【事前資料】'11第3回(通算25回)遊学会
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次回の11第3回(通算25回)遊学会の参考資料です。 ●ワカメについてまとめてみました。遊学会までにぜひお読みください。 葉状部の中心には主軸があって、それを中心に左右に広く伸び、大きく羽状に裂ける。広がった葉の基部には厚くなった葉状部がちぢまり、折れ重なったような部分がある。これがメカブ(和布蕪)で、生殖細胞が集まっている部分です。海苔と同じく、古くから日本人に親しまれてきた海藻で、『万葉集』にも「和海藻(にぎめ)」として百首近く残されています。主に食用として用いられ、酢の物、汁物の具として使われたが、豊作祈願の神事などにも利用されて来ました。島根県では「板ワカメ」と呼ばれる、乾燥ワカメを粉状にしてご飯にかけて食べます。とても美味しいです(^−^) ワカメは、世界の侵略的外来種ワースト100 (IUCN, 2000) 選定種の1つです。ワカメの遊走子が日本からの商船のバラストタンクの水に混入した状態でニュージーランドやオーストラリア、ヨーロッパ諸国の沿岸域に運ばれ、そこで水と共に放出されて増殖して、外来生物として問題になっています。ある意味、貿易大国日本の象徴ともいえます。日本と朝鮮半島では食用にするが、他の地域ではほとんど食用にしていません。移入先の天敵皆無の環境下で一方的に増殖するので単なる害藻として扱われています。 ●コンブについて コンブは、日本では北海道沿岸を中心に三陸海岸などにも分布しています。一般的にコンブ科植物は寒流の親潮海域を代表する海藻ですが、アラメやカジメのように暖かい海に生育するものもあります。食用海藻であるだけでなく、大きな藻場を形成し生態系を保つ働きもあります。 コンブは胞子によって増殖します。コンブの胞子(大きさは5μm程度)は2本の鞭毛を持ち、海中を泳ぐことができるので特に「遊走子(ゆうそうし)」と呼ばれています。遊走子はコンブの表面から放出され、海中の岩などに着生します。着生した遊走子は発芽して「配偶体」という微小な植物体になります。1個の遊走子から1個体の配偶体ができ、雄と雌の配偶体があります。雌雄の配偶体にはそれぞれに卵と精子が作られます。この卵と精子が受精し、受精卵が生長すると巨視的な「胞子体」、つまりコンブとなります。 ●読売新聞にコンブについての記事がありました。 「コンブ、謎の大不漁…津波・高水温が原因か」 読売新聞 11月14日(月)8時4分配信 全国で約9割の漁獲量を誇る北海道産コンブが、10月末までで前年同期比19%減の1万387トンと、記録的不漁となっている。根室、釧路地区など道東の不振が目立ち、北海道漁業協同組合連合会(道漁連)は今年産の漁獲量予測を、過去最低だった2007年産(約1万7800トン)を大きく下回る1万6200トンに下方修正した。不漁の原因には水温の変化などが指摘されているが、現状では特定できていないこともあって、年末・年始に向け、品不足感は強まりそうだ。 ◆総崩れ 「コンブが全く生えていない。海の底に真っ白い岩が見える」羅臼漁業協同組合の井田一昭・羅臼天然昆布部会長(60)は、今年6月初旬に行った岸辺の繁茂調査でショックを覚えた。その後も状況は改善せず、ダシ用の最高級品として知られる羅臼昆布の漁獲量は前年産比43%減の100トン、漁獲額も同4割減の2億7000万円にとどまる見込みだ。普段だと自宅前の浜が漁場なのに、部会員約200人は小型船で10分以上かけ、コンブが少しでも生えている知床半島の付け根方面での操業を余儀なくされた。この結果、ガソリン代も平年の2倍となる「二重苦」の状態という。 食用コンブの好漁場の根室半島も記録的な不漁に見舞われている。今年の漁獲量は昨年の半分程度。通常だと1等と2等で全体の半分を占めている高品質のコンブは今年、2割に届かず、1キロ・グラムあたりで1等と約300円の価格差がある4等が目立つ。 漁師歴50年の根室市歯舞の亀谷栄さん(65)は「こんな不漁は初めて。漁協の融資を返せない」と嘆く 〜〜〜〜〜 参考リンク 下記の日テレニュースに動画がありました。クリックするだけで見れますので、ぜひご覧ください。 http://www.news24.jp/articles/2011/11/15/07194522.html# ※コンブの歴史
日本では古くから昆布が食べられてきました。中国には大きな昆布は収穫できず日本(琉球・長崎)から昆布が送られていましたが、のちには養殖が盛んになっていきます。 日本の歴史的な文献に初めて登場するのは「続日本紀(797年)」。それによると当時の東北では昆布を献上品として納めています。日本海沿岸の田港や後に下関を経由して大坂などに出荷されることになります。平安時代の「延喜式(927年)」ではコンブは租税として扱われ、細川氏が水軍の舟で京都に持ち込んだとされています。安土桃山時代には城建築に石を滑らせるための材料として使用し、安土城や大阪城でもこの工法が使われました。 戦国時代には、陣中食として昆布が使用されていました。江戸中期には敦賀が昆布の中継地となり、江戸や大坂や各地に広がっていきます。特に大坂においては問屋が発展しました。蝦夷地(北海道)の開発が盛んになると、北前船などの航路の整備、出荷量の増加などにより全国に広まっていきました。 琉球王朝は昆布を中国への朝貢品の主要産物としていました。朝貢には適さない半端モノや下等級品を工夫して自家消費し、のちに伝統料理化する沖縄料理に用いられるようになりました。 乾燥させた昆布を湿気の多い大阪で倉庫に寝かせておくと、熟成することで昆布の渋みが無くなり甘みがでてきます。大阪に昆布が広まったのは商用船が日本海航路を通って下関経由で大阪に運ばれるようになってからです。安土桃山時代に農・乾物の一大集積地であった大阪は多湿な気候が乾物や昆布の旨味を熟成させ、江戸時代にはこれらは大阪の味ともされました。 また刃物の街である堺の職人により、乾燥昆布を甘酢に浸し表面を削った「おぼろ昆布」が生まれました。昆布表面の黒い部分は甘酢がよく染みていることから、酸味が多い黒い「おぼろ昆布」(黒おぼろ)と呼ばれます。内側の白い部分は酢に浸っておらず、昆布本来の甘みがあり、「太白おぼろ」と呼ばれます。昆布の芯の部分は「ばってら寿司」や「押し寿司」に使われる「ばってら昆布」(白板昆布)になります。 北前船の集積地でもある敦賀でも「おぼろ昆布」技術が発達しました。おぼろを削ったヘタの部分は爪昆布と呼ばれ、お菓子として食べられます。また、爪昆布は煮込むとコンブ特有の粘りが強く出ることから、煮物などの調理の際に煮汁とともに入れ、その粘りを利用して表面に浮いた灰汁取りを容易にするといった使い方もされます。 その他昆布の加工品で、戦国時代の出陣の際、勝ち栗や喜ぶなどの縁起を担いだ出陣式に醤油で炊かれた塩昆布は細目昆布を醤油で煮込んだものと思われます。醤油で炊かれた塩昆布を火鉢の網の上に並べて乾燥させては醤油につけ、網の上で3回乾燥させたものを「汐吹き昆布」といいました。粉が表面に吹いているように見えますが、これは昆布のうまみ成分が結晶化したものです。 |





