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改訂:08/4/26 再審の項目追加

1 はじめに

宮台氏が06年5月29日放送のテレビ番組で死刑制度についていろいろな角度から言及していた。わたくしなりにメモとして以下にまとめてみた。


2 統計

国連の犯罪統計によると死刑廃止国は124カ国あり、死刑制度を採用している国は72国ある。死刑制度を採用している国にはバングラディッシュやサウジアレビア、スーダン、シリアとあるが、先進国では日本とアメリカの二国のみである。
アメリカは50州中、12州とコロンビア特別区が死刑を廃止しており、残りの38州が死刑制度を採用している。(連邦政府は死刑制度を採用していない)
(このように、世界でみても死刑を廃止する傾向であることがわかる。)

3 犯罪統計

国連の犯罪統計では軽犯罪や性犯罪においては死刑の設置で減るという統計がある。
しかし、激攻型や、完全犯罪のような凶悪犯罪については死刑によって減るというデータがない。

4 死刑制度と感情

死刑制度は抑止力の問題ではなく、実は感情の問題である。人を殺すことによって感情を回復する、これを許容するのが死刑である。(応報の感情を優先するか否か、とも表現できる)
人を殺すことによって感情を回復することは規範的によくないと考えること、これが死刑廃止である。

5 死刑制度批判

応報とは特別な感情である。人には「間違い」があり、決して神の視点には立てないというところからもわかる(冤罪)。犯罪者が生きていれば、新たな審理をつくすことで、また新たな証拠を用いて再審という方法で、やりなおしの道を開くことができる。
しかし、死刑制度を採用してしまうと、「*再審」の道は閉ざされる。これは人間が過ちを犯すものであるという視点が開かれていない。つまり合理的ではない。したがって死刑とは不可逆であるといえる。

6 尊厳

尊厳(ディグニティー)とは「社会的な承認を期待できる自己価値」を言う。
人を殺すことによって感情を回復することは、素朴な感情であるかもしれない。しかし、それは尊厳に背いている。
124カ国、つまり世界の過半の国が死刑を感情の回復の手段として用いないとしているなかで、日本が、尊厳、自己価値に背いてまで、人間を殺し感情を回復している。
私は、そういう尊厳・背いた自己価値を社会的に承認してくださいというのは、それは、はずかしいと、多くの日本人がそのようになれば嬉しいと思う。そうすれば、ある種の「あさましさ」を脱することができるではないかと考えている。

7 日本の伝統

伝統的に日本は共同体的温情主義(鬼の目にも涙のように)である。
これは、死刑制度に例えると、本人(犯罪者)も悪いが、彼(犯罪者)は共同対にくみこまれているから「周り」も無関係ではない。自分達もなにかしらの責任をおっている、このような考えが共同体温情主義である。
伝統的に共同体的温情主義の日本は、刑事罰がきつくないのにもかかわらず先進国に比べ再犯率も低い(警察・検察はあおっているが)。また、犯罪率もすくない。凶悪犯罪については先進国の数分の一、数十分の一である。これは共同体的温情主義が「ある程度」働いているからである。

8 戦争について

実は人を殺してはならない、というのは世界的に承認されているわけではない。戦争をみればわかる。戦争は条件があえば、人をころしてもいい。
だから、死刑制度と同様、戦争も尊厳をベースとして考えなければならない。


9 現在

.櫂團絅螢坤

日本はいわゆるポピュリズムである。例えば、検察は死刑を要求することで裁判官はマスコミを意識することで自己の立場を堅持している。こういった現象を我々国民は恐ろしいと思わなけらばならない。公を国家だと思ってはならないのだ。国家は国民を有効利用していいる。つまり利権に基づく政治に利用されている。その原因はプラットフォームの欠如にある。

欧米

アメリカやヨーロッパなどの成熟した民主主義社会では(もちろん不満があったら国家権力に要求するのは大事だけれども)国に不満があったら要求、異議を唱える、そういうコミュニケーションを保全するプラットフォームが大事だという考えがある。ヨーロッパは国の不合理性について連帯して声をあげることがプラットフォームになっている。また、そこでは連帯性を将来使い、また永久に使えるんだという意志の再確認ができる。
アメリカ・ヨーロッパは、政府というセクターだけではなく、市民にまで、連帯性はまたがっている。
(アメリカは「ぷラットフォームとはなんだ」の真剣な議論をしている。ボランチィア、NPO、 NGO、アミニィティー、のような運動がある)

F本

残念なことに日本にはそのようなプラットフォームがない。昔は共同体があった。 温情主義が働いていた。現在は、温情主義にかわり、国家を呼び出す、という行為をとっている。
これは、非常に恐ろしい。なぜなら我々の公感情が利用されているからだ。公を国家に簒奪されていることは恐ろしいということを、我々は共有しなければならない。我々は公を簒奪されないためのプラットフォームを守らなければならない。また、どういうプラットフォームの上にあるかの自覚も必要である。共同体的温情主義では、母体であるプラットフォームが空洞化すると機能しなくなる。日本は今そのような状態にある。

10 コメント

宮台氏のいうように共同体温情主義が現在の日本でも機能しているとは言い難い。
近隣で殺人事件(凶悪犯罪)が起きた場合、犯罪原因が自己にもある、と考える者は皆無であろう。犯罪に対する責任は当然、本人だけの責任。我々には責任はない。彼(凶悪犯)を即刻、追放(死刑)しろ。冤罪については、そいういう境遇であった本人(冤罪被害者)が悪い。

かような思考が、宮台氏の言う、プラットフォームが空洞化したゆえに生まれてしまった日本人であろう。
現在の日本国民の多くは警察・検察・裁判官が国民を有効利用していることに何の違和感も覚えない。マスコミの過剰な報道にのみ注目し、詳細な内容については知ろうともせず、短絡的な結論に急ぎ、無意識的に政治利用されてしまっている。それは、絶対の信頼を国家に寄せているからであろう。(まさか、わたしが、冤罪被害者になることなどありえない、と、、)





再審の基準:白鳥決定
 白鳥事件で最高裁は75年、再審請求の特別抗告を棄却するが、確定判決に合理的な疑いを生じさせる新証拠があれば、再審を認める緩やかな基準を示した。これを追い風に財田川、免田など死刑事件でも再審が一時相次いだ。しかし、名張毒ぶどう酒事件で名古屋高裁が一度出た再審開始決定を取り消すなど、扉は再び閉じつつある。
(参考:2008/3/22 毎日新聞より)

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こんにちはー
河曾といいます
面白いブログですね 読んでてためになります!

記事に書いてあることと自分の考えとが結構近いです
マスコミを通しての新自由主義的な政治的利権を目的とした国民の洗脳術はおそろしいと思います

2012/1/30(月) 午後 0:37 [ daredayo ] 返信する

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