東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

5西夏とカラホト

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 賀蘭山の岩画  なんとも不思議さを感じる絵だ。どこか宇宙的でもある。

2009年9月14日(月)


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 書庫の番号はほぼ旅の日程順に並んでいます。


?H1>賀蘭山の岩画 ―遊牧民族の古代の画廊―    西夏王陵のそばにある賀蘭山には、渓谷の岸壁に600mに渡って、人・動物・狩猟のようすなどの素朴な作風のが線刻や磨刻で描かれている。

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                          賀蘭山の岩画入口

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                       この崖に絵が彫られてかれている。

 写真は説明文なしにしています。ご自分の想像力でご覧になってください。

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                            横の文字は西夏文字
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この中に、女神の絵がありました。どれだと思いますか? よかったらコメントください。


 次の二つは、西夏博物館に展示されていたもの。

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[コラム] 賀蘭山岩画
 西夏王陵のそばの賀蘭山にはたくさんの岩画がある。「岩画」というのは、垂直に切り立っ た崖の平面部に人物や動物を主体として、舟や車輪・家屋などのモチーフを石器や鉄器を用いて刻み付けたものである。

世界には150国以上に岩画があるが、中国は100以上の県に約100万の画があり、岩画発祥地の一つである。中でも賀蘭山の岩画は古代より匈奴、鮮卑族、回骨土蕃、タングート等の北方少数遊牧民族の傑作が集中している西北辺境にある中国で代表的な遺跡である。

 賀蘭山は、寧夏と内モンゴルにまたがる全長250キロの山脈で、古代よりこの地の人々に神の山と崇められている心の山でもある。この賀蘭山には大小27地区に岩画はあるが、最大且つ代表的なのものは西夏王陵に近い賀蘭山口である。海抜約1500メートルの渓谷にあり両側延延約600Mにわたり1000以上のものが岩石壁に彫られていると言われている。

 さて実際に入ってみると、題材がいろいろである。奇想なものや神秘的で奇妙なものがけっこう多いが、半分以上が人間の顔である。人間以外には、牛、馬、ロバ、鹿、鳥、狼等の動物画もあり、当時の人と動物、家畜との生活の密着ぶりもうかがえる。

 簡単なもの、複雑なもの、数千年前の古代女性の美の追求、奇想な身の飾り方や人の手や太陽の画面、また原始宗教活動場面、誇張された動物たち、面白いものにとして、男女交合の画も見られる。

 岩画の傍に西夏文字が書かれている物もある。中国語で(能昌盛正法)の意味で全てに繁栄の意味のようである。
 近くに仏を意味するものもある。

 描かれた期間はかなり長いが、大部分は春秋戦国時代(紀元前750年―200年)で、ある。その他五胡十六国・南北朝(400年―600年)、西夏(1000年―1200年)と言われている。
 
 描法としては、石器によって彫られたものや、岩肌を削って描かれたものであり、薄くて見落しそうなものもあった。
 彼らは身軽だったのか、宗教心か、それとも遊び心だったのかは定かでないが、岩壁の険しいところに描かれているのもあった。 

 いずれにせよ北方遊牧民族は常に牧草地を求めて移動するわけだが、賀蘭山を通過する時にその想いを画に記したのだろう。

 美の世界では、古い時代のものが必ずしも古Iわけでははなく、むしろ新鮮な感じを受けるものがある。とにかく人間の真髄をすなおに表現していて、気持がストレートに伝わってくる。古代人の生活の息吹が現代にまで伝わる素晴らしい古代画廊であった。
 
 

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 黄昏どきの西夏王陵は神々しい

2009年9月12日(土) 


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?H1>黄昏ゆく西夏王陵    午後7時前西夏博物館を出ると、夕日が少し傾いてきた。今日は金曜日なので8時まで開館している。
この日はライトアップも行われるという。例によって、私の好きな夕景の撮影を開始した。

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 夕暮れが近づいた西夏王陵はどこかうら哀しさを感じさせる。

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 ふだんはほとんど人が訪れることのないが、黄昏がすばらしい場所があると馬さんが言う。そこまで20分ほど歩きながら、シャッターを切り続ける。日陰に入ると不気味な雰囲気が漂ってくる。

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 今にも西夏の怨霊が出てきそうな不気味な感じが漂う。

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 待つこと15分暮れなずむ夕日の残光に赤く染まる朽ち果てた塀、その向こうに月が白い姿を見せ始めた。茜色と白の対比がすばらしい。だがそこからはどことなくうら悲しさが漂ってくる。まるで西夏の最終章を見ているようだ。明後日訪れるカラホトもこんなむなしい雰囲気が待っているのであろうか…。

 
 この光景で今日は充分満足できたが、ライトアップの行われる3号陵へと向かった。

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  ライトアップされた西夏王陵   在りし日の西夏――王陵の周りには無数のかがり火が皓々と焚かれ、亡き初代皇帝李元昊の威徳をたたえて、領民たちがひたすら祈りを捧げる。  こんなイメージを描きながらシャッターを切った。

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  西夏文字の書かれた石碑の破片  1971年の冬、考古学関係者が西夏王陵に残された石碑の破片に失われた西夏文字を発見し、西夏王朝の王族の墓であることが判明した。西夏王陵の壁面には美しい壁画が描かれ、工芸品や陶磁器なども発見された。 
 
                
2009年9月11日(金)

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?H1>西夏文字と芸術・生活文化(西夏博物館3)     西夏王陵発掘後後30年にわたって考古学者たちによる研究が続けられ、貴重な文化財がさらに見つかった。西夏王朝の人々の暮らしを表現した絵画や彫刻、通貨、銅器なども発見された。

西夏文字と模様

 西夏文化の中でも最も特徴的なものは西夏文字である。西夏文字は漢字に似せて作られ、漢字の筆画のはね、右はらいを多く用いており、現在のところ6千字以上が確認されている。西夏では公文書や商業上の文書、仏教経典にこの西夏文字が約400年に渡って使われていた。なお、西夏文字は日本の西田竜雄によって解読された。以前このことを知った時、おおきな驚きを感じるとともに、同じ日本人として誇りにも思った。


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                              西夏文字が刻まれた印章(官印)と押印された文字

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                            西夏文字厭勝銭(通貨)

=== 西夏王朝の像とジオラマ ===                   
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                             西夏の皇帝

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                         モンゴルとの戦に出向く西夏皇帝

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                            西夏軍の服装や武器

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                             西夏の人々の像が並んでいるコーナー。

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                          ふいご作業を行う人々


陶磁器

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 西夏の陶磁器は、宋の中原陶磁器工芸の影響を受けつつ、独特な民族的風格を持っていた。陶磁器に造詣のお深い方には貴重な写真ではないでしょうか? コメントなどいただければ幸いである。


 西夏文明はその謎ゆえに多くの学者の関心と研究の的となってきた。しかし、時間が経過するにつれ、西夏に関する文献や文物が続々と発見され、西夏文明はより具体的に、そして豊かに人々の興味を引くようになった。私も、多くの文化遺産を鑑賞することで、西夏に対する理解が進んだように思う。、西夏の文化レベルが予想した以上に高かったことが実感できたことは収穫だあった。

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  あなたのおだやかで優しい表情にとても惹かれました。高尚な色気さえ漂うおもざし…、それに想いを寄せてしばし佇んでおりました。 折れてしまった手はどんなすてきなしぐさをなさっていたのですか? いろいろなことを想像して見ほれておりました。 
                
2009年9月10日(木)

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?H1>西夏の仏教文化(西夏博物館2)   

仏像と仏画

 西夏は仏教に篤い信仰心を持っていたこともあり、多くの仏像や仏画を残したといわれているが、モンゴルの徹底的な破壊を受け多くが失われたといわれる。
 それでも、この博物館には多くの仏像が展示されていた。その仏像たるや、タイプや顔の表情がが色とりどりなのである。西夏は最盛期には河西回廊のシルクロードと北方の草原ルートのシルクロードの両方を支配していた。両ルートを通じて交易で大いに栄えていた。さすが交易国だけのことはある。多くの国の影響を受けた仏像文化が花ひらいたのである。まさに、多国籍の仏像が一堂に会した感があった。

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                     敦煌のたくさんの石窟でもみられた「飛天」

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                     極彩色のいかにもチベット的な千手観音

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 男女交合図 インドからチベットに伝わり、盛んに描かれるようになった。チベットのたいていの寺院にはこれが描かれている。

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 象牙の仏像  この仏像製の仏像にしろ男女交合図にしろ、シルクロードを通じてインドから伝わったのであろう。



[コメント]  
 \床憧愀犬寮賁臀颪蓮街中の新華書店より西夏博物館の売店の方が充実しています。
 ∪床討亡悗靴討楼羮緻の「蒼き狼」「敦煌」にもふれられているので、興味のある人は読んでみてく
  ださい。


[コラム]
 敦煌の蔵経洞を巡るドラマを描いた井上靖氏の小説『敦煌』では、西夏が迫りくる様子が描かれている。これは、映画化されたので、御覧になった方もいることだろう。

 小説では、仏教を守り伝えようとして経典を隠したという設定になっているが、実際に敦煌を支配した西夏人は、異民族の文化を尊重した。領域内には、ネストリウス派キリスト教(景教)を信じるトルコ人やイスラム教徒もいた。西夏の都城の一つで、ロシアのコズロフ探検隊が貴重な史料を大量に発掘したカラ・ホトの城外には、イスラム教の堂の遺跡がある。

 国内、また近隣の漢人、ウイグル人、チベット人などの文化を受容しつつ、非常に組織立った独自の文字を創造するなど高度な文化を発達させたのである。

 西夏人は、仏教を重んじ、実質上の国教とした。敦煌・莫高窟第148窟には、西夏人男女が仏を供養する像が描かれている。

 また第409窟には、西夏時代に描かれた絵が残っている。そこには、傘を差し掛けられ竜の模様の立派な衣服を着た貴人(西夏の西にあったウイグル〈回鶻〉の王とも推定されている)が柄香炉をもって仏を供養する姿が鮮やかな色彩で描かれている。
 
 

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                   西夏王陵から出土した迦陵頻伽像(人面「鳥人像」)

2009年9月9日(水)


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?H1>西夏博物館1〜王陵からの出土品〜    王陵を見学した後、入口と3号陵の間にある西夏王陵博物館には行った。この博物館は1998年に造られたものだ。私は、消え去った西夏の幻の文化を見ることができるので、ワクワクして館内に足を踏み入れた。

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 西夏博物館  西夏王陵と西夏の歴史について展示していて、王陵からの出土品、仏像、絵画、西夏文字が刻まれた石碑(複製)、3号陵の復元模型、西夏の首都興慶府の復元図などが展示されている。


「屋上からは西夏王陵の全体が見えますよ。暗くなる前に行きましょう」という、姪御さんの案内で屋上に上がってみると、やや近くに3号陵が、そして遠くには…たくさんの王陵がうっすらと見えた。こうして眺めると、あらためて5キロ×10キロに展開されている王陵の広さを感じる。

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  館内にに入るとまず迎えてくれたのが、西夏の初代皇帝李元昊である。眼光鋭く、意志と胆力の強さを感じさせる顔だ。この迫力のある顔でにらまれているようで、思わず一瞬たじろいだ。
 彼は、若い頃から智勇に優れ、教養も豊かな人物であったといわれている。さすが大人物だと感じ入ってしまった。 
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                         西夏の初代皇帝李元昊の半身像
 
 それからふと、小説『敦煌』で、主人公行徳の前に初めて現れた時の李元昊の姿とダブらせた。小説から引いてみよう。

 「行徳の眼 には、名前を知っているだけでいま初めて見る西夏の若い統率者立派に見えた。年齢は二十四、五歳であろうか。身長は五尺余りで小柄ではあったが、人を圧する威を具えていた。
 ……一人の点検が終わって次へ移る時、彼はその度に微かな微笑をその兵隊に与えた。それは兵隊の一人一人の心に沁みるようなおだやかな笑であった。その視線は、それを受けたもの誰もが、彼のためには身命を捧げても惜しくないと思うような、相手を魅了するような不思議な力を持っていた。
 趙行徳はその時、自分が李元昊の部下であることがふしぎにおもわれた。彼のためにじぶんが身命を擲って(なげうって)合戦に参加し、これからもまた戦場に出ようとしていることが不思議に思われた。そしてまたそれに対して厭とも思っていない自分が不思議だった。…」



 館内には、チベット文字の書かれた舎利塔、鉄剣、鉄鍋、西夏文字の経典、漢字と西夏文字の刻まれた石碑、ガルーダや陶器などの王陵からの出土品、男や女が支える柱の礎石、王陵の模型、賀蘭山の岩画などが展示されている。

 まずこの記事では、王陵からの出土品と西夏文字などをご覧ください。次には、仏教文化や芸術品を紹介します。

西夏王陵からの出土品がたくさん陳列されていました。


 中国の国家文物局は2000年5月、経験豊富な考古学者らを派遣し、寧夏文化財考古学の研究者らとともに、西夏王陵3号陵の建造物の遺跡で初めて発掘作業を行った。――その時期の遅さに驚くばかりですが、西夏は中国の歴史の中では「ひよこ」的存在だし、異民族ということもあるのでしょう。

 建造物は広さ3万平方メートル。3年間にわたる発掘と出土品の保存処理作業により、7種類の建造物の装飾部350点余りが修復され、遺跡の神秘的な姿が明らかになった。

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 発掘時の様子(館内のパネル) 「かなり盗掘が行われていた」と説明パネルには書いてある。

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                      王陵を飾っていた緑色の瑠璃瓦の破片
  
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                3号陵から出土した 人面「鳥人像」(詳細はクリック)

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                        迦陵頻伽像(人面「鳥人像」)


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                       迦陵頻伽像(人面「鳥人像」)
 
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 王陵の守護神的な役割を果たしていたであろう緑色の瑠璃瓦  日本の城の鯱矛(しゃちほこ)もこうした中国文化を継承しているものだろう。(説明パネル)

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   この二つも王陵を守っていた瑠璃瓦  一番上と同じ役割を果たしたものであろう。

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                 西夏王陵からの出土品 これも守護神的な役割?

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         王陵を覆っていた伽藍の巨大な柱を支えていた基礎に彫られていた力士像

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  西夏では牛は神の使いとしてあがめられていた。塗られてあった金粉はだいぶ剥げ落ちていたが渋い光を放っていた。

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                          得体の知れない顔

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            何に使われたのかは分からないが、模様が独特な器

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           何を意味するものなのだろうか? とにかくユニークなものだ。 見方を変えるといろいろなものに見えるから不思議ですね。心理テストのようですね。

イメージ 20  イメージ 21             文人                                兵士               


[コラム] 西夏王陵とその出土品
西夏王陵の中の陵塔は「東方金字塔」と称されている。陵塔はこの陵園の西北コーナー、墓室の真後ろに位置し、構造は八角形の台になっており、上部は層々に内側に収め、階段形を呈し、最大直径は約34メートルで、塔の土台の上が果たして7階か5階かなのかはいまのところ確認できない。塔は西夏陵園で重要且つ特別な建築であり、中国の他の陵墓にはないもので、西夏貴族の特別な埋葬習俗を反映している。

2000年4月30日、考古学者は3号陵園を発掘したとき、その東北角に1体の造型が完璧な人面鳥身の「鳥人」像を発見した。専門家によって、この「鳥人」像は仏教の経典の中に記載されている迦陵頻伽であり、迦陵頻伽はサンスクリットの音訳で、漢語は妙音鳥と訳され、ヒマラヤ山中の鳥であり、奇妙な声を出すことができる。仏教の「極楽世界」の鳥であり、仏教建築の装飾だと見られる。

西夏王陵は現在、14万件の瓦や200件の建築装飾品及びその他の文物を出土している。専門家は、「西夏陵園は中国古代漢民族の皇室陵園の長所を取り入れたと同時に、仏教建築の影響を大いに受けており、漢民族の文化と仏教文化及びタングート族文化の三者を融合している。中国の古代陵園建築の中で独特な風格のある建築形式となっており、中国の陵墓発展史上で重要な地位を占めている。ここから出土した大量の文物は、その豊かで西夏歴史文化の古さや重大な文物価値及び独特な建築構造から、西夏の歴史文化の特徴を集中的に反映し、人々に偉大な西夏文化の宝庫を示している。


[コラム]  李元昊の人物像
 李元昊は、生まれつきその性格は勇敢剛毅で、計略、智謀、軍事にすぐれた英傑であった。また芸術的才能もあり、絵を描くことが巧みで、創造力にも富んでいた。
 その顔は丸顔で、鼻が高かったが、身の丈5尺余の小男であった。しかし服装が変っていて、若いころから長袖の赤い衣服を好み、黒い冠をかぶって弓矢を佩し(はいし)、従卒を従えていた。また仏教や漢文にも通じ、さらに机の上には法律書を置いていたという。 (新シルクロード 歴史と人物 第16巻 誇り高き王国・西夏)
 

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