿扱いされる。マンハッタン計画は巨大な計画だったが、完全な秘密計画だった。動員された大量の人間達は何の為の計画か知らなかった。原爆を落とした搭乗員達も原爆がきのこ雲を立てて初めて知って驚いた。トルーマン偽ユダヤ政権は悪魔の計画を実行していたのだ。悪魔の兵器を手にして世界制覇を目論んだ。

広島長崎原爆投下は悪魔の行為である。これを支持する者は悪魔の奴隷である。天罰の対象となる。

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オバマの原爆謝罪未遂ショーが終わった。見事な謝罪未遂ショーであった。出演者、マスコミが総出で総力で舞台を作った。そういう感じであった。世界中が注目したオバマの広島訪問であった。失敗が許される訳がなかった。綿密な舞台演出が仕込まれた。オバマの演説は原爆直下のその瞬間をイメージさせた。長い事広島訪問を考えていたオバマにとって、広島の地に立つ事は間違いなく特別な事であり、原爆炸裂のその瞬間を自らのものとして演説の最初に持って来た。それは米大統領からの世界への原爆追体験メッセージであった。米はこれまで原爆を上から見て来た。しかし、オバマは原爆の下から上を見上げた。つまり、原爆被爆者の目線である。この事が日本側特に被爆者に納得感を与えたものと思われる。オバマは決して謝罪はしなかったが、その演説は事実上の謝罪であった。原爆を落とされた側に立った米大統領のメッセージは、謝罪に強く反対し続けた米の退役軍人らにも届いたに違いない。核兵器の前では人類は誰でも被爆者になり得る。突然全てを変えてしまう原爆。米国民の半数が今でも原爆投下を正当化する。しかし、その者達は自分が原爆の下にいる事を想像しない。常に加害側からしか見なかった米国民にオバマが初めて被害者の目を届けた。原爆の恐怖を加害者側にも想起させた。オバマの17分の演説の核心がこの部分である。

もしオバマの演説が被爆者の目線を外したものであったなら、つまり第三者の目からだけの演説であったなら、被爆者から不満が漏れて来た筈である。オバマが広島の地に立って被爆者の視線の中で演説するという事は、被爆者視線で原爆を見るという事である。オバマは米の退役軍人達の視線と同時に、日本の被爆者の視線も意識しなければならなかった。失敗が絶対に許されない演説をしなければならなかった。オバマは演説の中に被爆者目線を取り入れる事が絶対に必要になった。それ以外に広島演説の成功はあり得なかった。オバマにとって退役軍人の批判以上に怖かったのが被爆者達の不満だった。被爆者達を納得させなくてはオバマの広島訪問は無意味になった。被爆者目線こそが広島演説の核心であり、それは事実上の謝罪演説であった。オバマは無辜の子供を登場させた。青い空に光が一閃、そして巨大な火の玉。この情景こそ広島原爆の真実である。無辜の市民を十万人以上も一瞬にして消滅させた原爆。そこには子供達も大勢いた。ここの描写がオバマのこだわりであった事は疑いない。こんな悲劇を引き起こした原爆投下が正当化できる訳がない。オバマは謝罪せずとも謝罪していた。さすがの退役軍人らもこの演説を批判できない。自分の子供の上に原爆が落ちてきたらどうする。広島の子供達の上には落ちて来たのだ。

オバマは米大統領として謝罪はできなかったが、謝罪の思いは伝えた。それ以外に広島訪問が成り立つ筈がなかった。被爆する側に立った時、原爆問題は人類問題になる。世界最終戦争では人類全てが被爆者になる。あの一閃の光と巨大な火の玉は誰の上にも来る。

米は核兵器を使う側の武器としてだけ見て来た。しかし、オバマは米国民に使われる武器としての核兵器をイメージさせた。これは評価できる。広島に行けば誰でも原爆を使われる側から見る。被爆者達がオバマに是非一度広島に来てと言っていたのは、確信があっての事だった。どんな指導者だって生身の人間であり、核兵器を使われる側から見れば被爆者追体験をする。オバマの広島訪問は世界中の指導者へのメッセージになった。核兵器は使う側から見るだけではなく、使われる側からも見なくてはいけない。広島を訪れれば誰しも被爆者追体験ができる。あの原爆ドームの前に立てば、全ての人間はその瞬間を追体験できる。世界の指導者に広島訪問を促したオバマである。今後新任米大統領は広島訪問をやるべきだろう。プーチンにも日本訪問の際にはやって欲しい。習近平も。広島追体験の共有化が核戦争の抑止力になる。広島と長崎には霊的パワーがあるに違いない。謝罪はいいから、兎に角一度広島へ。被爆者達のこの思いは正しかった。全ての人間は被爆者になり得る。核兵器の前にどんな権力者も無力である。広島へ行けばそれが分かる。

オバマの広島訪問は広島を人類の共有財産にした。オバマには何か使命感があったのだろう。謝罪できないオバマが謝罪以上の事をやった。原爆投下は元々謝罪の範囲を超えている。人類の広島の共有体験こそ核戦争の抑止力となる。オバマは広島を人類の特別な地に変えたと言える。オバマは虎視眈々と狙っていた。いい仕事をしたと評価していい。

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麻生は先日G7財務相会合か何かで日本の消費税増税は予定通りと米に対して言っていたが、今度はサミットで安倍が世界の経済状況はリーマンショック前の状況に近いと他の首脳達を説得した。他の首脳達は首を傾げる向きもあったらしい。我々としても非常に唐突感があった。そんなにひどい状況であるなら、サミット以前のマスコミ報道でも頻繁に報じられていた筈だ。ついこの前、GDPがプラスだったとか言っていたではないか。うるう年の1日分を加えての話だったが。リーマンショック前の状況などとは全く報じられていなかった。もしそれなら、アベノミクス失敗と結論されてしまう。大体麻生の消費税増税は予定通りなどの発言が出る訳がない。安倍のリーマンショック発言は消費税増税延期の為にサミットの場を利用したという事である。ミエミエで批判は必至だが、そうせざるを得なかった安倍である。

増税再延期が決まったようだ。マスコミが報じている。熊本大地震でも増税再延期は必至だったが、熊本地震は増税最延期の理由となるべき巨大な天変地異ではないとしていたから、どうしてもリーマンショック級の金融危機を引っ張り出さなくてはならなくなった。しかし、現実は違う。そこでリーマンショック前の状況に近いとした訳だ。消費税増税実行がリーマンショックを引き起こしたら大変だという事だ。言いたい事は分からぬでもないが、事前の説明と全く違う所が批判の理由となる。相当厳しい状況に追い込まれるだろう。兎に角急激な方針転換は騙しである。それならそれで事前に国会で説明しておけばよかった。全然違う方向にあったくせに突如ハンドルを切った。騙しである。野党が激しく追及するのは当然である。安倍は天変地異か経済動乱以外なら増税は絶対やると言い切っていた。一度延期したから二度目は絶対にないという事だった。今の経済状況くらいで再延期は無い筈だった。それを平然とやる。追い込まれたら何でもやる。連中の習性だ。安倍は麻生にも事前打ち合わせなしにやったに違いない。麻生は怒るべきだが、これもイザとなれば何でもやるタイプだから阿吽の呼吸で理解となるだろう。

何れにせよ消費税増税は消えた。2年後の再増税らしいが、もう安倍はいない。トランプ大統領だろうし、自民政権があるかどうかも疑わしい。タックスヘイブンがばれて消費税そのものが不要である事が分かった。2年後も無い。安倍のやった事は全て否定された。何がアベノミクスだ。今や安倍は液状化必至である。それでも支持率50%でしょうか? ブラックマスコミも液状化不可避だろうね。

中国のいないG7など今や無意味で無力である。安倍の救出にお付き合いするG7などブラック7である。B7と改名だ。

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安倍最後の議長国サミットである。沖縄女性強姦殺人死体遺棄事件が火をつけた沖縄の怒りの炎を鎮める為に、予定を早めて米日首脳会談が行われた。勿論完全なアリバイ会談である。中身は全く無い。翁長もすぐに反応してこの会談内容を強く批判した。どんな凶悪事件が起きても何の進展も無い。何故なら米日はブラック同盟だからである。沖縄が求めている変化は民主主義の機能である。沖縄駐留米軍の存在は民主主義の外にある。凶悪事件の発生もそこから来る。英国人ジャーナリストが情報公開請求で米軍の新兵教育内容を明らかにした。沖縄タイムスが一面トップで報じた。産経辺りが日頃言っているような内容である。それは当然である。軍隊は自らを否定する方向で新兵教育をする事はない。沖縄県民やメディアが米軍に批判的態度を取っているのは沖縄側の問題であると考える。これはあまりにも当然である。建前として軍隊は自らの命を懸けて国家を守っているのである。軍隊は自らを国家の上位に置く。沖縄のような芥子粒のような存在が自分を悪く見ているからと反省するようなうぶな存在ではない。従って沖縄は駐留米軍全撤去を目標としなければならない。沖縄米軍はブラック同盟軍であり、それとの同居は沖縄にとって有害無益である。Sputnikも全く同じ事を記事にしていた。最凶悪殺人事件があってもブラック同盟はびくともしない。それが赤裸々に示された今日のブラック同盟会談であった。これで翁長沖縄はますます怒りの炎を激しく燃やす。

最凶悪殺人事件が沖縄世論を硬化させて出て来たのは駐留米軍全撤去であった。翁長が言っている訳ではないが、副知事がすぐにこの事に言及した。この副知事は沖縄の民意を無視できないと言った。沖縄の民意が全撤去にあるのは以前からで当然であるが、それを行政の高位にある者が言うというのは相当珍しいと言うか多分初めてではないか。1995年の事件時にもあったかも知れないが、その後は無かった筈だ。沖縄の反基地感情は当然だが、基地全撤去と言うのは非現実的で、中々言い出せるものではない。しかし今回副知事がそれを言った。これはブラック同盟にとっては非常に深刻である。だからこそサミットの場で予定を変更してまで首脳会談を急いだ訳だ。しかし、それは急いだだけでそれ以上の意味は無い。全く形だけの誠意と言うかポーズだ。翁長のオバマとの面会要請にも何の返答も無かった。地位協定の改定など全く出て来ない。ゼロ回答であった。ある意味凄い事であるが、ブラック同盟ならそれが当然である。

オバマは大統領の威厳を漂わせながら最凶悪殺人事件の被害者と家族に最高の哀悼の意を示したが、謝罪は無かった。沖縄の新聞はこの点を記事にした。何故謝罪しないのか。今回の事件の体制への波及を望んでいないからだ。ブラック同盟体制は元々が悪であり、最凶悪事件が起きたからと言って体制を正すなどある訳がない。原爆投下さえ正当化する。当たり前である。ブラック国家とブラック同盟は謝罪しない。安倍も今回の件で謝罪はしなかった。謝罪担当は下位の者である。下位の者の謝罪は口だけである。責任者の謝罪でなければ謝罪にならない。

オバマは沖縄でも広島でも謝罪しない。いつでもどこでも堂々たる態度である。沖縄も広島も今回を機に覚醒する必要がある。米はブラック国家であり、米日同盟はブラック同盟である。存在そのものが悪である。正しい方向へ向かう事は決してない。プーチンはこの事を知っている。

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小保方事件、小保方騒動は小保方晴子の勝利で既に決まっていたが、小保方自身の精神状態は未だ立ち直りの状況には程遠かっただろう。そんな時の瀬戸内寂聴の雑誌「婦人公論」でのエッセーは小保方を救うに十分だった。この2人の対談のニュースには本当に驚いた。瀬戸内が小保方の手記を読み対談を申し入れたようだ。ネット界は小保方擁護、小保方支持の声が大きかったが、小保方の傷ついた心を癒す事まではできなかった。瀬戸内寂聴ならそれができる。瀬戸内と言えばこの前の都知事選での細川応援が記憶に新しいが、今の日本で最も宗教的影響力を持つ人物と評価してもいいだろう。悪い宗教的影響力を及ぼす連中は数多いが、良い影響を及ぼせる人物は瀬戸内以外にいないのではないか。瀬戸内はマスコミへの影響力がある。ワイドショーと言えば正にブラックマスコミテレビの中心にある番組領域であるが、瀬戸内はこの領域で強い影響力がある。ワイドショーの主要な視聴者は主婦層であるが、瀬戸内は主婦層への浸透度が高い。瀬戸内が小保方を守る姿勢を見せれば、主婦層もその方向に動かされるだろう。

婦人公論と言う雑誌は読売系である。小保方攻撃は偽ユダヤの指令でブラックマスコミによって行われたが、その中心にいたのが読売だ。その系列の婦人向け雑誌に小保方晴子が出て来るというのは本来無い筈だが、瀬戸内の影響力が勝ったという事だろう。婦人公論がどんな雑誌なのか知らないが、漠然とした印象としては知的レベルが高そうな感じがある。Wikipediaを見てみると、この印象は当たっている。瀬戸内がこの雑誌の中に自分の場所を持っていた事が小保方救出にとって幸運であった。

ブラックマスコミの小保方攻撃は正に小沢攻撃と双璧の酷さであった。それが小保方晴子の正しさの最も大きな理由であった。ブラックマスコミがあそこまで攻撃するという事は、小保方の万能細胞が革命的過ぎて偽ユダヤ体制に脅威であったという事である。小沢政権ができれば、同じく偽ユダヤ体制は崩壊の危機に瀕する。だからあの基地外騒動があったのだ。悪魔が支配する体制は一旦傾き始めると一挙に崩壊する。だから自己防衛の為の攻撃は基地外じみて来るのだ。小保方攻撃も正にその基地外ぶりが出た。だから、小保方晴子は正しいと結論付ける事ができた。小保方の印象もそれに沿っていた。小保方を見れば、小保方が純粋である事は分かる。あまりにも純粋過ぎて周囲に誤解される事も多々あっただろう。小保方には研究者としての天才性が具わっており、それは事務的作業での弱さと裏腹であろう事は容易に想像できる。論文の書き方がどうのこうのと徹底的にイチャモンをつけられたのだが、そんなものは政治資金の記載の不備みたいなもので、本来瑣末な事である。しかし悪意を持った者には、そこが攻撃の集中点になる。針小棒大に騒ぎ立て重大犯罪者のようなイメージを植え付ける。これこそがブラックマスコミの狙いである。小沢も酷いダメージを蒙ったが、小保方はもっと大きなダメージを受けた。小保方はうつ病を患い通院していたと言う。研究一筋の若い女性がブラックマスコミから総攻撃されるなんて、本当に凄い状況である。うつも当然である。

そんな危うい小保方晴子にとって瀬戸内寂聴は考え得る最高の心の支えとなり得る人物である。世間の表も裏も知り尽くす94歳の純粋な心の持ち主は、ひよこのような小保方にとって正に親鳥の役割を果たす。ひよこは親鳥の羽の下に匿われて外敵からも寒さからも暑さからも守られる。

瀬戸内寂聴は都知事選では不正選挙の壁に阻まれて細川を守れなかったが、小保方を守る事でもっと大きな役割を果たす。瀬戸内にとっても一世一代の大仕事である。

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小保方晴子が瀬戸内寂聴さんと誌上対談をした記事が出て驚いたが、朝のワイドショーでも取り上げていて更に驚いた。瀬戸内さんの方から対談を申し入れたという。小保方晴子の本出版が切っ掛けになったようだ。瀬戸内寂聴の小保方支援の意味は極めて大きい。小保方晴子にとっては正に救いの神である。この事については明日にでも書きたい。朝からグッドニュースであった。

翁長が安倍と会談してオバマと直接話ができるように要請した。安倍にその気は丸で無いようだ。翁長は日米地位協定を口を極めて批判した。日本の独立は神話と言った。再発防止だの綱紀粛正だのこれまでも何百回も聞いて来た。状況は全く変わっていない。発言内容は極めて厳しい。沖縄県民の思いをストレートに吐き出した感じだ。翁長と沖縄県民は一つになっている。大規模な県民大会開催も決まった。これに対して安倍政府側は全く後ろ向きだ。菅は翁長のオバマとの面会要請にも一般論で応じる不遜ぶりだ。翁長の地位協定改定要請に対しては、米自体がにべも無い対応だ。落差は余りにも大きい。これが翁長沖縄を独立へと追い遣る。これでいいのである。

今や米権力の正体は分かった。経済権力である。その本質は悪魔である。存在自体が人類の敵である。それ故見事な粉飾民主主義で体面をごまかしている。嘗て世界はこれに見事に騙されてきた。しかしインターネット時代となって全体として人類は騙されなくなった。そういう中で中露連合があり得てきた訳である。

沖縄の米軍基地は存在自体が許されない。米権力の正体が今最も沖縄に出ていると言っていい。そして70年前の原爆投下が決定的である。悪魔権力だから原爆を平然と一般都市に落としたのだ。あれこれ屁理屈を捏ねて原爆投下を正当化しているのは、正体をごまかす必要があったからである。米権力は全てが粉飾である。一々それに向き合う馬鹿はしない事である。悪魔権力の傀儡オバマが広島に来るのは核兵器廃絶のプラハ演説の粉飾の為である。広島は粉飾の為に利用されるのである。被爆者達はこの辺が分かっていないから、オバマに虚しい期待をする。

日本には被爆者がいるが、米には退役軍人がいる。オバマの広島訪問を真っ先に謝罪と結びつけて批判したのは退役軍人らであった。退役軍人らが全て同じ考えを持っている筈はないが、政治的組織としての退役軍人の会は完全に考え方を一つにしている。この組織がオバマを強力に支えている。実に大した政治組織である。この組織が声を大にして原爆投下正当化論をぶち上げる。戦争を起こしたのは日本じゃないかと言う。これに対して日本国民は実に大人しい。言われっ放しである。それがオバマへの謝罪要求を弱めている。退役軍人などに言わせてはいけない。言われっ放しはもっといけない。断固として連中に反論しなくてはならない。

原爆問題は他の戦争問題とは本質が全く違うのである。ここが曖昧だから言われっ放しになる。日本が戦争を仕掛けたとか、戦争を早く終わらせる為とか、原爆投下問題とは何の関係も無い。米が日本軍に対して原爆を使ったのなら、米にも理がある。悪魔権力は一般都市に使ったのである。一瞬にして十万単位の人間を殺してしまう行為は何を以てしても正当化できない。赤ん坊も年寄りもない。そこに存在する全ての生命を一瞬にして消滅させる。この行為の正当性が根源から問われるのである。

戦争は国家の主権の行為の一つである。その行為には正当性が必ず要求される。米が対日参戦したのは、真珠湾攻撃を受けたからである。悪魔権力は日本を真珠湾攻撃に引きずり込んだ。参戦の正当な理由を得る為であった。正当な理由も無くいきなり戦争を仕掛ける事はできない。戦争だから何でもありとはならない。原爆投下もその正当性が根源から問われる。問われる本質は、一瞬にして10万以上の人間を消滅させていいかという事である。米兵の犠牲を無くす為なら全く無実の一般市民を赤ん坊から老人まで10万人以上も消滅させていいのか。ここが厳密に問われなければならない。

この問いに退役軍人らは何と答えるか。その答が国家の答になるか? 答は国家が出さなくてはならない。国家は国民の意思を聞かなければならない。トルーマンはそういう事をやっていない。トルーマンはトルーマンの考えで原爆投下を決めた。オバマはトルーマンの決定を歴史を遡って再評価しないと言う。既に誤っている。

一般市民への原爆投下は国家の行為として許されない。如何なる正当な理由も見つけられない。ただ、唯一許される状況がある。相手がこちらの一般都市に向けて核兵器を使う場合である。それは人類最終戦争である。人類は等しく滅亡する。トルーマンの行為が国家の行為として正当化される事は無い。トルーマンは戦争犯罪者である。トルーマンを支持する退役軍人らも共犯者である。

事の本質を外した議論しか行われて来なかったのがこれまでである。オバマ広島訪問を機に、原爆問題の本質を認識しなければならない。一般市民の上に原爆を落としていい理由がある訳が無いだろう。

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広島への挑戦である。オバマは被爆者と面会はしないが、米の元捕虜を帯同すると言う。日本軍がフィリピンで米の捕虜を「死の行進」で多数死亡させた事件があったそうで、その時の生き残りの元捕虜94歳を広島に一緒に連れて行きたいそうである。表向きの理由は、オバマの広島訪問が第二次大戦の全ての被害に目を向けたものであるからだそうである。本当の所は、原爆投下の謝罪に向き合わされた米大統領が対抗措置を取って来たわけである。日本の加害者の顔を引っ張り出す。それにしても第二次世界大戦の全ての被害とはまた大袈裟な。広島原爆にはそれ程の大きな意味があると言う事かな。加害者が加害から被害に目を逸らさせてごまかそうという訳だな。広島でオバマは第三者として全ての被害に向き合いたい訳だ。しかし、第三者じゃ広島にとって意味は無い。広島にも第三者の立場に立てと仰いますか? 被害者の元捕虜は広島原爆を正当化するんだね。

ようやるよ、オバマ。元捕虜の帯同要請に安倍は快諾に違いない。ちょっと違和感はあっても要請拒否などできる訳がない。もしそれをやれば、オバマの広島訪問は撤回だろう。安倍がその引き金を引く筈がない。傀儡首相に勇気ある行動は無い。

元捕虜の不幸は軍人同士の間の事だ。それを一般都市への原爆投下の不幸と同じレベルで比較するか。米の原爆投下正当化論のごまかしがここにある。何故オバマは広島に来るのか? 広島長崎の事は人類全体が知っている。何故だ? 今回の元捕虜の事件など誰も知らない。余りにもレベルの違う問題をわざわざ同じ舞台に載せる必要が出たほどオバマは厳しい状況にあった訳だ。しかし、広島で無理の無理強いをする事は逆効果になる。被爆者達の気持ちは大いに害された筈である。こうなったら被爆者達はオバマに強く面会を求めるべきだ。それが叶わないなら、今回オバマと一切接触を持つべきではない。オバマの広島訪問を被爆者は拒否すべきだ。

米の経済権力の傀儡大統領は広島訪問で正体の片鱗を見せ始めた。被爆者達がそれに気づく事が最も重要である。原爆投下問題では被爆者は一切妥協する必要はない。被爆者の思いが全てに優先される。自ら謝罪を求めないなどと控えめに出る必要はない。被爆者の思いは全人類の思いである。被爆者の声こそが核廃絶への一番大きな力になる。被爆者と会おうとしないオバマ、原爆投下を正当化するオバマには、被爆者は敵対すべきである。こちらから相手に歩み寄る必要は無い。

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嘗ては広島長崎への原爆投下について今のような激しい思いは無かった。日本国民全体がそうだった。嘗ては米は民主主義の最先進国と思っていた。正しく言うと、ブラックマスコミにそう思い込まされていた。あの頃はマスコミを疑う事など考えもしなかった。NHKは公正中立の代名詞だった。検察は正義の味方だった。裁判所の権威は最高だった。しかし、全てが嘘だと分かった。小沢事件で全てが分かった。国民はものの見事に騙されていた。全ての嘘の頂点に偽ユダヤの経済権力がいた。経済権力は嘘で塗り固めなければその存在を維持できない。この世界の支配者が政治権力を支配する経済権力である事が分かって、原爆に対する見方も根底から変わった。

米は民主主義の最先進国などではなかった。そう粉飾しているだけだった。あの最先進国の米がやった原爆投下だったから、仕方ないと思っていた。米は地上で最も信頼できる国だった。本当にものの見事に騙されていたのである。しかし今や全てが分かった。分かってみればあれもこれも納得である。その象徴が沖縄だ。何で戦後70年も経って巨大な米軍基地が小さな沖縄にあり続けるのだ。沖縄についても騙されていた。地政学的に沖縄は重要過ぎて仕方ないと思っていた。しかし、何もかも嘘だった。米日ブラック同盟にとって沖縄が根幹的に重要だったというだけの事だった。原爆問題もこの中から完全にひっくり返ったのである。

原爆投下はあの米だから仕方ないから、あの米だから当然となった。9・11、3・11も当然だったのだ。小沢事件、衆参巨大不正選挙、本当に酷いものである。何もかも経済権力の仕業である。この経済権力は米の歴史と共にある。と言うより、米は経済権力が作ったのだ。経済権力だから原爆を一般の都市に落としたのだ。政治権力ならあり得ない事である。経済権力にとって一般の国民の生命など数字でしかない。本土決戦による100万の米兵の犠牲をなくす為に数十万の一般国民の犠牲は仕方ないと言う論理が出て来る。本当の所はそれですらない。偽ユダヤ経済権力は原爆の威力を実際に確かめたかったに違いない。絶対的権力の確立に原爆を使いたかった。原爆の威力を世界に、特にソ連に見せ付けておきたかった。この辺の所に本当の理由があったのだ。経済権力にとって無辜の市民の命など数字の置き換えられる。

オバマが広島訪問の真実をどんなにごまかしても、訪問自体が副作用が大き過ぎる中ではごまかし切れない。広島訪問のニュース性は世界規模であるにも拘わらず、オバマの予定される声明はごく簡単なものにしかならない。全てを嘘で塗り固めた経済権力の支配を受けるオバマが、人類史上最大の悪と向き合って上手に切り抜けられる訳がないのである。ごまかそうにもごまかし切れない巨大悪。それが広島長崎原爆投下である。オバマは「核兵器を使用した唯一の国としての特別な責任」を声明の中で持ち出すそうであるが、核兵器を使用した人類史上唯一の国としての「特別過ぎる罪」と言わねばなるまい。米にあるのは特別な責任ではなく、特別な謝罪の義務である。謝罪しないから都合よく義務を責任に摩り替えた。しかしそんなすり替えでごまかせるものではない。ミエミエで白々しいだけである。今後米はいつまでも謝罪の重圧に晒され続ける。いつか必ず謝罪しなければならない時が来る。

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沖縄二十歳女性殺人事件は強姦目的だった。通りがかりの女性を棒で殴ってナイフで刺したと言う。犯人の元海兵隊員は黒人である。米で母親がインタビューを受けていた。日本に住んで結婚した事も知っていたが、この2年ほどは連絡が無いと言う。この犯人の生育環境に問題があった事が窺われる。海兵隊員として戦地で職務として殺しも沢山やったのかも知れない。そういう事がこの32歳の犯人の精神に歪みを作っただろう事は容易な想像の内である。とすれば、今回の事件は基地があるが故の犯罪の典型例となる。現役隊員だけでなく、寧ろ除隊した隊員こそ精神の病を患っている可能性が高く、現役隊員ではない事が米側の責任を弱める事にはならない。軍人は非日常の存在であり、現実の戦闘行為の連続で精神に歪みを来たす可能性の高い事は当然の事である。32歳で何故民間人だったのか。除隊の原因は精神の病の可能性もある。軍隊の規律の外に危うい元海兵隊員が野放しにされる事の危険は誰にでも分かる事である。強姦目的の殺人死体遺棄事件とは、如何にも異様である。沖縄県民を怒らせるにこれ以上の条件はあるまい。もし仲井眞時代であったなら期待できなかったが、今の沖縄は翁長時代に入った。オール沖縄で今回の異様な事件に向き合う事になる。沖縄で自公勢力はますます居場所が無くなって行く。辺野古問題に決定的に影響する。米日ブラック同盟の根幹に沖縄がある。今沖縄が根本的に変化している。今回の事件が引き起こす沖縄の怒りのエネルギーの高まりと米日ブラック同盟の枠組を考えると、沖縄独立が近づいてきたと判断できる。嘗ての夢物語と言うか非現実的問題であった沖縄独立が現実問題になるまでの距離は相当縮まっている。翁長沖縄と米日ブラック同盟との正面衝突は不可避である。

事の重大さで在日米軍最高司令官が防衛大臣中谷に深々と謝罪していた。しかし、オバマは謝罪はしまい。謝罪は現場にやらせてトップは第三者的に遺憾の意を表し、心からの哀悼を捧げるという事だろう。オバマは謝罪できない。大統領の謝罪は根本的対応を迫るからだ。米日ブラック同盟の根本にメスを入れる事などやる訳が無い。謝罪を現場に押し付ける事は根本対応の回避である。

オバマは広島訪問の目的を全人類的なものから米日ブラック同盟の方に切り替えている。謝罪なしでも広島を訪問できるほど米日はブラック同盟を強化したのだという訳である。もし沖縄で謝罪したら広島でもという声が高まる。元々広島での謝罪はあり得ない訳だが、それを沖縄の事件が浮き立たせる効果を出す。オバマは沖縄でも広島でもどこでも謝罪はしない。経済権力は悪魔の権力であり、罪そのものである。経済権力の傀儡であるオバマは悪魔の権力を守る為に謝罪はしない。オバマは原爆投下の是非を振り返らないそうである。そりゃそうだろう。まともに向き合えば都合が悪くなる。どこまでもごまかしである。

オバマの広島訪問は原爆問題に光を当てた。これが一番の功績である。広島長崎への原爆投下は悪魔の所業である。オバマが謝罪しない最大の理由がこれである。悪魔を擁護するオバマが核兵器廃絶など本気で考える筈がないのである。

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