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( 前編:死刑廃止論者は思ふ #死刑廃止24 http://blogs.yahoo.co.jp/satorukurodawin/11602793.html のつづき) 08/7/6 加筆訂正


5 犯罪被害者遺族の方達への配慮の仕方


犯罪被害によって莫大な損失を被った被害者遺族の方が米国のようなスリーストライク法、ミーガン法、また刑事裁判における資料閲覧(コピー費用の補償など)Embalming(死体修復等の技術)の制度創設、優先傍聴権の付与(*原則非公開の少年審判について、被害者や遺族の傍聴を認める改正少年法が2008年6月11日、参議院本会議で可決され成立)、犯罪被害者への給付金の充実(08/7/施行の改正法では自賠責の限度額である4千万までに引き上げられた:西日本新聞08・4/1)、といった死刑制度そのもの<以外>での施策により手当て(或いは予防という形で被害者遺族の意思の一端を実現)されるべきである。
(*方向性として述べた。例示した制度の是非については後に述べる)

決して、加害者を殺すことによって、埋め合わすことは許されない。刑「罰」が被害者遺族の感情によって揺れ動くならば罪刑法定主義の根幹を彼等が取っ払ったとみなす、と恐ろしい視点を我等に与えてしまう。道徳面からは、人が人を殺すことによって感情を回復することほど人間の浅ましい姿はないと強い批判を加えることができよう。(#死刑廃止8)


死刑なる無実告白の場を閉ざされたと言えよう,刑罰(死罰)を下された。だのに奇跡的に生還した者がいた。
免田栄。免田氏は、無実の罪で拘置所・刑務所に拘束されつづけ、当然に刑事補償法に基づき、死刑確定判決から31年7ヶ月の拘禁日数12,559日に対して9,071万2,800円の補償金が支払われた。だけど、直も世論の批判を受け続ける身に免田氏は晒された。
(*免田氏は地元に帰ってきて歓迎されるも、真犯人が不明なことや巨額の補償金を受け取ったことなどで、地元では平穏に暮らせず、他の市に引っ越す:参考:2008年6月25日アクセス ウィキ 免田事件より)

死刑の唯一のriskの背負い手、冤罪被害者。彼等を世の死刑存置論者の方はどのように考えるのか。冤罪被害者等が人生の大半を忙殺されようとも国民の税金で埋め合わせしさえすれば許されると、それは高邁な死刑制度のためなのだからと考えているのだろうか。死刑と冤罪は「別!」なる重大な見落としのある言葉をそれとも発するのか。
この恐ろしい言葉たちは免田氏のように冤罪判決の出された方たちも去ることながら、無実の主張を受け入れられず、無罪・実質「傷害致死以下(死刑に該当しない罪)」の罪の生きれたであろうが死刑に処された今は亡き冤罪被害者(報復の犠牲者)の方の心にとって、特に泣き叫ぶ他なく映るだろう。
彼等は罪刑法定主義を一時捻じ曲げられた無菌を至上理念としている世の汚い手により「永遠に葬り去られた(H氏の言葉を借りよう)」、のであるから。
(参考#死刑廃止23)



6 死刑をなくして絶対的終身刑を創設してよいか?

現在日本では終身刑創設の動きが活発にある。(*執筆時:2008年6月25日)
死刑存置派は死刑と無期刑とのギャップを埋める代替刑として絶対的終身刑を、死刑存置派は死刑廃止へ世論を靡かせるための手段として絶対的終身刑創設への活動に消極的であるけれども参加している、という見方もある。

死刑廃止派が危惧している絶対的終身刑の問題点というのは、純然たる終身刑(仮釈放のない終身刑)を創設してしまうと、刑務所における処遇理念がなくなってしまうことと、死刑囚が何を生きがいに毎日を過ごせばよいかという、心のよりどころがなくなるという点が挙げられる。

絶対的終身刑を採用する米国内の州では、(死刑制度のある36州のうち35州が絶対的終身刑を採用)ほとんどの州が終身刑導入後も死刑判決の数にはほとんど影響がみられていないというデータもあり、死刑抑止の観点からも問題を含む制度でもある。(08/6/20朝日新聞:ハワイ大教授:社会学:デビッド・ジョンソン)

かような絶対的終身刑のかかえる諸問題の打開策として元最高裁検事の土本氏は、
原則絶対的終身刑で、ある一定年度期間を経れば釈放の是非について見直すというイギリスの「終身タリフ」を範にすべきだと提言した。(#死刑廃止 22)

原則絶対的終身刑で、ある一定年度期間を経れば釈放の是非について見直すという終身タリフ制度、人道的にも許される範囲であり、日本もおおいに見本にすべきであろう。


7 保障

無期刑囚の食費・光熱費は年間50万ほどかかるという(朝日新聞朝刊08/6/8)。
また年間刑事施設収容者1人当たり全部で250万円かかるというデータもある。(あすの会・幹事、松村恒夫氏より: 死刑:森達也P287)
前述したように、彼等に毎年50万(無期刑にかかわらず、の場合は250万)もの税金が投入されるくらいであれば一層のこと皆死刑にしてしまった方がよい、という論理も情緒もない無責任で非情極まりない発言が国民の中からは発せられる。
そういった日本国家の醜悪な一面が及ぼしたのか、日本の犯罪抑止のための制度の杜撰(ずさん)さが目に付く。何よりも保護すべき障害者の方達が制度の不備から犯罪を繰り返してしまい刑務所の入所を繰り返すというケースがおこっていた。元衆議院議員の山本譲司氏はいう。
「彼等(刑務所の出入を繰り返す累犯障害者達)は福祉のセーフティーネットからこぼれおちてやっと司法という網に引っかかり獄中で保護されている。それが日本の福祉の現実だ。(朝日新聞6/19朝刊)」


死刑と無期懲役の間に横たわる大きな隔たりについて、問題はある(問題の見方は存廃両者異なるけれども)。しかし、その問題に対する考察を「止め」、(止めた、ことによって生まれた犠牲者が累犯障害者達と、安易にこじつけても余りある大罪を日本国は継続している、と私は言いたい!)社会制度の不備によって生まれた、見かけ上の犯罪者達を死刑一緒くたにして葬り去ろうとする権利の放棄ともいえるArmchair(肘掛け椅子)にすっかり凭れ掛け無頓着の論理展開は(もはや妄言だ)国民らしからぬ姿勢といえよう。


8 憎悪(hatred)を超える。応報感情から愛(agape)へ

知らぬまに憎しみのバトンを回す(あなたも)。
この報復の連鎖を、一旦やめ、人間として生まれたからには罪と罰のあり方について、しっかりと見詰めなおさなければならない。そして、その対峙を継続しなければならない。その際、込み上げるであろう社会に対する、世界に対する耐え難い吐気。希望を見出せぬひ弱な葦(我)は、ひと思いに自殺しよう(#トルストイ4)、などと、或いは、悪魔に囁きかけるように、「非凡人の権利だ!」と嘯き殺人肯定者として生き方を不器用に固めることを時として選択するかもしれない(罪と罰:新潮文庫より)。現に光市母子殺害事件の本村洋氏は非情な社会の様相に一時、手段として自殺をも考え、また実際に不法を不法でもって対抗する「私がこの手で犯人を殺す」という言葉を大勢のマスコミの前で宣言していた(参考:will08年6月号本村洋さんの独占手記P41より)。しかし、本村氏は罪と罰の問題が及ぼす重圧に耐え、<継続>してあの解き難い問題と今もなおさしあたり対峙しつづけている。「個人的」愛以外に彼を立ち続かす原動力はあるだろうか。それ以外見当たらない。

愛は、パーソナルなものではなく、恣意(arbitrarinness)でもない。
ゆえに愛だと宣言しさえすれば彼の行動が肯定されるわけではない。個人的な欲に埋没した愛は、愛などではなく悪を発生さす萌芽だ。(参考:光あるうち光の中を歩め:トルストイ:新潮文庫より)
あの愛の結晶ともみれる法律はどうだろう。
法律は愛ではない。法律は愛を達成するために有益になりうる限りで「手段」となるに過ぎない。

では愛とは。

愛は誰しも理性の芽生えたときから知る、内から外へ発せられる人間の尊い衝動。

愛とは過去・現在・未来の区別が消え対象そのものと同一化する。決して対象を捉えたまま、その背後(その後)をも見据える、かような損得勘定の視座などではない。
そのものと同一化する。同一化からほぼ同時に意識は対象の枠を超え全体へ広がる。世界と我はイコールとなる。
かような体験を愛という。

人間の大半は愚かな労働者に留まっている。
われわれは、通りすがりの旅人に「あなたは何をしているのですか?」と問われれば、

「労働ではありません。愛を実践しているのです」
と答えるべき。
しかし、愛に背を向ける者は問いに

「何をすべきかわかるまで、さしあたり動物的(損得)本能を満たすべく働いているのです」
と答えてしまう。
だが、愛の光に一時目を瞑っている者でさえ、愛は、その者にとって肝心なとき、動物的個我に寄り添い眠っていた「理性」によって顕わにされる。


だから、あの裁判官(*元判事、荒木友雄72歳)についても判決の前夜まで眠れずに、「被告の顔を見てから決めよう!」などと極限状況の理性の発露に、自身のあり方を賭けようと決意した。
あの、法廷のドアに手をかけた際のインスピレーションによって判決を決めるという裁判官も、死刑判決をくだす裁判官が本心と異なる判決(死刑)を下し、退官後に良心の呵責に耐え切れず吐露してしまった(本心は別なところにあった!と)。
彼等は、独断の許されぬ「自由心証主義」の鎖に縛られているにもかかわらず、それをすっかり忘れ、一時、何に突き動かされたという。人間の目的「愛」ではなく、それを何といえよう。

(参考:毎日新聞 2008年3月30日 東京朝刊 :トルストイ、人生論、新潮文庫)
(*元判事、荒木友雄:参考:毎日新聞 2008年3月30日 東京朝刊)




(絵:日傘を差す女(モネ夫人)1875 ナショナル・ギャラリー<ワシントン>)

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