無題
三所 後藤通乗 眠り布袋図
刀はそのまま抜き身では危ないし、身に帯びる事も出来ません。そこで外装を造って其の中に収めるわけです。外装は柄と鞘に分かれます。鞘は刀の刃が付いて切れる方を収め、刀の根本で握る部分(茎といいます)を覆うものを柄といいます。刀を使う時に手で握りやすくする役目です。刀身と柄に孔を開け刀が抜けてしまわないように金属製もしくは木、竹製の釘で固定しました。これを目釘といいます。
古い時代、この目釘の頭の部分に金属の彫刻を施した物がありそれが目貫に変遷したと考えられています。当初は目貫の裏の根が凹凸になっていて目釘をも兼ねていたが後に目釘とは独立した飾りとなります。初期の段階における目貫は柄を左右の手で握ったときに掌中に左右の目貫が一個ずつ入っててだまりを良くする目的がありました。
目貫は刀を差した時一番目立つ柄の中心に装着される物だから転じて賑
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ブログ 暫くお休みのお知らせ
2009/6/27(土) 午後 0:55
株式とFXで連日グラフと数字を追いかけすぎて視神経のバランスに異常をきたし、パソコンに対すると
めまいと吐き気を催すようになってしまいました。
当分の間、静養せざるを得なくなってしまいました。訪問してくださる皆様には申し訳ありませんが
暫時ブログを休ませていただきます。
よくなったら再開するつもりですのでその節は又よろしくお願いします。
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名刀物語(19) 大般若長光(国宝...
2009/6/21(日) 午後 7:48
天正元年、甲斐の武田信玄は上洛の夢を果たせぬまま征途に没した。
跡を継いだ武田勝頼は信玄の名に負けまいと遠江に出陣、徳川方の諏訪原城を攻略、ついで織田方の美濃飯羽間城を落とし、続いて徳川領の大沼城を攻めおとしその上信玄でさえ落とせなかった堅牢な守りの高天神城まで落として見せ大いに武名を挙げた。
長篠城を守っていた奥平貞昌は信玄の死を知り、武田家
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あーあ 歳だなー
2009/6/12(金) 午後 4:28
近頃一番情けなく感じていることは、反射神経が衰えたことを自覚し始めた事です。
どういうことかと言うと、私の住居は国道4号線に面していて、バイパスが出来たというものの
結構な交通量であり、車で道路に出るのに苦労するのです。
昔なら一寸した車間があればスッと出れたのに今は、走ってくる車の速度と距離を確認して脳に伝えるのに3秒、よし、いけると判断
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