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1 はじめに

カテゴリ死刑廃止の1〜5までの整理のため、おさらいとして以下にまとめた


2 それぞれの主張

死刑制度は死刑言い渡しを受けることで適用され(刑法11の2)その方法が「絞首(刑法11の1)」であり、結果、当然に死刑囚は絶命するに至る。

この死刑制度が国際的に見て廃止の方向に向かっているのだが(世界人権規約Bを契機に)、日本は稀なことに世論はそれほど死刑廃止の方向に向かっていない。様々な要因はあろうと思うが、まず存置、廃止の両者の意見を以下にまとめてみた。
「死刑存置論」には主に4つある。
/佑鮖Δ靴深圓生命を奪われなければならないということは一般人の法的確信であること
∨|畚維持のためには重大な犯罪に対し死刑の威嚇力に期待しなければならないこと
死刑を廃止したら凶悪犯人による生命の危険にさらされることざ飽な人物は死刑によって社会から完全に隔離する必要があること。

「死刑廃止論」には主に6つある。
〇犒困六長鵑任△
⊆更埔紊忘絞未鮴澆韻襪海箸困難であること8軾修砲茲蟷犒困執行されれば回復不可能であること
せ犒困琉匈杜呂呂気靴涜腓くはないこと
セ犒困里發跳沙的政策的意味が社会からの永久的隔離であるとすれば同様な効果を期待しうる方法は他にも考えられること
死刑は被害者に対する損害賠償の点からも用をなさないこと
(引用:刑法概説:総論:第3版H9:P500〜P501)


3 争点

ここで死刑廃止論者の立場で進めるが、ポイントとなる点は、なによりも抑止力の有無、囚人の矯正云々よりも、絶対避けることのできない「誤判」をどうするかである。
我々は、財田川事件・梅田事件・八海事件・木間ヶ瀬事件・島田事件・松山事件・仁保事件・狭山事件(袴田事件:審理40年継続中)・(藤本事件:冤罪の可能性大)・(名張毒ぶどう酒事件:40年以上継続中)など、過去多くの冤罪被害者を出してしまった。冤罪被害者の方々は、日本国自体が犯した犯罪の犠牲になる「言われ」は全くない。それにもかかわらず、我々日本人の多くは死刑の隠された損害を考えずに死刑制度を存続してきた。

戦後の刑事訴訟法作成に携わった団藤重光教授は国民の感情と国の制度の根本的な違いを次のようにいう。

「自然な感情(加害者への憎しみ)を持つのと、それを国が制度として、死刑という形で犯人の生命を奪うのとは、全く違うことです。戦争だって「人情から当然だ」といって是認するとしたら、とんでもない。(朝日07/12/19)」

そして具体的な処置については

「さしあたっては、仮釈放のない終身刑をつくるべきでしょう。恩赦の可能性は残した上で。そうしないと死刑より残酷になる。(参考記事同上)」

と限りなく終身刑に近い代替策を提言している。犯罪の発生の抑止に寄与すれば残虐刑である必要はない。団藤氏がいうように人情が当然だとなると戦争も許すことになる。氏の言葉は平易で極めて的を射た内容といえる。


3 駒村教授

存置論者の意見で評論家の宮崎哲弥が注目している駒村圭吾(慶応義塾大教授)の論考がある。氏は国民の報復権のを国家が代行するという論理を展開した。しかし、これはルソーの時代の言う報復権と現代の報復権とを一概に比べることはできず国家の責務の増大した現代社会では、200年以上前の如く犯人を手当たり次第殺さなくとも、国家の治安は守れる。またルソーと同時代の刑法学者ベッカリーアも

「あらゆる時代の歴史は経験として証明している。死刑は社会を侵害するつもりでいる悪人どもをその侵害からいささかもさまたげなかった(犯罪と刑罰:岩波文庫p92)」

と報復権に基づく死刑に対し慎重であり、当時が死刑一辺倒でなかったことがわかる。それほど死刑という制度には多くの疑問がのこる制度であるということだ。

4 まとめ

死刑の刑事政策上の効果というのが非常に薄く、現在それに成り代わる制度が待たれている。死刑を法的に認める発端が、GHQの占領下にあった古い判例にあるのだが、それから日本は如何なる発展を遂げたかというと

「死刑制度を存置する現行法制の下では犯行の罪責・動機・態様・ことに殺害の手段方法の執拗性、残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状など各般の情状を併せて考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわなければならない」
(*最大判昭58・7・8刑集37巻6号609頁より)

と、判事が如何に判断を回避しようとしているか伺える。この現状維持思考の弊害が聖域化した行政府(警察・検察)に犯罪の汚名を着せられるという状態を招いている(冤罪)。
現状に安住した国民は凶悪犯罪が発生すれば国家の責任という思考はまずなく、凶悪犯人個人の問題だと帰結し原因を簡略化し死刑という制度にすがる。これは政府にとっては好都合であり、被害者遺族の財産的補償、心的ケアの提供をせず、個人の原因とし、したがってその均衡をとるため死刑制度の存続を喜んで政府は堅持するのだ。この悪しき制度継続のため現に少年事件を含め被害者遺族に対する情報公開に極めて大きい制限をかけ、死刑制度維持の感情を密に継続させていることに成功している。我々は無知な国民に安住し政府の財政政策の数字合わせに便乗してはならない。
如何なる判断(存置、廃止でも)であろうと法学者と同等の知識を得(死刑の分野に限るならば困難なことではない)、国民の安全と安心を実現する制度を新たに構築すべきである。知識はわが身を警察・検察から守り、同時に隣人を幸福に導かせる神聖な武器となる。
我々は感情論を捨てルソーの言うような一般意思に基づいて国政に関与すべきではなかろうか。リヴァイアサン(国家)の元、手を安め孤島を夢見る国民になってはいけない。アームチェアにこしかけたまま政治家を批判する堕落者になってはならない(丸山)。
先人の様々の言葉を思いめぐらすと、ますます死刑の廃止が必要だとわたしは考えてしまう。

また存置論者と同じように感情的に言わせてもらうと、被害者遺族の無念解消のため死刑制度があるのではない。
冤罪者遺族の無念解消のために被害者遺族の命で代償することは誰も望まない。
この点を存置論者は、そして私も、未来の冤罪者のためにも心に留めておかなければならないと思う。

(参考:死刑廃止1〜5)

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