森ノ宮駅界隈(中央区・東成区)
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(鵲森宮:大阪市中央区森ノ宮中央)
(玉造稲荷神社:大阪市中央区玉造2)
森の宮遺跡は上町台地の東斜面に位置し
縄文時代〜弥生時代の遺跡で、西日本でも有数の貝塚です。
発掘された貝の遺跡で縄文時代前期のものは海水産、
弥生時代のものは淡水産であることから 当時上町台地東部にあった
河内湾が地形の変化とともに海から湖に変わったのが分かります。
飛鳥時代、蘇我氏と物部氏の覇権戦いの際、
聖徳太子が祈願することで蘇我氏側が勝利したと伝えられています。
その後、太子は四天王像をつくりこの森ノ宮の地に
四天王寺を建立(後、現在の地に移転したとされています。)しました。
大化の改新(乙巳の変)後と奈良時代、この地に難波宮が遷都されたことから
古来、この周辺は日本有数の都市機能をもった地域でした。
室町時代以降、現在の大阪市内は摂津国の中で重要な地であった為、
この上町台地東部の東成郡、西部の西成郡はそれぞれ別の有力守護大名が統治していました。
戦国時代、蓮如が御坊を建立、後に石山本願寺となり
この周辺に寺内町が形成されていきました。
豊臣秀吉が大坂城を築城した際、現在の中央大通の南側に三の丸があり
森ノ宮駅西側一帯も城内でした。
当時このエリアの南部には有力大名の大坂屋敷が建ち並びました。
大坂の陣後、城下町は西に向かって形成されていったため
明治時代以降、このエリアは大阪城南側の寺町を除き
都市としては発展しませんでした。
大正時代から昭和初期の大大阪時代、区画整理、幹線道路の整備、鉄道開通により
都市機能が充実し 現在の区画が形成されました。
その後、大阪城の天守建築、戦後、日生球場の建設により全国から
多くの人が訪れる地となりました。
これまで大規模な住宅地はありませんでしたが、
幹線道路を一筋入ると静かな環境や大阪城公園という恵まれた自然環境もあり
ここ数年の間、オフィズビルなどがマンションに建て替えられるようになりました。
大阪市内中心部にありながら住むための環境も整っているため
デベロッパーも注目しており 今後住宅地として人気のエリアになっていくでしょう。
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(千利休居士顕彰碑)
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