いつも観音様のように。

一言メッセージ :修羅の道を歩んでおりますが観音様のようになりたいです。

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信仰と言うもの

信仰とは何のためにあるのか。
自分の心を落ち着かせるため。

落ち着くのなら、イワシの頭でも良いのではないでしょうかと、正直私は思うわけです。


仏教。私はその全てを理解してはいない。
私のなかの観音に耳を傾けるだけ。

お釈迦様は、このような場合、どのように思われたのか。と。
時空を超えて考えてみる。静かな心の中での対話。

しかしそれは私の中の物語でしかなく、本当はどうなのか誰も今となってはわからないほど遠い昔の話。
私が想うことはそこにはないかもしれない。ただの幻かも。

恋に焦がれているときのような、せつなさを感じます。


仏教の仏典に詳しくなくても、お釈迦様が本当はそう言うふうに言っていなかったとしても、やはり私が信じるのは、人間として生きたいということなのではないかと思います。

又至らないからこそ、観音に憧れるということです。


合掌>

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憤りと矛盾

私が憤りを感じはじめたのは、「知識」を振りかざして人を醜く罵倒する人たちの存在でした。
「知識ファシズム」とというか、「情報ハラスメント」と言うか。

それでいて、そのような行いをする人々の知識や認識というのは酷く歪んでいて、よくよく調べてみたら全く現状にそぐわないものばかりだった。ということがしばしばあったのです。

なんか腑に落ちないが、自分が無知であったがばかりに、その場で何も言えなくなってしまった悔しさから私はどうなってるのか正しく自分なりに知る術を持とうと考えました。

そのようなことを考え行動し始めて10年近くになりますが、まだ知らないことは多いです。

最近持ってる「知識」は増えても、「智慧」が足りてないような気がしてきました。
自分自身が知識ファシズムの権化のように、知らず知らずのようになってきていたことに気付きました。


知識がなくても、智慧があればおぼろげながら真実に辿りつく事は出来る。
ですが、ある程度開いていなければやはり心もとないものです。とはいえ全ての人にまっとう出来るだけの時間も気力もないと言うことはある。そこで諦めさせては、何も変わらない。それなりの方法を見つけてそれぞれが出来ることをやっていく。このことが重要なのではないかと最初まだ私が知識が乏しい頃考えていたことでした。

仏教に例えるなら、「南無阿弥陀仏」と唱えただけで悟りが開ける。

仏に帰依します。

と、表明しただけで、道は開ける。


まさにそう言うことです。



ただ、その道が正しい道なのかは常時自分で見極める必要がいつもあると私は考えてきました。

お題目を唱えてるだけで悦に入ってしまうのはやはり違うと思う。
ただ、同じ道を選んでいるのだから、厳しく攻撃したりはせずに、共に歩んでいけるようなそんな関わりが持てたらいいという原点を見失わないようにしたいと思う今日このごろです。


共に良い方向に歩いていけますように。
<合掌>

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憎んではいけない憎んではいけないのだと思う。

正義が通らず不条理がまかり通っていると、憎しみが心の澱となって沈殿していきます。

気がつけば真っ黒真っ暗闇、辺りの美しさも何も目に入らなくなる。

そんな時があります。


真面目に人間を愛していればこそ、日々悪行に憤り、しまいに心を病んでしまう。


それでは悲しすぎるような気が、最近はしてきました。


現実に対して、どう言うスタンスで考え問題解決をしていくのか。
お釈迦様ならどのようにされるのだろうなあ。と。


訪れた寺で仏様の面持ちを見ながら私は想いを巡らすのです。


慈悲の心とは、もちろん相手を想いやる心ではありますが、同時に自分をも守る手段ではありますまいか。


悪行に走ってしまう愚かな人々を裁く権利など誰にもない。
共に生きるために
憎んではいけない、憎んではいけないのだと思う。

そう言うことを考える今日このごろです。



皆それぞれ幸せになりますように。
過不足なく。


<合掌>

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春の高野山

オリジナルのサイズの画像を見る場合はクリックしてください。

先日15年ぶりぐらいに高野山に行って来ました。
世界遺産になってからは初めてです。

まだ桜が咲く前の高野山、ふきのとうがそこここに出ていて、春を待ってる風情が印象的でした。

高野山は子供の頃まだ仏教の事など何も知らない頃、良く避暑に行きました。
山であることも相俟って不思議な空間だと思ったものです。

余り時間がなかったので、奥の院でお参りして、後はちょっと歩いただけのちょっとした散歩だったですが、アチコチ新しくキレイになってたりもしましたが、都度都度訪れた時の思い出が思い出されました。

心の故郷です。

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思い悩む。

イメージ 1

目指すものはぶれていない筈なのです。
選択肢はいくつもあるけれど。
しかし、いろんな条件が違ってきてしまうこともある。

真剣に生きようとすればするほど、誰かのためになりたいのです。
まだ知らずにいる人に、どうやってわかってもらえばいいでしょうか?

怒りに煮えたぎった心で思いの丈をぶつけてみても、同じように怒りを感じてくれるとは限らない。
全く正反対の拒絶を受けることもある。

人の心を変えるというのは、厚い厚い岩盤をコツコツとノミ一つで砕いていくようなもの。
本当に、この一打ちが貴方の心を変えることなどできるのだろうか?
逆に岩盤の固さに私の心がくじけてしまうのではないだろうか。

思い悩むこともあります。

しかし、刻々と様々な事は移り変わっていく。
目をつぶっていても、そのようにしかならない。

少しでも前にいけるならいきましょう。
その前に今日もこの宇宙の全てに感謝します。


<合掌>

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