ジミ・ヘンドリックス、シアトルが産んだ天才ギタリスト
|
ガイドブックもいよいよ中盤にさしかかろうとしています。 次は、シアトルの不夜城、ブロードウェイ、もしかしたらシアトルの文化・芸術の発進の地。 シアトルは、ここが一番輝いているかも。 でも、一般の観光客にはあまりなじみがないというのが実情ですね。 そこで、今回は、ブロードウェイがあるキャピタル・ヒルのエリアをご案内します。 このエリアで初めて、シアトルっ子の居住地域の様子もご覧いただけます。 全米でも住みたい街のトップクラスと言われるシアトル、その秘密が明かされるかもね。 そのブロードウェイにはブロードウェイにジミ・ヘンドリックスの銅像があります。 今日は、シアトルが産んだ天才ギタリストのお話を・・・ ジミ・ヘンドリックス(Johnny Allen "Jimi" Hendrix, 1942年11月27日 - 1970年9月18日)はアメリカの黒人ロックギタリスト、シンガー、ソングライター。 日本では「ジミヘン」というニックネームで呼ばれることがある。 死後40年近く経った現在でも、「天才ギタリスト」として多くのミュージシャンに多大な影響を与え続けている、現代的ロックギターのパイオニアの一人。 右利き用のギターを逆さまにして左利きの構えで演奏するスタイルや、ギターを歯で弾いたり、背中で弾いたり、ギター自体に火を放ったり、破壊したりするパフォーマンスはあまりにも有名。 ジミ・ヘンドリックスは1942年、ワシントン州シアトルに生まれる(デビューアルバムの裏には1945年生まれと記されている)。 父アルことジェイムズ・アレン・ヘンドリックスは、黒人の父親とアメリカ先住民(いわゆるネイティヴ・アメリカン)の母親との間に生まれた(いわゆるブラック・インディアン)。 純粋なチェロキー族の女性だった祖母ノラ・ヘンドリックスは、幼少期のヘンドリックスに先住民の昔話を教えていたという。 その影響はヘンドリックスの作る曲のそこかしこに見いだされる。母ルシールは10代の若さで息子ジミを産んだが、遊び好きで家庭を顧みないところがあったといわれ、幼いジミを置いて出奔し、数年後に亡くなっている。 ヘンドリックスの名曲「Angel」は、亡き母ルシールが夢に現れたことから生まれたという説もある。 ルシールは黒人だが、白人の血も引いていたと言われる。 つまりヘンドリックスは黒人、チェロキー、白人と、多くの人種(民族)の血を引いていたことになる。 多くのブルースやロックのミュージシャンと同様、ヘンドリックスもレコードなどを聴いて、独学でギター演奏を学んだ。 ヘンドリックスが15歳のころギターに興味を示したため、アルは当時の住まい(アパート)の家主の息子から古いアコースティックギターを5ドルで買い取り、ヘンドリックスに与えたという。 これがヘンドリックスとギターとの最初の出会いだった。 その後、シアトルの楽器店から初めてのエレクトリックギターを購入している(父アルの談話)。 少年期のヘンドリックスはアマチュア・バンドで経験を積み、全米ナンバーワンバンドの座を得たこともあったというが、自動車窃盗の罪で1961年5月2日逮捕される。 その際、投獄されるのを回避するために陸軍に志願して入隊、精鋭部隊・第101空挺師団へと配属される。 除隊後に本格的に音楽活動を始めるが、当時は無名のバックミュージシャンだった。 一時期は、リトル・リチャードのツアーに参加しており、音が大きく衣装やアクションが派手だったことから、リチャードに「俺より目立つな!」と怒られるほどだった。 1966年7月、アニマルズのベーシストだったチャス・チャンドラーに見いだされ9月に渡英する。 チャンドラーはヘンドリックスの演奏を初めて聴いた際「ギタリストが3人くらい同時に演奏しているのかと思ったが、実際にはジミ1人だけと知り驚いた。 ロンドンに於いてオーディションを行い、ノエル・レディング(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)と共にジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成。 1966年10月から活動を始める。 その際、名前を「James(Jimmy)」から「Jimi」に変えた。 イギリス国内でクラブ出演を重ねる一方、全英4位のヒットを記録しスターの座に上る。 アメリカの伝統的なブルースをベースにしながら、それまで誰も聞いたことのなかった斬新なギターサウンドや卓越した演奏技術、そして圧倒的なインプロヴィゼーション能力を披露することにより、ヘンドリックスは一般の音楽ファンはもちろんプロのミュージシャン達にも大きな衝撃を与えた。 「Summer of Love」と呼ばれた1967年の夏、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは米カリフォルニア州モンタレーで開催された世界初の本格的野外ロックフェスティバル、モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演。 ヘンドリックスはモンタレーで、聴衆を圧倒する演奏とギター燃やしのパフォーマンスを炸裂させ、母国アメリカでも一気にスターダムにのし上がった。 イギリスでデビューしたヘンドリックスだが、母国で成功を収めた後はアメリカを本拠として活動するようになる。 全米をくまなくツアーする過密スケジュールの合間にスタジオでのレコーディングも続け、1968年にはロック史上屈指の名アルバム『エレクトリック・レディランド』をリリースした。 デビュー当時のトレードマークだったミリタリールックや、東洋風のキモノ、強くパーマを当てた髪(エレクトリックヘア)、頭や脚に巻いたカラフルなスカーフなど、ファッション面でも話題の的だった。 白人が持つ「黒人は性的にパワフル」という潜在イメージもあって、アメリカでは「ブラック・エルヴィス」(黒人のエルヴィス・プレスリー)、「ワイルドマン」といった異名も生まれ、センセーショナルな扱いを受けることが多かった。 しかし生身のヘンドリックスはシャイで礼儀正しい人物だったという証言も多い。 また黒人でありながら白人向けのロックスターとして売り出されたのも異例なことだった。 白人の若者達にとって神のごときアイドルとなった一方、黒人の公民権運動が隆盛を見せていたアメリカでは、同じ黒人達から「裏切り者」と見なされる面もあった。 ヘンドリックス自身はあまり政治的な人間ではなかったという論評が多いものの、暗殺された黒人指導者マーティン・ルーサー・キング牧師のために寄付を行ったこともある。 ヘンドリックスは同胞である黒人層に今ひとつ受け入れられないことに悩んでいたとされるが、マネージメント側はヘンドリックスをあくまでも白人向けロックスターとして売っていく方針だった。 多くのロックバンドの例に漏れず、過密なスケジュールや精神的なプレッシャーにより、バンドや周辺の人間関係は悪化していったと言われる。 ノエル・レディングが音楽上の意見の相違により脱退。 そのためデビュー当初のジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとしての活動は1969年6月までである。 ノエル・レディング脱退後、ヘンドリックスはミッチ・ミッチェルと、軍隊時代からの友人ビリー・コックス(ベース)と共にジプシー・サンズ&レインボウズとして活動を開始。 エクスペリエンスがトリオ編成だったのに対し、コンガなどのパーカションやサイドギターも加え、ビッグバンド結成を狙っていた。 1969年8月に6人編成でウッドストック・フェスティバルに出演しトリを務め、音楽史に残る名演「The Star-Spangled Banner」(星条旗、アメリカ合衆国の国歌)を演奏。 フィードバックやアーミングといったエレクトリックギターの特殊奏法の限りを尽くし、爆撃機が空襲を行い民衆が泣き叫び逃げまどう様子を、音で完璧なまでに再現してみせた。 これは泥沼化して先が見えないベトナム戦争と、希望のない戦争にのめり込むアメリカ合衆国への痛烈な批判だった。 後年、ミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)はヘンドリックスのアメリカ国歌演奏を「1960年代最大のロック・パフォーマンス」と賛美している。 ヘンドリックスが目指したビッグバンド形態は、マネージメント側がそれを望まなかったことや、ヘンドリックスが多人数をまとめあげるには経験不足だったこともあり長続きせず、1969年10月にはビリー・コックス(ベース)、バディ・マイルス(ドラムス)というメンバー(全員が黒人)でバンド・オブ・ジプシーズを結成する。 1969年12月31日〜1970年1月1日にニューヨークのフィルモア・イーストで行われたデビューコンサートの模様はアルバム『バンド・オブ・ジプシーズ』等で聞くことができる。 特に当時のベトナム戦争で戦う兵士たちの極限の状態をギターで完璧なまでに再現した「Machine Gun」の演奏は神がかり的で、ヘンドリックスの最も過激な部分が露出した名演と言える。 イギリス人の白人(ミッチェルとレディング)に代わり、ヘンドリックスがアメリカの黒人2人と組んだ画期的なロック・ファンク・バンドだったバンド・オブ・ジプシーズだが、ヘンドリックスのマネージメント側は黒人だけのグループに難色を示した。 マディソン・スクエア・ガーデンでの大規模な公演が失敗に終わり(ヘンドリックスが知人から出番の前に強いドラッグを渡されて服用し、まともに演奏が出来なかったためと言われる)、ヘンドリックスとバディの音楽面での確執もあって、バンド・オブ・ジプシーズは1970年初頭に解散と短命に終わった。 当時の多くのロックミュージシャンと同様、ヘンドリックスも薬物依存の傾向があった(ヘロインやLSDなどを常用していたという証言がある)。 代表曲「Purple Haze」はドラッグソングとされる場合もあるが、本人は「あれは海底を歩いている夢を見たことから生まれた曲」などと反論している。 その後は、ミッチ・ミッチェルとビリー・コックスをバックに活動を再開。 アメリカやヨーロッパ、ハワイなどでコンサートを開催している。また米ニューヨークに自身のスタジオ、エレクトリック・レディ・スタジオを建設。 1970年8月末にはイギリスのワイト島で開かれたフェスティバルに出演したが、その後のヨーロッパツアーではドラッグによる体調不良や、ビリーが精神不安で帰国してしまうなどのトラブルが続いた。 この間、元エクスペリエンスのノエル・レディングや、元マネージャーのチャス・チャンドラー(元アニマルズのベーシスト)が、ビリーの代わりにベーシストを務めるのでは…といった憶測も飛んでいた(ノエルには実際にヘンドリックスからオファーが届いていたという説もある)。 そういった騒動でツアーが中断した時期、ヘンドリックスはチャス・チャンドラーの家を訪ね、「再び僕のマネージメントとプロデュースをしてほしい」と伝えようとしていたらしい(チャンドラーの談話)。 モニカ・ダンネマンという女性と二人でロンドンのホテルに滞在中、バルビツールのオーバードーズで死亡[1]。 死亡時は27歳。デビューからわずか4年ほどでの死だった。 飲酒しながらバルビツール酸系の睡眠薬を大量に服用したのが死亡原因とされている。 「自殺したのでは」などの憶測も飛んだが、現在では否定されている。 故郷である米ワシントン州シアトルでの葬儀には、ミッチ・ミッチェル、ビリー・コックス、ノエル・レディングといったバンドメンバーに加え、マイルス・デイビスなどのミュージシャンが数多く参列し、はなむけのセッションが行われた。
|
トラックバック(2)
トラックバックされた記事
僕の青春の1曲が「ホテル・カリフォルニア」だ。
[[item(http://zerokei.first-buzz.com/zerokeiBannerBP.swf,160,55)]] [http://www.jr-odekake.net/navi/shinkansen/0kei/special/#/home/ ありがとう0系新幹線] 印象的な12弦ギターのイントロ、哀愁を漂わせるドン・ヘンリーのボーカル、ジョー・ウォルシュと
2008/11/30(日) 午後 8:22 [ 旭川からの発信です ]
Jimi Hendrix
||<#FFFFFF' ``|| ||<#6D7DA7'`` {{{: [[attached(1,left)]]ジミ・ヘンドリックス(Johnny Allen "Jimi" Hendrix) (1942年11月27日〜1970年9月18日) 死後40年近く経った現在でも、「天才ギタリスト」として多くのミュージシャンに多大な影響を与
2009/4/11(土) 午前 5:15 [ OMEGA ]
トラックバック先の記事
- トラックバック先の記事がありません。



ジミ・ヘンドリックスって名前は聞いたことがあります。
シアトル出身だったんですね〜!
27歳で亡くなったんですか、、早い死でしたね。
ドラッグが死を早めたようですね。
天国でギター弾いてるかな〜。。。
2008/11/29(土) 午前 0:08 [ ねむのき ]
わぁ〜い!
久々のコメで、1番乗りになった〜!!!
明日はいいことあるかしら?
と思いきや、違いました(/_;)
ジミヘンってシアトル出身だったんですね。
全然知りませんでしたよ。チョットした豆知識になりました。
死後40年近く経ったと言うのもへ〜!と言う感じです。
そんなに昔に亡くなってたと思ってなかったので。
天才・奇才といわれる方っていわく付きの亡くなり方をされてる方が多いですよネ〜!
才能がもったいない、、、
2008/11/29(土) 午前 0:13
圧倒されそうな像ですね! 傑作! どうして芸能人やスポーツ選手は薬物依存になるのでしょうか? 惜しい! 若くして!残念!
2008/11/29(土) 午前 2:33
恥ずかしながら、初めて知りました。すごいパフォーマンスですね。
2008/11/29(土) 午前 5:01
ポチ
2008/11/29(土) 午前 5:01
私も名前だけは知っていましたが。。勉強になりました(@Д@; アセアセ・・・
2008/11/29(土) 午前 5:06
お名前だけは知ってましたけど、すごぃ人だったんですね。
偉大な人は・・・ 若くして亡くなっちゃう人が多いのかな。。
2008/11/29(土) 午前 6:17 [ みかん ]
ジミヘンはあまりにもゆうめいなミュージシャンですね。
シアトル出身とは知りませんでした。
2008/11/29(土) 午前 6:18
シアトル出身って知りませんでした。
名前は知っていましたが、プロフィールは知りませんでした。
27才で亡くなって、人生を駆け抜けたって感じですね。
2008/11/29(土) 午前 7:07
ジミヘンドリクスのことを詳細に取り上げていただいたことに感謝します。
この頃の天才的なロックミュージシャンにはかなり薬物が流行っていました(特にLSDというには当時よく聞きました)
素晴しいアーチストが何人も早死にしたのは残念です。
「頭の中の紫のもやが・・」という歌詞が幻想的だったなぁ・・・
感謝を込めて〜☆ポチ〜
2008/11/29(土) 午前 11:22
上の銅像,なっかなか迫力がありますねえ。
ギターの音が聞こえてきそうなくらい。
2008/11/29(土) 午後 2:37
初めて名前も知りました。
そのカリスマ性もまた魅力の人物だったのでしょう。
素晴らしいアーティストは、短い人生・・・の方が多いですね。
2008/11/29(土) 午後 5:28
数あるアメリカのアーティストの中、シアトル出身では道路沿いの像も納得です、やはり短い生涯は天才と云われる所以ですね。
2008/11/29(土) 午後 10:42
昨日は快晴の素晴らしい天気でしたが、いまは暴風雨です! 気温が下がって山は雪になるようです!
2008/11/30(日) 午前 1:35
名前は知っていますが若くしてなくなられたのですね><
銅像も動きがあってすごいですね〜☆
2008/11/30(日) 午前 2:10
ジミ・ヘンドリックスはいまや伝説のギターリストですね。
ウッドストックのDVDも持ってますよ。
右用のギターを左で使っている姿を見て衝撃的に感じたことを思い出します。
2008/11/30(日) 午前 8:37
ジミヘンたまりません。どちらかと言いますと
僕らはエリック・クラプトンなんですが、
ギターリストは1人1人それぞれ強烈な個性がありますから、
みんなカッコいいです。胸が熱くなりました、ありがとうございました。
2008/11/30(日) 午後 9:39
ジミヘンはシアトル出身だったのですね。
私などは、彼の音楽というよりそのパフォーマンスで覚えたという感じではありますが。
天才ゆえに濃密過ぎる人生だったのかもしれませんね・・。
2008/12/1(月) 午前 9:17
シアトル出身だったんですね♪
記事を読んでいたら本当に胸が熱くなりましたぁ。
お墓も素敵だなぁ・・・
2008/12/1(月) 午前 9:17 [ ☆☆ ]
ジミヘンについては色々憶測が飛んでいますが、私がいつも
思う事は「偉人短命説」です。「美人薄命」なんて言葉も
ありますが、世に大きく名を馳せる人程、得る物も大きく
失う物も大きい。結果、短命に繋がっているのかな・・・なんて
思います。
2008/12/1(月) 午前 10:57 [ ぷ・ちんちく ]
お恥ずかしいことにジミ・ヘンドリックさんを知らなかったです(^−^;)
2008/12/1(月) 午後 8:38
この銅像、今にも動き出しそう。。
2008/12/2(火) 午後 3:45 [ もも d(^^*) ]
彼のCDを持ってますよ〜♪
大学時代の彼が熱烈なファンで影響されちゃいました。
ギターをステージで燃やしちゃったんですよね。。たしか。。
2008/12/5(金) 午前 9:25
お名前は聞き覚えがあります。
若くして・・・とても残念ですね。
睡眠薬も怖いですね。
2008/12/6(土) 午後 8:13
教養あふるる文章ですね。対象をよく理解していらっしゃるのですね。憶測で書いていませんもの。
論理的で密な文章ですね。私のような教養のない愚者も見習いたいと思います。
2008/12/6(土) 午後 11:24
ステキな musician ですよね。
音楽のセンスのない者にはちょっと理解しがたいですが、
でも、もっと勉強しなくちゃ。また、お寄りしますね。
2008/12/8(月) 午後 7:15
サンちゃま〜ご無沙汰してます・・(^^)。
なかなか更新できなくて・・ごめん。
年末年始・・くれぐれも御身体には気を付けて下さい。
2008/12/10(水) 午前 7:45
こんばんわ。
お久しぶりです。
私更新を怠っておりましたので、ごぶさたしておりました。
そちらはかなり寒いですか?写真を見る限りじゃとても清清しい気持ちよい気候のようですね。
先日私を初め順番に家族が「24時間ビールス」のようなものにかかりそれぞれ大変でした。一番酷かったのは長男でしたが、病気になったのはなんと三区スギビングの夜だったので仕事は休まずに治しました。サンディさんもお身体に気をつけてお仕事頑張ってくださいね。
2008/12/10(水) 午後 0:09
最近更新が滞っていてさびしい限りですね。
教養あふれる文章が読めないとみなさんさびしがるのではないでしょうか。
おっと!誤字を書かないように気をつけないと。
2008/12/16(火) 午後 4:26
うーん、さすがサンディさん!お詳しいですね〜^^ これだけ情報をアップするのもお時間かかるでしょう… お忙しいのにスゴイ☆
ジミヘンの像、日本から友人が遊びに来ると大抵一緒に写真を撮ったかな(笑) 懐かしいです〜♪
2008/12/18(木) 午後 11:52 [ yumstar ]
ご無沙汰しております。小生がアメリカに来たのは音楽をやるため
だったので、この場所すごく知りたいです!!1月もシアトルに行く予定なので詳しく調べてみたいと思います。もしよろしければお知恵を拝借させていただけると嬉しいです。
2008/12/19(金) 午前 11:15 [ CTZSEA ]
ジミ・ヘンドリックス・・・あまりにも有名ですが、彼の詳しい話は知りませんでした。
こんなに短命だったなんて。。。凝縮された人生だったのでしょうね。
彼はシアトル出身だったんですねぇ。
シアトルに行く機会があれば、訪ねてみたい場所のひとつになりました♪^^
2008/12/21(日) 午後 5:45
シヤトルから子供の友人クリスマスのカードが来ました写真と可愛いブレゼント元気そうです
2008/12/23(火) 午後 1:30
死ぬまでには 一度はお墓参りしたいほどの ジミのファンです。
でも家族と行くには 遠いですねぇ。 ニルヴァーナの カートコバーンの お墓参りもしたいし。
2009/3/4(水) 午後 6:26 [ ひであき ]