鉄道踏破への道2

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第243回 仙台から三陸へ。気仙沼線などを乗りつぶし

前回の続き…

2003年12月27日〜31日、年末年始の長期休みを利用し、主に『青春18きっぷ』を使用して4泊5日の行程で東北や関東の路線の乗りつぶしの旅に出かけました。
2日目の前半は、仙台から三陸方面へ向かいました。

今回の日程 2003年12月28日(日) 【前半】

仙台728(東北本線→利府支線・225M)743利府749(利府支線→東北本線・228M)806仙台850(東北→石巻→気仙沼線・3921D快速『南三陸1号』)1059気仙沼1104(大船渡線・329D)1204盛1232(三陸鉄道南リアス線・213D)1318釜石

【後半へ続く】
この日は朝6時頃に起床。朝食後にホテルをチェックアウトし、仙台駅へ。当初予定ではこの日最初に乗る列車は気仙沼行きの快速『南三陸1号』だったのですが、発車時刻が8時50分と遅いので、時間つぶしがてら前年に乗りつぶしたものの写真をまともに撮れていなかった利府支線を往復乗車することにしました。この日も『18きっぷ』のスタンプが押されましたが、JR東日本のスタンプは我が地元のJR西日本のスタンプと比較して小さめでした。利府行きの225Mは701系の2連×3で、日曜日とはいえ利府支線の利用客の多さを予想できました。まぁ、下りの225Mはガラガラだったのですが…。225Mは岩切から利府支線に入り、新幹線の車両基地を見ながら走ると仙台から15分で終点の利府に到着しました。



イメージ 1

利府駅にて撮影。車止めの先、旧線跡に相当する場所には電気機関車が留置されていました。

利府では改札を出ずに車両だけを撮影してすぐに、いわき行きの折り返し列車(228M)に戻りましたが、車内は半数以上の席が埋まっていて、私は先頭で前面展望をすることにしました。途中の新利府での乗車はほとんどなかったように記憶していますが、次の岩切や東仙台では多くの乗車がありましたが、6両編成の座席が全て埋まるほどの乗車率に落ち着き、8時06分に仙台着。列車はいわき行きですが、9割の乗客が下車したのではないでしょうか。
私は一旦改札を出て、コンビニで昼食や飲料を調達してから改札内に戻りました。そして快速『南三陸1号』の発車するホーム(5番線?)へ。放送で案内のあった「乗車案内」の下へ行くと、まだ誰も並んでいませんでした。3両編成で、両端がキハ40系、中間がキハ28形ということを事前に調べて分かっていたので、私はキハ28に当たるように2号車の位置の「乗車案内」で並びました。そして私の後ろに数人が並んだ後、8時35分に『南三陸1号』が入線しました。予定通り、2号車はキハ28形で、私はボックスシートの海側席・進行方向向きを確保しました。乗客は少ないかな?と思いましたが、発車直前になって東北新幹線『はやて1号』からの乗換客がドッと乗ってきて、車内はたちまち満席となり立客も出ました。

『南三陸1号』は仙台を定刻に発車し、まずは東北本線を小牛田までノンストップで走ります。しかし、最高速度が低いからか、走りっぷりはイマイチでした…。そして小牛田からは石巻線に入り、涌谷、前谷地の順に停車。さらに前谷地からは気仙沼線に入ります。はじめは内陸を走り、いくらか下車のあった柳津を過ぎると山間部に入り、そして陸前戸倉駅を過ぎると車窓右側には三陸海岸(志津川湾)の景色を眺めることができました。この時の海は穏やかでしたが、2011年の東日本大震災の際に大津波が押し寄せてくるとは…。そして津波でホームを除き流失した志津川(南三陸町)でもいくらかの乗客が下車しました。志津川から先はトンネルが多く、海が少し見える程度でしたが、本吉を過ぎてしばらくすると再び海岸沿いを走るようになり、素晴らしい海景色を眺めることができ、ずっと車窓風景に見入っていました。しかし、いつもの事ながら写真は1枚も撮らず…orz なぜ撮影しなかったのか……。
話を元に戻します。駅前に海水浴場のある大谷海岸駅を過ぎると内陸に入り、やがて市街地へ入ると南気仙沼に到着。意外と?帰省客を中心として多くの乗客が下車し、着席率は半減して車内は一気に閑散としてしまいました。確かに南気仙沼駅周辺は市街地で、魚市場もあります。
南気仙沼からは市街地を迂回するように山側を回り、最後は大船渡線と合流して定刻の10時59分に終点の気仙沼に到着しました。



イメージ 2

気仙沼駅にて撮影。仙台からこの気動車列車に乗って気仙沼まで来ました。

気仙沼では大船渡線の329D盛行きに乗り継ぎました。キハ100形の2両編成で、私は後方車両のボックスシートに座りました。県境を挟むためか、乗車率はそれほど高くありませんでした。
329Dは定刻に気仙沼を発車し、県境を挟んで陸前高田までは山間部を走ります。東日本大震災による津波で駅をはじめ市街地が壊滅してしまった陸前高田を過ぎるとリアス式海岸を見ながら走り、気仙沼線に続いて私は必死に車窓風景を眺めていました。そして細浦辺りからは大船渡湾の対岸を見ながら進み、港町の大船渡を経て終点の盛(さかり)に到着しました。仙台から盛まで3時間以上を要しました。



イメージ 3

盛駅にて撮影。大船渡線用のキハ100形気動車です。

盛駅からは更に三陸鉄道南リアス線に乗り継いで北を目指しますが、一度JR改札を出て改めて三陸鉄道の駅舎へ。窓口で『18きっぷ』所持者のみが買える(2003年当時)、『三鉄1日とく割フリーパス(南リアス線用)』を購入しました。南リアス線が1日乗り放題で530円で、盛〜釜石の片道普通運賃(1,050円)の約半額で利用できてとてもお得でした。きっぷを購入後はホームへ。しばらく待っていると単行の盛行き列車(36-207)が入線して来ました。この列車が折り返し釜石行き213Dとなります。車内は10人程で、何とか海側のボックスシートを独占できました。そして落ち着いた後は朝に仙台駅のコンビニで買ったおにぎりを食べました。



イメージ 4

盛駅にて撮影。三陸鉄道の気動車です。

213Dは定刻に盛を発車し、大船渡の町並みを高架線から眺めながら進むとすぐにトンネルへ入りました。南リアス線は比較的新しい路線(うち盛〜吉浜は国鉄盛線として開業)で、あまり海岸線近くを走らずに山間部をトンネルの連続で走ります。それでも入江の奥にある漁村付近では海を見ることができました。

そして最後は釜石市に入り、鉄橋を渡りながら新日本製鐵釜石製鐵所の工場が見えてくると終点の釜石に到着しました。



イメージ 5

釜石駅にて撮影。JRと三陸鉄道では乗場が少々離れています。

釜石では三陸鉄道の駅舎から外へ出て、今度はJRの駅舎の改札口で『18きっぷ』を提示して入場し、今度は山田線でさらに三陸海岸に沿って北を目指しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
JR東日本:石巻線小牛田→前谷地12.8km
JR東日本:(※1)気仙沼線前谷地→気仙沼72.8km踏破達成!
JR東日本:(※1)大船渡線気仙沼→盛43.7km
三陸鉄道:(※1)南リアス線盛→釜石km踏破達成!
(※1)2011年の東日本大震災発生前のデータ。

(参考:Wikipedia)

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第242回 仙石線と仙台市営地下鉄南北線を乗りつぶし

前回の続き…

2003年12月27日〜31日、年末年始の長期休みを利用し、主に『青春18きっぷ』を使用して4泊5日の行程で東北や関東の路線の乗りつぶしの旅に出かけました。
初日の後半は、仙台周辺を軽く乗り鉄しました。

今回の日程 2003年12月27日(土) 【後半】

仙台駅西口(徒歩)あおば通1252(仙石線・3227S快速うみかぜ13号)1353石巻1406(仙石線・3426S快速うみかぜ16号)1511あおば通(徒歩)仙台1518(仙台市営地下鉄南北線)1533泉中央1545(地下鉄)1613富沢1622(地下鉄)1634仙台

【宿泊】
仙台駅近くの「吉野家」にて昼食後は、徒歩で地下にあるJR仙石線のあおば通駅へ。地上にある出入口を見た限りは地下鉄の駅そのものでした。



イメージ 1

あおば通駅にて撮影。この通りの地下にコンコース・線路・ホームがあります。

そして地下へ下り、改札口で『18きっぷ』を提示してホームへ向かいました。ホームに停車していたのは205系4連の3227S快速『うみかぜ13号』。石巻方の先頭車両を見ると車内は「デュアルシート」と称される、近鉄のL/Cカーのようにロングシートとクロスシートの両方に設定できる座席がクロスシートの状態で並んでいました。ぜひ座りたかったのですが、既に窓側席が乗客で埋まっていて、私は仕方なく最後部車両のロングシートに座りました。車内はガラガラだったのでロングシートでも車窓を眺められると思ったからです。

しかしその思惑は見事に外れました…。あおば通発車時は確かにガラガラだったのですが、地下区間を少し進んで到着した仙台からは大勢の帰省客と思しき乗客が一斉に乗車し、車内は通勤電車並みの混雑となってしまいました。私の定位置?であるドア脇へ行く事もできなくなり、隣の客に気遣いながら首を横に向けてわずかに見える車窓風景を眺めるしかありませんでした。この日は晴天でしたが、背後の窓のカーテンを下ろそうとする客がいなかったのは不幸中の幸いでした。もし下ろそうとしても私は拒否していたと思いますが…。
仙石線を多賀城市、塩竈(しおがま)市と進むにつれ乗客が減り、観光地の松島海岸でも相当減りました。しかし車内は立客がまだいる状態で、結局は車窓風景を満足に眺められないまま終点の石巻に到着しました。仙台での大量乗車を予測できなかった自分が悔しくて、この後は石巻線を乗りつぶす予定だったのですが、急遽予定変更して仙石線を往復乗車することにしました。『18きっぷ』を使用していたので予定変更ができました。しかし、帰りこそは、と狙ったデュアルシートも既に窓側席が埋まっていて、行きでの教訓から今度は最後部のドア脇に立ち、車窓風景を確実に眺める事にしました。



イメージ 2

石巻駅にて撮影。当時は103系から205系への移行時期でした。

3227Sの折り返しの3426S快速『うみかぜ16号』は定刻に石巻を発車し、行きの行程ではあまり眺められなかった車窓風景を楽しみました。陸前小野〜野蒜の旧・鳴瀬川橋梁付近の旧線跡や、東名〜陸前富山の海沿いを走る区間などの景色を堪能しましたが、この付近(東松島市)は2011年に発生した東日本大震災による津波で大きな被害を受けた区間です。一部区間の線路を内陸に移設して復旧させるとのことですが、一日も早く全てが復興することを願っています。



イメージ 3

陸前富山〜陸前大塚にて2010年撮影。このような景色を見たくて往復乗車しました。

その後も松島海岸〜東塩釜で東北本線と絡みながら走る場面などを眺め、東塩釜からは市街地を走り、苦竹を過ぎると仙台市街の地下区間となりました。そして仙台で大半の乗客が下車して席が空いたため、私は最後の1区間だけデュアルシートを体験して終点のあおば通に到着しました。復路は何とか満足できた仙石線往復乗り鉄でした。

あおば通駅からは近くにある仙台市営地下鉄(現・仙台市地下鉄)仙台駅へ向かいました。そして自動券売機でプリペイド式のストアードフェアカード「スキップカード」(1,000円分)を購入。そして自動改札機を通り、エスカレーターを下って地下鉄ホームに着きました。
まずは泉中央方面を乗りつぶしします。すぐに来た泉中央行き電車は1000系の4連で、20m級4扉でした。車内は少々混雑していて、私はドア脇で立席となりました。
途中の北仙台駅までは乗降が少なかったですが、新興住宅地の目立つ台原駅や旭ヶ丘駅では降車が目立ちました。そして黒松駅からは地上の高架線を走り、八乙女駅を経て終点の泉中央駅に着きました。終点まで乗り通した乗客が多かったです。


泉中央駅はニュータウンの駅といった感じで駅前の町並みはまだ新しかったです。しかし長居はせずにすぐに改札内へと戻り、今度は富沢行きの電車に乗りました。仙台駅までは結構混雑していましたが、仙台駅を過ぎると車内は比較的空いてきました。そして長町南を過ぎると今度は地上に出て高架線となり、南の終着駅である富沢駅に到着しました。南北線の全区間を28分で走破しました。

富沢駅でも車両の写真を撮った後に改札を出て少し駅前を歩いた程度ですぐに戻り、泉中央行き電車に乗りました。そして車内でデジタルカメラで先程撮った写真を確認しましたが、車両の写真がブレていて撮影失敗したことに気づきました。これを悔しく思ってしまい、また富沢駅へ戻ってリベンジしようと思いましたが、この日は疲労が蓄積して元気がなかったので断念して予定通り仙台駅で下車して駅の外へ出ました。



イメージ 4

富沢駅にて撮影。撮影失敗しました…orz

仙台駅へ戻った後は、そのまま駅北側の花京院地区にある「ロイネットホテル仙台」(現在はリッチモンドホテル仙台)へ。チェックインを済ませ、自分の室内へ入ると、宿泊料5,200円ではありえないような豪華な客室にビックリしました。私がこの時点まで乗り鉄で宿泊したホテルの中で一番豪華な客室でした。そしてデスクにはホテルの1階に入っているレストラン「ロイヤルホスト」の割引券が置いてあったので、私は有り難く使わせてもらうことにして、時刻表と筆記用具を持って早速1階の「ロイヤルホスト」へ。夕食を食べながら時刻表で翌日以降の行程を再調整しました。その後は近くのコンビニで翌朝の食事などを調達し、再び客室に戻り、入浴後に就寝しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
JR東日本:仙石線あおば通〜石巻50.2km踏破達成!
仙台市地下鉄:南北線泉中央〜富沢14.8km踏破達成!
(参考:Wikipedia)

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第241回 伊丹空港から飛行機利用で仙台へ。

2003年12月27日〜31日、年末年始の長期休みを利用し、主に『青春18きっぷ』を使用して4泊5日の行程で東北や関東の路線の乗りつぶしの旅に出かけました。
初日は乗り鉄旅行では初めてとなる、飛行機を利用しました。乗りつぶしも中盤以降となると、一気に長距離移動できる飛行機も移動の選択肢に入ってきます。
今回より数回に分けて紹介しますが、写真が少なめになると思います。ご了承下さい。

今回の日程 2003年12月27日(土) 【前半】

加古川724(JR神戸線・3206M新快速)814大阪(徒歩)阪急梅田駅835(大阪空港交通バス)906大阪<伊丹>空港1000(全日空733便)1110仙台空港1127(仙台市交通局バス)1205仙台駅西口

【後半へ続く】
この日は6時に起きて朝食後に自宅を出発。加古川駅で『青春18きっぷ』のスタンプが押されました。そしてJR神戸線の新快速(223系12連)に乗って大阪駅へ。何とか加古川駅で通路側の席に座れました。
大阪駅からは一度乗ってみたかったリムジンバスに乗車しました。阪急梅田駅の1階にあるバスターミナルから伊丹空港行きのバスに乗車。乗客は少なかったですが、途中のマルビル前で大量の乗車があり、ほぼ満席となりました。そして福島入口から阪神高速11号池田線に乗り、それほど渋滞もなく大阪空港出口まで無事に走り、阪急梅田駅から31分で大阪(伊丹)空港に到着しました。乗換がないのは楽でしたが、鉄道ファンの私は阪急〜大阪モノレールのルートも使わないといけないな、と思いました。



イメージ 1

イメージ 2

2枚とも大阪国際空港(伊丹空港)にて2010年撮影。

大阪国際空港では係員に教えてもらいながら搭乗手続きを済ませ、今回の荷物はリュック1つだったので手荷物なしでそのまま保安検査へ。腕時計やポケットに入っている携帯電話などを取り出して無事ゲートを通過しました。かなり緊張しました。その後は待合所で案内があるまで待って、いざ搭乗開始になると200人程?が一斉に飛行機に乗りました。今回の飛行機はボーイング767で、中型機の部類でしょうか?(私は飛行機にあまり詳しくないのでよく分かりませんが…) たちまち機内は満席となり、私はE席でしたが窓側か通路側か忘れてしまいました…。そしてシートベルトを締めてフライトに備えました。

飛行機は10時過ぎに離陸しました。離陸の時は特に緊張しました。離陸後は阪神競馬場付近の上空を通り、いざ東へ向かって飛びました。

機内ではドリンクのサービスがありましたが、私はなぜか普段あまり飲まないコーヒーを注文しました。おそらく眠りたくなかったからだと思います。
そして伊丹空港を飛びだって約1時間、太平洋のある東側から仙台空港へ着陸しました。再び緊張しましたが、車輪が地についた瞬間、不安は安堵に変わりました。そして飛行機が止まるとシートベルトのサインが消え、乗客が一斉に席を立ちました。前方の扉からしか降りられないので、私が飛行機を降りるまで少しかかりました。どうやら暗黙のルールで前方の客から順番に降りている事に気づき、次回以降は可能であれば前方の座席を確保しようと思いました。



イメージ 3

仙台空港にて2007年撮影。

飛行機を降りて到着ロビーから外へ出ると、今度は仙台駅方面へのバスのりばを探しました。当時は仙台空港鉄道は未開業で、館腰駅へのバスも不便そうだったので直接仙台駅へ向かう事にしました。バスのりばはすぐに見つかり、チケットを求めて停車していたバスに乗りましたが、仙台市交通局のバスであったことに驚きました。確か仙台空港は名取市だったはず…。まぁ、どうでもいい事なのですが…。ちなみにこの時は、2011年3月11日の東日本大震災で仙台空港が津波の被害に遭うとは予想だにしませんでした…。



イメージ 4

仙台空港にて撮影。写真の館腰駅行きのバスも仙台空港鉄道開業の影響で廃止されてしまいました。

バスは7割ほどの乗客を乗せて仙台空港を発車。途中、仙台東部道路も通って長町付近を経由しました。乗客は少しずつ減っていき、広瀬川を渡ると仙台の中心市街地へと入り、仙台空港から40分弱で終点の台駅西口へ到着。半数以上の乗客が終点まで乗り通していました。



イメージ 5

仙台駅にて。最上階は新幹線ホームです。

仙台駅到着後はちょうどお昼時だったので駅近くの「吉野家」へ。折りしも3日前にアメリカでBSE感染疑惑牛発見の発表があり、昨26日には政府がアメリカ産牛肉の輸入禁止を決定して、「吉野家」で牛丼が食べられなくなるかも知れないと騒ぎ始めた頃でした。案の定、店には大勢の客がいました。私は牛丼並盛(280円)と生野菜サラダ(90円)を注文し、2003年最後の牛丼を食べました。後になって、この時に特盛を食べておけば良かったかなぁ〜と後悔しましたが…。

昼食後はいよいよ仙台周辺の乗り鉄です。

(つづく)


今回の新規踏破路線はありません


(参考:Wikipedia)

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第240回 宮崎から筑豊経由で福岡へ。そして帰宅。

前回の続き…

2003年11月13日〜16日、『周遊きっぷ(九州ゾーン)』を使用し、3泊4日の行程で九州の路線の乗りつぶしの旅に出かけました。
尚、『周遊きっぷ』のゾーン券は5日間有効ですが、長期間の休みを取れなかったので3日間のみ使用にとどまりました…。

今回の日程 2003年11月16日(日)

宮崎605(日豊本線・5002M L特急『にちりん2号』)1039行橋1103(平成筑豊鉄道田川線・2423D)1148田川伊田1150(伊田線・234D)1222直方1228(筑豊→篠栗→鹿児島本線・4639H快速<B>)1322博多1351(福岡市地下鉄空港線)1356福岡空港1415(空港線)1420博多1535(山陽新幹線・ひかりレールスター372号)1749姫路1753(山陽本線・808T)1807加古川

【帰宅】
この日は朝5時頃に起床し、朝食後の5時40分にチェックアウト。コンビニへ寄った後に宮崎駅に到着しましたが、2日前に鹿児島で買ったお土産の紙袋をホテルに忘れたのを気づきました。私は慌ててホテルへ引き返し、フロントの方に部屋の鍵を借りて、部屋でお土産の紙袋を見つけて慌てて駅へ戻りました。すでに6時になっていましたが、乗車予定の列車には間に合いました。乗車する列車は小倉行きの特急『にちりん2号』。赤い485系の5連で、私はガラガラの3号車自由席に座りました。

列車は定刻より少し遅れて発車し、まだ暗い車窓を眺めながら宮崎県内を北上しますが、やがて徐々に明るくなりリニアモーターカーの実験線も確認できました。そして日向市、延岡と続けて市街地を通り過ぎた後は「宗太郎越え」と呼ばれる宮崎・大分県境の山越え区間に入りました。確かに車窓は山、山、山で、通過した宗太郎駅は秘境駅といった感じでした。そしてようやく市街地に入ると佐伯で、ここからは豊予水道のリアス式海岸に沿って海も見ながら走ります。景色は良かったです。日豊本線は2年前に初踏破したのですが、この区間は夜行の『ドリームにちりん』乗車時だったので景色を見るのはこの時が初めてでした。その後は市街地に入り、宮崎から3時間以上をかけて大分に到着しました。
『にちりん2号』はこの後も別府や杵築、中津と大分県の主要駅に停車し、福岡県に入り最初の停車駅である行橋で私は下車しました。そのまま終点の小倉まで乗っていたい気分だったのですが、平成筑豊鉄道の乗りつぶしをするための下車でした。



イメージ 1

行橋駅にて撮影。『にちりん2号』は昨年引退した485系電車でした。

高架駅の行橋からは平成筑豊鉄道田川線の乗りつぶしです。まず改札外の平成筑豊鉄道専用入口から入り、高架ホームへ。そして乗車列車の運転士から『平成ちくほう鉄道の旅 1日フリーきっぷ』(800円)を購入しました。そして朝食が早かったせいか腹が減ったので、車内のボックスシートでコンビニで買ったおにぎりをで食べました。
今は廃車となった単行の100形の車内には15人程と、思ったよりは多い状態で田川を発車しました。景色は田園風景から山里へと変わり、九州最古の鉄道トンネルである第二石坂トンネルを抜けると赤村に入りました。そして未成線に終わった油須原線との接続駅になる予定だった油須原や2003年開業の「赤」駅に停車し、やがて日田彦山線と合流して田川市の東の中心地・田川伊田に到着しました。列車はここまでで、私は伊田線の直方行きに乗り換えました。

直方行きも後に廃車となった200形で、ボックスシートは埋まっていたので仕方なくロングシートに座りました。乗客は10人ほどと少なかったですが…。伊田線は筑豊地区の中心部を走ります。過去の石炭輸送の名残か、全線複線でした。沿線は普通のローカル風景といった感じでした。車庫のある金田(かなだ)で糸田線と合流し、「あかぢ」駅を過ぎると筑豊本線と合流して終点の直方駅に到着しました。



イメージ 2

直方駅にて撮影。平成筑豊鉄道の200形気動車です。

直方からは『福北ゆたか線』として都市近郊路線に脱皮した筑豊本線〜篠栗線のルートで博多へ向かいました。電化後はじめての乗車でした。乗車したのは停車駅の多いタイプの快速電車で、車両は817系2連、革張りの転換クロスシートが特徴的でした。大きな窓でカーテンがなく、車窓風景を思う存分楽しみました。最後は混雑した状態で、直方から1時間弱で終点の博多駅に到着しました。

後は山陽新幹線で帰るのみとなりましたが、事前に指定席を押さえてあった『ひかりレールスター372号』の発車まで2時間ほど早着となってしまいました。そこで福岡市地下鉄空港線の未乗区間、博多〜福岡空港を乗りつぶすことにしました。早速地下へ向かい、地下鉄乗り場へ。福岡空港行きは2000系6連で、やはり大きな手荷物を持った乗客が多かったです。そして博多から2駅、たったの5分で終点の福岡空港に到着しました。福岡空港は評判通り福岡市の中心部から近い便利な空港ですね。



イメージ 3

福岡空港駅にて2009年撮影。1000系電車です。

私は少し離れた出口から地上へ出て空港ターミナルビルなどを眺めてから再び地下へ下り、再び地下鉄の電車(1000系6連)に乗って博多駅まで戻りました。
まだ1時間以上時間があったので書店などで時間をつぶし、30分前になって改札内へ。そしてホームでしばらく待っていると『ひかりレールスター372号』が入線してきました。700系の8両編成で、私は7号車の指定席でした。レールスターでの指定席乗車は今回が初めてとなります。4号車のサイレンス・カーに乗りたかったのですが、車内放送がなくて寝過ごす心配があったので今回は見送りました。指定席は両側とも2列シートで、私は山側のD席でした。さすがに座席は広く余裕があり、自由席車両との差を実感しました。発車直前には窓側の席がほぼ埋まるほどになり、結構乗車率は高かったです。やはりレールスターは人気があるのでしょうね。

列車は博多を定刻に発車し、初乗車となる博多〜小倉間の景色を必死に眺めました。そして小倉到着時点で、当時営業中の新幹線路線を乗りつぶし達成しました! その後も初踏破時は夜間乗車だった小倉〜岡山の景色を眺めながら快適な時間を過ごしました。しかし、トンネルが多いのは時間短縮が叶う反面、眺望の面ではイマイチでした…。途中停車駅では降車より乗車の方が多く、岡山発車時点ではほぼ満席となりました。自由席車両は満席だったかもしれません…。

そして博多からわずか?2時間14分、17時49分に姫路到着。『ひかりレールスター372号』から下車しました。



イメージ 4

姫路駅にて2008年撮影。700系7000番台『ひかりレールスター』です。

そして在来線との乗換改札へ向かうと、電光掲示板に普通(明石から快速)・808T米原行きが17時53分発と表示されていたので、JR神戸線ホームへダッシュしました。何とか間に合って、乗車後すぐに808T(221系10連)は姫路を発車しました。そして息がようやく整った頃、加古川に到着。有人改札で『周遊きっぷ』の『かえり券』を乗車記念に頂き、すでに暗くなっている中で自転車を漕いで家路を急ぎました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
平成筑豊鉄道:田川線行橋→田川伊田26.3km踏破達成!
平成筑豊鉄道:伊田線田川伊田→直方16.1km踏破達成!
福岡市地下鉄:空港線博多〜福岡空港3.3km踏破達成!
JR西日本:山陽新幹線博多→小倉67.2km踏破達成!
(参考:Wikipedia)

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第239回 肥薩線を乗りつぶして宮崎へ

前回の続き…

2003年11月13日〜16日、『周遊きっぷ(九州ゾーン)』を使用し、3泊4日の行程で九州の路線の乗りつぶしの旅に出かけました。
尚、『周遊きっぷ』のゾーン券は5日間有効ですが、長期間の休みを取れなかったので3日間のみ使用にとどまりました…。

今回の日程 2003年11月15日(土)【後半】

人吉1330(肥薩線・1235D普通『いさぶろう』)1500吉松1535(4235D)1625隼人1650(日豊本線・6012M L特急『きりしま12号』)1824宮崎

【宿泊】
熊本県南部の観光都市・人吉で昼食を済ませた後は、隼人方面へ肥薩線の旅を続けました。

まずは「山線」区間を普通列車で吉松まで移動しましたが、その時に乗ったのが観光列車『いさぶろう』(下り列車の名称。上り列車は『しんぺい』)で、通常はキハ31形の単行ですが、この日は団体客がいたので前方にキハ40形が増結されていました。私は後方のキハ31形に乗車。車内はまだガラガラで、私は中央にある畳敷きの座席(転換クロスシート2列分を改装)を確保しました。発車直前にはそこそこの乗車率になりましたが思ったほど乗客が多くないこともあり私は畳敷きの座席を独占できました。



イメージ 1

人吉駅にて撮影。この日はキハ40系が増結されていました。

『いさぶろう』は定刻に人吉を発車し、八代からずっと並行していた球磨川を渡り南側の山間部へと入って行きました。そしてしばらくすると大畑(おこば)に到着。ループ線の途中にスイッチバックのある日本唯一?の駅で、数分間停車するということで私や他の乗客は外へ出て昔ながらの風情が漂う大畑駅を満喫しました。



イメージ 2

大畑駅にて撮影。『しんぺい』のヘッドマークが付いていますが、『いさぶろう』です。

大畑駅を発車後はスイッチバックを体験し、ループ線を終えてしばらく走ると矢岳駅に到着しました。矢岳駅でも数分間停車し、下車して駅構内にある蒸気機関車の展示館へ。D51 170を見学しました。

矢岳駅を発車すると肥薩線で最長の矢岳第一トンネルに入ります。トンネル入口(八代方)の上部には山縣伊三郎の揮毫(きごう)で「天險若夷」、出口(隼人方)の上部には後藤新平の揮毫で「引重致遠」と書かれた篇額がそれぞれ設置されています。この2人が『いさぶろう』『しんぺい』の由来となっています。
トンネルを出ると下り勾配に転じますが、途中で日本三大車窓「矢岳越え」の素晴らしい眺めを見る事ができました。



イメージ 3

眼下にはえびの盆地が、遠方にはえびの高原や霧島連山を望めました。

その後も勾配を下り、スイッチバックをすると肥薩線で唯一、宮崎県内にある駅の真幸駅に到着しました。ここでも数分間停車だったので三度外へ出て真幸駅を堪能しました。当時から駅ホームに「幸せの鐘」があったと記憶しています…。

真幸駅を発車後は引き続き勾配を下り、今度は鹿児島県に入り終点の吉松駅に到着しました。ホームには折り返し『しんぺい』を待っている乗客が多かったです。

吉松駅からは引き続き肥薩線を南下します。当時は『はやとの風』はデビューしていませんでした。乗車した4235D普通列車はキハ58系の2連で、車内はガラガラでした。私はボックスシートを独占し、山間部を走る肥薩線の車窓を楽しみました。ローカル線の旅にはキハ58系がピッタリでしたが、現在はキハ40系に置き換えられてしまいました。やがて山間部を抜けて平野部へ出ると日豊本線が寄り添い隼人駅に到着しました。合流部は肥薩線が直線で日豊本線がカーブしているのは肥薩線の方が先に開業したからで、八代〜鹿児島間の海沿いルート(川内回り)が開通するまでは肥薩線が鹿児島本線を名乗っていました。



イメージ 4

隼人駅にて。当時は普通列車にキハ58系も使用されていました。
イメージ 5

隼人駅にて。リニューアル前の姿です。

隼人駅では日豊本線に乗り換えました。乗車したのはL特急『きりしま12号』宮崎行きで、485系の短い3両編成でした。私は『周遊きっぷ』使用なので、2号車の自由席に乗車しました。乗客は多かったですが、何とか窓側席に座れました。列車は国分から山間部を走りますが、都城付近で暗くなり、青井岳付近は暗闇の中を走りました。そして市街地が現れ、南宮崎駅を過ぎて大淀川を渡ると終点の宮崎駅に到着しました。



イメージ 6

宮崎駅にて2008年撮影。当時は夜間に到着しましたので駅を撮影しませんでした…。

駅前を見渡してもすぐに食事できる店が見当たらなかったので、コンビニでカップラーメンと翌日の朝食を買って駅近くのビジネスホテルへチェックイン。疲れていたこともあり夕食、入浴後すぐに就寝しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
JR九州:肥薩線人吉→隼人72.4km踏破達成!
(参考:Wikipedia)

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