築地に住んでる妹が 聖路加病院で出産したので
さっそく子供の顔を見にいってきました
ついでに すぐ近くをパトロール
『築地はじめ鮮魚店』で昼めしを食ってきました。
マグロとアジのどんぶり
うまいね〜
マグロといえば・・・
年末や年始になると必ずやるマグロ漁師の番組
いつも楽しみでビデオに録って見ています
大間のマグロ漁師を中心にしたこの番組も何年も見ていると
「あっ またこの人だっ また出てる」 て感じで
出てくる漁師の顔も大体覚えてきて
スゴ腕漁師もいれば 不甲斐ないショボクレ漁師もいたりで
それはそれでドラマがあって 面白いものです
番組が始まってスグの頃は
漁師たちの仕掛けを映すと
「おう!撮るんじゃねーぞ!」(字幕あり)
と血相変えて親の敵を見るみたいに怒鳴り散らし
マグロが釣れないと
「お前ら(取材スタッフ)が乗船するとマグロが釣れない」(字幕あり)
と かなり露骨にイヤミを言いながら
大間の組合長さんなんかが大声で罵っていましたが
この番組のおかげなのか
「大間のマグロ」がかなりの知名度があがってきて
最近では 漁師さんたちも協力的になってきて
ずいぶんと変わりましたね
(最近はちゃんとボカシが入ってます)
まあ テレビに映ればそれだけ知名度があがって 現金になるんだから当然なのでしょうが・・
なんとも ゲンキンなものです。
スゴ腕漁師たちへのインタビューのなかで
「なんで あなたはそんなに釣れるンですか?」との問いに
「努力だべ・・釣れるように 工夫して研究する・・」
「人の都合に合わすんじゃなくて 魚の都合に合わせないと釣れない」
と言ってました 勉強になりますな〜 まさに釣り人への金言ですな
考えてみれば いまでは当たり前と思っている釣りの仕掛けや漁具も
先人たちの知恵と工夫と研究の積重ねが凝縮してあの形になってきているのですから
創意工夫をすれば まだまだ違うカタチのやり方が出てくるのかもしれませんね
江戸時代 漁業先進国だった紀州の漁師たちは さまざまな漁法を発明し
その技術を日本中に伝えたとか
なんでも紀州漁師が発明しなかった漁具はほとんどないそうですな
津軽海峡のマグロ釣りも 紀州の人が伝えたらしいですね。
むかしは津軽海峡の漁師さん達は
魚を締めて氷に入れるという作業をしなかったそうで
寒風吹きすさぶ厳冬の荒海で獲れたマグロだから
「そんなの必要ない」と思っていたそうなのですが
体温の高いマグロを放置すると身が焼けてしまって
価値が落ちてしまう
「釣れたらスグに 血を抜き 神経を破壊して エラと内臓をとって氷に入れる」
という一連の処置も紀州の漁師さんに教わったそうです
そもそもマグロが寿司で食われうようになったのも
房州に紀州の漁師さんたちが延縄マグロ釣りの技術を伝えたのが遠因のようです
むかしむかし 江戸の中ごろになりますと 上方で綿の栽培が盛んになって
それに使うイワシで作った肥料が大量に必要になったそうで
それにくわえて江戸でも人間が増えて田畑を増やさなくちゃならなくなる。
するってえと 栽培に必要な肥料が足りなくなる
あればあるだけ売れるイワシの肥料 これをホシカというそうですが
「ホシイカ?」っと尋ねれば「ホシカ!」と問屋がうれし涙流して応えるぐらいの代物ですから
獲りゃ獲るだけ金になる あればいくらでも買うってんで
紀州や上方あたりでイワシを獲りに獲りまっくっちゃって
イワシがすっかり居なくなっちゃった・・・
いわゆる乱獲ってやつですな
供給不足になったイワシ
紀州の漁師たちは 血眼になって日本全国を探し回る
そこで とうとう見つけた豊かな漁場がボウシュウ
ボウシュウったって匂いを防ぐわけじゃない
北は銚子 九十九里 外房は和田浦 勝浦 安房小湊 南房 白浜 館山をぐるッとまわって 内房 富津 竹岡 まで
房州・江戸湾はイワシの宝庫 まさに宝の海
こぞって房州の豊かな漁場にイワシを求めて移り住む紀州の漁師たち
当時 浦借りといって領主に漁業税を払って紀州漁師が浜ごと借りるようになり
その名残で紀州と同じ浜のお名前が定着したという姉妹都市伝説のようなお話し
八手網って巨大な網を操りイワシを一網打尽
紀州漁師の先進技術はボウシュウの津々浦々まで漁業の大変革をもたらし
房州の漁業も大いに栄えたのでありました
めでたし めでたし・・チャンチャン
って話しが終わるわけじゃない。話しはココから
ときは元禄16年11月23日の未明
房州野島崎を震源とする大地震と巨大津波が発生
世に言う 元禄大地震の発生であります
房総半島突端は3.4m隆起し 房州全域の漁業基地は壊滅的な打撃をうけました
そしてその4年後
宝永4年丁亥10月4日(1707年10月28日) 遠州灘沖から紀伊半島沖を震源とした巨大地震が発生
18世紀初頭は漁師さんたちにとっては災難の時代でした。
1703年に起きた元禄大地震と1707年に起きた宝永地震によって
漁師町は壊滅的な打撃をうけ イワシの長期の不漁
漁具の喪失 人的被害により 大規模な網を使う漁ができなくなった漁師達
少ない人手で大きな収穫が得られる一発逆転のマグロ延縄に望みをつないだのでしょう
やがてマグロの豊富な房州に紀州の漁師から延縄の技術が伝えられ
房州布良の延縄で獲れた巨大マグロは人口の増加する江戸では 安くて大量に供給される食べ物としてうってつけだったに違いありません
当時 館山から江戸の日本橋までマグロを積んで10時間で行ける押送船が開発され
(葛飾北斎の『富獄三十六景 神奈川沖浪裏』で有名なあの船)
野田で大量に一年醸造される良質の醤油も開発が進み
マグロが庶民の口に入るようになったそうです
1800年代には布良から伊豆大島あたりまでは
「マグロの背中に乗って海を渡れる」っていうくらい大量にいたそうですから
今から思うと夢のようですな
そのころならマイボートでも100キロのマグロ釣れたでしょうな〜
いまマグロやカツオ 鯛やヒラメがふつうに食卓で食べられるのも
巨大地震の被害に屈せずにがんばった
紀州や房州の漁師さんたちのおかげなのかもしれませんな〜
ってなんの話しがしたかったんだっけかな・・?
そうそう 今回お話ししたかったのは「魚の締め方について」です
マグロの番組見ていてると
「血抜き 神経締め エラ取り 氷締め」 の一連の動きが
必殺・仕事人みたいで カッコイイですな
漁師さんが 釣ったマグロの血を抜き 眉間に穴をあけて棒をツッコんで
マグロをピクピクさせちゃうと こちらまでピクピクしちゃいそうです
小生も釣った魚をピクピクさせたくて
ステンレスの棒を釣ったお魚のお尻に突っ込んで
「へへへーー・・

どうっだ!どうだ?」ってな具合に
やっていたのですが・・
最近 たいへんな過ちに気が付きました
小生が今まで突っ込んでいた穴は どうやら違う穴のようなのです
「あぁ〜 お兄さん そこは違う穴よぉ〜 うっふ〜ン

」
お魚が話せたらこんな風にアエぐかもしれません
どおりでピクピクしないはずです。
慌てたチェリーボーイが違う穴に突っ込んでしまうようなお話しです
ハジメにそのことを話すと
「神経ぬくと魚が反り返らなくてイイけど うま味が増すわけじゃないから
それよりも即死させて血抜きをキチンとやったほうが美味く食えるよ」 とのこと
なるほど 勉強になりますな〜
今日の教訓
「神経ぬきより 血ぬきに神経を使うべし」
なんちゃって