古代インドの心象世界

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今回も中村元選集「ヴェーダの思想」より引用します。
 
『リグ・ヴェーダ』のうちの重要な思想として、ヴィシヴァカルマン(Vishvakarman)が世界創造者として讃嘆されている。その名称の意義は、「一切をつくる者(解釈A)」ということであると、一般の学者によって承認されている。(P411
 
ヴィシヴァカルマン賛歌〜その1(1081

2.かれのよりどころはなんであったのか?かれのはじめ企てたことはいずれであったのか?全身が眼であるヴシヴァカルマンが、威力によって地を生じ天を展開したもとのものはいかにあったのか?

3.あらゆる方向に眼があり、またあらゆる方向に口があり、あらゆる方向に腕があり、またあらゆる方向に足があり、(天地を生じるにあたって)両腕とふいごとによってそれを鍛えてつくった唯一なる神(Deva ekah)である。
 
4.かれが天地を建造するに用いた木材はじつになんであったのか。その樹木はなんであったのか。汝ら賢者は、かれがもろもろの世界を創造した時によって立っていたものを、心で尋ねよ。(P413)
 
この賛歌はインドでは非常に有名であり、多くの典籍のうちに現れている。ことにこの第3詩句は有名で広義のヴェーダ聖典の諸所に現れている。この第3詩句においては、宇宙全体をひとつの身体ある有機体ないし人間の様なものと考えているから、この点では原人プルシャ賛歌と軌を一にしている。この起源をさらに追及するという事になると、後代の神話においては〈ブラフマンの卵〉なるものを考えるようになった。(P414) 以上引用終わり。
 
全身が眼であるとは、どういう意味でしょうか。これはヴィシュヴァカルマンを一本の車軸と考えた上で、車軸を意味するアクシャ(Aksha)が同時に眼を表す事を考えると分かります。車軸とは一本の円柱棒です。その一本全体でアクシャ、つまり眼になる訳です。
\¤\᡼\¸ 4\¤\᡼\¸ 3
車軸とは眼の中心の瞳に相当する。それはあまねく見る者である。
車輪のスポークを腕や足に見立てると、それはあらゆる方角に向かっている。
 
あらゆる方向に眼、口、腕、足がある、という表現もこの円柱性と関わっています。それが四角柱であれば四方という限定が生じる。けれどそれが円であれば、そこには方向の限定は存在しない。あらゆる方向に無限定に向かった全方向性がある訳です。
 
眼以外に口、腕、足が出てくるのは、一本の車軸たる絶対者が同時に一体の身体、つまりプルシャ=ヴィシュヴァカルマンだったからです。
 
何故、天地を建造するに用いた木材が何で、どの樹木だったか問うのでしょう。これも輪軸の世界観を前提にすれば分かります。それはラタ車を重用する彼らにとって、輪軸の材料たる樹木(木材)が、その使用上きわめて強靭な性質を持つ特殊なありがたい大切な樹種だったからです。
 
ヴィシヴァカルマン賛歌〜その2(1082

2.ヴィシヴァカルマンは聡明にして、また強力であり、創造者、配列者、であり、また最高の示現である。かれらの犠牲はかしこにおいて享受を楽しむ。そこでは7人の仙人(北斗七星)を超えたところに唯一なるもの(eka)が存すると人々はいう。
 
5.天のかなたにあり、この地のかなたにあり、アスラである神々のかなたに存するもの、すべての神々がそこにいてともに見そなわした大水が最初の胎児をはらんだもの、そのものは、実になんであったのか?

6.すべての神々がそこにおいて集まり合したところの水は、かれ(ヴィシヴァカルマン)を最初の胎児としてはらんだのである。不生なるものの臍の上に、その唯一なる者(eka)が、[車輪のこしきの様に]置かれていて、そこにあらゆる世界が安立していたのである。(P415) 引用終わり。
 
7人の仙人とは北斗七星であり、それを超えたところにある唯一なるもの(eka)北極星を意味します。北極星とは北の空の地球の自転軸であり、それを中心に北斗七星など分かりやすい星座が眼に見えて転回します。
 
北極星を車軸として、星々の天界は車輪のように回転する。
 
古代インド人はこの北極星なる回転軸(eka)と創造者ヴィシュヴァカルマン(Deva-ekah)とを同一視しました。もちろんその唯一なるエカ(eka)が回転軸である以上、それは車軸を含意している訳です。
 
『大水が最初の胎児をはらんだもの』、とここで漸く世界の創造を人間の生殖になぞらえて捉える思想が登場しました。
 
胎児を孕む大水とはもちろん羊水を意味します。問題は、何故、天の回転軸(車軸)にヴィシュヴァカルマンをなぞらえた後で、あたかも自然な流れのように大水と胎児の話が出てくるのか。
 
それは下の写真を見れば一目瞭然でしょう。
 
ヨーニ(女性器)を貫くリンガ(男根)
リンガとはヨーニに入る者であると同時に
そこから新生児(胎児)として出る者である。
 
何だ、これはシヴァ・リンガムじゃないか。そう思われるかもしれません。そこにあるのはヨーニ(女性器)を貫くリンガ(男性器)ではなかったのか。

私もそう思っていました。けれどそこにはもう一つ隠された意味があった訳です。

このヨーニを、ヨーニはヨーニのままに、しかしその中央の穴を産道口と見て、そこから出ているリンガを胎児の頭(あるいは身体全体)と見るのです。
 
ムカリンガにおいて、ヨーニから頭を出すシヴァ=ブラフマン。
リンガとしてヨーニに入り、胎児としてヨーニから出る(宇宙の創造)
 
 
何故なら、ここでリンガとして表される絶対者シヴァ(=プルシャ=ブラフマン=ヴィシュヴァカルマン)も、ガルバによって胚胎され、ヨーニから生まれなければ、この世に現れる事は出来ないからです。
 
リンガはすなわち車軸であった訳ですから、そこに同置された胎児(新生児)も車軸になる。全ては一貫しています。
 
しかし、男性形の神格を世界の創造者として設定した以上、彼以前に女性形の胎なる神格が存在しては都合が悪い。そっちが本当の創造者になってしまうから。
 
だからこそ、このヴィシュヴァカルマン賛歌では抽象的な大水とか、不生者などという表現で胎=ガルバ・ヨーニを暗喩している訳です。存在するけど存在しない胎から、創造者ヴィシュヴァカルマンが胎児として出生する。
 
ややこしい話ですね(笑)
 
長くなりそうなので続きは次回にて、もう少し整理して見てみましょう。
 
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