ひとりごと 〜祈ること、罪を避けること、愛をもって全てを行なうこと〜
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>わたしなりに祈りを書いてみました > おかしいところがあったら、教えてくださいね。 おかしいところは特にないですし 聖人がたは主の祈りの各節ごとに 長い個人創作的祈りを加えて唱えています 中世の祈祷書には 悔い改め、聖体、聖人の記念、煉獄の霊魂のための意向を、 主の祈りの各節ごとに加えたものが多く掲載されています 大切なのは 言葉に心を合わせることですから 少々の意訳(同義語の範囲内)であれば 異質でない限り、なんら問題ないと思います > 〜たとえば、信徒がカリスの聖血に、みずからの手で聖体を浸す違法行為〜 > みなさんが従順に従われているのに、私が文句を言うわけにもいかず複雑な気持ちでした。 たしかに困りますね でも、みずからが最高権威に不従順なのに「従順に合わせてください」は 本当の意味で、組織的に誤った従順の要求、 厳密には、教皇庁への不従順の強要になりますから 戸惑うのは当然ですね ただ、教皇庁からは 信徒の利益を尊重するようお達しが公式に出てますから その地域の教会の「誤ったやり方」や「誤った方針」に対して こちらが合わせる必要性は1ミリも微塵もありませんので いくら相手に合わせたからといって 誰も、その誤った行為の責任を取ってはくれないでしょうし 誰も、自分にかわって主に申し開きすることはできないからです 今後は遠慮なさらずにふるまって もし尋ねられた場合 「私は教皇庁の指針に従うだけです。 意にそぐわないことを強要される覚えはありません どこがどう問題なのかわかりやすく説明してください」 と答えるくらいなスタンスでイイと思います もしかしたらそれがきっかけで 教皇庁の指針の内容がどのようなものであるか また、どんな事柄が、典礼上・教会法上の違法行為になるのか その人々に「気づき」をもたらすかもしれません 無知に由来する偏見のまなざしを恐れないでください 本来、知っておくべきことに対して無知であること自体が問題ですから それを是正することに戸惑わなくても大丈夫です > 昨日の 無原罪の聖母のごミサで、私以外にもう一人聖変化のときに > ひざまずいている人をみかけてうれしかったです。 その嬉しさは 主や聖母が抱かれている嬉しさにつながっています 聖変化や聖体拝領におけるひざまずきを奨励される教皇聖下も 嬉しがられることでしょう むしろ神の御前における『信者の守るべき公式の重い義務』として どの地方教会であろうと 奉献文や聖体拝領においてひざまずきが実施されることを望みます この世における神の畑には 良いものと悪いものが併存状態です 誤らないための方法は 聖体への信心を徹底することで そうすることで、おのずと秘蹟の忠実な準備と感謝、典礼への親しみ、正しい聖母信心、 善徳のこころがけ、勤勉な教理研究、霊的物的愛徳の実践へと導かれます 他から与えられるのを待つだけのラクな受け身状態では 霊的成長もとどこおるどころか後退してしまいますし 広い道に突き進んでいくおそれがあります 最悪、正しい行動を取る敬虔な信徒を 攻撃するというありえない反福音的暴挙に出てしまいます そのような暴挙を行なって、敬虔な信徒を傷つけることは 主の救いの御業に協力するどころか むしろ悪魔の協力者として善を妨害している、とさえ言わざるをえません 私たちが最も恐れるべきことは 外部的な痛みをもたらす悪魔的迫害や破壊的災害よりも むしろ教会内部のメンバーによる罪です 先日12月8日、教皇聖下はスペイン広場において 「教会が恐れることのできる唯一の危険、 また恐れるべき唯一の危険、それは教会のメンバーの犯す罪である」と述べられました 実際、1人ひとりが犯す道徳的罪は 隠れているものも、そうでないものも それらはみな、愛を傷つけ 神を侮辱して神との親しさを崩壊させ 内的な秩序に致命的な破壊をもたらし 霊的な死、懲罰を招来するものとなり 現世においても、来世においても 自分だけでなく他者にとっても、悲しむべき現実的不幸をもたらす戦慄すべき害悪です そこからの唯一の脱出方法は 痛悔の祈りのうちに 内省的な心からの悔い改めをもって神に立ち帰り、 神の憐れみのふところに向かって自身を委ね 主キリストに自身の罪の赦しを求めて、しかるべき準備のうちに秘蹟にあずかることです キリスト信者は、1人ひとり キリストの名を、その身に帯びています キリスト信者は 法人的観点からして さらには霊的観点からして 世界に対して、キリストの神秘体であり、1人のキリストです 山上にこしかけたままで、何も語らないキリストはありえません 祈りや感謝を捧げないキリストはありえません 悔い改めを呼びかけないキリストはありえません ミサを捧げないキリストはありえません パンを分かち与えないキリストはありえません 善を行なわないキリストはありえません 他者を愛さないキリストはありえません 貧者や病者を助けようとしないキリストはありえません 悪を行なわないように諭さないキリストはありえません 悪魔を追い出さないキリストはありえません 他者を赦そうとしないキリストはありえません 他者の救いに無関心なキリストはありえません 十字架をになわず、十字架にかからないキリストはありえません 御父に憐れみを求めないキリストはありえません 陰府にくだって霊魂を解放しないキリストはありえません 死んだまま復活しないキリストもありえません キリスト信者の務め それは、何よりもまず祈りであり 神への礼拝、賛美、感謝を捧げることであり 思い、言葉、行ないにおいて、道徳的罪を避けることであり 償いや犠牲を捧げることであり 善徳を心がけて、謙遜と忍耐と忠実のうちにそれを行なうことであり 些細なことであれ、キリストの聖心の愛に結ばれて、 愛をもって全てを行なうことです 全世界の救いは 現代のキリスト者1人ひとりにかかっている、と言っても過言ではありません もしキリスト者が祈りをしないなら その人は地域社会や世界に対して、いわば「祈らないキリスト」になってしまいます もしキリスト者が福音を宣言しないなら その人は地域社会や世界に対して、いわば「悔い改めと救いをのべ伝えないキリスト」になってしまいます もしキリスト者が償いを捧げないなら その人は地域社会や世界に対して、いわば「十字架を放棄するキリスト」になってしまいます もしキリスト者が道徳的罪を犯し続けるなら その人は地域社会や世界に対して、いわば「善を行なわず悪を行なうキリスト」になってしまいます 厳密に言えば、もはやキリスト者とは名ばかりの「善を行なわず悪を行なう反キリスト」になってしまいます 私たちはそのようなことをキリストから教えられたのではありません そのようなふるまいを続けるなら 私たちは、世界に神の祝福を降り注がせるどころか むしろ世界に災いを呼びくだしてしまうことになるでしょう 最悪、呪われたものとして 悪魔とその使いのために備えられた地獄の炎に焼かれ 永遠の死に入ることになるでしょう 警鐘は、なにも霊魂を滅ぼすためのものではなく むしろ、霊魂が滅びに陥らないための、慈父的愛の注意喚起となります 実際、主キリストは 地獄の存在、その永遠の苦しみの炎が、来世に現実にあることを 明確に、幾度も、間接的なたとえや、直接的な叱責のうちに、私たちに啓示され そこに陥らないよう警告することを、決してためらわれませんでした むしろ、いつも悔い改めを 人々に、そして弟子たちにも呼びかけておられました 「たとえ全世界を掌握したとしても 自分自身を滅ぼしてしまうなら、いったい何の益があろうか 誘惑に陥らないよう 目を覚まして祈りなさい 悔い改めなさい あなたたちも悔い改めないなら、みな同じように滅びるだろう 私は道であり、真理であり、生命である 私を通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない 私を愛する者は、私の言葉を守る 私の愛のうちにとどまりなさい」 世界の真の平和と安定と救いは 人間1人ひとりの祈りと道徳的善の実践にかかっています 神ご自身が 人間の協力を、世界の人々の救いに取り入れることをお決めになられたからです それは人祖の創造の時から、そうであり キリストの受肉の時にも、そうであり キリストの再臨の時に至るまでの現在も、そうであり それが、人間に功績をもたせようとされる神の聖なる配慮です 私たちが神の御意志に対して取るべき態度は 幸いなおとめマリアがなされたようにFiat(そうなりますように)と応じて 想いと言葉と行ないを通じて 悪を退けて、善を行ない、 神の愛で生かされた愛で、日々の務めを忠実に果たしてゆくことです そのようにするならば この世界や1人ひとりが、いかなる状況にあろうとも 神の祝福と寵愛に事欠くことはないでしょうし 人々の救いの協力者としての使命を果たすことができるでしょう 救い主の御母、幸いなおとめマリアが 私たちの主イエズス・キリストと共に その2つの聖心の燃える愛の炎のうちに 永遠の救いへと向かう私たち1人ひとりの歩みを祝福し いつくしみ深く導いてくださいますように☆ | ||
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優しい画像と優しいBGM、癒されに来ました。
ポチ!
2011/12/15(木) 午前 1:48
村ポチ!完
2011/12/15(木) 午前 1:52
ブログをはじめてから、ベネさんを始め、皆さまの励ましで
宗教の話題になった時に最近は堂々と「私はクリスチャンです」と
言えるようになりました。
今後もこちらで色々と学ばせて下さいね(*^-^*)
wポチ!!
2011/12/15(木) 午後 0:19
いやいや・・・まいりました・・・
この頃のだらけきった私に対する、神様からのお言葉ですね・・・・
クリスマス前に神に立ち返らせてくださるとは・・・さすがです!!
2011/12/15(木) 午後 2:56
最近の私は日曜日のごミサで最高の祭儀に与っているという気持ちが
薄らいでいます。やはり、ごミサの後の事が気になりバタバタしているからでしょう(T_T)
何と用事が重なり、気持ちがそちらにいっているからでしょう。
平日のごミサ(時に金曜日のごミサ)で祭儀の意味を改めて感じるようにしていますが、安息日である日曜日のごミサをないがしろにしているわけではないのですが、気持ちの面でももっと落ち着いて与る必要があると思っています。
お祈りが足りないのでしょうか。。
待降節にあたってもっと神に近づけるように自分自身を神に捧げていきたいと思っています。
神に感謝
2011/12/15(木) 午後 10:15
私達が苦しい時、悲しみの時程共にいてくださる神に栄光!
御心のままに・・・いつでも幼子のような純粋な心で神が贈ってくださる全ての事にそう応えられますように。
2011/12/15(木) 午後 10:18 [ yxh**196*000 ]
ありがとうございます。
ポチっ♪
2011/12/16(金) 午後 5:44 [ 冬子 ]
こんばんは
今日は苦しみのところ 読ませて頂きました。
いろいろ勉強にというか 成長になります。
こうして出会わせてくださった神様に感謝です。
2011/12/18(日) 午前 0:33
初めまして💝
カトリック教会阿倍野の信徒です🌟🎄
主のご降誕のおよろこびを申し上げます🎉🍸
典礼の仲間入りをして、頑張らせて頂いています💒
ファン登録させて頂きます😊
2011/12/24(土) 午後 11:22 [ ]