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 映画『この世界の片隅に』を広島で観た。結論を先に書いておくと、簡単にはネタばれしない映画で、その一点だけでも観る価値があると思った。

 上映開始間際に駆けつけるとほぼ満員で、妻と並んで座れる席がなかった。既に暗くて客層が良くわからなかったが、私の両隣が高齢の女性らしいことは分かった。上映中、広島や呉の昔の風景・風習を懐かしむささやき声が聞こえた。江波や草津に遠浅の砂浜が拡がり、海苔の養殖が行われていたこともご存じの様子。原作者のこうの史代氏は広島市西区の出身らしいので、祖父母から伝え聴いていたのだろう。

 映画化に当たっては片渕須直監督自ら6年にわたる綿密な調査・取材を行ったという。今は平和公園となっている辺りの当時の町並みや、原爆の投下目標となったT字型の相生橋、原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)などの当時の姿は平和記念資料館の展示でなじみのものだ。

 しかし、私にとっては空襲のシーンが最も新鮮で衝撃的だった。空襲のシーンを観ながら、そして映画館を出た後もずっと、私の母から聞いた戦時の体験談を思い出し、反芻していた。

 母の郷里は九州の僻地にあったので、都市部のような大規模な空襲を受けることはなかった。それでも敗戦の年の春頃になると、大都市を爆撃するB29の編隊が上空を通過することが度々あり、その都度空襲警報が鳴って、家の傍の小さな手堀の防空壕に逃げ込んでいた。やがて、5キロほど離れたところにある小さな造船所に、都市空爆への行き帰りの米軍機が気まぐれに爆弾を落とすというようなこともまま起こるようになった。

 母は当時13才。ある日、田植えの終わった田んぼのあぜ道を歩いていると、前触れもなく突然裏山からグラマン(母の言)が現れ、低空を舐めるように自分の方にまっしぐらに向かってきて、パンパンパンパンと機銃掃射を浴びせて来た。とっさに伏せたが、やられたと思った。半ば気を失っていたかもしれない。気がついてみると無傷だった。後でわかったことには、母が居た地点の数百メートル先の海岸から少し離れたところで漁をしていた小さな漁船が狙われ、漁師夫婦二人が亡くなったとのこと。

 母から何度も聞いた「パンパンパンパン」という破裂音の機銃掃射の音は、これまで観たどの映画でも表現されていないものであったが、この映画では、そのままであった。空襲の場面についての感想は公式HPに寄せられた「応援コメント」の中にも見いだすことができる。

これから戦争を語り継ぐにあたって、とても大切な映画が誕生した。
空襲のシーンは、これまで見てきたどの映画よりリアル。ついにそれがどういうものであったかがわかった。
―――塚本晋也(映画監督)

よく作っていただいた。まずはそう言いたい。
個人的には音が衝撃的だった。オタク的な話になるが、戦闘に関わる音、飛行機の爆音とか、機銃の音とか、爆発音とかどの音も聴いたことがない音だった。おそらくアリモノでなく新録なのだろう。安易に音をつけていない。
(抜粋)
―――とり・みき(漫画家)

 音の記憶は決して曖昧なものではない筈だ。母の恐怖は音の記憶とともにある。にもかかわらず、それを他人に正確に伝えるのは、他のどのような記憶にもまして困難なものであるように思える。とり・みき氏の言うように「アリモノでなく新録」だとしたら、おそらく片渕監督は、いろいろな音を体験者に実際に聞かせて、その中から選び取られた音を採用するという気の遠くなるような作業を実行したのだろう。

 音は、映画『野火』を撮った塚本監督をして「どの映画よりリアル」と言わしめた空襲のシーンの、そのほんの一端を構成しているに過ぎない。全体を通して描かれる日々の暮らしの中にあるリアリティ。当時の社会で女性がどのように理不尽にあつかわれたか。それでもなお愛おしく思える日々の暮らしがある。若い男達はどのように死地へ赴いたか、それらを受け入れねばならない空気感の機微のようなものを含め、多くの評者が賛辞として贈るリアリティに満ちた映画である。

 とは言え、この世界の全体を丸ごと描き出すことなど誰にもできない。それはそもそも不可能だ。したがって、この映画のリアリティもまた切り取られた世界の一断面、すなわち選択されたリアリティには違いない。その<選択>を由としない声があるのも当然であろう。

 このことは、例えば、前作『夕凪の街 桜の国』へ寄せられた作家・山口泉氏による「美しい物語に潜む「歴史」の脱政治化」と題された批判(『週刊金曜日』2005年09月02日号掲載)が、『この世界の片隅に』にとってもなお一面有効な批判たり得ている理由となっていよう。(以下、抜粋)


 問題は何か。本書の性格を象徴するのが、巻頭の献辞だ。
「広島のある日本のあるこの世界を/愛するすべての人へ」−。
だか「この世界」は愛したくとも、「日本のあるこの世界」など、終生、拒絶せざるを得ない人々が、現に日本の内外に存在する。少なくとも日本は、
1945年8月、突如として、この地上に出現した国ではない。「平和」を、真に人間普遍の問題として共有しうるためには不可欠の、地を這うように困難な手続きをあらかじめ回避したところに、この物語は成立している。
 本書の抱え持つ脱政治性ともいうべき傾向が、事柄のいっさいを「無謬(むびゅう)の「桜の国」の美しい悲劇」へと変質させかねないことを、私は危ぶむ。そして、痛ましくも口当たりの良い物語の「受け容れられやすさ」が、「被爆」を単に「日本人の占有する不幸」にのみ矮小化し、さらには新しいナショナリズムに回収される迷路へと誘(いざな)う場合もありうることを、私は恐れる」

 <選択>されたのはあくまで主人公すずを通して体験される「この世界の片隅」であり、その「片隅」をとことんリアルに描ききろうとしたのが本作と言って良いだろう。すずは、その個性や境遇からくる特殊性と、当時の社会的存在としての普遍性をまとっている。そこをリアルに描こうとするなら、「日本の内外に存在する、この世界は愛したくとも、「日本のあるこの世界」など、終生、拒絶せざるを得ない人々」が登場しないのも当然ではあろう。敗戦の玉音放送後の場面に一瞬現れる「太極旗」の描写が中途半端であるのもまた、すずの目を通したリアリティである。

 そして、それらの<選択>が、消極的に割愛された結果ではなく、極めて意識的に追求された結果であることは、こうの史代氏自身の言葉から推測することができる。


広島市で生まれ育ちました。それなのに、高校生のころには、原爆や戦争の話が嫌いになっていました。どうしてだと思いますか?
 「二度と原爆の悲劇を繰り返してはいけない」という答えがもう用意されていて、何度も大人に言わされる。残酷なものを、みんなと一緒に見せられるのもいやでした。

 ここに少し書いたように、間違いなく、従来の平和教育は失敗している。そのことは当の広島の政治的惨状を観れば明らかであろう。そして、こうの氏はそのことを良く理解している。

 最後に、この映画の意図をよく汲んでいると思われるので、公式HPに寄せられた「応援コメント」から引用しておく。

原作とこれほど相思相愛のアニメはいまだかつて見たことがない。自分の中の「思春期」がすり切れてしまう前にこの作品に出会えたことに感謝。
恐るべき精度で重層的に描かれた「あの時代」「この片隅」の愛おしき日常。そこから世界中のあちこちにいる「すずさん」に思いをはせてみること。たとえばシリアや南スーダンにも、たったいま、まちがいなく存在する「片隅の日常」を想像すること。そう、私たちには「想像力」が、「日常を生きる力」がある。
「戦争」に抗する二つの力がある。この映画は、私たちにもそんな力があることを想い出させてくれる。
懐かしいのに鮮烈で、愛らしくも力強い、そんな新しい古典の誕生である。
―――斎藤環(精神科医)

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閉じる コメント(3)

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この映画については、公開規模に比して大きな評価を得ているようです
私も近々映画館に運ぶ予定ではありますが
《政治的でないから良い》《左翼的な反戦イデオロギーが無いから良い》
等と的外れなコメントも有るようです
思うに、此処で紹介されている「週間金曜日」の記事などを斜め読みした輩が
禄に考えもせずにコメントしていると思うのですが

一つの作品が完成するためには多くの要素が必要ですが、
結果として現れるものは、意外に簡素です
作り手の投げたボールをどのように受け止めるか
受け手の力量が試されます

この映画については今後、多くの議論が起こるでしょう
作者の意図を、或いは発言者の意図をしっかりと読み解き
実りある議論が展開されたら良いと思います

初めてコメントいたします
素晴らしく知性を感じるブログです
情緒に流される我が身を恥じ入ります

2016/11/29(火) 午前 3:57 [ ram**ive16*7721* ] 返信する

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コメントありがとうございます。
慣れない映画レビューなど書いているのも、私の周りで話題になることがなくて寂しい思いをしていたからですが、少しずつこの映画の反響が拡がっているようで嬉しく思っています。
ぜひ、映画館でごらんになって下さい。

2016/11/29(火) 午後 10:04 [ さつき ] 返信する

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自己レスです。
『この世界の片隅に』を『はだしのゲン』と対立して論じる方がいてびっくりです。中沢啓治氏も悲しむでしょう。
そいう方には、映画『草原の実験』をお薦めしておきます。

2016/12/3(土) 午後 5:25 [ さつき ] 返信する

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