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アショカ王法勅を読む

前2回にわたって、アショカ王が武断支配からダルマの統治へと転換した、その回心の背景について考察してきましたが、今回は、法勅の原文日本語訳を引用しながら、その心象について検討して行きます。
 
原文は、手元にあった
より引用します。上のリンクはPDF文書になっているので参照ください。
 
この小冊子は奥付にもあるように、インドで活躍する日蓮宗系の日本山妙法寺が、その宗祖藤井日達師の生誕100年を祝って発行したもので、アショカ王の磨崖法勅のあるオリッサ州のダウリに、日本山がストゥーパを建立した法縁に基づいています。
 
実際の日本語訳は、インド学の権威で中村元先生の師匠にもあたる宇井伯寿博士によるものなので、信頼性も高いと思われます。
 
以前にも指摘した通り、この法勅文は、紀元前3世紀に生きたアショカ王の生の肉声とも呼べるもので、インド学・仏教学的研究においてはきわめて高い資料的価値を有しています。
 
宇井先生の訳文が冊子に掲載された経緯(P31)を踏まえた上で、広く社会全体からアクセス可能な状態にする事が、公共の利益に資すると考え、ここにネット上に公開する次第です。
 
もし著作権者の方からクレームが寄せられた場合は、検討の上速やかに削除するのでご連絡ください。
 
それでは前置きが長くなりました。以下に原文を見ていきます。実際の冊子は奇数ページに英訳、偶数ページに日本語訳が併記されているので、ここではページ数は全て偶数になります。
 
P6, 第一章
B,王の領土にあっては、いかなる生物と言えども、屠殺し犠牲に供してはならない。
C,また宴会をも催してはならない。
 
ここで屠殺・犠牲と言う時、王宮外の市民の日常の食事や、またヴェーダの供儀などを含めてなのかは未詳ですが、特に王宮における宴席のために、いわば奢侈な飽食のために動物を犠牲にしてはならない、という事が強調されています
 
後段で、現在王宮においてはただ3体の動物のみが宴会において屠殺されているのみだが、これもやがて完全に中止されるべきだと述べている事から、アショカ王の、動物屠殺・犠牲禁止への強い思いが感じられます。
 
P6, 第二章
A,天愛喜見王の領土内のあらゆる所に〜(諸周辺国の)至る所、王によって二種の病院が建てられた。すなわち、人間に対する療院と、動物に対する療院である。
 
その他、薬草や食用植物などがない土地にはこれを植えさせた事、動物と人間のために井戸を掘り木を植えさせた事などが語られ、全体に、医療を中心とした一切生類の福利厚生事業について、記録してあります。
 
その根底にあるのは、仏教などに見られる『抜苦与楽』の功徳ではないかと思われます。
 
P8, 第三章
D,父母、友人、知己、親族に従順であるのは善である。婆羅門、沙門に対する布施は善である。
 
この章では、王国の各種監督官吏に対して法の教勅巡回が指示されていますが、近親者に対する従順と並べて、婆羅門と沙門に対する布施が普及されるべき法として特記されている事に私は注目します。
 
ここでアショカ王が言う『善』とはイコール『法(ダルマ)』だと考えられるので、特に婆羅門と沙門に対する布施が、重要な法の徳目として普及されるべきだと考えられている事が分かります。
 
これは、現代テーラワーダ国において、ビクやサンガへの布施が称賛・推奨されている事に対応し、特に後で登場する『生天』の思想との関連を考えるべきでしょう。
 
P8, 第四章
A,過去何百年もの間、動物を殺し、生ある物を傷つけ、親族に非礼をなし、沙門、婆羅門に非礼をなすことが増長した。
B,しかし、今や天愛喜見王の法の実践の結果、鼓の音は、法の響きとなり、民衆に天の乗物、象、多くの花火、その他の天上の姿を示した。
C,また、天愛喜見王の法の教導によって、過去何百年もの間存在しなかった、動物を殺さず、生あるものを傷つけない事、親族に対する礼節、婆羅門、沙門に対する礼節、父母に対する従順、年長者に対する従順を守ることが増長した。
 
過去何百年という時、どの地域の誰の施政下で起こった事であるかは不明ですが、とにかく、アショカ以前には乱れていたダルマが、彼の教導によって確実に回復していった事を誇らかに主張しています。
 
『〜その他の天上の姿を示した』と言うのは、この文面を見る限りでは、ある種の国家的なイベントによって、様々な『天上の光景』が劇の様な形で大衆に示され、かつては進軍太鼓だったものがイベントにおける法鼓のBGMへと変わった、と読み取ることができます。
 
だとすると、当時、彼らの社会では、天界がどのようになっているのかという、実際の風景が、かなり詳細に想像確定されていたと推測できます。
 
ここでは、アショカ王の治世下に如何に法の実践が進捗したか、そしてこれからも進められるかが誇らかに宣言されています。
 
P10, 第四章
F,それだけでなく、天愛喜見王の諸皇子、諸皇孫、そして曾孫も、壊劫に至るまで、この法の実践を進め、自らも法と戒を守り、法を教勅するであろう。
J,この法勅は、次の目的のために、すなわち、わが子孫が、法の実践に専心し、怠慢にならないようにするために書かれた。
 
ここで、ある意味驚くべきアショカ王の本心が語られています。繰り返しますが、これは実に驚くべき証言なのです。
 
これは後段でもたびたび出てくるのですが、この法勅が石と言う不朽な素材の上に深く刻まれたのは、まず第一に、彼の子孫たちが、この法の実践を怠けずに継続するよう命令するために、行われた、というのです。
 
『曾孫も、壊劫に至るまで〜』と書かれている事から、これらの指示はアショカ王の死後にも、あるいは死後にこそ、かかっているのだと考えられます。
 
ここで問題になってくるのが、いわゆる『回向』の思想です。
 
前回私は、アショカ王の『堕地獄の恐怖』を推定し、それを回避するために実子のマヒンダを出家させスリランカまで派遣するという善業が、父であるアショカ王に回向されその生天に寄与する事を指摘しました。
 
けれどこれは逆もまた真なりで、アショカ王が如何に努力して法を普及し善を積んで天上界に生天しても、もしも彼の死後、その息子や子孫が悪業を積み重ねたなら、どうなるか、という事です。
 
それが『悪業の回向』となって、天にいるアショカ王を地獄に引きずり下ろす可能性は考えられないでしょうか。
 
一般に、天界での寿命は人間の時間に換算すると十万百万単位から億年クラスまで、どちらにしても人間的な感覚ではほぼ『永遠』に近いのです。
 
その永遠の極楽生活をせっかく積善によって獲得しても、子孫の悪徳によって速攻で引きずりおろされてはたまったものではありません。
 
仮にアショカ王の死後10年で、その子孫が悪徳に走ったとしましょう。地上の10年は、おそらく天界の一日にも満たない『刹那』かも知れません。とにかくかの地の主観的な時間では文字通り『あっ』という間に、哀れ偉大なるアショカ王は地上か、はたまた餓鬼畜生地獄界へ落とされてしまう訳です。
 
おそらく、当時の輪廻思想には、そのようなメカニズムがすでに表明され広く社会に普及していた、あるいはどのような理由でか、アショカ王の信仰として確立していた。
 
だからこそ、彼はまず第一に、彼の子孫が悪業に流れないように命令したのでしょう。いかなアショカ大王と言えども、死後に現世の人間の行動まで監督する力はありません。それゆえに、長くその姿をとどめる岩盤の上に、法勅を刻んだのです。
 
このような仮説が正しいのなら、いわゆるアショカ石柱についても、その建立動機について全く新しい視点が得られるかも知れません。
 
しかし、自分の死後に、自身の堕地獄を阻止するために、その子孫の行動を律するべく法勅を刻む!このメンタリティは中々に理解しにくいものがあります。
 
ですが、アショカ王の完全主義者としての性格、そして絶対王としての誇り、更に何よりも輪廻転生思想に基づいた堕地獄への恐怖、を想定すると、彼の心象のリアリティが深く理解できると私は判断します。
 
アショカ王の人生哲学、それは究極の『You happy, Me happy !』だったと言えるかも知れません。
 
何を言っているか分かりませんか? この言葉を聞いて思わず笑い出してしまった人はインド通です。これは、現代に至る典型的なインド人の世界観と言っても良いでしょう。
 
長くなるので次回にて、第五章以降を参照しながら検討します。
 
 
この記事は、ブロガー版脳と心とブッダの悟りと連動しています。
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