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三陸の旅4 自然保護・七時雨 八幡平市(旧安代町)

この旅でどうしても寄ってみたい場所があった。
宮古に帰り、閉伊川沿いに川井を通って、盛岡を過ぎ
一戸町奥中山から林道を進み、田代高原へ向かった。
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七時雨だ・・ななしぐれ
ここは、一戸町小鳥谷に二年住んでいたとき
偶然に見つけた至福の場所だ。

休みの日、暇を見つけては、子供たちとも一緒に遊びにいった場所である。
なにもない。360度緑のパノラマ
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宿泊施設として山荘が一軒ある。30年近く前と変わらない風景があった。
変に観光化されていないのがいい。
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それでも当時なかった喫茶室が出来、山荘も一回りも大きくなった感じ・・
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突然来て泊らせていただいたが、お客は私が一人、
桜も満開でなんとも贅沢なく空間と時間

温泉に入っていたらお風呂だけのお客さんが入ってこられて
これがまた弘前の方・・共通の知人もいてしばし談笑

その方も初めての場所で、津軽ではない風景だ、
子供たちを連れて来たいと語られていた。
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この風景も保護活動があった。
ちょうど、私が遊びに来たとき、その集会が持たれていて私も参加する形になった。
なんと、大手資本主導型の第三セクター方式によるリゾート開発
(スキー場、ゴルフ場、高級別荘地)があるというのだ。

一人の女性がいた。

都会暮らしではあるが、父の縁で岩手とつながりがあり、
なんとなく岩手の地図を見ていたら「七時雨」の名前飛び込んできた。
「なんと素敵な名前なのでしょう」と感激・・
そして、絵本作家でもある彼女は題材にならないかと当地を訪れ、
この風景に魅せられてしまったのだ。

やがて、開発計画を知ることになり、
開発を止めようと活動が始まった。
地元、東京と立体的な開発反対活動がなされた。
長い年月(7年間)が過ぎ、町の水源にもなっているところなので、町の方も折れたようだ。

ここの風景は、森林が多くあるというわけでもない、
牛の鳴き声が遠くから聞こえる。
多くは、放牧地なのだ。
 
保護活動の人たち「七時雨の自然と語らう会」の
機関誌「七時雨の風」
初めて見たのは1号か2号
継続しての発行していたのだ、100号を読んで感激した。
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毎年夏は、講演とコンサートを開催しているようだ。
今年の夏は、オカリナの宗次郎さん。 

ここは、旧津軽街道
津軽の芸人たちが往来していたと云う。

津軽横笛奏者のぶん太、さんに
この高原でおもっきり演奏させたい場所である。
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「七時雨を自然を語らう会」事務局
045−544−7136(桜井)

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三陸の旅3 ほたて石 大槌町

宮古市から南下

南下するほど、被害の状況は厳しい。
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山田町の仕事で何度もお邪魔した病院も全滅

井上ひさしの小説
日本国から東北の一つの町が独立する
ことをテーマにした「吉里吉里人」
その里の砂浜
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ボランティアの方々は、砂を篩にかけて、ゴミや石をはじいていた。
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私も一寸だけ参加させて貰ったが
余りにも、突然で偽善的な感じがして、ほんの少しで止めてしまつた。
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大槌町は町全体がなくなつてしまった状況
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被災された土地に佇んでいるご婦人に出会った。
少しお話してみたいと声かけた。

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「家のあったところなんです。今は仮設にいますが、天気が好いんで
来てみました。花が咲いているので仮設に持っていって植えたい」
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古沢さん 被災の様子や夫が3年位前に病気で寝てしまい
施設に入っているので助かりましたと言って
新婚当時のはなしや 子供や孫のはなし
そして、弘前公園の桜を見て記念写真撮ったはなしなど
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小1時間近く、語ってくれた。
被災した、住宅の跡地を見て回り
ここも一人ぐらし、ここは畳屋さんで年配
ここも一人と 基礎だけ残った家々を指さし
これからどうしたものかと 
項垂れるのではなく、現実は受け入れないと
笑みさい見せてかたるのだった。

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この甚大な被害を心に刻んでおこうと
記念になるものを屋敷後から探した
古沢さんは、これはどうと
ほたての養殖で使う 「石の重り」と言って丸い石をのべた。
ほんとにいい形の石であった。
被害にあわれても本当に心の豊かな人がいて、
この方に出会えたことでこの旅も一生の思い出となることであろう。
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こちらは、土手の草刈りボランティアの方々
がれきの撤去から町の支援へとボランティアの形も変化してきているように感じた。

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被害でなんにもなくなってしまった土地にも花は咲く
道端の花の周りの草を取っていたご婦人がいて いらく感動しカメラを向けた

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今日はこれから 蜂の対策に行ってきます。

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三陸の旅2 ブルーノート 宮古市

久慈市を南下
野田村を通った。波が高く有名な海岸へよく来た。

弘前市のボランティア活動の中心となった被災地
一度も参加できなかったのが残念・・

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宮古市に着いた。
宮古は20数年前に勤務した街だ。
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岩手県は岩手町に住んでいて
子供は中学となり高校受験を考えなければならない年となつた
二三年で転勤、転勤ではどうにもならず、宮古市に転勤となる
前年に、弘前市に居を構え、単身赴任となった。

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どんな仕事(任務)でもと津軽を希望していたが
叶わず反対の宮古市への転勤。

宿舎は、宮古埠頭の入口の住宅地
今回の津波で被害はあったのか更地となっていて
よく退庁後走った埠頭は出入り禁止。
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元の職場も、被害そのままで、どこへ事務所を移したのか
知らず。・・
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夕方になって、週末毎週のように行った
ショットバーを探した。
「ブルーノート」内装は、木で作られ、いつもジャズが流れていた。

マスターは若く、バンドのドラマーも担当していて、よくコンサートに誘われた。
いろいろなジャンルの若者がいつも集まり、朝までなにやら
議論していたような気がする。
音楽・写真・政治・宗教・芸術論、あ、岡本太郎がマスターの一押し。
幸福の科学がまだ宗教法人になってなくて、麻原彰晃が売り出したころの話

私はみんなより一回り上のような気がしたが、仲間に入り真夜中まで飲んで
自分の宿舎みんなを誘い、暖炉を囲み、また朝まで飲み明かしたこともしばしば

どこにも、マドンナは居るもので、そのときのマドンナはKさん
離婚ししたころであるがみんなの憧れ・・

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その宮古も二年余りで転勤・・
若い常連には送別会もしていただいたいて
何年かは連絡し合っていたが、いまは知らず。
憧れのKさんもその後、再婚したとの手紙があり
それっきり・・

「プールノート」のあったような街を四件の店に探したが
知ってる方はおらず。
転勤は短編小説のように余韻を残して終る。
少し寂しい宮古市であった。

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三陸の旅1 新婚の家 久慈市

植樹会も無事終わって、ほっとして

行こう行こうと思っていました三陸へひとり旅に出ることにしました。

急なことなので被災地でのボランティア活動は無理でしょうが

以前勤めていた、久慈市や宮古市周辺の実情を見たかった。

物見遊山の旅になるのかも知れないと思いつつも

旅立つことにしました。

久慈市は新婚の町 ここで20代後半に所帯を持つことになりました。

勤め先の宿舎は満杯でしたので、古い一軒家を借りたのですが
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それが築数十年。兎に角 冬は寒く 夜沸騰していたやかんの湯が朝凍っていることもしばしば・・

そこで、二人の子供が生まれ

子供たちは三畳間の小さな出窓で いつもピンクレディの歌を歌っていました。

近くの川に架かる橋は木橋で、家の前の道は舗装もしていなくて
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就学前の子供たちは 親のから自由にして外で遊んでいました。

保育所に入っていない4歳の長女は、近くの保育所へ無断ではいりこみ、

園児たちと一緒に遊んでいて

しばしば、「困りましたね」と保母さんが家に見えられていました。

40年近く経って、今回行ってみましたが 木橋がまだあり

なんと、当時の新婚の家も残っていました。
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向かいは、電話局の官舎

ブティックを経営している秋田美人の奥様が住んでいて、

なぜか、その奥様と町内の運動会で二人三脚をやることになりました。

前日は小町内での練習会、夕暮れどき前の道路で彼女と練習したところ転んでしまい

抱き合ってしまったこともいい思い出です。

この家は、公害反対集会で漁師の方たちと集まったり

映画の自主上映の事務局になったり

うたごえサークルの集会所だったり

書ければ、短編小説を幾つも書けそうな、7年間の住まいでした。 
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次回は宮古市

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第4回岩木山植樹会そして新緑の森山散策

4回目となります「岩木山植樹会」は、
設立記念に植えた場所森山で開催。
今回はそこへ補植、オオヤマザクラ100本
参加者は63名
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  天候に恵まれ、雲ひとつない植樹日和。
岩木山を近くに見つつ植樹が始まりました。
東京で団地のひとり住まいのお年寄りをお世話をしいてる
ボランティア団体の事務局をしている会員、
そしてそのお友達の東京をふるさとにしよう運動をしているNpoの理事長さん
もご参加してくださいました。
 
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また、中国は上海から弘前大学に学びに来ている留学生も参加してくださいました。

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青森市、黒石市、五所川原市、つがる市、平川市、板柳町、藤崎町、田舎館村
津軽各地から集まりました。
自己紹介しながら木を植える。
岩木山のふもとでの地域交流です。嬉しくなります。イメージ 4 


植樹の後は、登山?
ハイキングクラスの登山でしょうか。なんと云っても岩木山が素晴らしい。
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今年、結婚20周年というご夫妻、記念の日になったでしょうか。


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新緑の中を登ります。菊咲き一輪草が群生しいてます。



やがて、小さな祠に出会います。

ここで民謡愛好家の会員が津軽民謡「山唄」
を歌ってくれましたイメージ 8  


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  イメージ 10 なんと新緑の中で岩木山を見ながら山唄聴く

贅沢な時間です。


  








森山から桜の名所 桜林へ

近くにある会員の木工アトリエにお邪魔
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そして、桜も七分散り程度で花見客も大勢いました。


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 昼食は会員のオープンガーデン
いろいろな会員が岩木山のふもとに居るのが心強い。
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ここて゜も会員に唄に酔いました。
東京から参加されました。

NPOのホームページはこちら:http://www.oh-edo.jp/
      http://oh-edo.air-nifty.com/blog/

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