初等科修身の教科書から:戦勝祝賀の日
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国定教科書:修身:第四巻:第19章より, 戦勝祝賀の日 「難攻不落を誇っていたのも,昨日の夢と消えて,皇軍は昭和17年2月8日ジョホバール水道を突破し,大激戦の後,15日には,敵将以下7万の大軍を無条件で降伏させました。シンガポール要塞は,見事に陥落したのであります。 太平洋とインド洋を繋ぐ関門として,大東亜海の守りを固め,昭南盗が新しく生まれ変わりました。ここは,いまや吾が大日本が皇道を明らかにする政治上,軍事上または,経済上の極めて大切な拠点となったのであります。爆撃機の轟音もまったく絶えて,マライ人も,インド人も,シナ人も,ほがらかに大東亜の建設のために働いています。 (ここから天皇崇拝になぜか転換される印象操作) 昭南島の誕生と共に寿ぐ(ことほぐ)祝賀の日のことでありました。2月18日,早春の日差しを受けた二重橋の上,深緑の中,清らかな御乗馬「白雪」の姿がくっきると浮かび上がりました。 宮城前広場に,あとから,あとから,続いてどよめいていた歓呼の声が,はたと消えて,水を打ったように静まり返ります。このとき,10数万の多美草は皆同じように,急に眼を見張りました。 大元帥平価には,馬上御ゆたかに,今しづしづと側近の方々を御従えになり,出禦あらせられます。そうして橋の上で,御馬首を広場の席死へ御向けになりました。 御稜威,燦として輝く大元帥陛下は,今ここにあらせられる。例えようのない感動に,胸が引き締まり,思わず頭が低く垂れます。 ああ,このとき指揮者はいなくとも心は一つ。自ずから,宝祚の無窮を祈る万歳の斉唱が湧き上がりました。広場に寄せては返す赤子の波。その波は返すまもなく,真心を込めて打ち続きます。 天皇陛下万歳,万歳。 しばらく静まり返ったかと思う間に,この声が厳かな「君が代」の斉唱に変わります。 「君が代」の大きな斉唱はだんだんと高まり,熱を帯びてゆきました。そうして平場全体,老いも若きも,男も女も,感涙に咽んだのでありました。制服の聖とも,産業戦士も跪いています。玉砂利に日ざま付きながら,幼い愛児と共に拝んでいる母親もいます。 この「君が代」を斉唱する熱誠な民草の多い事ながら,二度三度,白い御手袋をはっきりと御挙手の怜を賜りました。やがて,陛下には,しづしづと御馬首をお巡らしになり,入御あらせられました。 しかも,広場の人たちの勘気の声がなりやまないうちに,皇后陛下,皇太子殿下,照宮(てるのみや),孝宮(たかのみや)順宮(よりのみや)三内親王殿下は,お揃いで,橋上にお出ましになったのでありました。 皇后陛下の御手にも,鮮やかに日の丸の旗が拝されました。小旗は,ひらひらとして春浅い花かとも拝され,三内親王殿下もまた共々に広場のどよめきに相和されて,力強く国旗を御うち遊ばされました。 大東亜に新しい夜明けの光が差したこの良い日,我が皇室の,喜びを民草と共に おわかちになったありがたさ,かたじけなさ。広場に拝した民草の感激は言うまでもなく,私達もまた,赤心奉公の忠義を誓って,いつの世までもこの光栄の日を忘れる事ができないのであります。 =====
当然のようにシンガポールにおける華僑大虐殺には,まったくふれていない。 この大虐殺は,南京大虐殺とは,性質が異なり,下士官の暴発ではなく, 上部からの命令として,ノルマさえ科せられ,大虐殺が,武器無き民間人に行われた蛮行である。 |





