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8月6日NHKスペシャル 「黒い雨」文字おこし(その1)

 前々回の記事注意喚起しておいた8月6日NHKスペシャル 「黒い雨〜活(い)かされなかった被爆者調査〜」を観て、いろいろな意味で琴線に触れるところがあったので、テキストとして残しておきたい。TV番組を再現するのは不可能だが、誤解されるようなことはないと思う。
 なお、当番組全体の概要はこちらのTogetterでも文字起こしされているので参照されたい。

導入部:
 広島に住む女性が大切に保管しているものがあります。無数の黒いシミの残るブラウスです。原爆投下直後、広島に降った黒い雨。67年前の確かな痕跡です。アメリカが、広島、長崎に投下した原子爆弾。キノコ雲には爆発でまき上げられたチリや埃とともに大量の放射性物質が含まれていました。それが上空で急速に冷やされ、雨となって降りました。いわゆる、黒い雨です。原爆資料館に保管されている雨垂れの痕。原爆の材料となったウランなどの放射性物質が検出されています。しかしこれまで、雨がどこに降り、どれだけの被ばくをもたらしたのか、詳細なデータがないために、分からないままになっていました。

 ところが、去年12月、国が所管する、被ばく者の調査を行う研究所に、大量のデータが存在していたことが明らかになりました。公開されたのは、広島と長崎、合わせて一万人を超える被ばく者が、どこで黒い雨に遭ったのかを示す分布図です。丸の大きさは、雨に遭った人数を表しています。データは戦後、被ばくの影響を調べる大規模な調査の中で集められたものでした。

 突然明かされた新事実。黒い雨を浴びて、癌などの病気になっても、その影響を認められてこなかった人たちに、衝撃が広がっています。このデータをもとに、黒い雨の実態解明をすすめる動きもおきています。最新の研究で、雨が多く降った場所で、被曝者が癌で死亡するリスクが高まっている可能性が浮かび上がってきたのです。黒い雨のデータは何故活かされてこなかったのか。それは、今の時代に何を語るのか。被ばくから67年。始めて明らかになる真実です。

(長崎市)
 今回公開された黒い雨のデータ、その存在が明らかになったきっかけは、長崎のある医師が抱いた疑問でした。長崎市内で開業している本田孝也(こうや)医師です。黒い雨をあび、体調不良を訴える患者を長年診てきました。黒い雨をあびた患者の中には癌や白血病などの病気になった人も少なくありません。しかし、詳しいデータはなく、どうすることもできませんでした。何か資料はないのか。様々な文献にあたる中で、昨年気になる報告書を見つけました。広島と長崎で被ばく者の調査をしていたアメリカの研究機関ABCCの調査員が内部向けに書いたものでした(注1)。そこには、黒い雨をあびた人に被ばく特有の出血斑や脱毛などの急性症状が出たことが、集計された数字とともに記されていました。元になったデータがあるのかもしれないと、本田さんは思いました。

本田氏:「そんなこと聞いたことがなかったので、それほどのデータがあったのかなと、ずっと昔から研究されている研究者の中で話題にならなかったのか、っていうのが、最初不思議だと思ったことですね。」

 本田さんは、当時報告書を書いた調査員が居た研究所に問い合わせました。アメリカの研究機関ABCCを引き継いだ放射線影響研究所、放影研。国から補助金を受けて被ばく者の調査を行い、そのデータは、被ばくの国際的な安全基準の元になってきました。

 本田さんに対する放影研の答えは、確かに黒い雨についての調査は行ったが、詳細は個人情報であり、公開はできないというもでした。その時渡されたのは、調査に使った空の質問票でした。どこで被ばくしたか、どんな急性症状をおこしたか、具体的な症例のチェック項目など数十の質問が並んでいました。1950年代、ABCCが、放射線の人体への影響を調べるために、広島と長崎の被ばく者9万3000人におこなった聞き取り調査でした。「原爆直後雨ニ逢イマシタカ?」Yes□ No□  Unk.□、何時、期間、地域 といった黒い雨についての調査項目もあました。放影研は、本田さんとの数回に及ぶやりとりの末、1万3000人がYesと答えていたいたことを、はじめて明かしたのです。

本田氏:「ほんとかなという、実感が湧かなくて・・・ なんか、ありそうじゃないじゃないですか、そんな膨大なデータは、今どき、そのままにしてるっていう・・・ そこからは、何かが出る筈だろうし、なんで今まで、出さなかったのかっていう、まあ、ちょっと、険しいやりとりにはなったんですけど、うん」

(広島:放影研の記者会見)
 マスコミから問い合わせが殺到し、二ヶ月後、放影研は分布図だけを公開しました。これまで公開しなかった理由について、隠してきた訳ではなく、データの重要度が低いと判断したからだとしています。

 その根拠は何か。放影研が重視してきたのは、原爆炸裂の瞬間に放出される初期放射線です。その放射線量は爆心地から1km以内では大半が死に至るほど高い値ですが、2km付近で100 mSvを下回ります。100 mSvは健康に影響を及ぼす基準とされている値で、放影研は、それより遠くでは影響は見られないとしているのです。しかし、被ばくはそれだけではありません。黒い雨や地上に残された放射性物質による残留放射線です。原爆投下の一ヶ月あまり後の測定などから、被ばく線量は、高いところでも10〜30 mSvと推測されています。放影研の大久保利晃(としてる)理事長は、残留放射線の被ばく線量は研究の中で無視してよい程度だったとしています。

大久保氏:「集団としてみた場合には、黒い雨の影響はそんなに大きなものではなかったと思います。影響ないとは言ってませんよ。影響はもちろん放射線の被ばくの原因になっているというのは間違いない事実だと思いますけれども。それは相対的に、直接被ばくの被ばく線量と比べて、それを凌駕する、あるいは全体的に結論を変えなければいけないよいうな量であったかという質問とすれば、それはそんなに大きなものではなかったと・・・」

 公開された分布図を見ると、黒い雨にあった人は、爆心地から2 kmの外にも多くいたことがわかります。それなのに、なぜ黒い雨の影響を調べなかったのか。多くの人が放影研の説明に納得できずにいます。

 爆心地からおよそ2.5 km 、広島市の西部、己斐地区です。黒い雨が激しく降りました。しかし,一人一人が黒い雨を浴びた確かな証拠はありません。佐久間邦彦さん67歳です。当時生後9ヶ月だった佐久間さんにとっても、黒い雨を浴びたことを示すものは、自分をおぶっていた母の話だけでした。

佐久間氏:「聞いてるのは、最初、パラパラッときて、それからザーッときたっていうふうには聞いてますけどもね。」

 佐久間さんは、幼い頃から白血球の数が異常に少なく、小学生の時には、腎臓と肝臓の大病を患いました。母親の静子さんは乳癌を発症、しかし、黒い雨を浴びた確かな証拠はなく、その影響を強く訴えることはできませんでした。佐久間さんは、放影研のデータの存在を知り、自分のデータはあるのか問い合わせました。二週間後、送られてきた封筒には調査記録のコピーが入っていました。調査に答えていたのは、母静子さんでした。母が答えた調査記録があるのに、なぜ国は病気のことを調べてくれなかったのか。病気と黒い雨との関係を明らかにできなかったのか、疑念が湧いてきました。

佐久間氏:「そのままにしておかれたのかっていう、私たち被爆者の立場から考えたら、もう、何の調査もされていないということは、これはもう、憤り以外何物でもないですよね。」

 私たちは今回、被爆者の承諾を得て、53人分の調査記録を集めました。被爆者自身初めて目にする黒い雨の確かな記録です。中には、発熱や下痢など複数の急性症状が、爆心地から5 kmの場所に居たにもかかわらず、強く出ていたとの記録もありました。調査をおこなったABCCは、黒い雨のデータを集めておきながら、なぜ、詳しく調べることなく眠らせていたのか。私たちは調査を主導していたアメリカを取材することにしました。

(アメリカワシントン州)
 ABCCに資金を提供し、大きな影響力を持っていたのが原子力委員会です。戦時中、原爆を開発したマンハッタン計画を引き継ぎ、核兵器の開発と原子力の平和利用を同時に進めていました。

 被爆者の調査が始まったのは1950年代。「核分裂物質が人類の平和のために使われるだろう」アイゼンハワー大統領の演説を受け、原子力の平和利用に乗り出したアメリカ。しかし、核実験を繰り返した結果、国内で被ばくへの不安が高まり、対処する必要にせまられていました。原子力委員会の意向を受け、ABCCは、被ばくの安全基準を作る研究に取りかかります。被爆者9万3000人について、被ばくした状況と健康被害を調べてデータ化する作業が一斉にはじまりました。

 当時の原子力委員会の内情を知る人物が取材に応じました。セオドア・ロックウェル氏90歳です。戦時中、広島原爆の開発に参加したロックウェル氏は、原子力委員会で原子炉の実用化をすすめていました。安全基準を一日も早く作ることを求められる中で、黒い雨など残留放射線について調べるつもりは初めからなかったと言います。

ロックウェル氏:「被爆者のデータは絶対的な被ばくの安全基準を作るためのものだと、最初から決まっていました。残留放射線について詳しく調査をするなんてなんの役にも立ちません」

 さらに私たちは、残留放射線の問題に対する原子力委員会の強い姿勢を示す資料にいきあたりました。

 「これは原子力委員会からの手紙です。1955年12月のものです」

 手紙を書いたのは原子力委員会の幹部だったチャールズ・ダナム氏。調査を始めるにあたって、学術機関のトップに、こう説明していました。

「広島と長崎の被害について、誤解を招く恐れのある根拠の希薄な報告を押さえ込まなければならない」

 ダナム氏が押さえ込もうとしていた報告とは何か。ちょうどそのころ広島のABCCで残留放射線の影響を指摘する報告書が出されていました。「広島における残留放射線とその症状」、報告書を書いたのはローウェル・ウッドベリー博士。広島のABCCで統計部長を務めていました。

 報告書の中で、博士はまず、黒い雨など、残留放射線の値は低いとした当時の測定結果に疑問を投げかけています。原爆投下の一ヶ月後、巨大な台風が広島を直撃(注2)。ほとんどの調査はその後行われ、測定値が正確でなかった可能性があると指摘しています。

論文から:「台風による激しい雨と、それに伴う洪水によって、放射性物質の多くは洗い流されたのかもしれない。」

 ウッドベリー博士は、実際の被ばく線量は健康被害が出るほど高いレベルだったのではないかと考えたのです。その根拠として、ある女性の調査記録を示しています。下痢や発熱、そして脱毛など九つもの急性症状が出たことをあげ、黒い雨など、残留放射線の影響ではないかと、指摘しています。
(続く)

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注1)英文タイトル:"An examination of A-Bonb survivors exposed to fallout rain and a comparison to a similar control population" 
Hiroaki Yamada, T.D. Jones

注2)昭和20年「枕崎台風」のこと。9月17日、鹿児島県枕崎市付近に上陸して日本を縦断。長崎も広島も豪雨に見舞われた。特に広島の土石流災害は深刻で、この時、広島を訪れていた京都大学の「原爆災害総合研究調査班」にも11名の死者を出している。後年の測定によって検出された残留放射能が理論的予測よりかなり少ないのは、この時の豪雨によって死の灰が洗い流されたからだと考える研究者は多い。

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sivadさん、トラックバックありがとうございます。
大変な労作です。これからじっくり読んでみます。 削除

2012/8/20(月) 午後 8:47 [ さつき ] <<コメントに返信する

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