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病む波郷われは道化て冬日中 石川桂郎
(やむ はきょう われはどうけて ふゆびなか)
勤めていた角川春樹事務所で、石田波郷読本を作ったことがある。
巻頭に、波郷のことを詠った三句を掲載することになり、私が選ぶことになった。
波郷と関わりのある俳人の句集をかたっぱしから読み、掲句の他にも、数句を見つけたが、私はこの句にとても感動した。
バスを待ち大路の春をうたがはず
プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ
という瑞々しい青春俳句を謳歌した波郷は、昭和18年に入隊し、翌年、左湿性胸膜炎を発病し、以後、生涯を病と共に生きた。
今生は病む生なりき烏頭 波郷
(こんじょうは やむしょうなりき とりかぶと)
桂郎は、読売文学賞を受賞した作家でもあるが、波郷の俳句に心酔した一人である。
「俳句ではとても波郷にかなわない」
として散文に力を入れた、という逸話も残っている。
それだけ波郷という存在は、韻文、俳句の象徴でもあったのだ。
東京・清瀬の東京病院の裏庭には、波郷が療養した小屋、外気舎が今も一つ残されている。
当時の結核は有効な治療方法が無く、粗末な小屋でひたすら外の空気に触れることしかなかったようである。
その後、波郷は胸にピンポン玉を入れる手術をしたり、生涯、病と戦うわけである。
掲句は、そんな波郷を見舞った桂郎のやるせなさが切実に表現されている。
「波郷」という青春俳句、叙情俳句のシンボルが、今や、かぼそくやせ細った体を静かに横たえ静養している。
ありあまる才能がありながら、病の為、そして戦争の為に犠牲となった彼に、どのような言葉を掛ければよいのだろうか。
そんな悲しみをおさえながら、作者は精一杯道化て波郷を笑わせようとしている。
暖かな冬日を浴びながら、お道化ている作者と静かに笑みを浮かべている波郷。
この句の「道化」はとてつもなく悲しい。
「病む波郷」から「われは道化て」への流れは、波郷が生涯追及した「二句一章」「切れ字」を見事に継承している。
師弟・同志としての絆をうかがわせる一句だ。
余り知られてはいない句だが、この先人たちの「二句一章の俳句魂」を推賞し、継承してゆきたいものである。
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