子供の頃の自分に、今の自分はどう接するだろう・・・ (安心感と依存症) 【時 - 尾崎豊】
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こないだ、加藤諦三さんの「安心感 - 自己不安を「くつろぎ」に変える心理学」という本をパラパラと読んだ。
加藤諦三「安心感」 内容(「BOOK」データベースより)やすらぎやくつろぎを得られないのは、自分自身のあり方や、つきあうべき人を勘違いしているから。なぜ自己不安に襲われるのか、なぜ対人関係のストレスから解放されないのか、今までの生き方を見直してみませんか。本書は、安心感を妨げる“依存心”の原因を様様な角度から分析し、思い切った生き方の転換と人間関係の見直しを提案する。依存心を克服し、もっと自由に生きよう。 子供の頃、いつも不安だった。
なぜか解らなかったけど、いつも不安で、見る夢は奈落の底に永遠に落ちる夢で、あまりの恐さにふと目覚める。
あの、ジェットコースターのふわっとなる感覚がずっと続き、耐え切れなくて目覚めるという悪夢を、子供の頃は頻繁に見た。
中学の頃は、食べ過ぎてよく吐いた。
寝床にバケツを置いて寝てた。
今思うと過食症の一歩手前。
ありがたい事に頑丈な体だったせいか、食べ過ぎても太るだけやったけど(笑)、今思うとそうやったんかなーって思う。
今もイヤな事があると、お菓子とか大量に購入して、ふと我に返る時がある。
そういうのは、母からしてみれば、ただ精神的に弱いだけらしい。
私はただの過剰反応で、被害妄想気味で傷付き易い性格だと、全部私の所為にされてきた。
・・・そうかもしれん。
今もよくわからんけど、私は深く考え過ぎかも。。。
昨日のブログでお誕生日会のプレゼントで大笑いしましたが、笑いながらも涙が出てきた。
笑うにしては切ない気持ちの方が強かった。 今の自分やったら、あの時の自分にどう接してるんやろうって思う事がある。
・・・タイムマシンか何かで行って、無言でギュっと抱きしめてあげたいなーって思う。
加藤諦三さんの「安心感」という本に、ピンとくる文章を見つけた。
人は受け入れられることによって安心感を持てる。
強い立場にある人が依存心を持っているとき、弱い立場にある人は、所有されることはあっても、受け入れられることはない。
また、利用されても受け入れられることはない。
他方、弱い立場にある人は、相手の役立つことによって評価されようとする。
そして相手に評価されようとして、もっと相手の役に立とうとする。
この種の人が基本的に誤解してることがある。
受け入れられないことの原因を自分に求めてしまうのである。
受け入れられないのは、相手に受け入れる能力がないからである。
なんか、これを読んで腑に落ちた。
私は自分を受け入れてもらうために、自分がしたくない事、母や家族が望むことをしてきた。
でもそれを認めてはくれず、「イヤやったらせんかったらいいのに」的な発言をされ、絶えず傷付いてきた。
私も「そんなことを言われるならせんとこ!」って何度も思うが、そういう空気が流れて、無視するとそれ以上に居場所がなくなり、風当たりがキツクなって、今まで辛うじてしてくれてたことまでしてくれなくなる。
「あんたはあの時、頼んだのにしてくれへんかったら。したらへん」とよく言われた。
兄と妹に当たり前にしてる事を私にはしてくれない。
「差別してる!」と訴えると、母は「差別じゃない、区別や」ってよく言われた。
実際、私は兄のように勉強が出来るわけじゃないし、妹のように可愛くもない。
自分の中に負い目を感じてた。
だから「差別じゃなくて区別」という言葉に妙に納得した(笑)。
よく母に「家族みんなが頑張ってる時に!!」って、私が絵を描いたり、漫画を読んだり(友達に借りた)、ゲームをしたり、昼寝したり、私だけの為に何かしてるとそういう言葉を言われた。
外に行ったらお金がかかるから、大体家に居てるので、家に居てるんやったら、ご飯炊いとけ!洗濯物たたんどけ!お風呂洗っとけ!妹の面倒みろ!買物行って来い!など、色々させられた。
いつも何かしらの用事をさせられ、その度に当たり前の言い分を言われる。
イヤがると「働かざる者、食うべからず」と、お小遣いから何から、勉強に使うノートまで買ってくれなかった。
・・・こういうとどんな親や!って大概の人に言われる。母自身もそう言う。
一応、母が言う命令を一通りやっとけば、機嫌は良いから、最低限の生活は保障される。
もちろん、「踊る!さんま御殿」の貧乏人エピソードみたいな悲惨な環境ではなかったから、恵まれてると思う。
上を見ればキリがないし、下を見てもまた同じ。
でも、兄妹で見ると、、、やっぱり不満が募る。
前に行きつけの喫茶店のママに面白可笑しく、自分と母とのエピソードを話した時、
ママに「継母?」って言われた(笑)。
私は全然、そんなつもりで言ったわけじゃなく、面白い話として話してただけやのに、そう言われて、近くに居た喫茶店のお客さんにまで「私もそう思った」ってビックリされたのを覚えてる(^^;
私には当たり前の日常が、他の人から見るとすごい事やったりするのを、その時知った。
でも、考えてみると父も母もあまり恵まれた環境で育ってはいない。
どちらかというと、家族の中で風当たりがキツイ方だったと客観的にそう思う。
だから、自分と同じ親のようにしか私に振舞えない。
兄妹全員に私同様に辛くは当たっていないのは、両親の親も可愛い子が居て贔屓してた。
可哀想だと思う。
本にあったように、両親もまた親に対する依存心があるんだなー。
やっぱり可哀想だと思う。
だから、私は今、「それでもいいか」と思って、両親からの要求をなるべく受けるようにしてる。
また、それに私も依存してるんだなーと思う。
・・・それでもやっぱり凄く傷付く時があるけど。。。
私が出来ることならする、イヤならしない。
もし相手の対応が悪くても、自分ですると決めたこと。
イヤならしない。人の所為にしない。
腹が立ったらそれを出して、我慢せずに実行に移す。
本当にイヤなら自分から縁を切ることも出来る。
縁を切っても自分で生きていけるんだから・・・。
いつかは離れる日が来るんやし、、、私の親やし、、、そう思うことにしてる。
みんな同じ悩みを抱えてる。
宇宙からすれば、私の人生なんてホンの一瞬!
悩みなんてあってもなくても時は流れる。
誰もが隠してる 自分に言い聞かせている
誰かが明日の君に 裏切りを振りかざしている
だから今 君を包むその世界の
時を 止めてしまおう
僕は今 君を包むその世界の
時を いつも見つめてる
ああ夢は形を変えてゆく この小さな心を守る様に
流れゆく先が 見つかる様に
触れようとしては傷つく痛みに 時は流れて・・・
「時」 尾崎豊
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