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追記:(その1)から続く一連のエントリに関連して、2013/9/22に補足記事をあげた。
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/40920046.html


6.(1あたりの数)×(いくつ分)の重要性

 遠山は、かけ算を足し算の延長として教える明治以来のヨーロッパ式の算数教育のやりかたを根本的に改めるべきだとして、かけ算の新しい定義を提唱した。(注1)

「そのためには、たとえば、ウサギが何匹かならんでいる絵をかいて、まず、ウサギ1匹に耳が何本あるかを考えさせる。そうすると、“1匹分が2本”であることがすぐにわかるだろう。そして、たとえば、「3匹分の耳は何本か」と問い、それを、
 2×3
の意味だとするのである。つまり、かけ算は“1あたり”から“いくつ分”を求める計算(注2)と定義するのである。」(『量とは何か I 』 P 118)

  瀬戸さんが強調した(1あたりの数)×(いくつ分)=(全体の数)、という考え方がここで登場する。

 「かけ算をこのように定義すると、それに応じてわり算の定義も当然変わってくる。それはかけ算とはちょうど逆に、“いくつ分から1あたりを計算するのがわり算だ”とするのである。」(同上 P 119)

 このように、かけ算の教育で、(1あたりの数)×(いくつ分)=(全体の数)という考えかたは、わり算の等分除(1あたりの数を求める)、包含除(いくつ分を求める)や、内包量(速度や濃度など)の理解へ繋げるためにも重要であると説いたのは、実は遠山がその先駆者であった(注3)。

 その上で、先のウサギの耳の総数をもとめる問題で、右の耳が3本、左の耳が3本と考えて、
3×2=6 と計算することに、なんら問題はないと説いているのだ。ミカンを配るのに、トランプを配るときのように、一回に6個ずつ、4回に分けて配ると考えて 6×4=24 と計算するのも同様で、そういう子どもは、すべてかけ算の意味を正しくとらえているものと考えて良いからである。

 ところで、先のミカンを配るかけ算の問題で、「1回あたり6個」と考えた子どもは、「24個のミカンを6人に分けると一人あたり何個になるか」という割り算の問題に、一瞬とまどうかもしれない。逆に、「24個のミカンを4回に分けて6人に配るとき、一回あたり何個になるか」という問題にしたら、かけ算で「一人あたり4個」と考えた子どもの方がとまどうかもしれない。わり算でつまずいているように見えるのは、実は、教師の側の融通のきかない考えかたを押し付けたことに原因がある可能性が大きいだろう。最初から自由な発想を大切にする教え方に徹していれば、割り算の問題でも臨機応変に対応できる筈だ。

 遠山は、先の問題でミカンの個数を求めるのに、かけ算の順序に意味がないのは、教室の中に並べられている机の数を計算するのに、縦の列×横の列でも、横の列×縦の列でもどちらでも良いのと同様であると書いている。ミカンの個数を求める問題が、実は人そのものは無関係で、人の前に、縦6列・横4列に並べてあるミカンの個数を求める問題と同質であることを分からせることの重要性を説いているのだ。人は、その縦の列の前にラベルとして着いているに過ぎないと考えれば、それが人であろうと皿であろうと、問題の本質とは無関係であり、さらに、そのラベルが、縦の列にあろうと横の列にあろうと、ミカンの個数に変わりがないことに、その本質がある。

 遠山はまた、「交換法則はまだ教えていないから、それを使ったのはバツだなどというのは、教える側の得手勝手にすぎない。交換法則など子どもが自分で発見することはいくらでもあるのだ。」とも書いている。

 遠山のこの発想は、彼の「水道方式」に基づく、算数教育論からきている。少し長くなるが、『水道方式とはなにか』(太郎次郎社、1980)から、引用しよう。

7.「水道方式」とはなにか

「三ケタまでの数どうしのたし算の問題は全部で100万ある。この100万の問題を2年生でできるようにしてやるにはどうしたらよいか。(途中略) まず三ケタの数の計算ができるために、前提となるのはつぎの二つである。
1)位取りの原理
2)ケタの数のたし算
(途中略)
一ケタの足し算は準備として十分に習熟させておく。これは三ケタのたし算を組み立てているもっとも単純で基礎的な過程であるから、“素過程”とよんでおく。この素過程を組み合わした三ケタのたし算が“複合過程”なのである。つぎの大きな問題は複合過程をどのように分類し、配列するかという点であって、これが従来の常識と衝突するのである。それは、まずはじめにすべてのケタがそろっていて、0もなく、繰り上がりもないものからはじめることにしたのである。たとえば、
234
+512
-----
というような問題である。だから、
234
+ 52
-----
という問題は後になってでてくるのである。これが従来の常識を破っているところであって、反対者が批判するのもこの点である。
ところが、子どもにきいていみると、やはり、そのほうがいちばんやさしく、後の問題は、たいていの子どもはひとりで考えてできるのである。前の問題がもっとも一般的で典型的であって、後のは“型くずれ”になっているが、典型的なものの練習を最初に力を入れてやるわけである。“水道方式”という妙な名前もそこからでてきたのである。
典型的なものから枝分かれして、しだいに型くずれにうつっていく有様が、水源地からパイプで枝分かれしていって各家庭の台所に達している水道に似ているところから、“水道方式”と仮称していたのが、いつのまにか本名になってしまったのである。」(p9-10)

 つまり、より一般的で普遍性のある問題から特殊なものへ、という流れで教えることで、子どもは多様な問題への対応が容易になるという発想である。このことは、(その2)にも書いたように、抽象思考や概念理解の能力の生得性という遠山の信念にもとづいている。

 そもそも、子どもに抽象思考や概念理解の能力が全くないとしたら、特定の演算子の機能など教えようがない。100の問題があれば、100通りの解き方を教える以外にないからである。ところが、子どもはおどろく程の能力を発揮して、一つの問題でも様々な解き方を発見する。そのことに確信を得た遠山は、抽象的な概念を教えるには、最も一般的で普遍的な例を先に提示し、そのエッセンスを教えることが肝要であると悟ったのだ。

 「水道方式」の根底にあるこの発想は、現在の算数教育の、簡単な問題から複雑な問題へといった流れと根本的に異なっている。(その2)に示した大工の仕事量の問題のように、本当に具体的な問題というものは、抽象的な概念を基礎とする算数の世界では、却って難しく、混乱を引き起こすことになる。その点では、単に「簡単な問題」と思われることでも、子どもたちにとっては、抽象的な概念と結びつきにくく、難しい問題となることもあり、逆に、一般的で普遍的な問題が難しいとは限らない。遠山は、そうした数多くの実例について協力者とともに吟味し、「水道方式」にもとづく学習教材を作り、世に問うた。遠山が亡くなったのは、この指導法を普及する活動が軌道に乗りかかった頃(1978年)のことである。(注4)

 さて、「水道方式」の利点は、はじめに一般的・普遍的な問題を提示することで、演算子ひとつの学習においても、最初から自由で、多様な発想を促すという点にある。そのことを大切にしたかったからこそ、遠山は、かけ算の順序を固定することに強く反対したのである。

 「まず、算数は、小学校の1年から6年まで一つにつながった学問です。つまり、一つ一つの事実が全部つながっていて、ちょうど一つの大きな長編小説のようなものです。けっして短編小説の集まり、短編小説集ではないということです。」(『水道方式とはなにか』 p17-18)

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注1:遠山によると、ヨーロッパの言語の“かける”の意味には、英語の”multiply”のように、もともと“ふえる”という意味があって、かけ算をたし算の延長として教えるやりかたが自然に浸透した。一方、中国語にも日本語にも、“かける”に“ふえる”は含意されていない。例えば“8がけ”など、はじめから減ることを想定して使用されるなど、こちらのほうが算数教育の上では有利な言語状況なのだから、根本から改めた方が良い、ということらしい。その方が、0や分数や少数のかけ算も理解され易い。

注2:この文章の「“いくつ分”を求める」という表現は、この場合、「3匹分の総数を求める」という意味で、「“1あたり”と“いくつ分”から”全体“を求める」と同じ意味。
 なお、ウサギの数え方は“匹”ではなく、正しくは“羽”である。それを間違えても、算数においては何らの問題も生じない。そこに拘るのは、国語の問題であって、算数に国語の問題を持ち込んではいけないというのが、「助数詞廃止論」のもう一つの理由であった。ただし、遠山が廃止を主張したのは、式の記述中においてのもので、問題文から廃止することには拘っていなかった。

注3:この考え方は、『量とは何か』を読む限りでは、遠山のオリジナルであるらしいが、先駆者の有無については定かでない。いずれにしても、遠山を中心とした「数教協」の活動をとおして、戦後(1960年代?)、全国にひろまった。

注4:ほるぷ出版から発刊された「水道方式」にもとづく学習教材には、『さんすうだいすき 全10巻』(1972)と『数の探検 全9巻』(1973)があるが、いずれも絶版。タイルなどの付録も充実していて、その分、高額であった。遠山の死後、遺族との間で版権をめぐる問題が取りざたされたが、詳細については把握していない。
http://homepage.mac.com/kamenoseiji/Sansuu/index.html
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=8586

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ほるぷ出版からの遠山さんの本には、「さんすうだいすき」、「算数の探検」以外に「数学の広場」があります。いずれも「算数の探検」の第三巻を除いてもっていますが、最近の古本では5万円とか3万円とかの高値がついていて、簡単に入手できないのは残念です。
ちなみに「数学の広場」は子どもが昔通っていた学校の図書館にあったので、子どもに借りてこさせて読んだ覚えがありますが、感激をしたものです。でもそれを手に入れて実際に見てみるとどうも印象が違ったりして戸惑っていたりします。7進法とかの説明が図で説明されていたと思うのに、それが見つからないのです。それも黄色の鮮やかなタイル図を見た気がするのですが、なにか別のものと勘違いをしているのでしょうか。 削除

2009/10/30(金) 午後 0:38 [ あおやま ] 返信する

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あおやまさん、コメントありがとうございます。
「数学の広場」は知りませんでした。私は、友人からおさがりで「さんすうだいすき」か「算数の探検」のどちらかを譲り受け、実際に私の子どもの家庭学習に活かしていました。
今、手許になくてどちらだったかわかりませんが、ちょっとした感動がちりばめられていました。
著作集の方は、「3卷、水道方式とは何か」、「5巻、量とは何かI」、「6巻、量とは何かII」と「別卷1、日記抄、総索引」だけが、手許に残っています。他にも、「競争原理を超えて」というのは名著だと思います。
そのうち、この本の内容を紹介する記事を書きたいと思っています。
武谷三男の本も届いたので、ぼちぼち読んでいます。 削除

2009/10/31(土) 午前 1:36 [ さつき ] 返信する

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算数の探検の限定復刊が決定したようです。
ブログURLに張っておきます。
このおかげで、ここにたどり着くことができたので、感謝しています。 削除

2011/5/11(水) 午後 11:38 [ はり ] 返信する

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はりさん、情報ありがとうございます。
『算数の探検』が復刊したとは、これはびっくりです。孫たちに読ませたいと思う世代による指示があったということでしょうかね。 削除

2011/5/11(水) 午後 11:51 [ さつき ] 返信する

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