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1 はじめに

呉智英氏が「仇討ち」を復活させて、国家の人権の優越性の弊害を除去せよと著書「サルの正義」で論じていた。これは冤罪のリスクや刑務官の心情といった問題を全部、犯罪被害者遺族にまるなげする制度である。もちろん「感情の回復」もきちんと考慮している。
正直わたしは、この仇討ちの復活について、以前にも述べたが反対である。(詳細は#死刑廃止9)
しかし、この仇討ちの制度を考えたとき、死刑制度によこたわる様々の矛盾を垣間見ることができる。これは(仇討ち)死刑制度を学ぶにはよい題材であるように思える。
そこで、仇討ちについて何か良い事例はないか探した。随分前に「世にも奇妙な物語」という番組があり、そこで全く同じ問題をあつかった話(物語)があった。
1話完結の物語。タイトルは「*仇討ちショー」。

(*『仇討ちショー』(ドラマ『世にも奇妙な物語 秋の特別編』(2001年放映)、小説『世にも奇妙な物語 小説の特別編 悲鳴』ウィキ:敵討ちより)



2 仇討ちショー

「仇討ちショー」はユーチューブでも視聴できるが、わたしなりにまとめた「仇討ちショー」を以下述べる。

日本は凶悪犯罪増加の一途をたどり、ついに国会において「仇討ち法」なる法律が成立・施行した。
なんともふざけた名前だが、一応番組では、真面目(おそらく)に扱っている。その条文の中身は次のようになっている。

仇討ち法第一条:仇討ち権はこれを認める。仇討ち権の行使は国家がこれを保証する

国家が、犯罪者への仇討ちを認めるという内容。その具体的方法は?
まず仇討ちゾーンなる区域に犯罪者を放つ。犯罪者には発信機がつけられ、どこにいるかは、一目瞭然。被仇討ち人(犯罪被害者遺族)が3つの武器から一つを選び、24時間以内に犯人に「仇討ち」をする。つまり殺す。これが主な「仇討ち」の流れである。

この物語では、仇討ちをする犯罪被害者遺族、それは中谷美紀演ずる無認可保育園の保母さん(以下:中谷)である。彼女の父は銀行員であった(相原しょうぞう)。父は通勤途中の電車内で、若者に携帯電話の使用を注意したところ逆ギレされ撲殺されてしまう。この若者が今回の仇討ちの対象となる男だ。名は鬼塚つよし。(以下:犯人)

さて、中谷は父の仇のため犯人の仇討ちに望む。その様子はテレビで全国中継される。上空からはヘリコプターで、中谷の周囲には常に数人のカメラマン達が囲み、まるでボクシングの中継のような賑わいを醸し出す。スタジオでは、面白おかしく、仇討ちの様子を解説する。市民の方はブラウン管の前で「獣は死ね!」と連呼する。我が正義と言わんばかりに。

中谷は、ボーガンを武器に犯人を追いかける。途中、自身の行為に疑問をもつが「人を殺しておいてなにが人権だ、、、」と再び父への怒りを蘇えらせ犯人への復讐にむかう。
ついに犯人を追い詰めた中谷。しかし、彼女の心中に渡来したのは憎悪ではなかった。

「犯人は一生許せない、、、。でも、暴力じゃ何も解決しない、、、。あいつを殺しても父は生き返りません。復讐が生むのは、復讐でしかない。わたしは仇討ち権を放棄します」

彼女は殺人(復讐)の無意味さを知り、仇討ちをすることを放棄した。

しかし、話はここで終わらない。仇討ちを放棄する前に中谷が(空に)放った矢が、たまたま、犯人の頭に刺さり、結果、仇討ちを遂行してしまったのだ。
そして、すぐさま「仇討ち省」の役人から、思わぬ知らせが。

「彼(鬼塚)は犯人ではありませんでした。犯人は双子の弟でした」
冤罪であった。
そして、背後にボーガンを持つ男が。犯人(冤罪被害者:鬼塚)の遺族であった。

かくして、中谷は仇討ちをする側から、仇討ちをされる側にまわってしまったのであった。
(おわり)


3 コメント

この物語は全体を通しコメディータッチで表現されている。そのため、物語中に秘められたメッセージを読み取るのがなかなか難しい。
この「仇討ち法」は1条に定義を設け、2条には「何人も仇討ちを妨げてはならない」と仇討ち人への接触(助言など)を法的に保護している。
7条では「仇討ち人の反撃は禁じられている」として、仇討ち人の仇討ちを安全に遂行できるように犯罪者の反撃を禁じている。
このように、憎しみの感情が他に影響が及ばぬよう、怒りの矛先が、犯罪者に「のみ」ゆくよう法整備されている。それもそうだ。犯罪者以外にその感情が散ってしまうと、国家の責任が発生してしまうから。
この話では、きちんと対抗勢力の描写もおこなっている。
仇討ち反対派、つまり人権派の国会議員が登場し、テレビを通じ、仇討ち(死刑)の無意味さを説く。主張自体何等間違っていなのだが、しかし、観客のほとんどは、野次を飛ばし、帰れコール。それどころか、中谷の勤務先の幼稚園児たちは、安易な仇討ち(死刑)認識から

「ちゃんと殺してね!」

と声をあわせ応援する。それも純粋な眼差しで。
わたしは、死刑制度の正当化(存置)を声高々に主張する者と、仇討ちは真に正しいと信じこむ幼稚園児の、あの残酷な言葉(ちゃんと殺してね)に、同質ものを感じ取ってしまう。
宮台氏も言ったように、尊厳の意識が欠如し、国家に公の意識が簒奪されると、たちまち、この「仇討ちショー」のように、人を殺すことが正当であるという社会が出来上ってしまう。非常に恐ろしい。

最後、仇討ち権者が、冤罪発覚の知らせによって、たちまち「仇討ちされる側」に転換してしまう。ここに、現在の死刑制度を鋭く批判したメッセージ(冤罪者被害者の報復権)を見出してしまうのは、わたしだけではないだろう。
この「仇討ちショー」は感情の回復(死刑)という行為の矛盾を鋭くついた物語であった。

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