浅間山荘事件から40年
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あの浅間山荘事件から40年がたちました。私の中でもまだ完全に解決がついたわけではないのですが、昨年書いた拙ブログ( 永田洋子さんの死に思う)の一部より転載いします。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
私は無党派でしたが、69年4月の沖縄闘争の敗北の後、もうこの先日本で革命(社会変革)が起きることなど現実にはありえない、という絶望感がありました。そして、私の支持していた個人を主体とした全共闘運動も終焉へ向かいましたが、まだ革命を信ずる諸党派の中から、武装闘争路線への純化がはかられ、赤軍派などが生まれていったのだと思います。共産主義者の彼らには元々退く選択などなく、それは、ある意味自然な流れだったと思います。
その後起きた悲惨な連合赤軍事件に関しては、一般の国民には単に異常な行為と思われても仕方ないと思いますが、彼らにとっては、理想を実現するための(革命)戦争という認識だったのだと思います。 かつて、ボルシェビキは人民の解放をスローガンに闘いましたが、次第に理想を実現するための絶対的権力の確立が目的化され、そのための行為が全てに優先することとなり、個人の命の価値は低下し、ロシア革命は悲惨な結果を招くことになりました。
また、今放送中の大河ドラマのお江で信長が描かれています。それを見ていると、民の平和を実現するという理想のためには、残酷な行為を肯定する信長の生き方も至極崇高なものに見えてきますが、連合赤軍の当事者達にとっても、本質的には同じ行為だったのではないかと思います。
私は、ロシアマルクス主義の犯した誤りの歴史から、中央集権的、権力的共産主義には懐疑的でしたが、人は何かを信じてしまうと何でもしてしまう生き物なのかも知れません。
その後、無党派の中からも反日武装戦線が生まれ、三菱重工爆破事件などを起こしました。組織自体はゆるやかなもので内部での暴力などはなかったようですが、結果的に人命殺傷を招いてしまったことは、やはり許されないと思います。一般の国民へ被害をもたらしたという点では、残念ながら、連合赤軍よりも罪は重いと考えます。
戦争に反対し、人の尊厳の回復・人類の解放をめざすための行為が、いつのまにか本来憎んでいたはずの非人間的行為へ転化してしまう、という矛盾を断ち切るためには、やはり、目的のために手段を選ばずではなく、目的に合った過程を地道にゆるやかに進むほかないのだと思います。
そのためには、生活に密着した意識、生活に価値を置く思想を常に持っているほかないのかも知れません。
現在の日本の情況を見ながら、彼女は、やはり選挙で革命(社会変革)などできないじゃないか、と言っているのかも知れませんが、多少試行錯誤があったとしても、国民が無血革命が可能な時代となったことを現実に示すことで、彼女への答としたいと思います。
永田洋子獄中スケッチより
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