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『強制収容所で裸に 11人を拘束』

 ポーランドの警察当局は24日、同国南部にあるナチス・ドイツのアウシュビッツ強制収容所跡で裸になってホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)犠牲者を冒涜(ぼうとく)したとして、男女11人を拘束した。

 ポーランド通信が伝えた。

 男女はポーランドとベラルーシ、ドイツ国籍。

 ウクライナ東部で戦闘が続いていることに抗議して収容所跡で羊を殺害、同収容所跡の象徴とされる「アルバイト・マハト・フライ(働けば自由になる)」と書かれた紋の前で裸になるなどした疑いが持たれている。
<ベルリン共同>


転載元転載元: nk8**6eのブログ

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『世界の宗教・・・イスラーム スンニ派』

 イスラームは七世紀始めにアラビア半島のマッカ(メッカ)で誕生しました。

 最後の預言者ムハマドが、全知全能の唯一神で天地万物の創造主(そうぞうしゅ)であるアッラーから啓示(けいじ)を授かったことを起源としています。

 イスラム教徒を示す言葉「ムスリム」には「(神に)帰依(きえ)する者」という意味があります。

 アッラーの啓示をまとめた『クルアーン(コーラン)』を聖典としており、信条(神概念、天地創造)、倫理(生活規範、礼儀作法)、法(神への儀礼、法的義務)などが記されています。

 ここに定められた神の意志や命令に帰依し、善行を積むことがムスリムの信仰姿勢です。

 イスラームはスンニ派とシーア派に大きく分けられます。

 多数派であるスンニ派の正式名称は「スンナと共同体の民」で、クルアーンに加え、ムハマドの言行録に基づく行動規範、信者の共同体における合意事項を信仰の拠り所にしています。


転載元転載元: nk8**6eのブログ

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「愛と信仰」

 
  愛と信仰
 
 
誰かが奇跡が起こったと言ったら
そこに人間がいるかどうかを見てほしい
 
信仰は
物や肉体の奇跡では語れない
 
信仰は
魂の奇跡と呼ばれる愛に他ならない
 
誰かが救いを語ったら
そこに人間がいるかどうかを見てほしい
 
 
キリストは
綺麗ごとでは済まされない世界で
 
ぎりぎりの明け暮れを送っていた人々を前に
神の愛を伝えた
 
キリストが
いかなる人に愛を施したかを読み取ってほしい
 
人間であること以外何もない人の
叫びに近い願いに
キリストは反応している
 
 
信仰は
誰かの型に嵌ることではなく
見たこともない驚異を見ることでもないのだから
信仰の目的は
信仰が
信仰という特別の呼び名ではなくなることだ
 
 
いくら頭が良くても
いくら言葉に通じていても
信仰は語れないし
教理を語り愛という言葉を使っても
それで愛を語ったことにはならない
 
人間であること
人間とは何かを考えること
そして倒れて立ち直ることなしに
愛は一言も語れない
 
 
あるとき人が愛を失っている
ということは少なからず見られる
 
自らを除外せずに
自他ともに愛なき者がどう動くかを見ることで
人間は年を取っても否応なしに知ることがある
 
生きている人は
若き日に愛に憧れるが
愛が隠れても
愛を捨てたつもりでも
終生その懐に愛を失ってはいない
 
懐かしい心が反応するように
人としての経験が
愛を
映像や活字やメロディでしか味わえなくしても
今も支えなしでは生きてゆけない
 
それは奇跡でも信仰でもなく
 
愛に支えられて生きている
という厳然たる事実
 
何を行い誰を守るにしても
必ず問うてくるのだ
 
そこに何よりも大事なもの
人間に相応しい愛がありますか
 
 
よろこび よりも かなしみ
 
わらい よりも なみだ
 
おしえ よりも ささえ
 
いけにえ よりも あわれみ
 
信仰よりも愛
 
 
 (コリント人への第一の手紙、口語訳)
13:1
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
13:2
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
 ・・・
13:13
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
 (1コリント13:1,2,13、新約聖書)
 
 
(2017年03月13日、同日一部修正)
 
私は十分持っているという意味ではありません。むしろ最も欠けている、ゆえに最も求めているだけかもしれません。
 
嵌る(はまる)
 
 

 

転載元転載元: 「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

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悪徳に負ける正義!

悪徳に負ける正義!

昨日は、日蓮聖人の祖廟護持の奉仕で信徒仲間と共に日蓮宗総本山・身延山久遠寺に行ってきた。
日陰の多い身延山の3月はまだ寒く、久遠寺の梅はようやくにして満開していた。

奉仕が終って境内を散策していたら、掲示板に次のような言葉を見つけた。
身延山久遠寺第九十世・日勇上人の「生きる苦しみを乗り越える」ための詩であった。
その歌の中に「なるほどな」といたく感じる言葉があったので紹介・・・。

*神仏に仕えるつもりで人々に奉仕すれば 人々を幸いにするとともに自分が幸いになる

*善人は人から重んぜられ 正義は人から尊ばれるはずである
  しかし 善人なればこそ悪人に嫌われ  正義なればこそ 不正の輩にしりぞけられる
        善人 必ずしも重んぜられず   正義 必ずしも尊ばれない

日勇上人は、「重んぜられずともよい、尊ばれなくてもよい、私は正義であることを欲する」と最後に言い切っておられる。

宗教とは違うと言われればそれまでだが、安倍一強政治に胡坐を掻いたような政治家や役人たちの腐敗した悪徳事案が目に付くようになっている昨今・・・。
特に首相夫妻も巻き込まれた感のあった「瑞穂の国小学院」問題に見る説明のつかない理不尽な行為が財務省という国政の中央でもまかり通るようなありさま・・・。

清濁を併せのむのが政治とはよく言われるが、その根底に「公に尽くす哲学」がなければ、みんな「金」にまみれた汚れるばかりの有り様となる…。

転載元転載元: このままで良いのか、ニッポン!

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【今日は、あの2011年3月11日から6年目の日です。亡くなった約2万人の方々の7回忌 悩むのは「貧乏からの脱出」です。このことばかり考えてしまうので、不安と焦りの悩みのストレスがドンドン溜まっていきます。
〜「3・11」後をどう生きてきたのか? 震災6年、この問いは、自分や被災者にとって、一層切実さを増しています。〜
 出来たらまた、6年目の今日。被災地に向かって黙祷をしていただければ有り難いです
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画像に含まれている可能性があるもの:空、屋外、自然
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今日は、あの2011年3月11日から6年目の日です。亡くなった約2万人の方々の7回忌でもあります。
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画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、屋外

今日は被災地沿岸自治体ではどこでも、サイレンがなり「慰霊式」が行われます。 BGM演奏のために、宮古市かた3人の友の「グラッツィア」が来ます。 僕もその式に行き、献花して行くつもりです。
画像に含まれている可能性があるもの:1人、寝室、室内

【6年前のあの日は、雪が降っていてとても寒かった】
海の水温も4℃程度しかなく、津波に呑まれて、たくさんの人が水に浸かりました。若い人でも10分と持たない水温です。殆どが「溺死」とされていますが、「心臓麻痺」や山に逃げても「低体温症」でなくなった方もいるのです。
 
【あの日から、僕の人生は大きく変わりました。マイナスからのスタートに】
 まず、「非常に貧乏になりました。」預金も使い果たし、生命保険なども全て解約して生活してきました。
 何も無くなって、以前の負債もあったので、マイナスからのスタートになりました。
 全ての財産を失った上に船と漁具など最低のモノを揃えてのダブル負債でのスタートだった訳です。
 「3・11」後を自分はどう生きてきたのか? 震災6年、この問いは、自分にとって、一層切実さを増しています。
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【そして、震災以降のこの大不漁。想像もしていませんでした。】
 あのときは「船と漁具さえあれば、すぐに稼げる」と思ったのですが・・。殆どの漁師はそうです。 殆どの漁師が年間1億は水揚げしていたのですから・・。
 三陸の海の不漁はドンドン悪化しています。特に岩手の北三陸が良くないのです。昨年の台風10号での豪雨で、泥がまた海にたまりましたし・。
 この先、どうやって生きて行ったらいいのか? 海の回復は温暖化もあり、もはや見込み無しです。
 先を考え、やはやり悩むのは「貧乏からの脱出」です。このことばかり考えてしまうので、不安と焦りの悩みのストレスがドンドン溜まっていきます。また眠れない状況になるのです。
 「具体的な目標」ややれるべきことが、頭に浮かんできません。どうしても、先に立つ思考は「もう負債したくない」ですから。
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自動代替テキストはありません。
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【元々は漁業と観光で生きてきた三陸沿岸ですが】

 この大不漁に加えて原発事故の影響が大きく観光客は殆ど来なくなっています。
 被災地に残った被災者は、やはり、震災前と同じなりわい復興した人が殆どですが、そこがうまくいかないのが、大きなネックになっているのです。
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「3・11」後をどう生きてきたのか? 震災6年、この問いは、自分や被災者にとって、一層切実さを増しています。
 高台造成などハード面の復興が進む一方、人口減と高齢化に歯止めがかからない状態です。
 「より良く生きたいと願う被災者」ですが、なかなかうまく行かないのが現実です。皆が、そのストレスは深刻な課題だと自覚してるのです。

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今日は政府主催の慰霊式もあるようですが、出来たらまた、6年目の今日。被災地に向かって黙祷をしていただければ有り難いです。

転載元転載元: 山と土と樹を好きな漁師 佐々木公哉のブログ

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